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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
101/131

八十六 その子は三太朗 一

三章開幕です。

楽しんでいただければ嬉しいです。


12/3 誤字脱字、一部表現を修正しました。

話の筋に変更はありません。




 父曰く、我と彼とをよく見よ。

 彼我(ひが)比ぶれば足らぬもの、勝る所明らかなり。

 我勝るところ彼に与へ、我足らぬところ彼に乞へ。

 彼我補うて成すこと、自力の成したることに劣ること無し。

 我が足らぬを嘆く(なか)れと。


 兄曰く、宿望(しゅくもう)有らば(すなわ)ち行へ。

 機逃さざることに於き、余所人(よそびと)何ほどのことやあらむ。

 只思ひ成すことこそ肝要と心得よと。


 師曰く、心正しう(つちか)へ。

 育ちたる心、やがて()以て定めとし、誇り以て(はふ)と為すと。


 我思ふ。

 (いづ)れも(しか)なり。




          『白牙天狗日記』より





















 三太朗(さんたろう)は手が掛かる。




「ぅぁああーーん!」


 三太朗が泣いていた。

 本日めでたく悲願を果たし、天狗に成った白鳴山(はくめいざん)の末っ子が。

 幼くなった顔を真っ赤にし、力いっぱいの大声を振り絞って、涙をぽろぽろ溢している。


「ああぁ、よしよし、主さまはちょっと手当てしたら直ぐにお戻りですからなぁ」

「ふぇええーーー!!」


 高遠に抱えられて館に帰って来たまでは良かったが、師が火傷の治療の為に離れてしばらく。突然火が点いたように泣き出したのだ。

 静かな間は何を話しかけられても答えずぼんやりしていた様子だったから、多分、気付くのが遅れたのだろう。


 一気に場は騒然となった。


「何も怖いことはありませんからね、泣かなくて良いのですよ」

「ふびぃいいいい!!!」


 代わる代わる頭を撫でたり、抱き上げたりとあやしてみてはいるのだが、小さな柔らかそうな手をぎゅうっと握りしめて、喉が壊れるのではないかという大声を上げ続けている。


 白ヘビの太刀(タチ)がくねくねして見せても、大ガラスのヤタが膨らんで見せても、キツネの釿次郎(ぎんじろう)が自慢のふかふかな尻尾をぱたぱた振って見せても全く効果はない。

 前までであれば、くすくす笑ってくれたり、きらきらした目で触りたそうに手をうずうずさせたりしたのに、欠片も通用しない。

 三者が地味にしょんぼりしたのは余談だ。


「どうしたんでしょうなぁ、いつもは泣いたりしない我慢強い子なのに」

「うーん、中々泣き止まないねぇ。あんた、ちょっと行って(セキ)持ってきて!」

「あ?そんなんで泣き止むのか?甘いもんの方が良くねえか?」

「ぬぅ、やはりあるじを連れてくる他なかろう」

「そうですわね。高遠さまがいらっしゃらなくて不安なのですわ」

「あー、三太朗ってお師匠大好きだもんなぁ」

「うー、体変わりたてで心細いんだろうしなぁ」

「びいいいいいい!!!」


 戦場に最も近い山と評判の白鳴山に、種類の違う戦場が爆誕していた。

 敵陣制圧は自信がある面々も、物も言わないで泣きじゃくる幼子(おさなご)にはお手上げである。敵には勝てても泣く子には勝てない。

 子育ての経験がある鬼夫婦と(ユミ)でさえ太刀打ち出来ないのだから、他の者に至ってはおろおろするしかなかった。


 そんな大騒ぎから弾き出されて、部屋の隅で次朗はぐっと眉根に皺を寄せて耐えていた。


 次朗は子どもの泣き声が嫌いだ。とにかく耳障りできんきんするし、いつまでもめそめそしているのもいらいらするし、泣き顔なんて不細工で見ているだけで不愉快だ。

 かといってどうすれば良いのかも分からないし、泣き続ける声が、分からないことを責めているように思えて更に不機嫌になった。


「あぁぁああああああ!!!」


 次朗は思い切り奥歯を噛み締めた。

 ぎりっと音が鳴り、額に血管が浮き上がるがしかし、そんなことは知らない。


 次朗だって弟は可愛いのだ。

 だから様子が気になって離れられないし、三太朗の無事な姿を見たときには膝から崩れ落ちそうなぐらい安心したのだ。


「う゛ぇええええええええ!!!」


 握り締めた拳を震わせながら、幼児というのは泣くものだ、と自分に言い聞かせる。


 天狗に成るときには翼の分、体がどうしても縮む。

 翼になる分、骨肉と体に蓄えられた"()"が減るからだ。


 そしてただ縮むだけではなく退行する。ごちゃごちゃした理屈は知らない。翼が生えたら縮む。中身も幼くなる。それだけだ。


 "天の()"をじっくり蓄え、気が充実した三太朗はこれでもまだマシだ。

 十と少しの体が、赤ん坊まで戻ってもおかしくはないところを五・六年分ほど縮んだだけ。なのに立派な翼を備えているのだし。


「あ゛あ゛ーーーーーー!!!」


 …つまり小さくなってしまったのは三太朗の所為ではない。


「びゃあああああああ!!!」


 幼子は泣くのが仕事だとかなんとか。


「ぎゅあああああああ!!!」


 …それにしても。


「あああああああああああああ!!!」


 ぷちぃいん

「うるっせえええええええええ!!」

 次朗はついにキレた。


――――…………………あ。


 しんっ、と急に静まった部屋。

 静寂が耳に刺さる。

 頭から血がざざっと下がっていった。


 なぜなら、静かになったということは…今までしつこく聞こえていた泣き声が止まったということだからである。


 恐る恐る幼い顔を見ると


――――引きつってる引きつってる引きつってる!!やっちまったやべええええ!!!


 驚いて泣き止んだ子どもはそのまま泣き止むか、もっとすごい爆発を引き起こすものである。

 今回は後者であろうと誰もが分かった。


 ぎゅうぅ、と鼻筋と顎に力が入ってくる。ひしひしと予兆を感じ取り、誰より近くに陣取った(ユミ)でさえ、刺激しないように石のように固まっている。

 そんなのは焼け石に水。起爆は秒読み。このままでは不可避であるのもまた明白である。


――――何したら良い!?どうしたら良い!?意味わかんねぇ!!クソ泣くな泣くな泣くなってこいつなんで泣いてんだ!?


 次朗は焦った。焦り過ぎて訳が分からなくなり、苛立ちと焦燥がやってはいけない合体を果たして、自分でも予想出来ないことを仕出かした。


「泣いてるだけじゃわかんねぇだろうがああ゛!?何が気に入らねえんだ言ってみろやあああ!!」


 思い切り逆ギレぶちかましたのである。


 …終わった。次朗は洒落でなくそう思った。

 目を見開いて細かく震えている三太朗。突き刺さる周りの視線。

 戦場と錯覚するような緊張感に、勢いで立ち上がった姿勢がくらりと揺らぐ。


 白鳴山の歴戦の猛者たちは流石の迫力で、突き刺さって軽く貫通するほど鋭い眼差しを次朗に向けている。

 言いたいことはその目だけで察するに余りあった。

 即ち

『もう黙れ』


 ざざーっと次朗の脳裏に幸せだった日々が流れていった。

 代わりに、おさんどんのタヌキとキツネから鬼夫婦までの全員に死ぬほど怒られる未来がどどーっと押し寄せる。

 軽く死ねる。


「……わ…かんな、の…」

「あ?」


 反射で威圧的に返してしまって、一生懸命勇気を振り絞っただろう三太朗は今度こそ泣きそうになった。次朗も泣きそうになった。


 不意を衝かれた所為で、癖になっているぞんざいな返事をしてしまったが、本当はもっとちゃんと優しく返すつもりだったのだ。本当なのだ。


――――あああ泣く…!!


 次朗は頭が真っ白になって、三太朗の顔を凝視したまま固まっていた。

 懸命に弓や釿次郎があやす努力虚しく、大きな目がうるっと濡れる。

 溜まった涙が落ちる…と同時だった。


 きっ、と目に力が入った。

「わかんないっ!!の゛っ!!!」


 (わめ)き声だった。だが、初めて聞く意味の通る言葉だった。


 (きた)る大泣きに備えて抱き寄せようと手を広げた弓も、それぞれの方法で慰めようとしていた面々も、もちろん次朗も、目を見張った。


 (まなじり)を吊り上げ、口をへの字に引き結んでいる三太朗は、ぽろぽろと涙を溢していても、間違えようもなく


――――怒ってんのか?


 幼児は何か気に入らないことがあれば泣きながら怒るものだ。そこに理由はあってないようなもので。


――――いや…。


 次朗は自然に、三太朗の前にしゃがみ込んだ。

 悟った顔で、弓がそっと場所を譲って下がる。

 それも気付かなげに、畳に目を落とし、顰めっ面を更に歪め、子どもは意地になったように顔を上げない。


「おう、何がわかんねぇんだよ」

「…っひくっ」


 次朗は黙って待った。

 幼くなった弟弟子は、前までは絶対しなかったような、師匠がいないだけで不安になって大泣きなんてする。見慣れた三太朗とは全く別もの。だと、思っていた。


「…ぜんぶ」

 ぷくっと頬を膨らませ、畳をじぃっと睨む三太朗をまじまじと見て、次朗は何か分かった気がした。


 理不尽に怒鳴り付けられたら、最初怯えたとしても折れたりしない。

 それは、ほわほわとした幼児にはそぐわない。


 顰めっ面で誰とも目を合わせないのは、自分自身に苛立っているのではないのか。

 もしかして、癇癪を起こして次朗に八つ当たりしたのを悔いているのか。そう考えると、いかにも三太朗らしいことだった。


――――おんなじだ。こいつは三太朗(・・・)なんだ。


 ではきっと、泣いていたのは多分、知らない内に高遠がいなくなったからではない。少なくとも本質は違う。だから、この"分からない"は、"師匠の行方が分からない"とかではないはずだ。


「全部わかんねえ?」

 小さい頭が益々俯く。


――――全部、ってのが、ガキがよく言う大袈裟な言い方じゃなくて、本気で全部だとしたら?


 次朗はひとつの可能性を閃いた。


 ばすん!と頭に手を乗せて、ぐしゃぐしゃに掻き回して、それから前髪を軽く引っ張って、びっくりしてまるくなった目と目を合わせる。


「今までのことがなんも思い出せねえってことか?」

 固唾を飲んで静観していた周囲がざわめく中、次朗は三太朗の目を見続けた。

 すぐに目に水の膜が張って揺らめく。ぐっと引き結ばれた口が震えている。


 返事はなくても、肯定を察するには充分だ。


「ああもう泣くんじゃねえよ!おれさまは泣き虫が大っ嫌いだっての!」

 慰めるなんて次朗の柄ではない。そもそも慰め方なんか知らない。でもそれで良かったはずだ。


 今まで、真っ直ぐ見つめて思ったことをそのまま言えば、次朗がどれだけ口が悪くても、三太朗はそれでちゃんと大事なことを汲み取った。


 幼子の扱いとなればお手上げだが、三太朗の扱いなら、どうすれば良いのか解っている。


 くしゃくしゃの顔で口をひん曲げている少年の頬をふにっと摘まみ、呆れたままの軽い調子で言った。


「あのなぁ、成った(・・・)ばっかは混乱するもんなんだっつーの。今までとは別物(べつもん)になってんだ。精神(なかみ)もごちゃごちゃんなってんだよ。おれさまだって成り立ては色々訳わかんなくなったけど、その内収まったしよ、てめーも落ち着いたら思い出せるだろーよ」


 思った以上に柔らかかった頬をふにふにしながら、「だから大丈夫だっての」と言ってやる。


「……おもいだせ、なかったら…?」

「はんっ。んなもん決まってらぁ」


 怯えた顔を鼻で嗤い、今度は両手で軽く頬を引っ張った。思ったより良く伸びる。


「天狗になったんだから、またイチから新しく始めりゃいいだろーが」


 次朗のことも忘れてしまったのは残念だが、それはそれ。

 格好悪いところも色々見られていたのだし、全部忘れたなら、次こそヘマをしないようにして、格好良くて完璧な兄貴になってやれば良い。


 落胆も驚きも呆れるほど早く通りすぎた次朗は、そんな風に考えた。

 切り替えの早さは白鳴山で一番である。


――――何がどーなってんのかはししょーに訊くしかねーな。


 変転で記憶が混乱するのはままある話で、次朗の知り合いたちもその頃の失敗談を笑い話にしている。

 しかし、まるごとなくなってしまうとは聞いたことがない。ただ混乱して度忘れしてるだけなら良いのだが、次朗には何が起こっているのかわからない。


 変転については、元から天狗だった兄弟子たちは詳しくはないだろう。と考える。

 手当てに行った高遠は何か知っているだろうが、何も言って行かなかった。だから不測の事態だったとしてもすぐに何かしないと間に合わないことではないとも思う。


 高遠は話し忘れる癖があるが、例えふらつくほど消耗していたとしても一番大事なことだけは忘れたことはない。

 昔から続いての今までを通して、次朗の知る限り、白鳴山で一番大事なこととは仲間の心身だ。


 高遠が何も言い置いて行かなかったのだから、それ即ち、三太朗がすぐにどうこうなるおそれはないのだ。


「うー…」

 考えごとをしながらもほっぺたをむにむにしている次朗の手をどけようとして、三太朗が一生懸命引っ張る。

 あんまり一生懸命なものだから逆に頬をふにふにしまくっていたら泣かれそうになったので慌てて手を放した。

 お(しの)が言葉通り鬼の眼光で睨み付けたのにびびった訳ではない。と次朗は自分に言い聞かせる。


 うるうるした目で、ついでに頬も真っ赤なまま、三太朗は次朗を食い入るように見つめた。

 横から様子を見ていた弓がふらっとよろめき、口元に手を当てて感極まったようにため息を吐いているのにも気付かない様子で、じぃっと見つめ続けた。


 次朗は反射的にガン飛ばし返した。

 三太朗には通用しなかったが、保護者軍団が殺気立ったのでやむなく目を逸らした。これ以上は良くない。


「いいの…?」

 ややあって、蚊の鳴くような声を聞き取って、三太朗に目を戻すと、また彼は畳に目を落としていた。


「あ?……何がだよ」

 意識して、これでもかと頑張って、穏やかな声を出そうとしてみたけれど、結果としては低ぅい声が出た。

 さっきより酷いが、三太朗の様子は変わっていない。俯いているのは脅しているかのような低い声の所為ではないはずなので大丈夫なはず。


 大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせている次朗へ、三太朗は恐る恐る、ほとんど怯えたように言った。

「……おぼえてない、まんまで、いいの?」


 瞬間、三太朗が何故泣いていたのか悟った。


 優しくされているのに、相手のことを覚えていなくて申し訳なく思ったのだろう。覚えられていないと周りが気付いたら悲しむだろうと思ったのだろう。そうして、思い出せない自分を責めて悲しくなったのだ。

 優しくされるほどどうして良いかわからなくなってしまったのだろう。


「…ばぁーか!」


 次朗は笑って、柔らかな色の頭をぐしゃぐしゃにしてやった。


 自分が大変なときに他を気遣わなくていいのだとか、本当はちょっとがっかりしたけど別にお前が無事だから良いんだとか、思い出すのを最初から諦めるなとか、別に誰もお前を責めたりしないだとか、色々言いたいことはあったが、生憎上手いこと伝えられる言葉が見つからなかったからひと言で済ませる。


「そんなん気にすんじゃねーよ!」


 自分よりも他を気にして、しかも伝えられず内に溜め込んでしまう。

 なんて馬鹿なのだろう。次朗には理解出来ない。しようとも思わない。


 ただ、見上げてくる顔が少しずつ緩んでいくのを見ていると、面倒見てやろうかと思えてくるから不思議だ。


――――ほんとにこいつは手が掛かりやがる。


 でもまあ、多分、それで良いのだろう。



短い文を幾つか詰めて一話にしようと思っていたのですが、そうすると少々長すぎかつ、投稿まですごく掛かりそうなので、少し短めですがひとつずつ投稿していきます。

その分早く次話投稿します。

『その子は三太朗』以後は通常に戻るかと思います。

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