第8話 大久保⑵
「ご旅行ですか?」
「え?」私は顔を右に。BJさんは既に私を見ていた。
「キャリーバッグをお持ちなので」BJさんはバッグに指を向けた。
「ああ……いえ、仕事です。これから」
「であれば、このまま閉じ込められ続けると、大変ですね」
「そうですね、まあ」
私は返事と相槌の中間的な応答ではぐらかす。仕事のことは話したくない。というか、話すことはできない。そのため、再び静寂が訪れた。訪れてしまった、という方が正解か? どちらにせよ、これまでに何度も始まったのだけれど、すぐに止まってしまう。この状況が少しでも進展してくれれば、多少なり会話が進むのかもしれないけど。
「ファァー……」
BJさんは大きな欠伸をする。が、すぐさま手で隠した。「すいません」左目右目共に、僅かだが涙が浮かんでいる。
「いえ。お気になさらず」
そう言った途端、私も思わず出そうに。どうやら移ったようだ。何とかして口の中で噛み殺し、飲み込む。
特殊という語が付けど、いや特殊だからこそ尚更、医者という職業に就いている人はなかなか大変なのだろう。人の命を預かっているため、身体的疲労も心労も絶えない。
「来ませんね……」
「そうですねぇ……」
BJさんは顔を他に移す。「ミカミさん」
呼びかけるも、反応はない。
「ミカミさん」少し、声が大きくなる。それでも、反応はない。
「あのぉー」今度は覗くように顔を下げる。「ミカミさん?」
動作で気づいたのか肩をびくりと上げ、驚く。またも、スタッフの名札が揺れる。
「ど、どうしました?」少し慌て気味。動揺しているようだ。
「すいません、お疲れのところ」だがBJさんは怒ることなく、というか一言謝ってから話を進める。「警備室には、警備員の方が1人は在中しているはずですよね?」
「それは……」俯き、どもる。「すいません、私もつい先日ここに来たばかりでして、実のところあまり詳しくは知らないんですよ」
「そうだったんですね」納得したように、BJさんは頷いた。
「申し訳ございません、お役に立てず……」
「いえ。ミカミさんが悪いわけじゃないので大丈夫ですよ」
BJさんは優しく微笑んだ。それを見て、安心したように「ありがとうございます」と笑顔を返してきた。これが大人の余裕というものだ。
「てことは、故障したのかも」
「故障、ですか?」
「ええ。ボタンが壊れてるから反応がそもそもいかないのかも」
新しくできた……いや、まだオープンさえしてないのに……トホホだな。
「停電だからじゃない?」
私は目を開く。BJさんも。で、同時に真右を向く。そう声を発した、あの少年を見るためだ。
「停電?」首を傾げるBJさん。
「ボタンが故障したんじゃなくて、ここ全体が停電してるから使えないんじゃないの」
少年の言い方はまるで確証があるかのようだった。
「けど、電光パネルは付いてるよ?」
私が指をさすと、少年は「ボタンの下の方、見てみて」と一言。
言われた通り、その下へと視線を滑らせる。“エレベーター内の電気系統は蓄電式なため、停電時でもエレベーター内の電気は一定時間作動し続けます。また、何かしらのトラブルがあった場合、自動的に最寄り階に停止致しますが、蓄電量次第ではその場で停止します”と書かれていた。
「エレベーターの外が全部停電していれば、いくら呼びかけても反応はないってことなんじゃない?」
成る程。エレベーターの中しか電気がないとなると、エレベーターが動かないことも、外との連絡が一向に取れないことも頷ける。
あっ!
「なら、他にエレベーターを使っている人がいても同様に閉じ込められているかも……」
「そういうこと」
推測できていたようだ。であれば、そっちの人が連絡できてるかもしれない。間違いないとは言えないけれど、可能性は広がった。
「頭いいね、ボク」私は笑みを浮かべて、声を掛ける。
「ボクじゃない。オオヤタイチ」
「ああ……ごめんねタイチ君」
少々、可愛げがない。
「にしても、あの書き方はない。不安を煽るだけだし、何より蓄電してる意味がない。ああやって書くぐらいなら、直してから売った方がいいと思うよ」
訂正。可愛げはゼロ。
「だとしても、確認しにはくるんじゃないのか?」
おっと? 左に顔を向ける。
「ええっと……」BJさんの反応で気づいたのか、「ご紹介遅れました」と視線を落とし、青い作業着の胸辺りを引っ張った。
「矢島……さん?」
BJさんがそう発すると、手を離し「どうも」と被っていたつば付き帽子の先を軽くつまみ、続けて隣に置いてある黒いツールバッグの上に乗せた。
「その、確認しにはくるというのは?」
「今日みたいに一般の人が大勢いる時に停電したのなら、調べに来るはずでしょう。エレベーターの中に閉じ込められた人がいるかもしれないと考えてね。なのに、連絡さえない。数十分もです。おかしいでしょ」
「なら、停電じゃないってこと?」タイチ君が眉を寄せる。
「とまでは言わないけど……」青い服の袖を軽くまくると、少しバツの悪そうな顔をして左頬にある傷の付近を掻いた。「ここの外で停電以外の何かが付随……あ、一緒に起きてんのかも」
「うーん……」BJさんは腕を組んで悩み出す。「まだ電波は来てないですよね?」
顔を私の方に。ポケットからスマホを取り出し、画面を付ける。
「ええ」私は頷いてみせた。
BJさんやタイチ君、他の全員、床に座り込んでいた。更に5分が経過。全く変化のない今、汚いだとかどうだとかはもう誰も口にすることはなかった。
「何歳?」
視線を右側に。BJさんは私ではなく、タイチ君に尋ねていた。
「……僕?」少しボーッとしていたタイチ君は浮遊しつつあった意識を体に収め、自分に指を差す。
「うん」
「8歳」
てことは、小2か3かな?
「ここには、誰と来たの?」
「おじいちゃん」
こういう言葉を聞くと心が和む。同時に、可愛げが少しだけ上昇する。やることのない状況だったからか、私はそのやり取りをじっと見ている。
「なら、おじいちゃんっ子なんだね」
BJさんが微笑む。だが反対に、タイチ君はムスッと顔をしかめる。
「別にそういうわけじゃないよ」
照れなのだろうか。
「はぐれたの?」
「ううん」左右に首を振るタイチ君。「自分から、いなくなった」
BJさんの眉が上がる。「なんで?」
「だって、おじいちゃんが勧めてくるのは、綿菓子やキャラクターのかかれたポップコーン、ゲームセンターにある小さなメリーゴーランド……嫌だったんだ、子供扱いされてばかりでさ」
「ちょっと違うよと思うよ」BJさんは口元を緩ませる。
「おじいちゃんは君のことが可愛くて、一緒にいることができてとても嬉しいんだ。だから、ついついそんな風になっちゃうんだよ」
「そんなわけない」首を横に振る。先ほどよりも強く何度も。頑なな否定だった。強い意志を感じる。
「どうしてそう思うの?」
「だって……パパの方のおじいちゃんとだから」
ん?
「お母さんと何かあったの?」
そうだよね、パパの方という言い方的にそういう疑問が出てくるよね。BJさんからの問いに、タイチ君は俯いた。重苦しそうだった。
「あっ、答えたくなかったら無理に答えなくていいから……」
「いたんだ」
今まで抱えてた思いを吐き出すように、せきを切るように少年は声を出す。
「ママがパパじゃない男の人と一緒にいた」
嫌な感じがした。女の直感だ。
「それで、チューしてた」
それって、もしかして……




