第30話 槇嶋⑶
周りでは再びMarikaやyu–kiの話題で盛り上がっていた。
「また会話が戻ったね」早乙女愛は辺りを見ている。
「そうだな」俺も、机に肘をつき手を頰に当てながら向こうで話してる人達を見る。
突然に、手で隠しても見える大きな欠伸を1つ、早乙女愛はする。
「寝不足?」と声をかけると、「うん、ちょっとね」と欠伸でズレたメガネを整える早乙女愛。
なんか大変そうだな……
ちょうど先月ぐらいから早乙女愛は「家の用」のために1人で先に帰ることが多くなった。人にはそれぞれ事情がある——俺も海陸も詳しくは聞かないが、疲れた表情を浮かべていることもしばしばあった。何かと色々大変なんだろうって思って、「手伝えることあったら言ってな?」と声をかけると、「……うん」とぎこちない笑みを返されたこともあった。
「……なんか平和」ボソリと呟いた早乙女愛に俺に「だな」と答えた。
誰もシザードールの話をしていなかったことで、1つ分かった。噂とか都市伝説とかよりも長く語られるのは、芸能関係のネタであり、そして多く語られるんだ。
それに、噂については昔から——
「人の噂も75日っていうしな」
俺の考えを読み取った声が後ろから聞こえてきた。振り向くと、海陸が「よぉ!」と片手を上げてこちらに向かってきていた。
「おう」
「今日はギリセーフだったね」
早乙女の一言に、海陸は「ギリは余計だよ。十分にセーフだろうが」と野球の審判にように、腕を交差させ、反対横方向に広げた。
海陸は遅刻常習犯だ。この前、どうぶつキャッチのシールをもらった時は珍しく早起きできたみたいで時間通りに来たけど、今日はいつも通りの平常運転。
1日の最初のチャイムが鳴り響き始めると担任が「ほらぁー席着けー」と言いながら教室に入ってくる。
チャイムが鳴り終わる5秒前、海陸は教室の扉を勢い良く開ける。
4秒前、教壇の上に担任の姿を確認し、悔しそうに走り出す。たまに来るのが遅い時があるから、そういう時は「ラッキ〜!」と言いながら悠々に歩く。
3秒前、教室の後ろを走る。今は窓側から3列目の前から1番目が海陸の席だ。つまり、教卓の真正面。そんな席になれば、多少なり警戒心持つはずなんだけど……
2秒前、自分の列左側へ。座ってるクラスメイトを横目に駆け抜けてく。不思議とリレー選手みたいに見えてくるのは何故だろう。前後ろに振られている傘がまるでバトンのようだ。
1秒前、席に到着し、椅子を引く。背負った肩がけバッグなど下ろさない。
0秒になるかならないか、海陸は席に座る。というよりかは、滑り込むといったほうが近いかもしれない。
担任はその一連の動きをじっと見ている。息を荒くしている海陸も座ってから見る。この後の一言が大事になる。
要するにアウトだったら、「御室、後で職員室な」。
セーフだったら、「えー朝の連絡はだなー」。
今日は、早乙女愛の言葉を借りるなら、ギリ後者だった。
本人不在の隣の席に座りながら「今朝のニュース見たか?」と会話を開始する海陸に俺は「強盗のヤツだろ?」と返す。
どのニュースかまだ聞いてなかったけど、おそらくはこれだろう。それに、昨日の今日な話だし。
「まさかあの慌てん坊な警官が窃盗団の一味だったとは……マジでびっくりしたわ」
机と椅子の背もたれに腕を置きながら、物思いにふけるように虚空を見た。
「俺と千華が会った警官もな」
「本物の警官はその窃盗団に監禁されてたんだよね?」
早乙女愛は俺と海陸の顔を交互に見ながら確認してきた。
「らしいな。ったく物騒な窃盗団だよな。だってシザードールまで監禁してたらし——そういや翔、あれから翁坂さんとは連絡取ったのか?」
「したよ。なんか締め切りの関係でもうあまり時間がないから、是非御室君にもだってさ」
「おっ、いいぜ〜」
「もう捕まったんじゃ……」早乙女愛はキョトンとした顔でそう尋ねてくる。
そっか……まだ伝えてなかったか。
「翔が言うには、違うらしいんだよねー」海陸は腕を組む。
「そうなの??」
「見た目とかがね……」
俺がそう続けると、「まあ、あんまり無茶しないでよ?」と早乙女愛は心配そうな顔して見てきた。「気をつけまっす!」反応したのはなぜか海陸。さらになぜか敬礼をしている。
「いや……まあそうだね、2人とも気をつけて」
よーしっ!——「今日こそ突き止めてやる」
心の中で言ったつもりだったんだけど、どうやら声に出てたらしく、海陸に「流石は気になったら三度の飯より、な翔様。いつもながら気合いが入ってますね〜」と茶化された。
「1食ぐらいは食べます〜」
「お前……」ため息つかれた。
「日本人なのに比喩ってものを知らんのかい?」
いや、知ってるし、そういう意味での返答だったんだけど……言葉の行き違いが発生。
「素晴らしい表現方法だぞ? お前は日本古来かつ独自の美を——」
「いや、別に日本人じゃなくても比喩はあるでしょ?」
海陸の主張はあっけなく、早乙女愛に反論・否定された。
「えっ……」目を見開いて驚いてる海陸。
「じゃ、じゃあ、例えばなんだ?」
動揺からか、しどろもどろになってる。
「シンプルなのだと、前置詞のLikeとか?」
「……あっ、あーああああ。前置詞のLikeね〜」
相槌をうっている海陸。セリフは完全に棒読み。
「お前……ホントに分かってる?」
知らなかった感の滲み出てる海陸に訊いてみた。というか追い込んでみた。
「分かってますぅ〜。ア、アレだろ? あのー……湖って意味の——」
「「えっ?」」俺と早乙女愛。「……えっ?」これは海陸。顔は無表情。おそらく俺も千華も同じような表情をしているのだろう。
静かだ。この3人のうち誰1人として何も発しない。ただ時間経過とともに、海陸の表情がどんどん雲っていった。
「そういえば、翔」何事もなかったかのように俺は早乙女愛に話しかけられた。視線も体もこっちを向いている。
「なんで反応なしっ!?」戸惑う海陸。
「何?」俺も体ごと早乙女愛のほうに。
「無視はやめて! それだけはやめてよっ! ねえ!!」
椅子を馬のように足を床にぶつけながら、近づいてくる。
「今の俺は死ぬたくなるほど恥ずかしいんですよぉ? だからね、無視してこれ以上精神を追い込まないでくださいっ!!」
「結局この前どこもご飯行けなかったからさ——」非情にも話を続ける早乙女愛。
「分かった! バカでいい。俺がバカでいいからせめて答えをぉ……答えを教えてくだ——」
チャイムが鳴る。授業開始の合図だ。同時に教科担当の先生も扉を開けた。
「このタイミングでかよ、チクショー!」
海陸は駆け足で自分の席へと帰っていく。
その姿はまるで、喧嘩に負けて「覚えてろよ」と言いながら走り去っていく、それそのもの。「いや、もう来ないでしょ?」と言いたくなる、それそのもの。
えぇっと2限は……現代文か。




