六 その一
もう一人の目線で物語を見ていきます。
和樹、愛、舞
この三人が重要なキーパーソンです。
「今、走っていったのは誰?」
舞は一人呟いた。和樹は一向に戻ってこなかった。そのまま待っていてもよかったが、店の閉店時間も迫ってきていた。だから待つ事を諦めて買い物を終えて戻ってきたところだった。
「どうしてあんなにすごい勢いで走ってるのかしら・・・」
舞は疑問を感じつつも自宅の洋館に入った。そして、おかしな雰囲気に気が付いた。
「どうして明かりがついていないの?」
玄関の近くにある照明のスイッチに手を伸ばすが反応がない。
「そんな・・・どうして?」
そして、何を思ったのか一階の自室へ走る。手に持っていた荷物を放り出して。
「お姉ちゃん?いるの?いるなら返事して?」
それは悲痛な叫びだった。暗闇から返事は帰ってこない。不安。彼女の心を支配している感情はそれ以外の何物でもない。何が起こったのかわからない。やっと会えたはずの姉さんがいない。姪の唯の姿も無い。それに、和樹も見当たらない。
「お姉ちゃんっ、唯っ。」
そう叫びながら二階へ向かう。そう和樹の部屋へ。ドアをノックし返事がないことを確認してドアを開ける。そこには和樹のものと思われるカバンが一つ。
「和樹さん?いないんですか?」
声をかけるが和樹がいないのは明らかだ。部屋の電気は付いておらず、人がいる雰囲気が感じられない。
「ここにも誰もいない。もしかして三階の姉さんたちの部屋かしら。」
己の不安をかき消すためにあえて声に出す。
「そうよ。そうに違いないわ。」
今までこう言ったことは一度もなかった。いつだって舞が帰ってきたら唯か愛お姉ちゃんが迎えてくれた。
「お姉ちゃん?三階にいるんでしょう?」
そう言いながら反対側にある三階へ続く階段へ向かう。
「唯もそこにいるの?」
しかし、今までと同様に返ってくるのは無情な静寂。そして、舞は見てはならないものを見ることになる。
「お、お姉ちゃん?」
それは口から血を流し、腹にナイフが刺さっている姉の無残な姿。動揺しながらも駆け寄って愛する姉に声をかける。
「お姉ちゃんっ、何があったの?ねぇ、大丈夫?今すぐ救急車を呼ぶからっ。」
そう声をあげて姉に自分の意思を伝える。その時、姉が薄く目を開く。
「まい・・・なの・・・ね・・・」
「あぁ、そうよっ、お姉ちゃん。私よ、舞よっ。待ってね、すぐ救急車を呼べば助かるからっ。」
そう言って愛を床に再び寝かせようとして気が付く。床が血まみれなこと。姉さんの左腕が不思議な形に曲がっていること。足も前後反対の方を向いている。『そんな・・・これじゃ・・・』と舞が考えたのも無理はない。見た目でこれだけの外傷。きっと他にも・・・
「まい・・・ごめ・・ん・・・わたし・・・さきに・・・」
咳き込むように血を吐く姉。
「いやよっ!お姉ちゃんっ。私たちやっと会えたのよ?これから一緒に生きていこうって約束したじゃないっ、ダメよ、絶対に・・・うぅ・・・助ける・・から・・・」
「・・・きいて・・まい・・」
「・・・」
「わたし・・は・・しぬ・・わ・・・ゆいを・・おねがい・・あの・・こは・・ま・・いになつ・・いて・・・」
話しながら口から血が流れてくる。
「うん、わかったからっ、もう、無理しないでっ。」
「ど・・うしても・・・これだ・・・けは・・・」
そう言って姉は最愛の妹の顔に手を伸ばす。その手は血の気が引いており、真っ白だ。
「お姉ちゃん、なに?聞くからっ、私なんでも聞くからっ。だから・・・死なないでっ。」
姉の手を取り顔を持って行く。冷たい。もうすぐ、逝ってしまう。そう思わざるを得なかった。
「・・・だれも・・うらまない・・で・・・わたしは・・しあわせだっ・・・たわ・・」
「うん・・・」
涙を流しながら姉の最後の言葉に耳を傾ける舞。
「・・あの・・こは・・・わるく・・ない・・・わ・・・」
「そんなっ・・・あの子が?和樹がやったの?お姉ちゃんにこんなことをっ。」
「ちがう・・・わ・・・あのこが・・きたのは・・・うんめ・・い・・いじょ・・・うの・・」
そこまで話して再び大量に吐血する。もう無理なのだ。それでもここまで話しているのはどうしても伝えなければいけないことがあるから。大切な妹に。
「・・・いきて・・・まい・・あな・・たは・・・ひとりじゃ・・・」
「うん、わかってる。私は一人じゃない。姉さんがいるっ、唯もいるっ。」
その声が聞こえたのか。そもそも舞のことが見えているのか。大量の出血に吐血。全身の骨折に腹部に刺さった刃物。明らかに今生きていること自体が奇跡のような状況だ。それなのに・・・愛は目を細めて微笑んだ。全てを慈しむ女神のような表情で。そして言った。
「愛してるわ。」
はっきりと聞こえた。姉さんの口からではない。直接頭に響くように。でもはっきりと姉の声で。何が起こっているのか舞にはわかってはいなかったが、一つだけわかったことがある。姉が死んだということだ・・・
「まいまーま・・・」
唯の声が聞こえる。温もりが感じられない姉だった体をゆっくりを床に寝かせて声の聞こえたほうを見る。
「唯・・・そうよ・・ママよ・・・」
そう言って唯を抱きしめる。唯は何も言わずに舞に抱かれている。
「ままがいったの。ずっといっしょって。」
今となっては愛がどういうつもりでいつ言ったのか。それすら舞にはわからない。
「そうね。ずっと一緒よ・・・私があなたのママになるわ。私は・・・高無愛。あなたのママよ。」
そう言ってさらにきつく唯のことを抱きしめる。
「うん。まーま・・・」
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私は小さなころから海辺の町で育ってきた。二人の母に育てられて成長した。一人は私のことを大切に育ててくれた母。今もあの町で生活している最愛の母だ。もう一人は私を生んでくれた母。幼い頃に亡くなった。あの時のことは良く覚えていない。ただ声が聞こえた。優しい女性の声。今思い出しても胸に暖かい気持ちが広がってくる。わかるのはその声が母の物だったということだけ。その声はこう言った。『あなたは一人じゃない。ママがいつもそばに居るからね。』と。
私の家庭環境はとても複雑だ。本当の母親はすでに亡くなっている。名前は高無愛。でも、この名前の人は今も生きている。私のことを本当の娘のように育ててくれた母親。本当の名前は高無舞。私の母の妹。叔母に当たる人だ。二人は双子。私の記憶の中には母親の顔の記憶がほとんどない。あまりに幼い時に亡くしたから覚えていないのだろう。それは残念なことだけど、いつも聞かされていたことがある。
「愛まーまはね。私と本当に瓜二つだったの。そっくりだった。でも、愛まーまの方がちょっとだけ胸が小さかったかしら。」
そう笑顔を言う母の姿。そう、私の母で、叔母で舞であって愛である人。幼かった私を思うがゆえに高無愛に生まれ変わった人。そして、私の大切な人。あの時亡くなったのは私の母ではなく高橋麻耶。そういうことになっている。
そう、母はずっとそばに居てくれた。二人とも。
父親は分からない。母も分からないと言っていた。きっと舞まーまも知らない。私もそれでいいと思っている。だって、私には大切に思ってくれる二人の母がいるから。
よく他人には『二十四歳にしては落ち着いているね。』なんて言われるが、それもこの生い立ちがなせることなんだと思う。
「妊娠、五か月になりますね。」
その声で現実に戻ってくる。
「唯さん、聞いてますか?」
私の目の前に座っているのはお医者さん。元々生理不順だったから、ただ遅れているだけだと思っていた。でも、予期していなかったわけじゃない。
「はい。」
「でも、それよりも・・・」
そう言って目の前に座る医者の表情が暗くなる。
「なんでしょうか。」
そう、聞き返す。妊娠していたのはいい。彼とは結婚しようって話あった仲だ。今朝もその話をしてきた。
「言いにくいことなんですが・・・」
なんだろう。動悸が早くなる。もしかして、お腹の子に問題でもあるのだろうか。
「なんですか?はっきり言ってください。」
イヤな予感がした。私の予感はよく当たる。いいことも悪いことも。
「はっきりとは言えないのですが、子宮頸がんの疑いがあります。精密検査をしたほうが良いと思います。」
やっぱり、悪い予感の方がよく当たるのよね。
「わかりました。検査をお願いします。」
「はい。では準備をしますので、しばらくお待ちください。」
今、彼とは同棲中。彼に心配はかけたくない。結果がわかってからでいい。今日は急に仕事が入って病院には行けなかったことにしよう。結果は二週間後。はっきりわかってからでも遅くはないのだから。
二週間後再び病院を訪れる。この二週間、彼とは会っていない。いろいろと気持ちの整理がつかず、以前生活していたアパートに戻っていた。彼は私に何があったのかと心配し、毎日のように会いに来てくれていたが、体調が悪いと言い張り、会うのを拒んでいた。
「高無さん、診察室へお入りください。」
看護師さんに呼ばれる。覚悟を決める。
「検査の結果が出ました。」
「はい。」
今日はその結果を聞きに来た。どういう結果が出ようと・・・どうするのかは私の中では決まっている。
「大変言いにくいのですが・・・」
ほらね。大丈夫。私の予感は当たるのよ。悪いことは特に。今までは避けられたこともあったけど、さすがにこれは無理よね。
「・・・高無さん?大丈夫ですか?気分が悪くなりましたか?」
目の前にいる医者が看護師と共に私の顔を覗き込む。
「はい。大丈夫です。なんとなく、そういう予感はしてました。それで・・・このままだと、あとどのくらい生きられるんですか?私は。」
突きつけられた現実は末期の癌。すぐに治療を始めるべき状況であると。
「・・・言いにくいのですが。一年・・・くらいだと思います。」
「そうですか。治療とはどういったものになりますか。」
その後は治療に向けての方針説明。化学療法に放射線治療。どちらも胎児に影響がないとは言えないということだ。
「なら、私は産みます。どうしても、この子はこの世に生まれてきてほしいんです。」
「ですが、それだと治療が間に合わなくなります。」
「はい。それは分かります。」
「しかし・・・」
「決めたんです。」
「父親となる方に話をしなければ・・・」
「父親は・・・わかりませんから・・・」
ウソをつく。そうしなければ彼に知られる。知ってしまえば彼は子供を諦めて私の治療に専念するというだろう。既に私の体には私以外の命がある。それを感じる。どちらを優先するか?そんなことは母親なら考えるまでもないことだ。きっと、愛まーまも舞まーまもそうするはずだ。
強い母親たちに育てられたからだろうか。彼女の目にも強い意志が宿っている。決してその意志は曲げないだろう。
「そうですか・・・私としてはすぐに治療を始めたいところなのですが、気持ちをもう一度しっかり整理してください。明日、必ず来院してください。待ってますからね。」
「ありがとうございます。」
そう返事だけして立ち上がる。今後のことをしっかりと考えなくてはいけない。この二週間のうちに準備してきたことを実行しなければいけない。
あれから四か月。無事に生まれた息子と一緒に病院にいる。救急病院に搬送され、出産したようだ。ようだ、というのも記憶がないからだ。突然体調を崩し、救急車を呼び・・・そこまでは覚えている。
目が覚めたら病院にいた。様々な痛みがあるが、無事に息子が生まれたことだけが嬉しかった。体重二千七百グラム。大きくはないが生きられる大きさまで育ってくれた。医者には『ここまで無事に育ってくれたことが奇跡だ。』といわれた。
私に残された時間は短い。私自身の治療はもう手遅れとも言われた。体のあちこちに転移が見られるらしい。『よくこの状態で・・・』と医者には驚かれた。実は私には成さねばならないことがある。それは息子・・・一輝をこの世に送り出すこと。もう一つは母を救うこと。この二つだ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
新たな登場人物、唯が出てきました。
彼女の物語の関わり方は、他の人物と比べると少し異質です。
そして、ある意味の答えを見ている人物になります。