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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
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八十七 その子は三太朗 二

12/3 誤字を修正




 三太朗は目が離せない。




「…ありゃ何やってんのかねぇ?」

 白鳴山に住む鬼、お篠は、木々の隙間から見えてきた館に首を捻った。


 静かな佇まいを見せる、落ち着いた風格を持つ建物は、彼女の主が住まうところ。

 その陽光の燦々と照る外廊下を、よったよったと歩いていく小さい姿がひとつ。


 冷え込んだ今朝、半纏(はんてん)を着せてもらってふくふくしている幼児は、お篠が仕える主の弟子、三太朗だ。

 ぱったぱったと生えたばかりの翼を動かしながら、危なっかしい足取りで、でも楽しそうに歩いて行く。


 あれから数日。思いがけない次朗の活躍があって泣き止んだ子どもは、それから突然大泣きすることもなく、大人しく過ごしていた。

 気持ちも少しずつ落ち着いて来たのか、幸いにしてぽつぽつと今までのことを思い出しつつあるようだ。


 その内戻ると次朗が言った通りになるとは正直思っていなくて、お篠は素直に感心した。

 しかし次朗にそう直接言うと目が泳いでいたので、確証はなかったのだろう。

 嘘までとは言わないが、希望的観測であったのだ。感心して損した。

 まあ嘘だろうが希望だろうが真が出たので、少し呆れたが多目に見てやったが。


 兎に角、三太朗が少しずつ過去を取り戻していることは事実だ。

 お篠のことも、先日顔を見に行ったら「おしのしゃ!」と得意げに呼んでくれたので、度々思い出してはほっこりしている。

 夫の弦造(げんぞう)なんて、思い出して貰えた日からたまに柄にもなくにやけている。


 彼らだけでなく、みんな反応は似たり寄ったりで、"三太朗に名前を呼んでもらえた"と、そんなことだけで幸せそうにしていた。

 三太朗も、周りが嬉しそうにすると幸せそうに笑う。


 今では、思い出せないと自分を責めるのではなく、次は何を思い出せるのかを楽しみにしている節さえあって、何か手がかりを探しているのか、館をうろうろしてはきょろきょろしている。

 たまに何がしかを凝視していると思ったら突然嬉しそうに笑うから、記憶探しが彼なりに順調なのだと知れた。


 塞ぎ込む様子もないし、前に時折見かけたように何かに思い悩む様子もない。もしかしたら逆に人だった頃より明るくなったようにも思う。

 それは――嫌な記憶を全て失くし、優しい過去を少し思い出しただけでのことだったとしても――良かったと思う。


 お篠は三太朗に会う度にそう思う。

 彼が明るい顔をしているのは、とても幸運なことだと。


 真名(まな)をなくした、だなんて聞いたときには、それは記憶も飛ぶだろうと思った。それどころかこの子はちゃんとこの子(・・・)で居られるのかと気が気ではなかった。


 少しも思い出せずにこのままということも充分あり得たのだ。

 どこまで戻ってくるかは解らないが、ほんの少しずつでも思い出すことによって、三太朗は早い段階で、彼自身を認識することが出来たのだろう。

 急にここに現れたのではなく、どこかから来てここにいた"存在"を理解したことで彼は安定した。足の置き場を見つけてしっかりと立つことを覚えたように、しっかりと自分を掴むことが出来ているように、お篠には思えた。


 思い出してくれたのももちろん喜ばしいが、三太朗の存在の土台がきちんと固まったのが一番の僥倖だったとお篠は思う。


 真名がないということは、自分が何者かが分からないことと同義だ。

 自分の認識が曖昧になる、というのは、(あやかし)にとってはとても危険なことである。


 具体的には…自身を見失って、何か別の者になってしまうかもしれない。中身だけではなく、外見も、種族も越えて、別のモノに変じてしまうかもしれない。

 肉体(うつわ)に依存する種族である人間と違って、(あや)しの者は移ろい易いのだから。


 心配してはいるし、これから色々と大変そうだけれど、高遠が何も手を打たないはずはなく、何とかするだろうと信頼してもいるから焦りはない。

 ただ今は、こうして元気そうな姿を見ると、心から良かったと思うのみだ。


 さて、その三太朗が歩いている。可愛らしくてすこぶる良いのだが、そのすぐ後ろを忍び足でタヌキ…権太郎(ごんたろう)がついていくのである。


 どうして隣を歩くでもなくぴったり後ろをつけていくのか。

 しかも、ものすごく集中した様子で、顔つきにも鬼気迫るものがある。

 いつも呑気にしている彼にしては珍しいことであった。


「ううーん?」

 お篠は更に首を捻った。


「あれお篠さん。どうしました?」

 向こうから洗濯物の籠を抱えてやって来たキツネが声を掛けた。


「ん?ああ、ぎんじろさんかい。あれ、何やってんだい?」

 館を見た釿次郎は、あぁ、と納得したように頷いた。


「さんたろさんが転ぶんで、交代で見張ってるんですなぁ」

「んん?」


 お篠はまた微妙な顔をした。

 転ぶんで、と断定した言い方については、あのよちよちと頼りない歩き方からしてまあ分かる。

 だが、転ぶと分かっているなら、もっと他にやり様があるのではないかと思う。例えば


「転ぶってんなら後ろ着いてくより、手でも引いてあげたら良いんじゃないのかねぇ」

「え」


 そのとき、どったーん!と大きな音が響き渡った。

 見ると、三太朗が仰向けにすっ転んでいて、腹這いのタヌキがその下敷きになっていた。

 どうやら権太郎が間一髪で頭から滑り込み、身を以て受け止めたらしい。手を出して支えてやる、とかではなく。


 ふさふさの毛皮に受け止められて、三太朗はびっくりした顔できょとんとしている。

 どこもぶつけたりはしなかったようで、驚きが済んだ途端にほにゃっと笑った。


「もふもふー!」

「こりゃ、さんたろさん早く退()いて」

「えー」

「えーじゃないですよぅ、重たいんだから…」

「ええー」

「こりゃ!擽らないのっふふふあはは」


 わしわしと毛皮を掻き回す新しい遊びを始めたのを尻目に、お篠は合点がいって手を打った。


「あー、もしかして羽が重くって後ろに倒れちまうのかい」


 短くなったばかりの手足に頭でっかちの体型、その上背中には慣れない(おもり)まで背負っていればさもありなん。


「はい、そうなんですなぁ、だから後ろで待ってて受け止めようって決めたんですが…」

「が、なんだい?」


 キツネはいえいえ、と首を振ってあっけらかんと言った。


「次から手を繋いで歩こうかなぁと」

「…言われるまで思い付かなかったんだろ」

「それはもうさっぱりと!」

「胸張って言うこっちゃないだろうに」


 そのとき、あ!とかわいらしい声が喜色をなみなみと湛えて弾けた。


「おしのしゃー!」


 満面の笑顔が咲いていた。

 立ち上がった拍子にこっちを見つけたのだろう。

 背後でひーひー言って転がっている権太郎をもう忘れて、目を輝かせている。

 可愛い。すごい可愛い。自分を歓迎して顔を輝かせているんだと思ったら五割増しで可愛い。


 お篠も、横の釿次郎も思わずつられて笑顔になってしまうその可愛い顔が、きらきらの笑顔のまますかっと下がった。


 お篠は瞬時に前傾姿勢を取った。

 鬼の脚力を遺憾なく発揮して片足で地を蹴る。風を置き去りにする色のない音が耳元を掠め、ほぼ同時にもう片足を前に構えて制動をかける。

 風を切る感覚は刹那に過ぎ去り、次の瞬間には、廊下の下にある石の段へ顔面から落ちる三太朗の下に目一杯差し出した両手が滑り込んだ。


 ごう!と真下から烈風が子どもの落下を緩めんと吹き上がり、幼子を挟んで二つの影が出現し、石段の上に縁の下から巨大な腕が付き出されるのがほぼ同時。


 一拍の後、三太朗は結果的に、両脇の双子に支えられながらも、お篠の腕の中にぽすっと転がり込んだ。

 ついでにこっちでは、慌てて飛び降りようとしたタヌキが廊下から落ちてころころと転がって行き、背後では走り出そうとして足を(もつ)れさせたキツネがべちっと転んだ。


「ふぁ…?」

 三太朗が、お篠をきょとんと見上げた。

 何が起こったのかわかって居ない様子で何度か瞬きを繰り返すと、きょろきょろと辺りを見回してほにゃっと嬉しそうに笑った。

 多分、みんなが居るのが嬉しかったのだと思われる。


 怪我をした様子は、ない。


「「「「……はぁー」」」」


 安堵のため息で四重奏。

 廊下の角では風を操った弓が膝に手を突いて脱力し、双子は支えの手を離して天を仰ぎ、塗り壁の手はゆっくりと引っ込んで行き、お篠は三太朗を抱きしめてしゃがみ込んだ。


「…っっぶな」

 きょとんと目を瞬かせる三太朗は、全く何の危険も感じていない顔をしている。もう少しでこのおつむがカチ割れていたかもしれないのに、にこにことほわほわと、屈託ない嬉しさだけを表している。

 全力で守るけれども、少しは危機感を覚えて欲しいものである。


――――まあ…この山で危ない目になんか遭わないって信じてるって考えたら、嬉しいもんだけどねぇ。


 純真無垢な眼差しは、開けっ広げな信頼が透けているものだから、(あなが)ち間違いでもないだろう。


 ふと、人だった頃の三太朗も、鬼のお篠や弦造が自分を傷付けるだなんて少しも考えていなかったことを思い出した。


 人は鬼を怖がるものだというのに。鬼は人に非道を働いてきたというのに。最初から一度も、この瞳が疑いと恐怖に揺らぐことはなかったのだ。


 色濃く刻んでしまった地面の溝を振り返る。

 跳び出した勢いを殺すために擦った跡だ。

 その線の先にある、くっきりと深い足跡は、踏み切るときに掘り込んでしまったものだ。

 それらを後で均しておかなければと思いつつ、一瞬で擦りきれてただの藁屑になってしまった草鞋(わらじ)を片手で剥ぎ取りながら、お篠はやれやれと苦笑いした。


「…ほんと、目を離せないねぇこの子は」


 危なっかしい幼子を、優しく腕に抱いたままで。





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