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あの日から五日。
あの日に近くの街へと飛び、勇者の名を使い馬を借りた。そして、途中休憩など挟まずに半日で目的の村へと着いた。
村は、俺達が魔窟と化した炭鉱を攻略中に何度か魔物に襲われたらしいが、被害を出しながらも守りきっていたと村長が俺に嬉しそうに話していたが…その話を聞き、攻略を終えた事を伝える俺達に、共に喜ぶ気力なんてあるわけ無かった。
報告をしたその日は、その村に泊まったが…休めた気などしない。
そして俺は、翌日には村を出て、魔王が住むと言う城がある場所へと向け足を進めた。
俺とアイツの話を聞いていたフェルとルニンが村で待つと猛反発したが、嘘をついて移動する。
'アイン様!彼はここで合流すると!'
'あれは敵に誤った情報を伝えるために言ったんだ。あの敵に聞こえない様に、アイツは次の街で…と伝えられていた'
'……アイン、それは嘘じゃないわよね'
'あぁ'
今思い返しても我ながら酷い嘘だ。
きっと、ルニンにはバレているだろうな…。
そんな隙が、あの瞬間にあるわけないだろう!
誰かが囮になる事でしか乗り切れなかったあの瞬間で!アイツがどれだけ優秀でも!どれだけ冷静で頭が良くてもだ!
なんで、俺はあんな事を考えた…。
囮で抜けるのが一番生存率が高いなんて…そして、それに適したのが守る事に長けたアイツが適任だなんて…。
あの時のアイツの顔を見て、何がアイツなら大丈夫だなんて思ったんだ…。
どうして、俺とアイツは同じ事を考えてしまったんだよ…。
何が一週間だ…。本心なら、もっと短い日を伝えるだろう。
あそこから、歩いて一日掛からないんだぞ?それが一週間…あまりに長すぎるだろ。
出鱈目言うなら、もっと分かりづらい期間でいろよ…俺も騙しきってくれよ…。
「俺に何か用か?」
泊まっていた宿の中庭のベンチで星空を見ていると気配が近づいてきた。
フェルはあの日以来、一層喋らなくなってしまった。ルニンは、そんなフェルに寄り添っている。
つまりは今、フェルやルニンがここに来る事はない。ならば誰か…それは、俺の知らない女だった。
「こうして貴様を見るのは初めてだ。
噂だけは聞いているぞ…勇者よ」
パッと見は、年上の女。
銀の髪に金色の瞳…黒いドレスがよく映える身体の女だ。
誰だ?俺の知り合いにこんな奴は居ない。
それに、コイツからは嫌な気配がする。本能を逆撫でてくる様な…。
「隣に座るぞ」
その女は、俺の了承を聞く前に隣に座り、肘掛けを使い頬杖をついて足を組み溜め息を吐いた。
「やれやれ…貴様等、もう少しゆっくり移動したらどうだ。
疲れなどないが、面倒臭さは募るばかりだったぞ」
持ってきていたのか、女は手に持っていたワインを口にして俺を見て話している。
何故こいつは俺の隣に座って、こんな事を言っていのか。加えてこの嫌な気配を纏うコイツは一体なんだ。
「我が話し掛けていると言うのに、言葉を返さんとは…つまらんな。
せっかく機嫌が良かったところだが、台無しだ。
もう我はやることをやって帰るとしよう」
そう言う女が持っていたワイングラスは、女から漏れ出す闇に飲まれていく。目の前で起こっている光景に、俺は念のためと持ってきていた自分の剣を握り振り抜こうとする。
だが俺の剣は、女が突き出した指先に触れるだけで止まった。
「そう急くな。
今の貴様ではつまらん。もっと経験を積むと良い。さすれば、我にその刃、突き立てられる日が来よう。
その日まで、我が貴様のその命を取ることはしないでおいてやろう。我はな。」
「お前は一体…!?」
女に問いかける言葉までも止められた。
ワイングラスを持っていた手が闇に飲まれ、その闇から出てきた手に握られていたモノを見て…。
「ただ我の気が乗っただけだ。
まぁ、つまらん結果になったがな。だが、個人に対して言った事はしてやらねば我の名が廃る。
しかと貴様に渡したぞ?しかし、奴も魔王たる我を物渡しに使うなど…大した男だ」
その女が俺に投げ渡したのは…アイツが持っていたはずの鞄。
旅立ちの日に渡された、神の加護を与えられた鞄だ。
それにこの女はなんて言った?魔王たる我?その魔王がなんで鞄を?
答えは一つだろう。
くそったれ!!!
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「戯けが。
奴に守られた命を、ここで散らすか」
その言葉に、俺は剣を止めていた。
後少し力を入れれば、その首に触れるはずの剣を止めた。
「ふん…己が感情を抑制し、行動を止められるのは利口だったな。
それとも、憤怒の感情を別の感情で殺したか?どちらにしろ…その行動は正しきものだ。
弱者は弱者らしく強者の機嫌でも取ってればよい。
対する敵が強者ならば、弱者で終わらず牙を磨けばよい。
まぁ、どう足掻こうが…今の貴様は大切だと口先ばかりで、結果を残せず、仲間を見捨て、見殺しにし、挙句には敵であり宿敵に刃すら突き立てられぬ弱者だがな」
「……」
「言い返せぬか。
そうだろうな。我は事実を告げたまでだからな」
噛みしめる歯が軋む音が脳に響く。
今にでも振り抜きたい剣だが、皮肉にも、いつの間にか俺の首筋に添えられた黒い剣が俺に冷静さを取り戻させる。
どこから出されたか、いつ抜かれたか、どのタイミングで首筋に添えられたか…何一つ見えなかった。
それは、圧倒的実力差がある現実を俺に叩きつける。
「アイツは…生きているのか……」
「ん?ハハハハハ!我にそれを聞くか?勇者たる貴様が、その聞くまでもない問いを我に問うか。
良い良い。答えてやろう。
我が直々に答えてやろう。
死んだよ。貴様が考えている通り、貴様が思っている通り、貴様達を逃した男は…死んだぞ」
希望でも持っていたのだろうか…。
その言葉を聞き、目の前が真っ黒に染まった。
カランと手から剣が抜け落ちる音もするが、もう拾う気力すら湧かない。魔王が鞄を持っていた時点で気付いていただろう。
違う…あの瞬間、あの時あの場所を離れた時には分かっていただろう。
今更、何に希望を抱いて魔王なんかに聞いたのか。
「どれ、もう話すことは無いようだな。
我は帰ろう。今度は、貴様が我の元へ訪れる日を我は楽しみに待っておこう。
精々生き抜き、牙を磨くのだな。我を失望させぬように」
離れていく足音が聞こえる。
そっちに目を向ければ、優雅に歩く魔王が影に溶ける様に消えていった。
静寂のはずなのに、耳に自分の弱々しい心音が響きやまない。
お前なら、こんな時どうするんだ?
ふと、脳裏に会話が蘇ってくる。
アイツの言葉が蘇る。
お前は勇者なのだと…前を向けと…。
お前が言ったんだ。振り返れば僕達が居るから、お前は僕達を信じて前を向けって。
俺は知っている。お前は俺との約束は破らない。だから、俺もお前との約束を破ることはしない。
世界を救った時、振り返ればちゃんとお前等全員が居るのならば、俺は世界を救うために前を向こう。
大丈夫。
お前がそう思って、俺がそう思ったなら大丈夫だ。
なぁ、そうだろ?'―――'
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翌日、フェルとルニンに鞄を見せると、二人は泣き崩れてしまった。
どうやら、今日もこの街で泊まる事になりそうだな。
「今日まで、この街に泊まる。
ルニン達も今日まではゆっくり休め。明日から本来の目的に向けて移動する」
「………どうして」
「……」
「フェル…」
光りの無いフェルの瞳が俺を映している。
昨日も泣いていたのかもしれない…赤く腫れた目元が痛々しい。
「前へ進む為だ。俺達は足を止めるわけにはいかない」
「平気なんですか…?彼が……」
「俺は、今は後ろを振り返るわけにはいかない「アイン!!」だから!…お前達は、俺の代わりにちょっとだけ立ち止まって振り返ってくれ。
俺は、それをお前達に擦り付ける。俺の分まで、しっかり見ててくれ…」
俺の言葉を遮ろうとしたルニンも、フェルもまた泣き出してしまった。
悪いな。
前を向いて進むことでしか、俺は強くなれそうに無いんだ。