八 その四
前回、舞=巴という事になっていました。
麻耶という少女も出てきています。
以前の章で登場した高橋麻耶のことです。
「くっ、誤算だった。まさか丈夫に突き飛ばされるとは。」
丈夫に突き飛ばされ、崖下に落ちるまでの刹那。巴は様々なことを考えた。私は死にたくない。一人になるのはもう嫌だ。せっかくの依代を失えば次に黄泉がえるのがいつになるかわからない。自身の転生は依代が必要だ。依代は魂の器、大きさ。それゆえに舞の魂も必要だった。そうだ。いっそ、愛の体を奪えばいい。愛は舞の双子の姉だ。依代としての器はないから、全ての力を持ったままの転生はできないかもしれないが、死ぬよりはいい。また一人で死んでいくのはイヤだ。
巴は精神体だけになり、舞の体から抜け出す。しかし、それはすなわち、最も無防備な状態になることを意味する。しかし、今の巴には選択肢がなかった。どちらにしても、この舞の肉体はもうすぐ滅ぶのだ。今さらどうすることもできない。だから愛の体に憑依しようとした。しかしっ・・・
バチッ
何かの結界のようなものが働く。それはまるで悪しきものを拒むかのような結界。見れば愛の体は社から出ているほのかな光によって全身を包まれているのだ。
「僕の・・・数百年にわたる願いをまたも阻むのか・・・ならば・・・」
巴は苦肉の策に出る。とても自称・神とは思えぬ愚策。
「この際、誰でも良いっ、この僕の願いさえかなうならっ。」
そう言って消えつつある自分の精神体を意思の力でもってかろうじて保ち、もう一人の少女に憑りつく。少女はとても巴を受け入れられるような器を持ってはいなかった。本来の少女の魂と今や巴と同化しつつある舞の魂。三つの魂を受け入れるだけの容量を持っていなかった。
三つの魂のうち最も強大であったのは巴の魂だ。巴は他の二つの魂を排除してでも少女の肉体を奪おうとする。しかし、本来受け入れるだけの器を持たない少女の肉体は巴の魂を受け入れれは壊れてしまいそうな状態だった。
「なんということだ・・・ここまで脆弱だとは・・・」
巴は歯ぎしりしながら自分をここまでの苦境に追いやった丈夫に呪詛を送る。
「貴様のせいで・・・僕の積年の願いが・・・呪ってやる・・・貴様が生きている間、イヤ死してもなお消えぬ呪いを・・・」
だが、ここでありえないことが起こる。巴と融合しかけていた舞の魂が分離しかけていたのだ。まるで、巴との同化を拒むかのように。
「これは・・まだ、僕に機会が残されていたんだね。」
そう言い、短く何かを呟くと自らの魂の一部を舞の魂の一部に注ぎ込み、肉体を持つ少女の魂と無理やり融合させた。当然、このような無理を行えば、魂が壊れてしまうかもしれない。だが巴は一つの可能性に賭けた。肉体と魂の惹かれあう強さに。そして、巴はその賭けに勝った。少女と巴の魂の一部を取り込んだ舞の魂は融合し、少女の体の中に吸い込まれるようにして入り込んでいったのだ。
「ふふふっ。これで・・・時がたてば僕はまた黄泉がえることができる。」
それだけを言って巴の魂は闇に消えていった。
ドサッ
私は驚いた。少女が突然倒れたからだ。しかし、今となっては私もここに長居はできない。愛のことも心配だったし、何より雪子の死体を処分する必要があった。しかし、私は冷静ではなかった。雪子の死体を隠すといってもそう簡単に隠せるわけもない。だが、ここにこのまま放置した場合、誰に発見されるのかわからない。とりあえず、一時的でもいい。この社から死体を遠ざけねばならない。そして、舞の死体も・・・いや、良い手がある。雪子が舞を殺し、自らも死を選んだと偽装すればいい。幸いにして私は警察にも顔が利く。女中一人の死など、たいした事件にもならない。舞は・・・すでにいないのだ。巴という悪魔に肉体を乗っ取られてしまったのだ。そう考えることで、私は幾分か心が休まるような気がしたのだ。
社に座って数分。だいぶ心の落ち着いた私は行動を始めた。一つ目は雪子の処分。次に未だ目覚めぬ愛の介抱。それから、地面にある血の処分。最後に倒れたままの少女。どれから始めるにしても迅速な行動が必要に思えた。この少女はおそらく村の外から来た少女だ。となれば、親がいるに違いない。近いうちに現れるだろう。
不思議なことに私の肉体に急に力が宿ったような気がした。今にして思えば、私の体にも悪魔が宿っていたのかもしれない。私は雪子の死体を担ぎ上げ、村で立ち入りを禁忌としている聖域に運んだ。ここは社から百メートルほど離れた場所。余程の事情がなければ誰も近づくことはない。死体の処理は後からゆっくりやればいい。ニヤッと微笑み社に戻る。愛も少女もまだ意識を取り戻してはいない。愛のことも心配ではあったが少女をこの現場から少しでも遠ざけたい。そう考え、少女を担ぎ上げて社から少し村の方へ近づいた林の中にそっと寝かせる。幸いにして少女は目覚めない。私はすぐに社の方に取って返した。地面に広がる雪子の血の跡。これを何とかしなければならないが、幸いにして大きく目立つあとは少ない。近くから土を持ってきて血の跡に掛ければ問題あるまい。そう考え私は手近な場所から土を集め少しずつ血の跡を隠していく。
どのくらいの時間がたったのか。人の声が聞こえてきた。私は未だ眠っている愛の体を抱えて社から離れて身を隠した。どうやら現れたのは先ほどの少女の両親のようだった。
「麻耶~、どこにいるんだいっ。」
「麻耶~、出ておいで~。」
それは両親の悲痛な叫びに聞こえた。あの少女は両親とはぐれてこんなところに来てしまったのだろうか。そして、麻耶というのがあの少女の名前なのだろう。何度も名前を呼びながらあちこちを探し回る。そして、崖下を覗き込んだ母親が悲鳴を上げ、驚いた父親が駆け寄ってきて二人で泣き崩れる。おそらくは舞の死体を自分たちの娘だと勘違いしたのだろう。やり場のない怒りを社にぶつける。聞くに堪えない暴言を吐いてはいるが、今、私がとっている行動の方が人の道を外れているのだろう。そう思い嘲笑がこぼれた。
「麻耶?」
母親が突然声を上げた。どうやら少女が目を覚ましてここまでやってきたようだ。その声を聴いて父親も駆け寄って少女に走り寄る。そして、その時に少女が発した言葉は私にとって驚愕だった。
「ううん、マイだよ。なんで泣いてるの?」
マイ?まい?舞?どういうことだ?あの少女が舞のはずがないっ。舞は確かに私が突き飛ばしたのだ。崖下に落ちて死んだ。そのはずだ。なのにどうして舞がいる?あの少女は麻耶ではないのか?舞だったのか?
・・・・いや、待て。落ち着け。あの化け物、巴が言っていた。確かにこの体は舞のものだ、と。ということはアレが、あの少女が舞であるはずがない。それなのにあの少女は舞であるという。あの悪魔め・・・また、何かをしたのか・・・
「麻耶・・・どうしたんだい?どこに言ってたんだい?お前は麻耶だろう?」
父親が泣きながら語り掛ける。
「おじさんはね・・・寂しかったんだよ。それで・・・泣いてたんだ。」
「泣いたらダメだよ、おじさん。マイが慰めてあげるね。」
そう言って少女は父親の頭を撫でる。
「う・・うぅ・・・」
男性は声を殺して泣き続ける。
「ま・・・麻耶?そうよ・・・あなたは麻耶でしょう?」
母親も泣きながら少女にしがみ付く。
「マヤ・・・」
少女はふっと遠くを見つめるような眼をして、すぐに正気に戻る。その時、少女の後ろに一瞬だけ巴の姿が見えたような気がした。
「ちがうよ?おばさん。マイだよ。タカシナマイだよ。」
「そう・・・マイちゃんっていうのね・・・」
そう言って夫妻は少女を抱きしめる。その時、少女の口元が少しだけ上がった。まるで狙ったとおりに事が進んでいるかのように。
「なぁ・・・マイちゃん。」
意を決したように父親が口を開く。
「私たちと一緒に帰らないか?おうちに。」
「あなた・・・」
妻がそう言って首を振る。
「なぁ、マイちゃん。どうかな。おじさんのうちの子にならないかい?」
「おじちゃんの子になる?」
そう言って少女は首をかしげて、ちょっとだけ考えるような素振りをする。
「うん。いいよ。」
「そうか、お前は・・・麻耶だよ。」
父親がまるで自分に言い聞かせるかのように強い声で少女に言う。
「うん、まやだよ。」
泣き崩れる少女の両親。それとは対照的に私は恐怖を覚えた。巴はまだ生きている。いや、生きているというより、確実に存在だけはしている。あの存在は愛にとって不幸でしかない。舞が消えてしまった怒りと悲しみよりも恐怖が上回ってしまった私は、この時から正気ではなかったのかもしれない。
「私たちと一緒に帰ろう。」
「うん。」
そうにこやかに答える少女。その笑顔が私にはひどく恐ろしい笑顔に見えた。アレは巴の魂が入り込んだ化け物だ。どうしたらアレを愛から引き離しておくことができるだろう。そう考えた時に、私に妙案が浮かんだ。まるで悪魔の囁きのような恐ろしい考えだ。
八章は鬼畜な話です。
自らのみを守るために奔走する鬼畜な男の話です。
彼の罪はどのような結末になるのか。




