九 その三
自分探しの旅に出る直前の話です。
いつの時代も人の優しさというのは嬉しいものですよね。
あの日から二日。俺は記憶にない自宅で旅の準備をしていた。荷物なんてほとんど必要ない。着替えに自分のことをまとめたノート。これだけあれば十分だ。さぁ、出かけようかと思った時にインターホンが鳴る。なんとなく出鼻をくじかれたような感じはあったが出ないわけにもいかない。
「はい。」
「あ、和樹?わたし、麻衣だよ。開けて~。」
麻衣か。なんていいタイミングでくるんだ。そう思いながら玄関に向かっていき、麻衣を家に入れる。
「ふふん。こっそり出かけようったって、そうはいかないんだからね?」
麻衣は自慢げに俺の顔を見つめてくる。
「いや、別にこっそり出発するつもりもないし、一緒に行くって言ってただろう?」
そうなのだ。今回の旅には麻衣が同行してくれることになっている。記憶がない俺では計画の立てようがないし、なんといっても心細い。彼女がいてくれるというのは本当にありがたいと思う。
「うん、でもさ、ほら、和樹って忘れっぽいじゃない?」
「いや、忘れっぽいというよりはすでに忘れて・・」
「はいストップ。そんな漫才をするために来たんじゃないんだからね。」
そう言って大きめの箱を俺に手渡してくる。
「はい、これ。梓から。」
なんだろう?妙に大きな箱だ。それなりに重さがあるし、片手で持つのはしんどい。
「あ、ごめん。ちょっと持ちにくいよね。床においてもいい?」
そう言って俺の返事より先に箱を床に置き、早く開けるように俺にうながす。
「今開けるから待てって・・・」
箱を開けるとそこには義手が入っていた。俺の左腕は肘より少し上のところで切断されている。どうやらそこにはめるタイプのものの様だ。
「これって、義手だよな・・・俺こんなの頼んだ覚えはないんだけど?」
「梓がね、余計なお世話かもしれないけど片腕の人間はどうしても目立っちゃうって。だから必要なら使えって。準備してくれたみたい。」
ありがたい。片腕がないというだけで奇異な目で見られることが多かったことにうんざりしていたから。梓の心遣いが本当にうれしかった。
「ありがたいよ・・・本当に。ぜひ使わせてもらうよ。梓にお礼を言わないとな。」
「う~ん、梓はいらないって言ってたよ。その代わりと言っては何だけど、彼女ね、義手とかの製作会社と作ったんだって。だから、戻ってきた後はその仕事を手伝ってほしいんだってさ。どうしてもお礼がしたいなら、その手伝いで十分だって。」
なんというか・・・さすがお嬢様といったところなのだろうか。けど、今はその優しさに甘えておこう。
「そっか。梓には本当に迷惑かけてるなぁ。」
「うん、そだね。戻ってきたら一緒にお礼に行こうね。」
そう言って麻衣がキスしてくる。
「本当は私が和樹の腕になってあげたいんだけど、そうもいかないからね。」
「そうだな。」
「あ、梓からもう一つ伝言あったんだ。」
「なに?」
そんなにたくさん伝言があるなら直接言ってくれればいいのに・・・そうしたらお礼も言えたのにな。
「えっとね、時間がなかったから筋電義手が作れなかったんだって。和樹が寝てる間に型取りするのが精いっぱいだったって。だから、戻ってきたときに作るわよ。世界最高の筋電義手を。って言ってたよ。」
嬉しい話だ。思わず涙が出る。そして麻衣が、もひとつと言って続ける。
「『困ったときはすぐに連絡しなさいって。隆司を向かわせるから(笑)』だそうよ。」
「(笑)ってなんだよ。」
そう言って麻衣と二人で笑う。こんなに笑ったのは久しぶりだ。これも麻衣や梓たちのおかげだ。自分を取り戻したらきちんとした形でお礼をしなければいけない。そう思っていた。
おそらく、記憶を失う前の和樹はいい人だったのでしょうね。
多くの人に応援されているように見えます。
しかし、彼はある意味で時の人。
顔が知られているということは不便なことも多いはずです。




