第35話 マッド⑸
「今どこ?」ぼくはハジメ君に電話をかけた。倉庫での乱闘からいつの間にか4日も経っていた。集中していると、時間の流れはとても早く感じるね。
『ポラリス』
「……どこ?」
『だよな。中央区にあるバーだ』
「分かった。じゃあ場所教えて」
『来る気か?』
「うん。ちょっと伝えておきたいことがあってね」
『別にいいが……電話でもよくないか?』
「フェイス・トゥー・フェイスで伝えたいことがあるの」
『分かった』
ぼくはバーの詳しい場所を教えてもらって、電話を切る。
迷わず来れた。別に方向オンチとかそういうわけじゃないけど、なにぶん初めて行くお店。多少迷っちゃったりするんじゃないかなーとか思ってた。
喫茶店とバーなんだから当然だけど、トミーとは外にある立て看板から違っていた。電気が通り、濃紺の背景に黄色い文字で“ポラリス”とある。だけどそれだけじゃない。底の方に斜め下矢印とB1とある。だから、まず指示された通りにそこにある急な螺旋階段を降りていく。手すりから中心の柱までの距離が短い。人とすれ違う時は少し体を避けないと通れない。
下りきると、黒くしっかりとしたドアが待ち構えていた。少し重い扉を開けるとベルが鳴る。同時に、ジャズミュージックが耳に入ってくる。すぐそばにバーカウンターじゃなく、長く伸びた道を経て左手にカウンター、右手にうっすらテーブル席があった。で、ハジメ君はバーカウンターの方に座って、こちらを見ていた。
「こっちだ」ハジメ君が手を上げて振り、居場所を知らせてくれた。
で、ぼくは右側に座る。
「あれ? 禁煙したんじゃなかったっけ?」
ぼくは隣の席に持ってきた紙袋を置く。
「早々に辞めたよ。吸わねえ方が体に毒だって分かったんでな」
「都合のいい解釈だこと」
「言ってろ」
「イラッシャイマセ」
右を見ると、奥から金髪のイケメン外国人がやってきた。で、おしぼりを渡してくれた。寒い冬にはありがたいホカホカのおしぼり。ぼくは冷えた手をじんわり温めるようにゆっくり手を拭いた。
「何ニシマスカ?」
えぇっと、どうしよ……
「ノンアルコールはどんなのがある?」
バーに来てるのに「飲めない」と言えなかったぼくに、ハジメ君は助け舟を出してくれた。
助かった。
「アァ……今メニュー渡シマスネ」とカウンターの下からメニューを取り出してくれた。
見ると、豊富なカクテル名が羅列してあった。だけど、飲めないぼくは勿論、ノンアルコール系のページを探し、どんどんめくっていく。見つけた。最終ページに、ソフトドリンクやノンアルコールカクテルなどが並んでいた。
うぅんと……
名前の下には少し小さめの文字で、中身がどんなもので作られているのか詳しく書かれているため、初心者のぼくでも分かりやすかった。
あっ、これ美味しそ……
「じゃあ、このー……シンデレラで」
「カシコマリマシタ」と、銀の振って混ぜる奴や、テレビとかでよく見る三角の形をしたグラスを用意し始める。
「今日は普段着なんだな」
いつもの紺の作業着を着ているぼくを見てハジメ君が一言。
「そうだよ。今さっきまでこれ作ってたし」
「『これ』?」
ぼくは紙袋に入れていた例のモノを渡す。受け取ったハジメ君は中を見て「ああ、これか」と小刻みに頷きながら反応する。
「倉庫で使ったちゃったからさ、急ぎで作ったんだ」
「悪かったな。急がせちまったみたいで」
「気にしないで」
「ん?」ハジメ君は袋の底を覗き見て、手を突っ込んだ。あっ、気づいたみたいだね。取り出したのは、入れておいたDVD。
「これって前言ってた?」
「うん。“妖怪VSゾンビ”」
「聞いたときにも思ったけどよー作られたのが、日本なのかアメリカなのかよく分からない映画だよな……えぇっと、どこで作られて——モナコ?」
眉をひそめるハジメ君。
「いやいやいや、純粋な気持ちで見てみなって。タイトル負けせずに面白いからさ」
「……分かった。後で見てみる」
「返すのはいつでもいいよ。うちは延滞金0円だし」
「延滞金って——お前ん家はレンタルビデオ屋か」
「マニアックな品揃えには自信があります」誇らしげに胸をドンと叩くと、白いコースターが置かれたのが横目に見えた。
「オ待タセシマシタ」
白いコースターの上に、黄色が綺麗に輝いているノンアルカクテルが目の前に出される。
じゃあ早速、一口——ん!
「美味しっ!」
酸味のあるパイナップルジュースの中に、オレンジジュースとほのかに香るレモンジュースがバランス良くミックスされている。どれも負けていないのに、しつこくない。スッキリしていて、とても飲みやすい。
「アリガトウゴザイマス」グラスを拭きながらにこやかな顔で言うイケメン白人外国人。
「んじゃ、早速聞かせてもらっていいか?」
そうだ。店の雰囲気が良くて、すっかり忘れてた。ぼくはグラスをコースターの上に置く。
「イナクナッタホウガイイ?」手を止め、ハジメ君に訊ねてくる。
「セッシャ、邪魔デショ?」
セッシャとは、また独特な一人称を……
「そんなことないって」
「ソウ……デモ一応、奧ニイッテルネ」
「なんか悪いな、スチュワート」
「別ニイイヨ~」
「そういや、ヤッさんは?」
「店長ハ奧デ休憩中」
話を聞くに、店長イコールヤッさんって人になるのかな?
「呼ンデクル?」
「いや、確認しただけだから。ありがとな」
「ジャア、マタ何カアッタラ言ネ~」そう言って奥にはけていく。いい人だな……
「そういや、電話で言ったのって?」
ハジメ君は丸い大きな氷の入ったウイスキー——というか、こんな見た目のお酒について、ぼくの頭にそれしか浮かばなかったものを一口。
「先月、松中組ってとこが解散したんだけどね」ぼくはハジメ君のほうへ体を傾けて話し始めた。
「ああ、知ってる」
えっ?
「相変わらず流石だね」
「仕事の延長で知っただけ。たまたまだよ」
「ってことはもしかして、銃器や麻薬売買についての匿名リークが関わってたっていうのも……」
「まあな」
……まあいいや。
「じゃあさ」早速本題に行けるし、これはいくら何でも知らないでしょ。
「そのリークは匿名だったんだけど、その背景には今回のジャンピングが関係してるっていうのは?」
「どういうことだ?」
よっしっ!——ぼくは心の中でガッツポーズ。
「松中組って、麻薬以外にも、覚せい剤とかの市場も持っていたみたいなんだ。一度警察を上手く煙に巻いたことがあって、それが買い手に『松中なら捕まらない』という印象を与えてからというもの、次から次に売れていった」
「警察のミスがいい宣伝になったってわけか」
「いえす。だから、ミツヤたちによるジャンピングの売り込みがあっても、わざわざ新種の覚せい剤を手に入れる必要性が松中組にはなかったってわけ。誰も知らない未知のものに下手に手を出したら、捕まるかもしれないからね」
ぼくはまた一口飲む。手についたグラスの水滴をおしぼりで軽く拭き、話を再開する。
「そのことを、手を組んだ——まあ正確には支配下に置いたミツヤから聞いた屋白組は、考えた。純度の高さと品質の良さから一度売れて有名になれば、今までよりも遥かに大規模な取引をできる、ってね」
カランとシンデレラの氷が崩れる。
「だけど、そこに立ちふさがったのが松中組。既に市場をほぼ独占していたのに、それを邪魔されれば、面白くないはず。もしかしたら、潰してくるかもしれない。そこで、売り出す前にむしろこっちから潰してやろうっていう賭けに出たんだ」
「また随分と危険な賭けだな」ハジメ君はグラスを傾ける。
確かにそう。上手くいけば買い手がこっちに回ってくる。けど、バレれば圧倒的不利な組同士の戦争になる。
「まあ、これは憶測だけど、同じ結果になるなら一縷の望みがあるほうに賭けたかったんじゃないかな」と補足説明して続きを話す。「で、賭けの結果は知っての通り、松中組組長を筆頭に大量の組員が逮捕され、解散、という勝利を得た屋白組はジャンピングを使ってどんどん市場拡大していったってわけ」
「でねでね」ぼくは体をさらにハジメ君よりに傾ける。
「そもそものきっかけとなる理由がさっきも話した松中組の匿名リークなんだけど、内容は知ってる?」
「松中組が買収した『ラウンド』という企業を介し、行っていた、か?」
「まあ……そうだね」ぼくは頷きながら返答した。やっぱり知ってたね。
「だが、1つ分からない。屋白組は松中組のフロント企業についていつどうやって知ったんだ?」
あれれ? なんか勘違いしてるみたい。
「ぼくは『屋白組がリークした』とは言ってないよ?」
「じゃあ一体……」
「それについて、ミツヤ君から色々と聞いたんだけど」
「はぁ? なんでそんなことあいつが知ってんだ?」
「なんか弱みを握ろうと画策してたみたいだよ。あの子、ぼくらが思ってたよりもずっと度胸のある切れ者だったみたいだね」
「それで、ミツヤは何を知ってたんだ?」
「屋白組はある人物に『松中組を解散してさせて欲しい』っていう依頼をしていたみたいなんだ」
「まさか……」ハッとした表情になるハジメ君。
「そのまさかなんだよ。今回の事件、そして前回の松中組の裏にいたのは、《《仕立屋》》なんだよ」
全てを聞いたハジメ君は「ハァー……」と深いため息を吐いた。眉間にはしわを寄せ、険しい表情をしながらもどこか納得してるような、点と点が結ばれたような顔を浮かべている。
「このこと、そいつは警察に言ったのか?」
「いや、ミツヤは仕立屋がどんな奴かちゃんと理解してるみたいで、一切言ってないし言わないって。本当、あの子は賢いよ」
「でも、お前には言ったんだな?」
そこはまあ、あの手この手で聞き出したんだ——ってのは自分の口から言うことじゃないから黙っておく。
「まあさ、警察に言ったとしたとしても、人殺しは決してしないのが仕立屋の流儀だから、報復で殺されるようなことは……」
「殺すよ、社会的にな。二度と社会復帰できないぐらいズタボロに抹殺してくる、間違いない」
「いくらなんでもそれは流石に」
「野郎はっ!」と叫びに近い音量で言い放ったハジメ君に驚き、思わずぼくは黙った。いつになく感情が高ぶってる。だけどすぐに落ち着いたのか、張ってた体の緊張を解いてから「絶対やる」と静かに強く続けた。ふと目に入ったハジメ君の手を見る。掌に爪が食い込むくらい強く強く握っている。
ぼくは「……どうする? 試しに屋白組に接触でも」と提案するけど、「無意味だ」と食い気味に返されてしまった。
「野郎は依頼者に顔を見せることは決してない。唯一の接触手段である電話で聞いた声だって、ボイスチェンジャーで加工されたニセモン。突破口はゼロだ。それに、そんな簡単にミスるくらいならとっくに俺が見つけてる」
ハジメ君はグラスを一気に傾ける。まだ割とあったウイスキーはなくなった。少し眉をひそめながら、グラスを置く。氷がカランと音を立てる。
深く息を吐きながらも、目は泳がず俯かず、真っ直ぐ前を見ている。だが、棚に並べられている色鮮やかなリキュールや光輝くグラスではない。もっと先にある真っ暗な闇を見てるんだ。それはどのようなものなのか、ぼくには分からない。それはおそらくぼくだけじゃないだろう。むしろハジメ君と仕立屋以外の誰にも不可侵な、分かりっこないことなのではないかって思う。
「あのさ……」
「ん?」
視線をぼくのほうへ向けたハジメ君に「なんでそんなに仕立屋のことを?」——そう聞きたかった。だけどやめた。おそらくぼくが興味半分で入っちゃいけない闇だって思ったから。
「ぼくからけしかけておいてこんなこと言うのはおかしな話だけど、仕立屋の正体を暴くことに縛られ過ぎちゃダメだからね?」
「……あぁ」ハジメ君は視線をそらし、応えた。
これ以上いてもぼくは迷惑をかけるだけ。それに、ハジメ君なりに1人で考えたいこともあるだろう。
「じゃあぼく帰るね」だからぼくはここら辺でお暇することにした。
「おう」
財布から1万円札を取り出し、バレないようにテーブル手前にそっと置く。そして、席を立ち、出口へ。
「おい、釣りがまだ——」
「いいの、それで」
「……マッド」ため息まじりなハジメ君。流石。どういう意味なのかもう分かったみたい。
「突然お邪魔したからね、これくらいはさ。それに、倉庫で助けてもらった報酬もまだだし」
「そんな水臭いこと——」
すると、ハジメ君のケータイが鳴り出す。誰かは分からないけど、ナイスタイミングっ。
「ケータイもぼくの味方ってことで、じゃね~」無理矢理過ぎる、というか無理しかない粗い理由付けをして、ぼくは足早に店を出る。「ちょっ、マッド!」と呼び止められるが、無視無視。
狭めの螺旋階段を上がり、地上に出る。他のお店のネオンが眩い中、冷たい風が吹いた。
うぅー寒っ……ぼくは腕を組みながら、ウチへ歩みを進める。
帰ったら、新しいメカの製作を始めますかっ! あっいや、その前に依頼されてたのを作んないと……ってあれ?
立ち止まり、振り返る。その人はぼくがさっき登ってきた階段を下りていく。ちらっとだけど赤い頭が見えた。
あれって、もしかして……




