第18話 便利屋⑷
「……違うな」
取って、開いて、見終えて、戻す——もう1時間以上、この作業を繰り返している。辟易するほど何度も。だが、一向に見つからない。松中の松どころか、松のまの字でさえも。
何故か?
理由その1——ファイルの数がやたら多い。部屋を囲むように棚が置かれていて、分厚いA4のファイルが上から下まで縦横びっしりと入っている。どちらかというと敷き詰められているといった方がいいかもしれない。その量は、部屋の明かりをつけた瞬間に、誰でも見たら眉をひそめる。正確な数は数えていないが、数百冊はあるだろう。
理由その2——名簿の順番がしっちゃかめっちゃか。“ほ”の組が来たと思って次のページをめくると、“き”の組になったり“み”の組になったりするのだ。
「患者名順でも組名順でもないってことはもしかして……診察に来た順か?」
俺は最高段にあるファイルを手に取る。「ですかね」依頼主はページをめくりながら返答する。
背表紙を開く。違う。ページをめくる。
「こんな状態で、再診する時とか分かんのかよ……」
「本人は分かるとかじゃないですか? はたから見たら汚いように見えるけど本人はどこに何があるかちゃんと把握してるから、むしろ下手に掃除されると困る、って」
違う——違う。ページをめくる。
「まあ人に見せる用にファイリングしてないわけだからな」
違う——違う。ページをめくる。
「さっき話してた『用意する』って……フィギュアの事ですよね?」
「なんだ、聞いてたのか?」
違う……違う。ページをめくる。
「えぇ、まあ」依頼主はファイルを戻し、最低段にあるファイルを手に取る。
「それでですね、その……お金は俺に払わせて下さい」
違……あ?
「別に気ぃ遣う必要はねえよ」俺は断り、再開。これも……これも違う。ページをめくる。
「いや、それくらい俺に払わせてください」
「いらん」
「払いたいんです」
「……なんで?」手を止めずに訊ねる。
「だって、俺……何にもできてなくて。それどころか、俺のせいでヤクザに喧嘩を売らせてしまうようなことを……」
ハァ……
「喧嘩売ってきたのはあっちからだ。それに俺は、売られた喧嘩は相手がどんなヤツだろうが片っ端から買う主義なんだ」
違う……違う。ページをめくる。
「つまり、お前のせいじゃない。だから、気にすんな」
「だとしても、お願いします」
あぁ!
「しつけーなっ、分かったよ。じゃあ……俺が9で、お前は1な」
「い、嫌です」
嫌です、って——ページをめくる。
「じゃあ何ならいいんだ?」
「俺が9です」依頼主ははっきりとそう言った。てことは、俺が1ってことかよ。
「それじゃ、ボランティアでやってる意味がねぇだろ。俺が8」
「いや、ボランティアは依頼だけのはずでしょ。そこは0でも、ここは必要経費です。そういうのは俺が払うべきなんです。だから俺が8」
ハァーっ——俺は顔を上げる。
「俺はな、必要経費込み込みでボランティアしてんだ。好意に甘えたとしても、せめて俺が多くなきゃダメだ。だから俺が7」
「好意に甘えないのは見ようによっては失礼なことです。だから俺が7」
「収入源ないんだから遠慮すんな。俺が6」
「それは便利屋さんも同じでしょ? 俺が6」
「俺はアパートの大家やってんだ。だから収入はある。俺が6っ」
「でもっ……」
「だったら、折半っ! それ以上はゼッテー譲らねぇ!」
部屋中に響く俺の声。
「……じゃあそれで」
「よしっ!」
っしゃ、勝った! 視線を手元に戻し、いつの間にか止まっていた作業を再開する。
マズい……早く見つけなけないと。BJが帰ってきてしまったら、意味がない。
最後のページ——違う。これじゃない。戻して、次のを手に取る。
時計を見ると、さらに30分が経っていた。
本当にここに来てるのか?——あまりにも見つからないため、BJを疑い始めている。これほど探しても、まだ1人も見つからないなんてことあるか?
全く……ツイてないにもほどがあるぞ。
「1ついいですか?」
またか……
俺はため息をついてから、「折半って言ったろ?」と語気を強める。
「いやそれじゃなくて……その……いつも、こんな感じなんですか?」
「こんな感じ?」
「危ない目にあったりとかヤクザと色々あったりとか、そういうのです」
「ヤクザとやりあうのはそうあることじゃないが、危ない目にはよくあう」
「よく、ですか?」
「この街——ってかこの島は金持ちが気まぐれで造った気まぐれな島だ。ただでさえ普通じゃ起きないようなこと起きてんのに、こんなことしてればそりゃ当然多くぶち当たる」
「じゃあ、何でタダなんですか?」
一瞬手が止まる。が、すぐにページをめくる動作に戻る。
「何でそんなことを?」
「いやそのー、危ない目にあって大怪我とかもしかしたら死んじゃう、なんてこともあるかもしれないわけでしょ? だから……あっすいません、気を悪くしますよね、死ぬとか言ったら。その、言葉のあやでして……すいません、忘れてください」
「別に気を悪くなんかしてない。まあ、色々あったんだ」
「そうですか……」なんとなく察したのか、依頼主はそれ以上は聞いてこなかった。
「あった」
残り5つのところで発見。確かに、松中組と書かれていた。
名前は——溝口。そういや、トクダがこんなことを……そうだ。確か若頭の名前がこんな感じのだったはず。でもまさか、ナンバー2のがここにあるとはな。
幸運にも顔写真がカルテの右上に貼付されていた。他のヤツのカルテには貼られていない事から察するに、診察のために必要だったのであろう。
てか、あいつ歯科もやってんのかよ……こうやってあるってことはちゃんとできんだろうけど、だからってあれこれ手ェ出し過ぎじゃねぇか?
「見せてもらっていいですか?」
いつの間にか、依頼主がファイルの前にやってきていた。ファイルを渡すと依頼主は「えっ?」と目が丸くさせ、口をポケーと開いた。
「これって……」
何か心当たりのあるような表情をしている。
フッ——ようやく俺たちにも運が向いてきたようだな。




