第17話 小田切⑶
う、うぅ……
意識が朦朧としてる。それに、頭がズキズキと痛む。
「結局、間に合ってないじゃん!!」
声が聞こえる——
「てっぺんまでには終わると思ったんだよ」
喧嘩……しているみたいだな——
「取り置き、今日までだったんだよぉ!? ここ1週間手術やらなんやらで行けなくて、ようやくと思ったらいきなりドア蹴破って入ってきてさ、しかも土足でズカズカと。そんで、開口一番に『すぐに診てくれ』だもん! あーあ! これで、予約してた円盤はパーっ! 初回封入特典の限定フィギュアはもう二度と手に入んないっ!!」
「そんなにいじけんなって。代わりに好きなの用意してやるから」
「……好きなもの?」
「あぁ、好きなもんだ」
目を開こうとするも、まぶたが重くて開かない。
「じゃあじゃあじゃあ、世界に限定10体しかない超ぉー絶レアの『千界戦士ミュートリア』、葛木ミヨンちゃんのラスト・トランスフォームバージョン20分の1スケールフィギュア、でもいいっていうの?」
「用意してやるよ、その……なんとかってやつを」
なんか約束してる……
「ホント?」
「男に二言はない。後で紙かなんかに書いとけ」
「言ったね? 『用意してやる』って。
聞いたからね? 『用意してやる』って。
ずっと覚えてるからね!? 『用意してやる』って!!」
ようやく目を開けることができた。まず見えたのは明かり。眩しくて、思わず細めに。白い天井も見えるから室内であることは確か。俺……確か家に帰って、扉開けたら——
「起きたか」右から声が聞こえ、そちらを向く。でも見えるのは、膝から下だけ。その人はガラガラと病院とかにある回転式の丸い椅子を持ってきて、座った。
「大丈夫か?」
「便利屋……さん?」
「ああ」便利屋さんの表情は硬いけど口角だけ少し上がっている。知っている人の顔を見れてなんか安心する。
意識がだんだんはっきりとしてきた。
「あの……ここは、一体?」
「病院だ」
「病院?」
辺りを見回す。確かに設備は病院などにあるものばかり。医療用品や薬品が並べられた白い棚、診察用の白い机、その上にある聴診器やパソコン、消毒液、レントゲンとか見る時とかに使う後ろが光る板、白一色のベッド……
だけど、さっき見た右手の方向から、左に視線をずらすと観葉植物や一般家庭にあるリビングテーブルとチェア、左手奥にはキッチンがある。そして、今俺が寝ているのも茶色の高そうなソファだ。寝心地は抜群。広さからも考えて、明らかにどこかの高級マンションの一室だ。
「とは言っても美人ナースとかはいないからね〜」
声が聞こえる。さっき便利屋さんと言い争っていたのと同じ声だ。キッチンの下から白衣を着た男の人が出てきた。白と黒が綺麗に分かれた、漫画やアニメで見たことがある特徴的な髪をしており、その手にはお茶のケースが。
「いや別にそういうことじゃ……」
「ま、まさか筋肉隆々のゴツイ男ナースのほうが……」
「そういうのでもないです」
すると、お湯が沸騰する音が聞こえ、その男性は「おっとっと」と慌てながら、ピピピとボタンを押して火を止め、やかんを手に取る。
「あっそうだ。まだ自己紹介してなかったね」
一旦やかんを置き、こちらに近づいてきた。
「初めまして。僕は、BJって言います。この島で闇医者してます。以後お見知り置きを」
上半身を起こし、「どうも小田切です」と俺も自己紹介をする。
ていうか、闇医者? なんかますます、映画っぽい人が出て——そういえば……
慌てて腕を触る。どこに注射を打たれたんだっけ? どこに——
「安心しな。ただの睡眠導入剤だと。連れ去る時に静かなほうが運びやすいように打ったんだろうよ」
「ホント、ですか?」
「あぁ。BJの腕は確かだ。信用していい」
「お褒めの言葉、どうもありがと」
それから、便利屋さんは情報屋からもらった情報も含めて、俺に様々なことを話してくれた。
ラウンドでは俺と同じ境遇の人が数名いたということ。ラウンドにはヤクザとつながっているかもしれないという黒い噂があるということ。今回俺を誘拐したのは、松中組という過激なヤクザであること——
「まさか、俺を誘拐したのがヤクザだったなんて……」
「確認だが、松中とは個人的な関係はないんだよな?」
「はい、そういうのは一切」
「ってことはやっぱりラウンド絡みってことか……」便利屋さんは少し視線を落とし、考え込む。
「俺が帰ってくるまで家の前で見張ってたんですかね?」
帰宅時間など誰にも言っていないし、そもそも分かるはずない。
「それもあるが、どっかからか尾けられていた可能性も否定できないな」
「そんな……いつから?」
「トミーにいる時や駅前にいる時はそんな気配感じなかったから、少なくとも俺と別れた後からだろうな。心当たりは?」
別れた後だから……あっ、もしかしたら居酒屋の時に——
「トミー?」見ると、すぐそばにお盆にマグカップを2つ置いたBJさんが立っていた。湯気がもくもく上がっている。
「トミーってあのトミーだよね? はいどうぞ〜」と便利屋への話ついでに俺は赤いマグカップを渡される。「あっすいません」軽く会釈し受け取る。香りと色合いからしてハーブティーか何かだろうか。
「最近行けてないんだよね〜ねえねえ? マスター元気にしてる?」とBJさんは便利屋さんにも青いのを渡す。「相変わらずだよ」受け取る便利屋さん。
「小田切さんも行きましたトミー? あそこのコーヒーは抜群に美味いから、家で飲む気が失せて——」
「後にしてくれるか? 今、大事な話してんだ」
便利屋さんに遮られたことに対し、BJさんはムスッとした顔をしてから「べぇ〜だ、元気なら良かったですぅー今度行きますぅー」と捨てるように言うと、奥のキッチンへ戻っていった。まるで手を焼く子供の母親がするようなため息をつく便利屋さん。
……なんか、自由な人だな。
便利屋さんは再び俺の方へ体を向けると、「今あいつ不機嫌になると面倒くさくなるんだ。普段はもうちょい落ち着いてるんだが……まあ、無視しててくれ」と一言。
「はぁ……」
「それでだ」便利屋さんは膝に腕を置き、前かがみになる。
「これはさっき分かったことなんだがな……」
『大丈夫でした?』
「ああ。なんとかな」
『なら、よかったです。で、松中組について分かったことが』
「俺がよく調べてくれって言うと思ったな」
『状況的に間違いないですし、それに何年一緒にやってると思ってるんですか?』
「フッ……で、何が分かった?」
『龍神さんは松中組についてどれくらい知ってますか?』
「国内外の非合法団体にハジキ売って儲けてるとか、それ程度だな。新興勢力だし、あんま詳しくは知らん」
『問題ないです。では、少し端折りますね。松中は最近、ヤク(=麻薬)にも手を出したらしいんです。その情報を掴んだ警察は3ヶ月前、組事務所を家宅捜索したんです。ですが、事務所にはヤクやチャカどころか、取引によって得たはずの金さえ無かったんです。おかしくないですか? いくら相手がヤクザだろうが警察だって何の確証もないまま、家宅捜索なんてしません。それなりに時間をかけて調べ、捜索するに値する根拠があったから、踏み込んだはずなんです』
「なのに何も出なかった……」
『はい』
「なぁ、トクダ」
『はい?』
「ラウンドはもしかして——」
「フロント企業?」
聞いたことはあるけど、よくは分からない。
「簡単に言うと、表向き一般企業だって詐ってヤクザが金稼ぐために設立する会社のことだ。今回で言ったら、ラウンドが松中のフロント企業ってことになる」
「へぇー」初めて知った。
「ヤクやハジキをラウンドに隠していたから——そう考えると何も出なかったことにも納得がいく。トクダも知りえてない情報だ。警察だって把握してないはずだ」
それを調べているってことは——
「つまり、それと俺がクビになったことには何か関係があるってことなんですか?」
「かもしれん。だが今のとこ、はっきりとはまだ、ってのが正直なとこだな」
便利屋さんは足を組む。
そっか……まだ依頼して1日——どころか12時間も経ってはいないから分からないのが当たり前だ。なのに俺は、ヤクザに襲われた。
そう思うと急に、いつ踏み外すか分からない真っ暗な山道を歩いているような、そんな不安感や恐怖感が襲ってきた。駅前で教えなかったのは、もしかすると未確定なこと言ってこんな気持ちにさせないようにという、便利屋さんなりの配慮だったのかもしれない。
「だけどな、フロント企業だとしたら説明できないことが1つある」
「どんな?」
俺は自然と前のめりになっていた。真実への探究心がそうさせている。
「松中は数年前に立ち上げたばかりで、まだ日が浅い。だが、ラウンドが出来たのは、20年も前なんだ。普通は逆だ。組が出来てからフロント企業を作る」
便利屋さんは足を組み替えす。
「もちろん、会社を先に作ってある程度基盤を築いてから、組を作るってことは0じゃないかもしれんが、20年近く経ってからってのは考えにくい。そんなことするくらいなら、組作った方が遥かに効率的だ。ま、その辺は調べていきゃいずれ分かってくる。おそらく証拠も何かしら残ってんだろうし」
「その証拠、ってどんな?」
「大抵のフロント企業は、幹部に組員を数人入れてる。時には全員が組員だったりもする。何かあった時、早急に手が打てるからな」
「その幹部が誰かっていうのは分からないんですか?」
「分からない?」
『はい。龍神さんがさっきおっしゃっていた通り、松中はまだ新参。そこまで情報が集まってきてないんです。しかもかなり注意深い。だからこそ、最近までそんなに頭角を現してこず、警察もそこまでマークしてなかった。正直な所、はっきりと分かってることは組長や若頭の名前が松中と溝口ってことぐらいしかないんです』
「それじゃ、手詰まりってことですか……」俺は溜息が思わず出てくる。
「いやそういうわけでもない」
えっ?
「ここはな腕がいいことで有名で、色んな組のヤクザが来てる」
「もしかして……」俺は思わず便利屋さんに顔を近づける。
「カルテを見せてもらう」
「でも、そんなのあるんですかね?」
そういう人たちだ。まさに今みたいに、何かあった時身元が割れてしまうようなものを作るのだろうか。
「そんなの訊いてみりゃいい」
「どうなんだ?」俺を見ながら声のボリュームを大きくする。
はっ?……あっ。顔をずらし、便利屋さんの後方を見ると、BJさんが背中を丸めたまま、固まっていた。すぐ目の前に扉があるから、おそらくここからこっそり出ようとしていたのだろう。
椅子ごと一回転する便利屋さん。
「松中組のカルテはあるのか?」
BJさんは深くため息をつき、虚空を見てから「あるよ……ある」と言う。声のトーンがさっきと異なり、低い。
「けど、ダメだよ。いくらリュウちゃんといえど、見せることはできない」BJさんは首を横に振る。
「少しだけでいいんだ。少しだけ——」
「ダメったらダメッ!」便利屋さんの言葉を遮り、振り返りながら声を荒げるBJさん。便利屋さんと目を合わせ、眉間にしわを寄せ、ドンと構えているその姿はおちゃらけてたさっきとは全く違う。
今日、というか今さっき会ったばかりだけど、直感的に思った——この人は本当に裏社会の人間を相手にしてきている。じゃなきゃ、便利屋さんとこんなに長く目線をそらさないなんてことない。だって、便利屋さんからは十二分に伝わる誰も近寄らせない、喋らせない圧倒的な気迫がひしひしと伝わるのだ。背を向けていてこれだ。真正面ならなおさら。
「僕たち闇医者にとって、大事になってくるのは信頼なんだ。顧客情報を見せるというのはその信頼を大きく損ねる行為。それが外に漏れた途端、患者なんて誰も来なくなる。1人もね。もしかしたら、それだけじゃ済まないかもしれない」
それって……
「お前の言ってることは分かる」便利屋さんは床にマグカップを置いて立ち上がり、BJさんに近づいていく。
「信頼を大事にしてるのも。仕事に誇りを持ってるのも分かる。だけど、お前言ってたろ? こいつに入れられてたのは普通の量じゃないって。もしかしたら、危ないかもって」
えっ——まさかのタイミングで明かされる予想外の事実。
俺……死ぬとこだったんだ……
衝撃を受ける反面、何時間も経っていたのはそういうことだったのかと納得できた部分もあった。
便利屋さんはBJさんの前に立つ。
「今回は早めに見つかってここに来れたから助かった。だが、このままいけば今度こそコイツは殺されるかもしれない。ヤクザ同士の抗争でもなんでもなく、お前の助けた一般人が死ぬんだぞ? お前の誇りが……どんな身分の誰であろうが助けるっていうお前のポリシーが殺されるんだぞ?」
BJさんは便利屋さんの言葉に、口元を締め、俯く。
「何か危険な目にあったら必ず俺がお前を助ける。何があってもだ。だから……頼む」
便利屋さんは頭を下げる。両手を太もも横に置き、90度の角度で。
「お、俺からもお願いしますっ!」
馬鹿みたいにボーッとただ座っていた俺も慌てて立ち上がり、同じように頭を下げる。今の俺にはこれしかできない。だったら、それを精一杯しなければ。
沈黙が流れる。深夜だから外からの音は何一つ聞こえず、文字どおり無音状態。
「……だとしても、僕から見せることはできないよ」
ダメか……
すると、BJさんは突然どこかに右手の方へ歩き出した。立ち止まったのは、医療用品の入った白い棚の前。そして、下を向き大きくため息を吐いてからおもむろに開けた。
「あっ、消毒液と包帯が終わりそうだなー」急に声のトーンが元に戻る。アンド何故か棒読み。
「まだ全然足りそうだけど、さっきみたいに急患が入ってきたりしたら、使い切っちゃうかもしれないなーそしたらマズいしなー」
な、なんだ?
「いつどうなるか分っからない……ので、買いに行ってきます」
「だからさ——」BJさんは診察台の下にあったカバンを手に取りながら
「留守番お願いね、リュウちゃん」と便利屋さんに向かってさっきまでいた扉の前に移動しながら伝えた。
「あっそうだそうだ」BJさんは振り返る。
「さっき松中組のカルテがどうたらこうたらって言ってたから忠告しておくけど、僕がいない間に“作業部屋”って書かれた部屋の棚にある青いファイルを見るなんてことしちゃダメだからね! それは全部、顧客情報満載の大事な大事なカルテだからさ。 いい? 絶対にダメだからね!——これでよし。僕はちゃーんと忠告した」
「あ、ありがとうございますっ!」
俺は再度頭を下げた。
「『ありがとう』って言われても、別に僕なんもしてないし、なーんも知らない。で、深夜だからどこの薬局がやってるか分からないけど、だいたい2時間ぐらいで帰ってくるからね」
「んじゃ、留守番頼んだよ〜」扉のほうを向き、ドアノブに手をかけ、出て行くBJさん。
だが、「BJ」と便利屋さんに呼び止められ、「ん?」と顔だけ部屋の中に戻す。
「ゼッテー用意しとく。楽しみに待ってろ」
満面の笑みを浮かべ「よろしく〜」と言いながら、BJさんは扉を出ていった。
ガッ……チャン——少しして、重い扉が閉まった音が聞こえた。玄関を出たらしき音だ。
「さっさと済ませんぞ——あいつが帰ってこないうちに、な」
「はい!」
俺と便利屋さんは早速、こっそりと作業部屋に入り、ファイルを勝手に調べた。