第21話 探偵⑶
青ネクタイ君と赤ネクタイ君の2人と別れ、大通りに出た。路地裏の明るさに慣れていたからか、陽の光がもろ差し込んでいることに思わず目を細める。
眩しい赤い光——気づけばもう夕方だ。
とりあえず、俺はあの店に行くことにした。可能性は低いが、念のため。
あと、息抜きをしたかった。色んなことが波のように押し寄せ、流石の俺もちょっと疲れたし、飲んで今の行き詰まりにリセットをしたかった。
そのついでに——俺は名刺を取り出す。あとケータイも。
「もしも——」
『見つかりましたか!?』
突然の大声に俺は思わず耳からケータイを離す。耳がキーンとする。意識をしっかりさせるため頭を小さく振り、耳につけ「まだです……」と一言。
『そうですか……』分かりやすく声のトーンが下がる岸和田さん。
「よく俺だって分かりましたね?」
『ポケットティッシュの番号を登録しておいたんです。いつ電話が来ても優先的に出られるように』
「成る程」それはなんともありがたい話だ。
『それでどうかしましたか?』
あぁ……
「あれから、何か分かりましたか?」
『いやぁーこれといって特には……』
「何でも構いません。少し気になったことでも」
手がかりらしきものがあれば、それでよかった。
『気になったこと……そういえば、マジマが牢屋で読んでいた小説があるんですがね、ところどころ折り目がついてるんですよ』
「折り目?」
『はい。それに、鉛筆でなぞったような跡もあって……これって変じゃありませんか?』
「……世の中にはそうやって本を読む人は沢山いると思いますよ? 勉強も兼ねて的な」
『そうですきゃ——そうですかね?』
「少しお休みになったらどうです?」ろれつが回っていないことからして、疲れているのは明らかだ。
悪い人ではなさそうだし、責任感も人一倍ありそうな人だった。おそらく脱獄されてからほとんど寝てないだろう。事件を依頼するのにプライドを捨てて土下座するほど追い詰められてるんだから、もしかしたら一睡も……なんて可能性だって否定できない。
『いや、大丈夫です。それに、何かしてるほうが精神的に楽——』
バタンッ
何かが倒れる音が聞こえた。何が倒れたのかはすぐ分かった。『大丈夫ですか、所長!』の声で。
限界を超えていたのだろう。本人に取って、精神的には楽かもしれないが、身体的には酷だった。向こうからはもうドタバタと人が駆ける音と、『おい、担架持ってこいっ!』と数人の刑務官たちが走り回って叫ぶ声しか聞こえなくなった。
会話不能っと——俺は電話を切り、歩くスピードを上げた。
着いた。俺は扉を開ける。
カランコロン——久々だけど、変わらない音だ。その音に、カウンター下から顔を出てくる。
「おぉ!」にこやかな笑顔を浮かべる。相変わらず優しい笑みだ。
「久しぶり、マスター」
俺はいつも座っている、一番端の席へ。
「いつもの、だよね?」
「よろしく」
「あいよ」と、コーヒーを作り始めるマスター。いつも通り、コーヒーミルを出し、豆を中に小さな専用スプーンで入れる。
「今日は仕事?」マスターはコーヒーミルを回し、挽き始める。
「あぁーそれなんだけどさ、今ちょっといいか?」
「何だい?」
俺はコートの内ポケットから写真を取り出し、「この男が店に来たりしてないか?」と見せる。
マスターは手を一旦止めて、写真を手に取り、そばへ持ってくる。老眼なのか、少し写真を離してしばらくじっと見る。
「来てない……と思うよ」
「そうか……ありがと」
マスターから写真を受け取る。
マスターの記憶力はピカイチだ。今まで一度しか来たことのない客が1年後に来ても「いつ何時の」と言えるレベルだ。つまり、来ていないのは間違いない、と言っても過言じゃない。
ここでも空振りか……俺は写真をもう一度見る。
マジマシンヤ、お前は今一体どこに……
「今回は、人探しかい?」
俺は顔を上げ、「まあな……」と強張った顔をほぐしながら答える。
「そう」
マスターはそれ以上、何も聞いてこなかった。別に無口だからではない。むしろおしゃべりは好きなはず。長い付き合いだ。俺の返答のニュアンスから察してくれたのだろう。ホント、マスターは気遣いのできる人間だ。
コートが震えだす。もしかして……えっもう復活?
「もしもし?」
『先輩?』
「なんだお前かー」違った。田荘だ。
『なんか……ゴメンなさい』
「で、どうした?」
『実は……ですね、あのー』
電話の向こうが騒がしい。それに、なーんか嫌な予感すんなぁー……
『橋の封鎖をー解くことになりました……』
早速当たりかよ。
『物流もの滞りが酷く、これ以上は無理だと上に連絡があったそうで。勿論、引き続き強化はしていきます。でも……』
島から逃げられる確率は格段に上がる。もし海外にでも逃げられたら、逮捕など不可能。絶望的。夢のまた夢。
「リミットはいつだ?」
『今日の21時です』
腕を少し突き上げ、コートから顔を出した腕時計を見る。今は、約17時——つまり、あと4時間。なのに、今のとこ手がかりなし。ちょっとヤベーな……
『お願いします! マジマを見つけてください!』
またしても騒がしい音が聞こえる。これってもしかして……そういうことか——だからあんなに……
「なぁ、田荘」
『はい?』
「確かに刑務所からの脱走は大事だ。警官が街で捜索してるのも分かる。だが、それにしても数が多過ぎやしねえか?」
今までの間に、2人1組の捜査官があっちこっち険しい顔してギョロギョロしていたのだ。通りによっては数百メートル間隔。明らかにこれは異常。
「混乱を避けるため公表していないんだとしたら、もう少し人員を減らすはずだろ? あんなにいたら何かあったってバレバレだ」
田荘は何も喋らない。ただ俺の話に耳をすませていた。てことで遠慮なく俺も話を続ける。
「それに、後ろの音が聞こえたぞ〜随分と大規模な帳場(=捜査本部)が立ってんだなー」
田荘の後ろで、カタカタとパソコンを打つ音やら話し声が聞こえるのだ。それに、数十人の話し声も。十中八九、捜査員だろう。
「マジマは——ただの窃盗犯じゃねぇんだろ?」
『……』
「正直に言え」ドスの聞いた声で脅しをかけると、田荘は音を立てて唾を飲み込んだ。
『……はい』
ったく!——
「何で言わなかった!? そういうのは教えろって前から言ってんだろ?」
『すいません……』
怒鳴り過ぎた。マスターが驚いてこちらを見ている。凍った空気を溶かすため、咳払いを1つ。
「で? マジマは一体何者なんだ?」
『ジャック・エヴァー、という窃盗団はご存知ですか?』
「いや」
『盗むのが金のみで、宝石に目をくれないことから別名、ゲンキン窃盗団とも呼ばれてます。げんかいの限に、かねで、限金』
限金窃盗団——
『以前は人に危害を加えず、ただ金を盗んでいく6人組の窃盗団でした。けど、金庫破りが得意なリーダーに代わってからというもの、銃を脅しに使うようになるなど、かなり過激な5人組グループに変わったんです』
『で、そのリーダってのが……』田荘が言い終える前に気づいた。
「マジマ、ってわけか」
『はい。なので、人員を割いて、捜索に当たってるんです』
これで、田荘や岸和田さんの言動、そして、人員の多さの説明はついた。そんでもって、窃盗団ってことは……
「今手がかりがない状態なんだ。だから少しでも得るために、今すぐ他のメンバーに会って話がしたい。今すぐ手配できるか?」
『ええっと……』歯切れの悪い相づちが返ってくる。
『実はですね、刑務所に——』
まさか——「いないのか?」
『……はい』
「マジマと一緒に?」
『いや、そもそも捕まっていないんですよ』
何?
「でもさっき、窃盗中に捕まったって言ったろ?」
『マジマだけ運良く捕まえることができた、って次第で』
だけ——新たな疑惑が浮上してきた。
「てことは、マジマの脱走を手助けした可能性は——」
『充分に』
俺は大きなため息をつく。わざと聞こえるように。
『すいません。隠すつもりはなかったんです。ただそれら諸々が把握できてなかったので、確定してから伝えようと。変に情報を流して撹乱させてしまうのは迷惑かと思ったんで……』
マジマが窃盗団のリーダーだってことは確定してんだろうが——と言いたかったが、これ以上喧嘩しても前には進まない。
「……今度は頼むぞ」
『はいっ』
突然、ケータイが震え出す。ディスプレイを見て、また耳につける。
「すまん、キャッチ入った。確認だが、今日の21時までなんだよな?」
『そうです』
「ったく……報酬はずめよ」
『はい!』
俺は電話を切る。
で、待たせてた相手のほうに切り替える。同時に、邪魔にならぬようにそっと置いてくれるマスター。目の前に置かれたコーヒーからは湯気が上がっている。
「ありがと」俺の一言にマスターは片手を上げる。無言なのは、話の邪魔にならないようにだろう。
「もしもし?」
『あっイッちゃん?』相手はBJ。
「どうだった? 例のものはあったか?」
『いや……でもイベントはなんとかなった』
「おぉーそりゃ、よかった」
『でも返さなきゃ違約金とられちゃうみたいで、今も引き続き捜索中。そしたらね、さっきあるバイトの子が頭を見た時間を思い出して、範囲が結構狭まったんだ。それ以降を調べてみたら、なんとこれがヒット。ザ・怪しい男がスタッフルームに入ってったのが映ってた』
カチカチとパソコンのマウスをいじるような音が聞こえる。
『ちょうどその時に見回りしてたお巡りさんが来てたみたいで、犯人はその隙を狙ったみたい。それから、スタッフが入るまで一度も映っていないから、おそらく裏口から逃げたんだと思う。ま、ラビリンスに繋がってる絶好の逃げ道なんだから、普通はそうなんだけど』
警官が来た隙に——だとしたら、しばらく機会を伺ってたことになる。なぜそこまでして、うさぎの頭を……
『とりあえず見てもらって、イッちゃんの推理を聞きたいんだけど、今どこ?』
「トミー」
『あー遠いねー……あぁそっか。ゴメンね、仕事で忙しいのに厚かましく電話して……』
「気にするこったねーよ」
『そういえば、あの写真の男だけど——』
「いたか?」
『いや、今のところカメラには映ってない』
「そうか……」
まあ、そんな予感はしてた。逃亡の身なのに、警官がうようよいる中央区のパチ屋に来てる方がどうかしてる。
『でもまだ映像は見続けてるから、何か分かったらまた連絡する』
「頼む。そうだ、BJ。さっき言ってた部分の動画をケータイに送ったりは?」
『えっ、いいの?』
「お前には何かと世話になってるからな。不鮮明にはなるだろうけど、全く見ないよりはマシだ」
『分かった。ちょっとやってみる。イッちゃん、ありがと!』
そう言ってBJは電話を切った。
ふぅー……
一息ついてから、コーヒーを一口。少しぬるくなってる。本当はあったかい間に飲みたかった。
「交換しようか?」コーヒーカップを磨いているマスター。
「もったいないしこのままで大丈夫だよ」
笑みを浮かべるマスター。
「そう言ってもらえて、そのコーヒーも喜んでると思うよ」
カランコロン——入口の扉のベルが鳴った。
「おっ、いたいた」
聞き覚えがある声。
見ると、そこには「久しぶりだな、探偵」と笑みを浮かべているあいつが。
お返しの意味で、俺も笑みを浮かべた。
「だな、便利屋」




