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グラニスラ〜アブノーマルな“人工島”〜  作者: 片宮 椋楽
EP3〜籠城ショーケース〜
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第2話 大久保-おおくぼ-⑴

 ……まだ5分。


 腕に巻いた時計を何度見ても、針は早く動かないし、状況に変わりはない。分かってる。けど、見てしまう。私は最近伸ばし始めたロングヘアーの髪を手ぐしで整える。絡まっていた毛が抜けて、グレーのスーツの上に落ちる。


「ミカミさんって言ったっけ? いつまで待たせるわけ?」


 野球帽の男がまた声を上げる。


「今ね、上で人を待たせてんだ。これがなければギリギリ間に合ったのに、遅刻だよ。分かる? ち・こ・くっ」


 こんなのが止まった時からずっと。


「申し訳ありません」


 小柄な体を揺らしながら、必死に謝る。頭を下げるたび、ショートボブの髪と胸元についている“スタッフ ミカミ”と書かれた名札が揺れる。


「もう少しで……」と言いかけるのを、野球帽男は「『もう少し』って、意味分かってんの?」と、嫌味で遮った。


「申し訳ありません」


「それも一緒。他に謝罪はないのかよ?」野球帽は口から唾を飛ばす。


 謝罪のバリエーションなどそんなにないだろう——私は心の中で呟く。こういう人間は文句を言いたいだけなのだ。クレーマーはクレームが言えればいい。そもそも、時間ギリギリに行動してるお前が悪いなどという言葉は焼け石に水。いや、火に油か。


「そもそもさぁ、なんでケータイが繋がんないわけ?」愚痴は止む気配を見せない。「さっきまで普通に使えてたのにさ、おかしくない?」


「はい……」困ったように眉をひそめ、首を軽く傾げた。オレンジと赤の縦のボーダーが、妙に弱々しく見えたのは気のせいではないだろう。


「ったく、オープン前から故障するなんて……先が思いやられるねっ!」


 あんたに心配されるほど、エレベーターだって落ちぶれちゃいないよ。というか、喚くのもいい加減にして欲しい。聞いてるこっちがイライラして……


「なんだよ?」


 ん? 聞こえる声の量が少し変わった。というか、言う矛先が変わった。

 視線を戻す。目が合った。野球帽は座っている私を見ていたのだ。


「なんか文句でもあるのかよ」


 言い方で、声色で、表情で、体の向きで分かる。私に話している。


「いえ」


「いえ、じゃねえだろ」


 この一言で、完全に私がターゲットになっているということを認識した。めんどくさいなぁ……私、スタッフの格好なんてしてないのに……


「俺に文句があるんだろ? あるからそんな態度なんだろ??」


「そうじゃないです」


「だったら、なんでそんな目してんだ」


「別に……してないですよ」


 私は口ごもる。当然だ。だって、文句あるんだから。叫びたいほどに文句を言いたいんだから。どうにか相手が怒らないよう言葉を探すも見つからない。述べるには時間が足りない。少々どころか、とっても。

 でも、考える。なんとかして思いつこうと、思考をフル回転にするため目を瞑る。


「ほら」鬼の首を取ったように、野球帽は腕を体の前で組んだ。「やっぱり文句あるんだろうが」


「いやぁ……」私は首を傾げ、どうにか誤魔化そうとする。が、しかし「いやもクソもあるかっ!」と叫ばれる。


「もし文句があってやってたんなら、アドバイスしてやるよ。目は口ほどにモノ言うんだよっ!」


 もうダメだ、という感情が無くなった。代わりに、嫌悪感が出てきた。それどころか、最大値。しかも、苛立ちは最高潮。額には血管が浮き、頬は引きつる感覚を感じる。


「見てみろ。さっきよりもひどい顔してる」


 アッタマ、来たっ!

 私は、すぐさま立ち上がる。野球帽は勢いに少し驚き、眉を上げた。


「自分の顔が見れるわけねえだろっ! 見せたいなら、鏡の一つでも持ってろや!!」


 そう叫ぶと、野球帽は目を丸くし、口をあんぐりと開放させた。言い返されるとは思ってなかったんだろう。けど、そんなの知らない。知るもんか!


「いいか?」私は一歩前に出る。野球帽は身を引く。


「まだ5分ちょっととはいえ、私たちはエレベーターの中に閉じ込められてるよ」


 私は距離を詰める。野球帽は反比例するように、後退していく。


「嫌だよ? 早く出たいよ? だけど、そんなことをぐだぐだ今文句言っても仕方ねえだろうがっ! 私にだって、これから大事な大事な用があるよ。お前だけじゃないんだよ。んなのに、文句ばっか言って。それにね、私だってエレベーターに閉じ込められたくなんかないんだよ。誰だってそうだ。ここのみんな、閉じ込められたいから乗ってるわけじゃねえんだからな!」


 更に詰める。だが、野球帽は距離を離そうと後ずさりをする。


 私は目線を外さずに男の子に指をさす。


「状況も何も分からずに不安だってのに、そこの小学生の男の子は体育座りして静かに待ってんの。なのに、大人のお前がうだうだうだうだ、うだうだうだうだ、と……」


 野球帽の背はもう壁に着いていた。これ以上は後ろに行けない。


「テメーのよっぽどガキだよ。クソガキだよ!」


 顔を二段階に分けて近づけると、野球帽は膝の力が抜けたように、へたりと座り込んだ。


「分かったら、静かに正座して待ってろ」


 私は見下ろして、忠告する。野球帽は視線をそらしたので、目は合わない。けど、言った通りに正座して「はい……」と頷いた。


「あぁ?」私は耳に手を当てる。「もっと大きな声でぇ」


「はい」


「はっきりとっ」


「はいっ」


 よし。私は手をどける。


「あとな、ダセぇ野球帽被んじゃねえよ。格好良いとか思ってんなら、アドバイスしてやるよ。似合わねえんだよっ!」


 すぐさま帽子を取り、「すいません」と頭を下げた。まるで試合する前の高校球児。


 言ってやったっ!——




「おい」


 私は目を開ける。


「何、目ぇ閉じて黙ってんだよ?」


「いや」


 私は、いつのまにか頭の中で出来上がった《《妄想》》が表に出ぬよう、慌てて消す。


「で? 何であんな目をしてたか決まったか?」


「その……」


 決まったか、ってことは私が言い訳を考えていると完全に決めきってる。

 正直、もうどうでもよくなっていた。頭の中で言いたいことを全部ぶちまけて、ストレス発散はできた。が故に、今は少しボーッとしている。何も思いつかないし、僅かな余韻に浸るために考えたくなかった。


「やっぱり、俺のことっ……」


 そこまで言うと、口をつぐむ。私と野球帽の間に、白衣の男性が来たからだ。


「なんだよ?」


「まずは、落ち着きませんか?」なだめる男性。「無駄に動いて体力を浪費するのも、分け合うべき酸素量を減らしてしまうのも、良くありませんから」


 白衣の男性は、自身の服の裾を掴み、軽く引っ張って続ける。体のラインが軽く浮かぶが、かなり細身だ。


「見た目から分かると思うんですが、僕、医者なんですよ。でね、この状況だからこそ是非知って頂きたいとっておきの情報があるんですけど……話してもよろしいですか?」


「な、なんだ」


 仕方ないという雰囲気を醸し出しているが、聞きたいオーラが隠しきれてない。


「実はですね……」


 白衣の男性は顔を近づける。連れて、野球帽も近づく。


「こういう密閉された空間で叫ぶと突然死のリスクがぐんと上がっちゃうんですよ」


 野球帽の眉が一瞬動く。


「加えて、精神的にも身体的にもストレスがかかるために、そのリスクはもう、ぐんぐんぐんぐん。上昇していきます」


 白衣の男性は顔を引く。


「あくまで仮に、ですよ? 倒れた場合、僕は全力を尽くして助けます。ですが、僕寝不足でしてね。しかも処置に必要なものがないため、最悪……なんてことも」


「足りてないって、そ、それは違うのかよ?」


 野球帽は指をさす。先には、何も書かれていない白い紙袋が2つ。


「ああ、これはフィギュアです」


 白衣の男性は屈み、袋の口を少し開いた。中には、いくつかの箱が並んでいるのが見えた。


「限定版を先行販売するっていうんで、急いで応募したんですよ」


 そういえば、1階のエレベーター前にミリタリーショップと一体化してるフィギュアのお店があったような気が。


「ここだけの話、無理言って手術日移動したんですよ」


 手術日、というとはそういう外科的なことが専門なのだろうか?


 白衣の男性は物を中に戻すと、再び立ち上がった。


「もしそんなことになったら、待たせている人がもっと……いや、永遠に待つことになってしまいます。それはあまりにも悲しいじゃないですか」


 続けて、少し背を起こす。


「乗る時、エレベーターを使っている人を見かけました。僕たちだけではありません。もしかしたら、そちらでは連絡が取れているかもしれません。あるいは、全員の安全を十分に確保するために、外でレスキューを呼んでるのかもしれません。それなのに、僕たちがここで啀み合い争うのはなんか……ね?」


 白衣の男性は私の妄想内のように激昂するのではなく、だからと言って呆れて突き放すわけでもなく、ただ冷静に言葉を並べていった。大人な対応だ。


「そうすれば体力も消耗せず、全員が気持ち良く出ることができる上に、死ぬリスクまで回避できます。一石二鳥、一挙両得。だから、もう少し、もう少しだけ待ってみましょうよ」


 野球帽は白衣の男性から一瞬目を逸らした。それで気づいたのか、それとも気づいたから逸らしたのか分からないけれど、子供や私以外にもここにいる6人から見られていることを知ったらしい。

 すると、野球帽は「……分かったよ」と気まずそうにズケズケと歩き出す。そして、右奥の隅に座り、「動いたら、起こせ」と帽子を目元まで深く被り、腕を組んだ。ふてくされて寝た。誰がどう見ても完全に、ふて寝だ。


「ありがとうございます」私は立ち上がり、白衣の男性に一礼をする。少し音量は小さめで。


「いえ」同じく小さめの音量で返事をすると、「お気になさらないで下さい」と、爽やかな笑みと共に続けた。


「あれで静かにしてくれるなら、安いもんです」


 いびきのような息遣いが聞こえる。白衣の男性は首を90度傾けて、あの野球帽がいる場所を見る。私もひっそり盗み見る。

 乗せた帽子は膨らんだりへこんだりしている。どうやら早くも寝たようだ。怒っていたのは、疲れが溜まっていたからかもしれない。まあ、別に擁護する気などさらさらないけど。


 けど……


 私は少し顔を寄せる。


「さっきの突然死ってもしかして……」


 あれで、という言い回しに妙な違和感を感じた私は思い切って聞いてみた。


「ええ。嘘です」返答はすぐに、そして躊躇なく返ってきた。「多少静かになるかなーって思って即興で作りました。あっ、医者なのは本当ですよ。特殊な、っていうのが頭に付きますけどね」


 にこりと笑ってるけど、そもそも特殊な医者ってなんだ?


「申し遅れました」白衣の男性は背を起こし、襟を整えた。「びーじぇー(・・・・・)と申します」


「え?」


 思わず聞き返した。だって私が聞き間違えたって思ったから。でも、答えは変わらず。


 だから、「DJ?」と尋ねた。てっきり職業かと思った。


「アルファベットのBとJで、BJ」


 聞き間違いじゃなかったみたい……


「本名……ではないですよね?」


 どんな反応をしていいのか分からず、する必要のない変な確認をしてしまった。けど、「ええ。偽名です」と何も気にする素振りもなく、返してきた。


 予想外だったし、まさかこうも堂々と偽名を名乗っていると言うとは思いもしなかった。思わず口が半開きになる。


「正確には、通り名という方がいいかもしれないですね」


「はぁ……」


 なんとなく、下手に踏み入らないほうが得策だと脳裏によぎった。幾分興味はあったけど、私はそれ以上聞くのをやめた。


 今度は私の番。口と声を咳払いで整え、「大久保と言います」と手短に返した。

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