その者は、名を置いていく
魔王と勇者が出会った時から遡る。
意識がゆっくりと覚醒していくのを感じる。
視界は暗いけど、頭は動く。
あの後、僕は意識を失ったようだ…。恥ずかしいことに敵の目の前で。そんな僕が、こうして考え事ができるってことは、天へと着いたのか、はたまた地の果てへと落ちたのか。
どちらにしろ、僕の生涯は終わった。勇者を危機から救うため、自らを犠牲にするという個人的には華々しい結果で。
さて、目がそろそろ使えそうだ。視界には、何が映るのだろうか…。
毎日祈りを捧げたから、神にでも会えるのか…期待しよう。
「ん?やっとお目覚めか。
三日も寝るとは…随分とゆっくり寝たじゃないか」
始めはボヤケていたが、徐々にしっかりしていく視界に映るのは、僕の期待通りの相手…ではなく、小柄な男の子?だった。
服装はパーティーで着る様な正装だけど…この子は誰だろう。もしかして、僕は助かったのだろうか?
「貴様、我が声を掛けているのだ。答えたらどうだ?」
近くの岩に腰掛け、手には僕が書いていた日記を持っている男の子は、その金の瞳で僕を見つめ返していた。
高圧的な言い方だけど、確かにこのまま黙っているのも申し訳ない。
僕は、返事をしようと口を開きかけたその時、その子供が纏う雰囲気に飲まれた。
感情も神経も何から何まで飲まれて、とてつもない恐怖心が僕を支配する。
どうやら、僕の意識はちゃんと覚醒してなかったみたいだ…目の前で僕を見るこの子供は、ただの子供なんかじゃない。
この感覚。これはまるで…
「お待たせして申し訳ありません。
言われていた物を取ってまいりました」
そう言って子供の後ろから現れたのは、僕が戦っていた魔王の側近レミア。
そうだ。この感覚は魔族だ。それも、この子供からはレミアと比べ物にならないほど圧倒的な何かを感じる。
それにレミアの態度。まさか、この子供は…'魔王'なのか?
「構わん。今、コイツも起きた所だ」
「お前、本当に生きていたのね」
「そうみたいですね。
まさか、まだ生きているなんて、僕自身も驚きです。
えぇ、本当に…。魔王を前に寝てしまっている日が来るとは思いませんでした」
目の前には、魔王の可能性が高い子供と、アイン達を逃がすので精一杯だった相手の二人。
まだ自分が生きている事が不思議でしょうがないけど、相手が相手な為か、諦めがついて恐怖心も薄れて冷静にこんな事も言えてしまった。
「なんだ。話せるではないか。
それに我を魔王と見抜くとは、相手を良く見ているな。幾ら貴様ら勇者共が神の加護で我々の気配を感じれると言っても、我を魔王と断言できるとは…いやはや、未熟ながらレミアを相手取り時間を稼ぐだけあって優秀な人間だな」
「人間かは怪しい所ですけどね」
「…?」
「ふん。自身の状況は把握しておらんか。
ほれ、確認すると良い」
レミアの言葉が理解できずに首を傾げてると、魔王が僕の目の前に水で出来た球体を創り出した。
魔法の類だろうけど、発動を認識できなかった…発動までの速度が速すぎる。
「これは…?一体…」
魔王の魔法展開速度に驚いていた僕だったけど、その水面に映る自分の顔に驚きは上書きされてしまった。
気を利かせてくれたのか、球体だった水は縦に伸びて座っていた僕の姿が全部見える。
着ていた服は、よれているけど問題はない。それよりも、服から出ている素肌だ。
腕も脚首の辺りも、首から顔の右半分も、生きてるのか不思議なぐらいに皹が入っている。そして、その罅割れた所は、赤黒く脈動していた。
「貴様、生命力で無理矢理魔法を使っていたようだな」
「…」
驚いていた僕に、魔王が何か知っているかの様に話してくる。
「その身体中の罅は、その後遺症だ。
まぁ本来ならば、それほどまでに生命力を酷使したならば、そこから肉体は崩壊し死んでいて当然。だが、貴様はこうして生きている」
そうだ。それがおかしい。
僕も一応知っている。魔力が尽きて尚、生命力を使い魔法を使うと、肉体は崩壊を始めて最後は死ぬ。
途中で魔法を止めても崩壊した部位が動くことなんて無いはず。無いはずなのに、僕は感覚もあるし動くこともできる。
僕が考えている事を知ってか知らずか、魔王は言葉を続けた。
「理由は、その脈動しているモノが答えだ」
どうやら、魔王は僕が生きている理由を知っているらしい。
「貴様、エデの実をかなりの頻度で食っているな?」
魔王は、さっきレミアから渡された布袋を僕に向け投げた。
その中からは、エデの実が数個転がる。
「それはな、本来は我々が故郷の魔界に生息する木の実だ。
かつて、我の部下が人間に配り狂わせた事があったが、どうやらその時からこちらで繁殖させた者が居たらしい。
今や違法薬物扱いされているようだが、貴様等の様な魔族でない者にとっては中毒性が高かろう」
いつの間にか手に持ったグラスに、レミアが何か注ぎ、魔王はそれで喉を一度潤して続け喋る。
「これは、魔族が食えば保有魔力が跳ね上がる代物だ。無論、こんな者を使う者など弱者でしか無い。
それに魔族以外が使った所で、効果などほぼ無いに等しいがな。
しかし、魔族では無い者には別の効果がある。
不思議と精神が安定するんだろう?怒りや嫉妬や憎しみや不安が無くなり落ち着くんだろう?
それは無くなっているのではない。一度抑え育てているのだ。
ゆっくりゆっくりと、育てているのだ。
一度その効果を知ってしまえば、貴様等弱者は中々抜け出せないだろう。エデの実に依存し、食い続ける。
その結果エデの実は育ち、その本来の効果を発揮する。魔へと誘われるのだ。
逆らう事はできなかろうな。エデの誘惑に負けた様な弱者共には…。
後は分かるだろう?魔物になるか、潜在的に要素があれば魔族になるかだ。
まぁ、エデに誘われた者達など理性もなく、ただ抑えられた感情を発散する様に暴れまわり勝手に死ぬだけだがな。
貴様の身体に脈動しているソレは、エデに誘われた証だ。魔の者は、元来より生命力は高いからな。
崩壊するはずの身体をソレが繋ぎ合わせているのだろう。
確かにそう考えればレミアの言う通り、貴様は人間としては既に死んでいるかもしれんな」
「長々とありがとうございます」
「なに、貴様等が今どれほどかぐらいは見せて貰ったからな。
我も一つぐらいは情報をくれてやろうと思ったまでだ」
楽しそうな顔に苛立って、嫌味のつもりで礼を言ってみたけど流されてしまった。
それにしても…魔王の言っている事が本当なら、僕は人間としてはもう死んでいるのが正しいのかもしれない。
「ほぉ…。一応、元には戻るか」
とりあえず回復魔法を使ってみたら、身体中にあった罅は消えた。けど、完全に消えた様子はない。
現に、顔の右半分の罅は薄くなっただけで消えてない。
「貴様がエデに誘われきれなかったのは、神の加護というやつかもしれんな。
実に面白い。
エデを食う者など弱者ではあるが、貴様は故に強者となり我を楽しませる可能性があるな」
「見た目が子供の魔王に言われても、あんまり怖くありませんね」
「ははは!我を前に、その様な台詞を吐けるとは!
本来の姿を見せてやっても良いが、今の貴様にそれ程の価値はない。
この姿で今は満足しておれ。
我は、最後に食うた魂に応じて姿が変わる。今は貴様を待つまでに適当に消した村で最後に食うた魂の姿だ。
変えようと思えば変えれるが、別にこの姿で不便があるわけでもないのでな」
何やら魔王はご機嫌だ。
でも、対する僕の心境は楽しくもないし、穏やかでもない。
魔王は、今軽く言ったけど、適当に消した村…きっと、それは僕達が行った村だ。
アイン達と戻る予定だったはずの村…。
この付近だと、あの村以外は無いんだ。
「気になるのなら着いてくるか?
貴様は、今や勇者一行でもなければ人間でもない。
我に着いてくれば、性別問わず様々な姿が見れるぞ?」
「あまりふざけないでください。勧誘のつもりですか?
僕は、今は違っても元勇者一行です。魔王に着いていくなんて…アインに笑われてしまう」
「ふむ。
その勇者一行は、翌日には貴様を待たずに次へと向かったようだがな」
「それなら良かった。
ちゃんと僕の意思をアインは気付いてくれていたんですね」
「…やはり神の加護と言うのは面倒だな。
エデに誘われたのであれば、些細な興味にでも惹かれ、少々の負の感情で憎悪が満たされ堕ちると思うたが」
さっきまでの楽しそうな表情とは打って変わり、無表情のまま金の瞳が僕を見た。
あんな無茶苦茶な勧誘で着いていくわけがと思ったけど、もしかしたら普通は着いてくのかもしれない。
こんな僕にも神が加護を与えてくれていた事に感謝はしておこう。
「まぁ、我としてはどちらでもよかった事だ。
堕ちようが堕ちまいが、貴様は我の敵となったであろうしな。
さて、本題へと移るとしようか」
「本題?」
そりゃ本題があるよね。
今までの事を言いたくて、わざわざ僕を生かしていたわけじゃないだろうし…。最悪、軍門に下れとか言われたらと思ってたけど、そうじゃないみたいだし。
行動するのは、本題を聞いてからでもいいか…最悪、自害と言う手もある。
「レミアに勝利した貴様には、褒美を一つやろうと思ってな。
ほれ、何か言ってみよ」
「は?」
魔王の言葉に、僕はマヌケな声を漏らしてしまった。
「レミアは、我に勇者一行を殺してくると言い貴様等の元へと向かったが…結果はこれだ。
不完全な我等相手とは言え、その功績は認めてやらねばならない。
我は強者である者には、敬意を示す事にしている。
力量で言えば弱者の貴様だが…レミアの目的を阻止した貴様を我は気に入った。
こちら側でもそちら側でも無く、半端者となった貴様は、これから強者になる可能性が見いだせた。
先行投資と言うやつだ。
我は戦いをこよなく愛する。強者が相手ならば尚の事。
今、この時ばかりは貴様を見逃してやろう。そして、我が気に入った貴様の功績を認め褒美をくれてやろうと言うのだ。
何か申してみよ」
そんな僕の様子など気にせず、至って真面目な顔で何を言うのかこの魔王は。
どういう思惑があってなのかは分からないけど、何故か僕は魔王に気に入られ、今回は見逃してもらえるらしい。
そして、アイン達を逃した事を評価して褒美をくれるのは事もあろうに魔王だと…。
「死んでください魔王」
とりあえず、僕が今一番望んでいる事を言ってみた。
「確かに、貴様等の目的はそうだろうな。
だが、褒美としてそれはやれぬ。我は貴様には負けておらん。故に我の生殺与奪権は貴様には無い。
レミアの命ぐらいならばくれてやるが?」
まぁ、そうですよね。
真面目な顔をしているけど、今なんかご機嫌な魔王ならノリで死んでくれれば!と思ったけどやっぱり無理か…。
だからと言って、レミアをここで殺す事は確かにアイン達にとって有益な事だ…でも、きっとアインは自己嫌悪してそうだからなぁ…。
少し、荒治療だけど、アインには前に進んで強くなってもらわなきゃ。
「なんでもいいんですか?」
「内容次第ではあるがな」
なら、僕の事は切り捨てて貰おう。
こんな状態の僕は、アインの近くでは戦えない。
いつ魔王が言ったみたいに暴走するか分からないから…。
そう考える僕は、近くにあったエデの実を、気付かない内に拾って握っていた事に気づく。
うん。きっと正しい選択だ。
僕は弱いから…もう、中毒になってるエデの実を手放す事はできなさそうだし、仮に治療するにしてもアイン達にまで迷惑を掛けるわけにはいかないよね。
僕は握っていたエデの実を一つ食べて、落ち着いた思考で褒美を決めた。
「魔王、これをアインに渡してきて欲しい。
渡す時に絶対にアイン達に危害を加えずに、この鞄を届けて欲しい」
「ほぉ…。まぁ、貴様がそれで良いのならよかろう。
決まったとなれば、我は行こう。我の気が変わらぬ内にな」
そう言って僕から鞄を受け取った魔王は、その場を離れて行こうとする。
その時、落ち着いた思考で気になった事が浮かんだ。
「魔王、一つ聞きたい。
エデの実は、一つ食べただけでダメなの?」
「ん?一つ程度では、大した問題にはならんだろう。
食べ続ければ、エデの実が芽吹き、その実の効果を発揮できるように身体が変わるのが、先程話した結果だからな。
一つ食った所で、たかが知れている」
そうか…良かった。
あの日、フェルさんが食べてしまったから、もし問題があるなら、魔王にはそっちを頼まなきゃと思った。
できるのかは分からないけど、僕のせいでフェルさんまで道を外すなんて事にはなってほしくない。
「では、我は行くとしよう。
精々足掻き強者となり、挑みに来るがいい」
そう言って、今度こそ魔王は影へと溶け消えていく。
「貴様、よく魔王様にあんな色々と言えるわね」
「別に…いつ死んでもおかしくない、むしろ生きている方が不思議な状況だったので、感覚が麻痺しているのかもしれません。
それで、貴女はどうするんですか?」
「お前を殺してやりたいが…魔王様がお見逃しになられたんだ。私が手を出すわけにもいかないわ。
私は私でやることがある。お前も、魔王様に気に入られたのならば、精々足掻け」
残っていたレミアも羽を生やして何処かへと飛んでいった。
そうして、僕は一人になる。
とりあえず、今後の方針としては…できるだけアイン達の旅のサポートをしたいけど、僕の今の状態が何とかできるまでは見つかりたくない。
わざわざ魔王まで使ったんだ。
だったら、僕はアイン達が魔王討伐に集中しやすいように動こう。
魔王が置いていった日記を拾い、僕は近くに落ちていた僕用のポーチを回収する。
中には、古い本が一冊と元々魔力回復薬が入っていた空ビンが数本にナイフが一本。
後、魔王が僕に向けて投げたエデの実が大量に入った布袋か…。
きっと、僕はこれを使い続けるだろう。もう手放せるものでもないし、アインを煽ったんだ…アインが魔王を倒すその日まで、僕も止まるわけにはいかない。
アインが振り向かなくても良いように。全部終わって、振り向いた時に、アイン達が皆笑っていられる様に…。
生者でも亡者でもない半端者になってしまった僕だけど…祈るぐらいは許されるよね。
僕は、日課の為に簡易的に祭壇を作り上げ、いつもの様に祈る。
「主よ、どうか彼等の旅路を見守りたまえ」
周囲の気温が少しだけ下がったのを感じた。
祈りを終えた僕は、ふと魔王が座っていた大きい石が視界に入った…。
その石に近寄り、僕はナイフを使って石の表面に文字を刻む。
きっと僕は戻りたくなる。今だって、アイン達を追いかけたい。でも、爆弾を抱えて味方に突っ込むことはしたくない。
だから、弱い僕はここで休んでて…。
文字を刻み終えた僕は、明るくなった空を見上げ、もう一度だけ祈りを捧げた。
石には、こう刻んだ。
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アモル・メーンス ここに眠る
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やっと、プロローグ的な過去編終わり。