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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
106/131

幕外漆 狼煙





 乾いた空気は冷えている。

 ずらりと並んだ馬も、合間で働く男たちも、皆等しく白く口元を曇らせる。

 例年より少し気の早い冬風を、無数の小さな金属音がささくれ立たせた。


 鎧が具足が擦れ合う音。

 太刀が槍が鞘の中で身動ぎする音。

 馬具の金具が、矢筒の矢尻が、腰に吊るした鉄鎖が、ささやかに鳴り、しかし無数に重なって大気を()たした。


 霜奏(そうか)の国の南端、竹倉(たけくら)の国に接する粟生濃ヶ原(あおのがはら)は、これまで別の場所で幾度か見られたのと同じ光景が広がっていた。


 霜奏の国を領する、大炊(おおい)家の軍勢が集い、傘下の家毎に陣を張って、出陣のときを静かに待つ。

 狙うはこれまでと同じく竹倉の国、立ちふさがるはそれを治める横山家の軍。


 冬枯れの草を刈り取った荒れ野に集結した軍勢はしかし、今までの比ではない大群。しかも、別動隊をも用意して、山間に伏せてあるという念の入れよう。


 数年に渡って何度か攻めては敗れてきた大炊の軍が、今度こそ総力を以て攻め掛かろうというのである。


 陣営は根底に興奮と不安と、期待と恐怖に緊張を加えた坩堝(るつぼ)を抱えながら、静かに時を待っていた。






「いよいよ、いよいよぞ…!」

 小高い丘に張った陣幕の中、具足姿の壮年の男がうろうろと歩き回っている。顔は紅潮し、(たかぶ)った様子で、独り言というには大きな声で虚空に語り、目をぎらぎらと輝かせている。


「横山の狐に目に物見せてくれる…!!いよいよぞ!!」

 奮い立つままに声を上げた主を見た複数の目が、それぞれの言葉で是を唱える。


「その通りにございまする」

「今こそ()獣狂(けものぐる)いを叩き潰してやりましょうぞ!」

「大炊の覇を今こそ轟かせるとき!」


 勇ましい大鎧(おおよろい)姿の男たちは(いず)れも(たくま)しい力自慢揃いだ。

 声を受けた男――大炊領主、大炊久路(ひさみち)は満足しきって配下へ頷いた。


「うむ!此度(こたび)こそ必ず果たそうぞ!――して、未だ報せはあらぬか」

「は。(ひる)までには整うと…」

 目を向けられた配下が畏まって答えようとしたそのときだった。

 さらりと陣幕が捲られ、一人の人物が顔を出した。


「おまたぁせいたしまぁしたぁー」

 きんきん響く甲高い声に、その場に集った武人たちの数名が眉をしかめる。


「前触れなく幕を開くなどなんと無礼な…」

「良い。待ち兼ねたぞ、介良(けら)!」

 主に制されて、武士が苦虫を噛み潰したような顔で頭を垂れる一方、その人物はふぇひひと変わった笑い声を上げた。


 小造りな白い顔に、ほっそりとした体格の小柄な彼女には、印象深い特徴がふたつある。


 ひとつめは、丸い玻璃(はり)を繋いだ道具――眼鏡(メガネ)。顔に不釣り合いなほど大きく、細い体と相まって、まるで蜻蛉(トンボ)のようだ。


 もうひとつは、(うなじ)で無造作に括った真っ白な髪である。

 百歳の老婆のような雑じり気のない純白の髪は、くたくたとして艶に乏しく、皺のない顔にちぐはぐな印象を付加する。


 よく光る分厚い眼鏡の奥に隠されて腹の内は解らず、緩慢とした口調は舌足らずな子どものようで、さりとて動きは機敏に若々しく、しかし皺こそないものの、僅かに傾いた姿勢の所為か、どこか老けた印象が拭えない。


 年齢は不詳。素性もまた不明。女であるのは明らかだが、あまりにも掴み所に困る。


 不気味な白蜻蛉と陰で言われる介良はしかし、その能力にて大炊の当主に取り立てられている。

 それも、武を尊ぶ者が顔をしかめる部類の力でだ。不気味な印象はそのせいでさらに増しているのかも知れない。


 白い目を向けている陣営だが、ただ一人、大炊久路その人だけは、顔を輝かせて歩み寄った。


「して、して!できたのか!?」

「はぁい、お持ちぃいたしまぁしたぁ」


 興奮しきって詰め寄る久路ににんまりと笑った介良は、陣幕を捲って身を引いた。

 幕の外が一同の目に映る。

 人足が、今まさに大きな箱をゆっくりと下ろしたところだった。


 恐々と遠巻きにする雑兵たちがひそひそと囁くのが聞こえる――まるで棺のようだと。


 確かにそれは棺桶に酷似していた。

 黒ずんだ木で出来た長細(ながぼそ)い四角。人がひとり横たわるに容易な大きさ。

 だが、豪胆な武者たちの顔をしかめさせたのはそこに足して施された装飾だ。


 何とも知れない幾多の文字や記号や、形容し難い線が渦を巻くように彫り込まれ、太い荒縄が何重にも縛り上げている。

 黒ずんだ表面はむらがあり――いや、そういう色の木でさえない。それは焼け焦げだった。

 元は白かったであろう箱は、焦げに覆われ煤けて、一部は炭化してぼろぼろと崩れてさえもいる。

 火事場からでも運び出して来たのかと、うそ寒い考えに数人が背を震わせた。


「これは…」

 さしもの久路も息を飲むが、(こら)えて恐る恐る近寄った。配下もまた、一拍を遅れながらも主を守る位置に着く。

 介良は意に介さず、笑みを置いたままの顔で踊るようにそれ(・・)の傍に立った。


「さぁさぁ、これがぁご所望の、切り札ですぅ」


「これが…」


 ごくりと唾を飲んだところで、久路が自分の陣営に歓迎の気配が欠片もないことに気付いたのはやはり、彼自身もまた怖気(おぞけ)を抱えていたが故か。


 周囲の緊張を他所事に、女の華奢な指が、無骨な結び目をあっさりと解いた。


 はらりと縄がうねり落ち、地にとぐろを巻く。

 両側から人足が蓋を持ち上げ、その中身が、どろりと(こご)った影の中から浮かび上がった。


 唾を飲む音、息を詰める気配。顔を強張らせ、身震いをしながら、それでもなお目を放せない。

 そんな周囲を全く無視して、女――術者の介良は、特別な宝物でも見せびらかすように笑いながら言った。


「――『無角(むかく)の鬼』ですぅ」


 それ(・・)は男の姿をしていた。


 中肉中背ながらややがっしりとした体躯。

 鬼と言われて無意識に頭部に目が集まるが、なるほど無角と言うだけあって額に角らしき突起はない。

 髷が解かれて散らばった黒い髪が額や顔に乱れかかり、焼け焦げ煤けた衣を身につけて、目元は白い帯に隠されている。

 力なく半開きの口元はまだ若々しく、皺もない――青年の体である。


 ただの死体のように箱に収まっているが、ただの(むくろ)だと思った者はこの場には皆無だった。


 顔、手足、首、胴を問わず、衣の破れ目や裾から覗く肌は、至るところが真っ黒に染まり、さらに紐でも巻き付けたように、途切れ途切れの赤い筋が通って赤く光っていた(・・・・・・・)のである。


 さながら掻き熾されるのを待つ熾火のように、弱まり強まりする赤い光はまるで脈打つようで禍々しく、ひとりの武者が思わず一歩引く。

 そしてうろりと逃がした目が焼け焦げた着物へ逃げて、気付いてしまった。


 以前はそれなりに仕立てが良かったであろう具足下着、紋が浮いていただろう袴を身につけて…その服装は仮に上から鎧兜を付ければ立派に武者――袴の股が深い。これは馬に乗る者の装いだ。つまり、雑兵ではない。

 部下を従え、馬上で指揮を執る、武士(もののふ)のいでだちなのだ。


 態々(わざわざ)着せたのだろうか。と考えたが、どうにも得心がいかない。

 袴の辛うじて無事な部分にあるのは亀甲紋だ。鬼になぜ、長寿と幸運を願う目出度い亀甲などを着せる?

 それに、織り目のしっかりした上等の布で仕立てるなら、焼け焦げなどない新品を着せて来るものだ。

 焼けるなら、それこそ無地で適当な安物でも良いはずである。


――――これでは、元は武者だった(・・・・・・・)ようではないか。


 男ははっとして強く頭を振り、その思いつきを追い払おうとした。

 だが、邪悪な笑みを浮かべた白蜻蛉がどこかの青年武士を捕らえ、もしくは戦場(いくさば)の死骸を拾い、鬼にしてしまう妄想は、脳裏を中々離れない。


 目元が隠れた『鬼』を凝視してしまう。…知り合いの若い衆の中で、戦に出て帰らなかった者は、居ない訳ではない。

 彼は知るよしもなかったが、この場で嫌な汗をかいているのは一人ではなく、数人の武者は無角の鬼から目を離せないでいた。


「…介良よ、これで横山に勝てるのか?」

 久路は恐れを隠し切れない目に期待を帯びて、鬼を舐めるように眺める。

 鬼の不気味さは、その力の証に思えて、久路にとっては心強さを覚えるものでもあった。


「はぁい、それぇは間違いなぁくぅー。無角の炎は、だぁれにも止めらぁれませんからぁ」

「炎?これは火を遣うと申すか!して、威力は」

「鎧の武ぅ者なら、一撃でぇ消しぃ炭でぇすぅー。広く焼けぇば、村ぐらぁいの範囲は、ひと薙ぎでぇすぅー」

「おお…なんと凄まじい!!でかしたぞ!!」


 ふぇひひ、と笑う甲高い声は自信ありげで、並ぶ将は表面上の平静を取り繕うことに成功した。

 癪ではあったが勝利が脳裏にちらりと過ったことで、落ち着くことが出来たのである。

 武士の矜持が、生白いまじない師の、しかも女に動揺させられることを許さなかったこともある。


 これは今回の(いくさ)の切り札だ。道具(・・)に怯むなどもっての外。

 これを使うのがどれだけ不本意でもだ。


 横山に対し、大炊の軍は疲弊している。

 それは、威力偵察と称し、また横山を油断させるために繰り返した小競り合いの(ことごと)くに敗北した所為もある。


 幸い久路が機を読むことに長け、引き際を弁えているお蔭で、損耗としては辛うじて軽微。

 しかし、軍を動かすということは、多くの食糧や武器防具、馬を必要とする。

 それらを捻出する各家も、徴用される領民も皆限界に来ている。

 更には横山が戦の度にじわじわと大炊の領土を削り取っている所為で、南に近い領地から焦り怯える風潮が広まりつつある。

 敗戦ばかり積み重ねた所為で兵の士気も低かった。


 大炊を相手取る横山軍は大きく、竹倉は豊かだ。

 更にそれを操る当主、横山(すばる)は一代で領土を三倍にも増やした逸話から近隣に戦上手(いくさじょうず)で知られ、配下にも有能な将を多数揃えている。

 ところが最近、昴が長男に家督を譲って隠居した。

 代替わりに併せて家中では配置換えも行われ、家中に揺らぎがある。


 これこそまたとない好機と見て大炊は動いた。

 だが、士気の低い軍にかつかつの物資では、数だけではない何か決め手が必要だったのだ。


 そこで久路が目をつけたのが、大炊に客分として滞在していた術者、介良。彼女が操る式神(・・)だった。


 久路は秘密裏に介良と相談を重ね、話と段取りをまとめてから、家臣に決定事項として介良の参戦を伝えた。


 反発は大きかったが、久路の方が上手(うわて)だった。

 発表のその場全員の目の前で、介良を認めない将と式神(しきがみ)を戦わせたのだ。


 式神は人よりも力が強く、素早く、空を飛ぶものもある上に、恐ろしく頑強で疲れ知らずである。

 並の武者では太刀打ちが出来ず、武術の巧者は斬り捨てることが出来たものの試合が長引いた所為で疲労が濃く、その手強さに舌を巻かざるを得ない。


 式神の強さを身を以て知らされ"これを以て横山を討つ"と宣言されてしまえば、もう後がないことを知っている家臣たちは、口を閉ざさざるを得なかったのである。


 その上、介良は今回のために特別強力な式神を誂えてきたという。

 不気味であり、気に入らないのも間違いないが、頼もしいのもまた事実だった。


「おお…して、これだけか?他の二匹は」

「一体は、使い物にぃなりまぁせんでしたぁー。もう一体は、只今調ぉ整しておりますぅ。出来上がれぇば、これ(・・)以上のぉものになぁるでしょぉう」

「実に頼もしい!期待しておるぞ!」

「ふぇひひひ、お任せぇくだぁさいー」


 介良に期待を寄せる久路を前に、配下たちは心中が穏やかではない。

 頼もしく思われ期待を寄せられるのは、得体の知れない呪術などではなく、正々堂々と武を磨き覇を競う自分たちこそが相応しいのにと、どうしても思わずにいられないのだ。


 頼もしい切り札に間違いはない。

 一度確かに承知した話でもある。

 しかし、いざ現物を目の当たりにしてみれば、前に試合をした式神などよりよほど得体が知れない、条理に外れたもののように思えるのも事実。

 こんなものに頼らねばならないのかという不満もまた、事実。


「殿…(まこと)にこの禍々しきものを(いくさ)へ携えて行かれるのですか」


 ついに耐えきれず問うたのが、武名家中筆頭と目される豪気な男だったから、久路も鼻で嗤うことは出来なかった。


「なに?その(ほう)ともあろう者が臆したか」

「まさか。御命とあらば今この時単身敵先鋒へ突撃し、討ち死にするも辞しませぬ」

「ならば何故(なにゆえ)気弱を申すか」


 気弱と(そし)られた武者は、きりりと眉を逆立て、堂々と顔を上げた。


「得体の知れぬ妖物に頼るなど、大炊の覇を(かげ)らせましょうぞ!武士(もののふ)たるもの、武を競わせて雌雄を決するべき。(あや)しの(わざ)を手に勝ちを得たとて、代々の父祖へ何と報告致せましょう!!」


 高らかに響いた胴間声に、大炊がむぅと口を結ぶ。その間に、顔を明るくした将が何人も同意を叫ぶ。


「よう言われた!」

入間(いりま)どのの言う通りにござる!」

「殿!斯様なものがなくとも我ら家臣一同、負ける気など毛頭ござりませぬ!!」

「然り!前回までの小手調べなど負けの数には入りませぬ!この本隊の偉容、これだけの軍があって負けるはずもなし!!」


 示す先には、盆地を埋め尽くす軍勢。

 それだけで圧をも生じる数は、久路をして初めて目にする光景である。

 それもそのはず、今まで何度か当たって来た軍の軽く倍の規模。その数千二百。

 対する横山の軍は、斥候(せっこう)の報告によれば前回よりも多いが、数にしてみれば、八百に届かない。


 数で言えば負ける訳がない。


 久路の目が僅かに泳ぐ。

 自軍が駐する様子は頼もしく、確かに妖術などなくても横山を下せるのではないかと、ちらりと思わずにはいられなかったのだ。


「それだけでは御座いませぬ。横山の昴は確かに戦上手と名高いやも知れませぬが、代の替わった息子はただの青二才に過ぎませぬ」

「左様!未だ代替わりして日も浅い若造は、軍を掌握出来ておらぬと専らの噂」

「聞けば此度(こたび)初陣(ういじん)だとか!歴戦の強者を傍らに置こうとて、古来より大将の質の秀でる方が勝るは自明!何を恐れることが御座いましょうか!!」


 そうだと上がる喝采に紛れてつつつと介良が久路に寄った。


「おやめぇに、なりまぁすかぁ?」


 囁かれたのは、ただそれだけ。それだけが、久路をはっと我にかえらせた。


 己の用意した品を愚弄された憤りも、得体が知れないと断じられたことへの不興もなにもなく、ただ常と同じ声色で、使用の是非を事務的に問うただけの声。


 それが却って、冷水を浴びせたように久路を現実に引き戻したのだ。


「皆の心、相解(あいわか)った!!」


 声を張り、注目する目をぐるりと見返して後、堂々と宣言する。


「だが策の通り、無角を以て横山を討つ!!」


 ざわり、と波立つ場を手を上げて抑える。


「我が軍の偉容、見事である!!だがしかし、相手はあの横山。あの狐親父がこの局面で何の策もなく隠居するなどあり得ぬ!」


 今まで横山へ幾度も仕掛けた。それは、勝ちを目的としなかったものだが、負けようとして負けたことは一度もない。

 あわよくば領土を削り取ろうとしてきた。


 無理をせずに退くことのみに留意してきたので、本気で当たったことはない。

 いや、本気で当たった、逃げ切れなかった隊は悉くが大将首を失い、敗走したのだ。

 部隊長までも狩り尽くされて、敗走も出来ずに散り散りに壊走した者たちも居たほどだ。


 鮮やかな手並みは敵ながら見事。率いられた兵卒は、末端までもが高い練度を感じさせる動きをしていた。

 本気で当たっても果たして勝てるのか、と誰もが一度は考えただろう。


 冷静になって口を引き結ぶ者、逆に横山の策をも覆すのだといきり立つ者、双方を見渡して、しかし主君は深く頷いた。


「であるからこそ、此方も隠し玉を使うのだ!!横山が予想も出来ぬ力を以て打ち砕く!此方を見くびる横山の鼻柱をへし折るのだ!」


 ここにいるのは、己の実力に誇りを持つ武士たちである。

 主の言とはいえ、自分たちだけでは相手を上回ることが出来ないと断言されたに等しい。

 相手が強いと認めているからと言って、腹が立たない訳がない。


 反感が見える多くの顔を前にして、久路は揺るがず高らかに言ったのだ。


「此度の戦の勝利は手始めに過ぎぬ。故に大勝せねばならぬのだ!!竹倉は広い。これから手柄を立てる機も存分にあろう!故に、全てを平らげるには残す余力は多い方が良いではないか!!」


 これを聞いて、場は再びざわめき立つ。

 先とは違う興奮を含んだ眼差しが交差する。

 横山を倒し、竹倉の全てを己のものにするというのだ。負け続けている事実を鑑みれば、とんでもない大言壮語である。


「竹倉を、併呑(へいどん)する、と…」

「何じゃ、臆したか?」


 見返した武将は一拍を置いたが、直ぐに腹の底から力強く(いな)を叫んだ。


「そのように先まで見据えておられるとは…己の浅慮を恥じ入るばかりにございます!」


 夢物語を受け入れ、希望に染まった声の後に「殿」と慎重な呼び掛けが上がる。


「連戦になりましょう。竹倉全てを下すには、(いささ)か厳しいと申し上げねばなりますまい。それを覆すほどの力が無角(それ)にあるとお考えなのか」


「それぇに、つきましてぇはぁ、問題なぁいかと思いまぁすぅ」


 にんまり嗤った白い蜻蛉が謳う。


「こぉれに相対(あいたい)しぃて、炎を防ぐ手立てぇは、ありませぇん。だから――敵は全て、焼いてしぃまえば良いのでぇす」


「うむ!良くぞ言った!」


 久路は諸将に向き直る。

 半信半疑ながら、揺らがぬ意思を宿した目が並ぶ。


 餓えたような眼差し。

 欲するのは名誉であり、地に堕ちた誇りの挽回であり、勝利。


 大炊の久路は横山の昴に比べれば、華々しい功績などはないに等しい。

 しかし、紛れもなく人の上に立つ者であった。


 敗戦に引き摺られて蔓延した負の空気を、勝利を望む希望に塗り替え、さらには新しい切り札をも使うよう、流れを変えたのだ。


 今や不気味な無角の鬼を見る眼には勝利が映り、燃え上がるような戦意に満ちている。


「開戦は明朝!明日は大炊の名を世に知らしめる第一歩となるのだ!!」


 地をどよもす雄叫びが天を衝き上げる。

 腹の底がびりびりと震える気合いに久路は満足して、鬼を見下ろした。

 勝利への鍵を。


「これがあれば…」


 最初に感じた不気味さなど最早(もはや)消え、陶然と呟く。

 思わず手を伸ばし、鬼の顔に触れた。

 鬼は温かく…いや熱いほどで、さすが炎を発する者だと納得する。


 周りがざわめく。触れるなど信じられないのだろう。

 屈強な配下にも出来ないことをしてのけたのだと、ささやかな優越感を覚える。


「ふふ、明朝の戦が楽しみよな」


 傍らの介良がにんまりと頷くのを合図に、人足がまた蓋をしようと動き出す。


 そのとき、無角の鬼が、びくりと動いた。


「ぬ?」


 久路が見間違いかと目を凝らしたそのとき、またびくりと、背をそらすように動いた。

 続いて、魚が跳ねるようにびくびくと体がうねり、激しくがくがくと震える。


 異様な事態に介良を振り返ろうとしたそのとき、鬼の口がかっと開かれ、どんな獣も出せないおぞましい濁った叫びが大炊の陣を揺らした。


「何!?介良!これは何事ぞ!!」


 傍らの女を振り返る間もなく、鬼の腕が俊敏に棺の縁を掴む。

 じゅうう、と耳をかきむしる異音と共に煙が上がり、次いでめしりと木が悲鳴を上げて割れる。


 沸き上がる恐怖を止められず、後ろにとびずさった。

 その場の全員が白刃を抜き放つとほぼ同時に、"鬼"が一気に身を起こす。


 広がる空気の揺らめきに飲み込まれ、身を焼かれる灼熱にその正体が熱波だったと知る。


「おやぁ?」


 相変わらず薄ら笑いの介良が、平静なままで呟いたひと言が妙に大きく響いた。


 熱波は瞬時に赤く染まり、見渡す限りの全てが炎の赤一色に塗り替えられる。

 地を震わせる爆発があらゆるものを薙ぎ倒し、久路の意識は灼熱に包まれて消えた。











 ずうぅぅうん…

 轟いた大音は地を揺らし、曇天に突如高々と立ち上がった火柱は、遠方からでも良く見えた。


 火は三日三晩太い煙の柱を上げ続け、四日目の雨で漸く消えた。


 熱気が消え、飛ぶ鳥が粟生濃ヶ原の上に戻ってきたとき、その眼下には黒一色の焼け野原以外に残るものはなかった。


 少しばかり知を蓄えた者が知ったならば、『戦支度で草を刈り取ってあったのにも関わらず、なぜ三日も燃えたのか』と首を捻ったことだろう。


 物を知る天狗が上空を飛んだならばひと目見るなり『これは残り火の跡だ』と呟いたことだろう。


 しかしそれらはこれより後の話。

 その日、そのときに絞って見るならば、大炊の本軍を焼き尽くした炎が立ったのは、"赤"から逃げ切った少年が、白鳴山にて小さな天狗に成った日より七日後の話。


 これらを繋げて考える者は、この時点ではまだ、居なかった。




















『ふぅああああ!失敗ですぅう!!』


 女がひとり、仰向けに転がったままで叫んだ。

 声は僅かに反響して、窓に嵌まった木格子の隙間から外へ出ていった。


 板の床で、(むしろ)を三枚重ねた上に寝転がった彼女。

 ざんばらに広がっている白髪に、小柄で白い体。服装こそ違うものの、紛れもなく大炊の陣営に居たはずの介良である。


 懊悩を発散させるように頭を抱えてごろごろと転がり回り、側に座っている人物にどかりとぶつかる。


 見下ろしたのもまた女。

 浅黒い肌に黄色味が強い茶髪、赤茶けた瞳を持つ、錆びたような色味の女だ。


 凪いだ目と、落ち着き払った物腰は、彼女の印象を静的な方へ傾けている。

 しかし、無駄なく鍛えられたしなやかな体が、その性が動であることを示していた。


『落ち着きなさい。ケーラ…』


 低い声で(たしな)められて、(ようや)く女が転がるのをやめた。


『これが落ち着いてなんかいられませんー!!悔しいぃいい!!あんなに頑張って根回しも下準備もしたのに、試運転であんな大ポカやらかすなんてぇえええ!!!ふぁああ!!!』


 今度はその場でじたばたし始めた女にため息を吐いて、もうひとりはおもむろにその白い頭を鷲掴んだ。


『ふぎゅぐっ』

『落ち着きなさいと、言っている』


 (うつぶ)せに床に押し付けられて潰れた声を上げたのもお構い無しに、今度は肩を掴んでその体を転がす。


『フェイー!何するです!!』

『それだけ元気なら、もう寝ている必要はないだろう。そろそろ起きなさい』


 フェイと呼ばれた女は喚く介良…ケーラに一切構わず、強制的に体を起こさせて、顔に眼鏡を掛けさせ、傍に畳んであった上着を無造作に着せ掛ける。

 子どものようにされるがまま、世話をやかれていたケーラは、片方ずつ袖に腕を通しながら、ぷくっと頬を膨らました。


『何はともあれ、報告が先だろう。(サー)次祭(クフィス)も、首を長くして待っている』

『うーー、フェイは良いですよ。失敗の報告なんかしなくて良いんですからぁー』

『あたしとしては、そこまで嘆く意味がわからない。得たものは多かったし、必要とされてる情報はきっちり揃ってる。それに…』


 ふたりは示し合わせたようにちらりと部屋の奥に目を投げた。

 長方形の部屋の、光刺す窓から最も遠い角には置かれたものがある。


 白い布に包まれていて、中身はわからないが――人がひとり横たわれるほどに大きな、恐らくは、()


現物(・・)がある』


 (しばら)くじぃっとそちらを見ていたケーラは、ついにふぅ、と息を吐き出した。


『まぁ、確かにあれをちゃんと持って来られてるから、怒られたりはしないでしょうねぇ…見方を変えれば、あのやり方は不味いって証明したってことだしぃ…』


『怒られるどころか、次祭は"識域(シキイキ)"を大幅に拡張したと褒めてくれるだろう』


『……そぅですね。最後まで上手くやりたかったし、せっかくひとつの勢力を上手く舵取り出来てたのに勿体なかったけど、確かに収穫は多かったし…誰も私たちを責められないですよね!ふぇひひひ』


 ケーラは膨れっ面をついに綻ばせ笑い出した。視界の外で相方がやれやれとため息を吐いているのは見えていない。


『そうと決まればささっと行ってきましょ!』


 ぽんと元気に立ち上がった女は、ふと格子戸の外を眺めた。


 意識を向ければ、無数の人が行き交うざわめきが少し遠くから聞こえる。


 喧騒は眼下。

 見る限り広がる屋根の群。

 間を縫って規則正しく区画を区切る道。

 道を埋め、絶えることなく続く人波は、この東領のどこより活気に満ちて。


『行きましょうか、フェイ』


 特別な興味も持たず、さらりと踵を返すと歩き出した。


 ケーラが手を降れば現れた、四人の屈強な男たちが、能面でも付いているのかと思える無表情のままで箱を担ぐ。


 それに一瞥もせず、階段を下りて外へ出る。

 目立つ見た目に反して楽々と群衆に紛れ、歩み去る二人の背後には、朱塗りの巨門――景地(けいち)門が(そび)えていた。







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