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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
107/131

九十一 鈍く鋭い

大変お待たせしました(-人-;)

次はもう少し早く上げられます。




 年が明けた。

 年末からの冷え込みで、白鳴山はすっかり雪化粧して、眩いばかりの白に輝いている。


 三太朗は目を丸くして景色を見渡した。

 目の前に広がる世界は白銀に煌めいて、幼い眼差しを釘付けにした。


 柔らかな白い雪は見慣れた山の景色を一変させた。

 思い出せた記憶の中には、冬や雪景色のことはひとつもなかったから、三太朗は銀世界を見るのは実質初めてのことだった。


 彼にとって雪は不思議の代名詞になりつつある。

 白くてきらきらでふわふわなのだ。


――――白くてふわふわ。お布団と一緒なのに冷たい。


 しかもぎゅっと握り込んでみると硬くなるし、手のひらに乗せていると、溶けてしまって、なんと水が残るのである。


 不思議素材"雪"を目の前にして、好奇心旺盛な子どもはじっとしてはいられなかった。


「ゆき!!!」


 今朝教えてもらったばかりの単語を叫びつつ、勢いよく飛び出して行って、早速新雪に足を取られて盛大に頭から突っ込んだのを、兄弟子たちが笑った。


 その日三太朗は、先輩たちに連れられて思い切り雪遊びをした。


 この頃は急に眠り込んでしまうこともなくなり、それどころか、疲れにくさという点で言えば、人だった頃と同じかそれ以上。

 彼の成長は順調である。


 だが、その成長が災いした。

 初めての雪を前にして、大はしゃぎで遊び回ること昼前から夕方まで。


 その結果、小さな手がもみじを通り越して腫れ上がってしまったのだ。

 それは見事な霜焼けであった。






「…もう少しで(こお)(きず)になるところだ」

「こおりきずってなにです?」


 苦い顔をしたヤタを前に、三太朗はこてんと首を傾げた。


「"なにです"ではない。そこは"なんです"と言う」

「はぁい。"なんです"?」


 ヤタの前足が離れたので、囲炉裏の火に翳された手をさりげなく取り返して、ぽりぽり掻いた。

 一旦は冷たくなり、感覚がなくなってしまっていたのに、今はずんと重いような痛みがして、ぴりぴり痒いのだ。


 でも「これ」と腕を翼で軽く叩いてヤタが咎めると、手を素早く袖の中へしまった。

 なにもしてませんよ?とばかりに精一杯の真面目な顔である。

 ヤタは特大のため息を落とした。


「凍り傷とは、過剰な"氷気(ひょうき)"に身が耐えられずに受ける傷よ。"火気(かき)"にて受ける()(きず)の逆ぞ……そも焼け傷とは異なり、凍り傷は急になるものではない。普通は斯様に酷くなる前に気付いて手当てするものであろうに、何故(なにゆえ)ここまで放っておいたのだ」


「ええっと…」


 三太朗はすっかり戸惑って口ごもった。

 冬や雪についての知識を思い出すことが出来なかった三太朗は、冷たさが過ぎると霜焼けになる知識もなく、それ故危機感も抱かなかったのである。


 そして、冷たくなりたてはきんきんと痛かったけれど、すぐに感覚がなくなった上、遊ぶ楽しさが勝って『ま、いっか』と遊びを続行してしまった。


 とりあえず、手と同じく真っ赤になって…というか少し黒くもなった足のことは黙っていようと思った。


「なんか、手が冷たくなって、さわってもわかんなくなったの、不思議だなって思ったんだけどね、よくわかんなかったの。それで、雪合戦たのしかったから忘れちゃったの…です」


 ヤタが怒るかどうかちょっと考えたが、結局とても正直にそう言った。

 ヤタは三太朗が真の意味で無知であったことを思い出し、(しば)し黙り込む。


 そうして三太朗を散々『怒られるかもしれない』とどきどきさせた後で「次は気を付けよ」とため息と共に吐き出した。


「手足が治るまで外へ出ることを禁ずる」


 言わなくてもお見通しだったようなので、三太朗はもう隠すことなく膝を立てて爪先を火に翳して…なんとも言えない痛みにさっと遠ざけた。


 それから言われたことが(ようや)く染み込んだのか、『おや?』と目を瞬きながらヤタを見た。


「え~」

「えーではないわ阿呆(アホウ)。大体そなたは危機感が足りぬのだ。凍り傷は酷くなると指が落ちる病ぞ!軽く見るでないわ!」

「えっ」


 三太朗は目を丸くしてまじまじと自分の手を眺めた。


「落ちる?くっついてるのに、落ちるの?」

「…絶たれるのだ。それは未だ凍瘡(しもやけ)故、そこまではならぬがな。だが、更に酷くなれば、知らぬぞ?」

「はええ?」


 頓狂(とんきょう)な声を発して、三太朗の顔が少し強張ってきた。ヤタはきちんと警告できただろうと判断して、やれやれと羽を畳み直す。


 常識が欠けてしまっている者に、危機感を伝え教えるのはひと苦労なのである。


 しかし、少年は真剣な顔のままでおもむろに自分の指を掴んだ。


 ぐいーーっ。


「………何をしておる」

「とれないよ?オレの指、とれるようになってないみたい」

「むぅ…そう取るか」

「?だから、とれないよ?」

「……そうではない」


 自分の指をぐいぐい引っ張り回しながら首を捻っている子どもを前にして、ヤタはため息を噛み殺した。


――――この緊張感のなさはなんなのか。


 手はヤタから見ても中々の凍瘡(とうそう)である。

 引っ掻いたり、火に翳してはさっと引っ込める動作からして、痛みと痒みは感じているだろう。


 なのに、その幼い顔からは苦痛を感じている様子は一切見られない。

 彼にとっては正体不明の痛みのはずなのに、普段と明らかに様子が違う手足の見た目と合わさっても泣きもしない。ただ只管(ひたすら)不思議そうに首を捻っている。


 以前の彼がそのまま幼くなったとしたら、泣きながら見せに来るぐらいはしそうなものなのに、今の三太朗は非常に能天気かつ楽天的であった。

 大真面目なのがある意味たちが悪い。


――――やはり、記憶が欠けておる所為か。傷が積もれば死に繋がることも解らぬのやも知れぬ。


 それはとりもなおさず、完全に守られていることを疑っていない証左であり、危険を感じたことがない事実を示す。

 だが、本来子どもは滅多なことがなければ危難から遠いはず。それでもやはり痛みを感じれば危機と繋げることは本能的に出来るはずなのだった。


 もしかしたら、とヤタは思う。

 当たり前の本能だと思い込んでいたものは、日々の小さな傷や、慌てる周りの反応から少しずつ学んでいくものなのかもしれない。


 だとすれば、絶対的に経験が足りないのだ。

 後天的に獲得するものならば後々には再習得も可能だとしても、今は未だ、すぐには理解も納得も出来ないだろう。

 順序立てて理解し、習得するものではない故に。


 まさか体験させる訳にはいかない。ヤタをはじめとした周りが出来ることは、言葉を尽くしてその時々に何故危ないのかを教えてやることだけだった。


「取れるようになっておらぬから、取れればとんでもないであろう?それほどのことが起こり得るということぞ」

「んー……?はぁい」


 本当に解っているのかいないのか。


「そんな気のない(いら)えがあるか。手指、足指をなくせば難儀しように。その上、傷は痛むぞ。昼も夜もなく痛みがあるのは辛いと思わぬか」


「えっ、うーん…」


 どうやら本当に想像が及ばなかったのか、真剣な顔で考え込む。――考え込むほど難しい問題ではないだろうとヤタは思うのだが。また何か、余人には思いもよらぬ考え方をしているのかもしれない。


――――大体、こういうことは我だけでなく彼奴(あやつ)が教えてやれば良いものを。


 そう思っているが、上の弟子三羽を引っ張って行ったヤタの主は、今頃は雛に気を付けてやらねばならない数々のことをもう一度教育しているはずである。


 雛はひ弱だ。

 怪我にも病にも弱く、未だ羽毛ばかりで風切り羽がない翼では飛ぶこともできない。

 本来なら、駆けるのは得意なものだが、人から成った雛は人の頃の感覚が抜けないのか、翼に慣れない三太朗も走り方は不恰好で頻繁に転ぶ。

 羽が生え変わる頃までの間とはいえ、周りがきっちりと面倒を見てやらねばならない生き物なのだ。


 しかしながら、白鳴山は戦に近い土地柄。平時も不測の事態に備えねばならず、三太朗にばかりかまけている余裕は、彼を可愛がってやまない(ユミ)にさえなかった。


 高遠の弟子たちに、弟弟子の世話も安心して任せられないのはヤタたちとしても困るので、今高遠を呼び戻す訳にはいかない。


 どう考えても、この場で、是が非でも、どうにかして、なんとしてでも、危機感を持つように諭すのはヤタの仕事なのだ。


「むぅ…」


 考え込む三太朗と共に、ヤタもまた悩ましく唸る。

 余談だが、知識と思慮に自信があるヤタが困り果てるのは非常に珍しいことであった。


「まぁまぁ、そろそろお話は終わりにして、手当てしておきましょうねぇ」


 更にどう言うべきかを考えているとき、垂れ目のタヌキがやって来た。


「ぅぇえ…」


 三太朗の顔が盛大に歪む。

 目線の先には権太郎が手にした薬の壺がある。

 相変わらず三太朗は薬が大嫌いだった。


「でも…ごんたろさん、まだお風呂入ってないよ!まだお薬早いよ!」


 名案と書いてある笑顔で、逃げを打ちにかかる。


「はえ?あぁ、さんたろさん。お風呂はですねぇ」


 言いかけた権太郎を、ヤタはばさりと翼を広げて制止した。


「湯と水に交互に浸すのは、凍瘡に有効ぞ。風呂も良かろう」


「はぁ、ですがねぇ「はあい!オレ、お風呂入ってきます!」


 権太郎が言いかけたのを遮って、気が変わらない内にとばかりに、薬は嫌いだが風呂は好きな三太朗は大急ぎで飛び出していった。


「さんたろさぁん…ああ、行ってしまいましたねぇ。ヤタさん、なんであんなことを言ったんです?」


 いつもなら"ふん"と尊大に鼻を鳴らすところを若干長くして、"ふー"と少し草臥れたように息を吐きながら、ヤタは座布団の上で座り直した。


「百聞は一見にしかず。そも、熱さを感じたことのない者は、煮えたぎる釜にさえ触れればどうなるかも解らぬもの。言葉を尽くすより体験させたが早かろう。好きな風呂にも支障があると分かれば少しは慎重にもなることであろうしな」


「はぁ、まぁ、そうかもしれませんねぇ…」


 程なくして、随分早く上がってきた少年は、泣きそうな顔のまま大人しく手当てを受けた。


 やはり考えなしに手足を風呂桶に突っ込んだ彼は、霜焼けをいきなりお湯で温めるのは禁忌であると学んだようで、それからは体の変調に気を配るようになったのである。






「しろい!」


 三太朗は言わずもがなのことを言いながら、ぱたぱたと廊下を走り回っては、あらゆる部屋に入って窓を覗き込む。


 どこへ行ってみても外の景色全てが物珍しくて、全部見て回るには時間がいくらあっても足りない。


 まあそれは、途中で見つけた面白そうなものへついふらふらと寄って行ってしまうからであり、三太朗を見かけると甘いものや、気に入りそうな玩具を持って構いに行ってしまう周りの所為でもあった。


 周囲にしてみれば、折角の雪なのに外出禁止を言い渡された子どもを憐れんで、退屈させまい、気落ちさせまいとしたことだったが、おおよその目算とは違い、三太朗は少しも気落ちなどしていなかった。


「ゆき!」


 子どものはしゃいだ声が響く。空気まで軽く弾むような、軽い足音が楽しげに鳴る。

 それだけ、三太朗にはちらちらと新しく舞い落ちてくる雪片が、複雑に揺らめきながら辿る軌跡が面白かったのだ。


 雪だけではない。三太朗にとっては、目に映るもののほとんどが面白く、興味深いものなのだ。

 一時期は面白く思う余裕をなくしてしまっていたけれど、高遠に落ち着かせてもらってからは、再び興味の目を周囲に向けられるようになっていた。


 少しは戻ってきたが、それでも人間時代の記憶の欠落は大きい。

 三太朗は記憶の欠片を拾い集める内に、ひとつのことに気付いていた。


 それは、思い出せる時期だ。

 思い出したのは、師に拾われてから後のことばかりだ。山に来る前のことは全く思い出せない。

 もっと言えば、山に来たその日のことも、思い出せない。


 この山で、周りに世話を焼かれながら暮らしていた。それが、三太朗の始まりなのだった。


 しかし、思い出せないことは、彼にはあまり重要ではなくなっていた。

 一度は動揺してしまったけれど、よく考えてみれば覚えていたときのことを知らず、何を覚えていたのかも知らない。思い出したらどう変わるのか、見当もつかない。


 何より、三太朗は今とても満ち足りていたので、それ以上を望んだり変えたいと思うことはなかった。

 山に来る前のことは"思い出せないもの"として納得してきており、焦燥は時を経て薄らいできていた。


 それは、思い出せた部分も妙に現実感が薄い所為もあるかもしれない。


 実感に乏しく、紛れもなく自分が歩いてきた道筋だという感覚はあれど、同時にあれは自分とは別の存在だ、という方が実感としては大きかった。


 故に、三太朗はこの春から今までのことしか知らず、更には本当に"自分"と思えるのは、天狗になってから――秋からだ。


 天狗は人から天狗に成ったその年から歳を数える。そう教わった。

 それは、天狗として翼を得たそのときに産まれたようなものだからだ、と誰に教えられる訳でもなかったが知っていた。


 本当の命を得たのは、あのとき、あの日、あの焼けた土の臭いが満ちる、薄暗い牢の中でなのだと。


 つまり三太朗は、未だ産まれて三月(みつき)

 季節のひと巡りも経験していないから、見るものは全て真新しい。見れば見るほど面白い。


 本物の嬰児とは違い、明瞭な思考と、それなりにしっかりした体を持っていたが、彼は産まれてすぐの無垢で透明な眼差しと同じものを周囲に向けていたのだった。


 何を眺めるにも飽きることはなく、雪にももっと触ってみたいとは思ったがそれはそれ。外出を禁じられても退屈とは無縁だ。


 みすみす酷い霜焼けを作らせてしまったという負い目がある、構いたがりの兄たちが、三太朗を放っておくことはあり得なかったから尚更に。


 よいしょ、と三太朗は腕の中に抱えたふわふわを持ち直した。

 小さい腕には少々余る、茶色に(ぶち)が散った羽毛の塊は、彼の慰めとして誰かが拾って来た鳥――閑古鳥、と呼ばれる(あやかし)の一種。名前は(セキ)


 いかにも不器用な抱え方は居心地が悪いだろうに、全く嫌がりもせずに大人しく脱力している。

 羽毛でふくれた体に比べれば、これで立てるのかと疑わしくなるほど小さい足は、三太朗が歩く度に無抵抗にぷらぷらと揺れていた。


 以前から『三太朗の機嫌が悪くなったり沈んだときにはとりあえず関を与えろ』という風潮があったが、今の三太朗も関を嬉しそうに抱え込んだので、周りは『まだこの手は使える』と頷き合った。


 子守りに於いて、機嫌を直す方法が分かるというのは大変助かるのである。

 余談だが、手が空いているとまだ腫れている手足を引っ掻いてしまうから、飽きるまで放そうとしないものを持たせた、という側面もあったりする。


 さて、その三太朗は、温かくて柔らかい鳥を抱えていることも大いにあって、とても上機嫌にぱたぱたと小走りに進む。

 塞がった手の代わりに、背中の翼がはたはたと揺れた。


 今は一応、次朗を探していたので急ぎ足なのだ。

 いつものように唐突に『隠れるから見つけてみろ!』と言い渡されて、それでも素直に『はぁい』と返事した彼は、部屋から部屋へ移動していく。


 尤も、真面目に探しているようには見えない。

 部屋に入って真っ直ぐ窓辺へ駆け寄っては雪景色に見入る。

 そうして、物陰を確かめるどころか見回しもしないで次の部屋へ。

 本当に探す気があるのかと疑問に思える姿だが、彼は真実、探してなどいなかった。


 次朗を見つけるには、探す必要がなかったので。


 三太朗は次の部屋の前ではたと立ち止まった。

 もう少し先の部屋を見ながら短い間考える。

 部屋と廊下の先を見比べて、この部屋から見る景色と隣の部屋の景色はあまり変わらないだろうと思ったから、潔くいくつかの窓をすっ飛ばすことにして、廊下を今までよりももう少し急いで走った。

 ふたつの小部屋の戸を通りすぎ、その先の角を曲がってひとつ目の襖に手を掛ける。


「師匠だー!!」


 歓声を上げながら部屋へ駆け込んで、満面の笑顔のまま、そこに座っていた人物に飛び付いた。


「三太朗か。元気だな」


 温かく微笑って、不躾をたしなめることもなく子どもの髪を撫でたのは、三太朗の師にして山の主。天狗の高遠である。


 いつもは自室に居るのだが、珍しいことに今ここは彼の部屋ではない。


 ここは居間でもないし、書庫でもない。三太朗が使われているところを見たことがない、空き部屋のひとつのはずだった。

 三太朗が問おうとしたとき、


「あー、お師匠だけひいきだー」


「そーだそーだー」


 同室で茶をすすっていた双子の兄弟子たちが茶々を入れた。

 顔と体型に声は元から瓜二つな上、表情や仕草までそっくり同じに不満を表す。

 けれど、それは表面だけのこと。軽くからかっているだけでその実は、温かく歓迎しているのだと三太朗には分かった。


 だから三太朗は、慌てることなくよいしょ、と高遠から離れると、抱えていた関を高遠の膝にすとんと置いた。

 何をするつもりなのかと思わず黙って見守る三者を気にすることなく、座りが悪くて転がり落ちそうになったのを微調整して、鳥が安定したのを確かめると、くるりと振り返った。


「きいさーー!」

 楽しそうに右に座った紀伊の方へ駆け寄って抱きついた。

「お、おお?」


 面食らった紀伊がそれでも反射的に撫でると、あっさり離れていく。


「むさしさーー!」

「おおぅ」


 今度は武蔵に勢いよく飛びかかって行ったが、紀伊より少しは心構えが出来ていた武蔵は危なげなく受け止めた。


 数回撫でられると、またすっと離れて、改めて高遠の元に戻って行った。

 その顔が"これで良し"とばかりに満足気で、誰からともなく思わず噴き出した。


「お前、義理堅いことだな」


 高遠の膝で元のように関を抱えた三太朗は、高遠に撫でられながらきょとんとした。


「そんな気ぃ遣わなくて良いのにー」


「ほんとほんとー」


 そんなことを言いながらふたつの手が頬をつついてきたけれど、彼らが嬉しそうに笑っていたから、三太朗もへにゃりと笑った。


「それで、こんなところで何をしていたんだ?」


 三太朗が言おうとしていたことだったけれど、先に言われてしまったことなんか全然気にならなかったから、彼は素直に言った。


「じろさんがね、『見つけてみろ』って言ったから、見つけに来たの…あっ!」


 大切なことをやっと思い出して、急いで立ち上がる。


 三羽の目線が追う中で、真っ直ぐ押し入れの前へ小走りに行く。足元に関を置いてから襖に両手を掛けると、よいしょと引き開けた。


「ばぁ」


「………おう」


 長い体を器用に折り畳んで押し入れの下段に詰まって…もとい隠れていた次朗は、盛大に仏頂面を作って這い出した。


「ぬわぁーんで忘れてんだよおおお!!」

「うごごへんらひゃいぃーー!」


 大きな両手で顔を挟まれ、高速でむにむにと揉まれて子どもはじたばたした。


 楽しそうな空気だけを感じながらそこへ交ざれなかった次朗は、少しの間だったがとても羨ましくて寂しかったのである。その鬱憤は余さず柔らかい頬にぶつけられた。


 三太朗は逃げようとした。しかし、逃げられない!


「三太朗、あそこに次朗が居るの気付いてたのか」


 思わず紀伊が呟いた。


 もちろん高遠と双子も次朗がそこにいたのは知っていた。

 三太朗がどんな風に次朗を探すのかによって彼の頭の使い方を見、今後どのように授業を行うのかや、術と技の適正の判断材料にしよう……というのは建前。

 隠れん坊をしている幼子(おさなご)を愛でてほっこりしようという魂胆だったのだが、予想外に驚かされてしまった。


 物音も立てずに隠れている次朗を、三太朗は見もせずどころか探しもせずに見つけ出したのだ。


 ふむ、と考え込んで、高遠が次朗に目配せした。

 ちらっとそれを横目で見た次朗は手を止めた。


「ふああ~~」


 (ようや)く解放された三太朗は、頬を抑えながら、安全圏である高遠の方へ歩き出した。


「ほらよ」


 のだが、突然落ちてきた手に頭を鷲掴みにされたと思ったら、くりんと顔の向きを変えられて、ぱちぱちと瞬きをした。


「あーーー!」


 明るく嬉しそうな一音を伸ばして、ついでに人指し指も伸ばしたその先。


 開けっ放しの襖の向こうの廊下は小さな中庭を取り囲む形で輪を描いていて、その向こうにも開け放たれた部屋が見える。

 そこでは、弓がしっとりと座り、雪見ならぬ"雛見"をしながらお茶をしていたのだ。


 彼女はきらきらの笑顔を向けられると、慈しみに充ちた天女のような微笑みを深くして、さりげなくかつあからさまに、干菓子の皿をよく見える位置にずらした。


「ゆみさーーー!!!」


 斯くして、三太朗は頭を向けられた方向へ素直に走っていった。

 見事な一本釣りである。

 釣り師は、膝に乗った小さいのに負けない至福の表情で静かに勝ちを喜んだ。


 忘れられた茶色の鳥が、何の感想もなさそうな顔でゆっくりと頭を上下させた。






「…ただの子どもなのになぁ」


「…無力そうに見えるのになぁ」


 とろけそうな笑顔で菓子を頬張っている三太朗を遠目に眺めれば、思わず笑ってしまう。

 それでも部屋に残った面々は、無邪気な彼に具わった能力の一端を掴んだことを、錯覚だとは思わない。


 ぽりぽり頬を掻きながら、次朗が口を開く。


「おれ音でも立てたかぁ?」


「いーや。別に聞こえなかったぞ」


「うーん。気も乱れてなかったしなぁ」


「ああ…問題はなかったように思う」


 怪訝そうでもない普通の顔で言い合う。

 只の確認でしかないからだ。


 押し入れに潜む次朗は、術は使わなかったが、それでも幼い三太朗に対してなら充分だと思える遁術(とんじゅつ)――逃げ隠れる技――を使っていた。


 息を静めて回数も減らし、身動ぎを消して徹底的に潜む。

 只の人や、気の扱いが不慣れな下位天狗にはこれだけでも充分なはずである。


「次朗だけではない。入ってくるときも、襖を開ける前に俺がいるのを知っていた」


「うわ、そーだったのかよ」


「そうでしたねー」


「ほんと鋭いよなー」


「…なのに危機感は鈍い」


 はぁー。とため息が出揃った。

 能天気な笑顔をもう一度眺める。悩みなど何ひとつないかのような幸せそうな顔だ――前は少し神経質なほどだったのに。


「…翼が生えたから鋭いのかっていうとそうでもないんだよなぁ」


「そうだよなぁ、前からやたら鋭かった」


「つーことは、天狗に成って()が増えてっから、もしかしてもっと?」


「…有り得る」


 高遠が頷く。


「未だ未熟で、気も充分とは言えないが充実してきている。身体的には人の頃とは比にならぬだろう」


 だからか、と難しい顔で双子の片方が呟いた。


「俺らをはっきり見分けた」


「ひと目見ただけで迷いもなく」


「「紐もないのに」」


 同じ動作でぽんと叩いた腰には、いつも腰にある色紐がない。

 いつも付けている紐は紀伊が赤、武蔵が青だが、見た目も声も動作でさえそっくりな双子を見分ける唯一のものと言っても良い。

 にも関わらず、三太朗は間違えずに名前を呼びながら飛び付いたのだ。


 あのとき虚を突かれてしまったのはそういう訳だった。


「ほんのちょっとの違い見つけんのが得意とかか?」


 首を捻った次朗が唸る。ふたつの声が重なって否と返した。


「確かに俺らだって髪ひと筋まで全くおんなじとかじゃあないけどな」


「今回は一応あいつを試すはずだったから、互いに術で化けてたんだよ」


「ああ!?兄貴たちの術を見破ったってのか!?」


 目を剥いた次朗は、三太朗をちらっと見て――お茶を飲みながら、お菓子のお代わりをおねだりして(たしな)められ、しょんぼりしている――気が抜けた。


「…偶々とかそーゆー可能性は?」


「まぁ、無論ある訳だが」


 慌てて慰めようとする弓の声を聞きながら、高遠は苦笑した。


「偶然以外のときのことを考えねばなるまい?」


「そーなんすけど、兄貴たちの術をどーやって破ってんのか全くわかんねーんですけど」


 ちなみに、双子は元からそっくりなので、次朗は術を使っているのにも気付かなかった。


「それだが、見えていないにも関わらず俺やお前を見付け出せるのだから、視覚を誤魔化す術ではそもそも意味がなかったとも考えられる」


「んあ、確かにそーか…んじゃ、なんでっすか」


「…心当たりはふたつほどあるが」


 思案気にあちらへ眼差しを投げれば、子どもはどうやら、夕食の後にもうひとつ貰える約束をして元気になったらしい。

 また何の悩みもなさげに笑っている。


「ふたつもあるんっすか…」


「ふたつ?ひとつは俺らも思いつきましたけど…もうひとつって?」


「げっ」


 何も思い付かなかった次朗が顔をしかめるのを肘で小突いて笑い、双子のどちらかが言った。


「あれでしょ、"黒紐(くろひも)"」


「…んあ?くろひも……?」


 今度は両側から平手が飛んだ。


「おいこら!常識の範囲!!」

「馬鹿!学び直せ!!」


 高遠まで片手で顔を覆ってため息を落とした。


「…今度三太朗と共に座学だ。紐の三色目も知らんとは」


「げっ!?…はーいはいはい!知ってる!三色目!赤青の次の黒!知ってる知ってる!!だからチビと一緒に座学とかなしで!!マジでなしでええええ!!」


「では、黒紐の意味とは?」


「…え……っと…」


「……明日、座学だ」


「のぁああああ!!!」


 雛と机を並べて座学という屈辱を回避しようと焦った次朗は迎え撃たれてあっさり撃沈した。

 

「お師匠、もうひとつは何です?」


 突っ伏した次朗の背中に肘を突きながら、双子の片割れが訊く。


「ああ、"異能(いのう)"だな」


「ああ…」


「イノウって何すかぁああ!?」


 合点して頷き合う双子と師に囲まれて、自棄糞に次朗が叫んだ。もう恥も何もない境地である。


 どうどう、と宥めて師は笑った。


「異能。文字通り、特異なる能力の総称だ。とは言えど、その全体は把握されてはいない。多種多様な不思議な力をひとまとめにしてあるだけという乱暴な話だからな。それこそ星の数ほど種類がある」


 あー、と次朗が喉を鳴らした。


「なーほど…じゃあししょー的にはどっちっぽいと思ってるんすか?」


「俺か…どちらでも可笑しくはないと思う。異能は"()"の属性異常だと言われている。その種族の身で持つには不自然な属性を強く帯びてしまい、獲得するものだとか」


「それってまんまっすね」


 三太朗は、"風気"を持つ天狗が持たないはずの"水気"と"火気"を持つ。


「さらに、異能者は絶対ではないものの"異形(いぎょう)"を共に発現することが多い。普通とは言えない体の部位の長さ、形、数、そして――色」


 姿形こそ異常はない。が、子どものふわふわとした髪は、いつも真っ直ぐ向けられる無垢な目は。その色は。


「――ってことは、ほぼ決まり?」


 問いには三者共から否と返された。


「もう片方も捨てがたいんだ。"黒天狗"は身体系の"赤天狗"や術系の"青天狗"とは違って、感覚系だと言われてる」


「つまり、周りの"気"や"()"の変化にすごく敏感らしい」


「気そのものを察知する、という特性上、目視の範囲でどうしようと無意味だと考えられる」


 双子に続いて高遠が捕捉を入れた内容もまた、有り得るものと納得できるものだった。


「こっちも有りそうっちゃ有りそうだけど、なんでんな曖昧な言い方してんすか?」


 うん、と双子が揃って頷く。


「何でかは知らないけど、"黒"はすごく少ないんだ。だから、俺らはあんまり詳しく調べたことないんだよな」


「お前も知り合いにいないだろ?まぁ、だから黒紐のことを知らなかったんだろうけどさ」


「俺も、黒天狗に会うのは稀だな。話したことも僅かだ」


「ししょーまで…」


 兎も角、と高遠が口を挟んだ。


「三太朗の"あれ"が異能であるかを確かめる(すべ)はないが、"黒色"かを調べる方法はある。先ずは試してみてから考えても良いだろう」


 是と返答が出揃った。


「こんで黒天狗だって決まったら細けぇことでごちゃごちゃ考えねーで良いって訳だ!」


 晴れ晴れと次朗が言った。

 弟弟子が異能だ異形だと、異常だと言われているようで気分が悪かったのだ。


 次朗にとってはあくまで少し――本当は少しどころではないが、次朗にとっては少しだけ風変わりなだけの可愛い弟なのである。


「…いや」


「うぇ?」


 眉をひそめた高遠は、不本意ながら否定を返す。


「三太朗が"黒色"だったとして、その上で異能である可能性も依然として有るだろう?ただ、あの鋭さが黒天狗特有の察知能力だという説明が付くだけだ」


 唸って口をひん曲げた次朗に「まあまあ」と兄弟子たちは背を叩いた。

 

「どう定義しようとあいつの何が変わる訳でもないだろ」


「それでお師匠、黒か確かめる方法って?」


「ああ、幾つか試す必要があるが…あいつはまだ幼いし余り無茶は出来ん。先ずは、これかな」


 これ、と言いながら、彼らの師は、机に乗った籠からひとつのものを手に取った。


 手のひらの上に乗る、少し潰れた球の形。

 つやりと微妙に光を反射して、しかし僅かな凹凸がざらついた、橙色のそれ。


「……………蜜柑(みかん)?」


 まごうことなき、冬の味覚。

 炬燵で食べたい果物筆頭。蜜柑であった。





ただの蜜柑です。

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