エピローグ
『朝早くに申し訳ありません』
聞き慣れた声が聞こえてくる。まあ、画面に表示された、偽の、名前で誰なのかは知っていた。
「いえ。どうかされました?」
『例のアプリの件です。お時間かかってしまって申し訳ありませんでした』
その言葉には、やっと、だったり、お待たせしました、というようなニュアンスが多分に含まれていたのだが……
「もうですか」思わず声が漏れた。
調べてくれるよう頼んでから、まだ二日程度しか経過していない。何一つ不明であった俺にとっては、かなり早い返答であった。
とはいえ今となっては正直なところ、知ったところで特別状況が何か変わるわけじゃない。かと言って、気にならなかったわけではない。
喉元が詰まるような、小骨でも刺さっているかのような残る違和感。そういうのは後々活動に影響してくる時も十分にあり得る。早めに対処することに越したことはない。
『色々ツテを使いまして、片っぱしから情報をかき集めました』
「じゃあ早速。ヒハガチシバフントソウウノコ、というのは?」
俺は画像を見ながら尋ねる。
『左上の数字ありましたよね? その数分ずつに文字を読むそうです。今回の場合だと、二文字ずつ。一番目、三番目、五番目と順番に。最後まで行ったら、また頭に戻って残りを順に読むんです』
「てことは……」俺は指し示しながら、読み上げていく。「ヒ、ガ、シ、フ、ト、ウ、ノ、ハ、チ、バ、ン、ソ、ウ、コ。東埠頭の八番倉庫、ということですね」
「この、括弧の数字と英語は何を?」
『こちらは日付。月日時間の順に並んでいるんです』
「となると……」
02200230っていうのは……「2月20日の2時半?」
『ええ』
「英語のGNっていうのは?」
「支払い方法の略とのことです。金であればMoneyで、略称はMO。薬物であればDrugで、略称はDR。今回の略称は、GN。つまり、Gold Nugget。意味は、金塊、です』
「金塊?」てことは、もしかしてあれは……
『心当たりでも?』
「えっ?」
『いえ、ただ言い方がそんな気がして』
「あっ、いや。何も」はぐらかして、続ける。「あとは?」
『一応、あの謎はこれで以上となるはずですが……』
「そうでしたね。ではついでと言ってはなんですが、一点確認したいことがあるんですが」
『なんでしょう?』
「あなたの指示、だったんですよね?」
『……何がです?』一瞬言葉を詰まらせた後、白々しく返事をした。
「別にとぼけなくていいですよ、染川さん」
俺は本当の名前で呼びかけた。中に笑みの声色を混ぜ込んで。
「どこから仕入れたか知らないですが、あの場所にいるとよく分かりましたよね」
『偶然連れ去られるところを街で見かけた奴がいましてね。人伝いに自分の耳に届いたんです。この街は広いようで狭いですから』
「はは」
『笑い事じゃないですよ。もっとしっかりしてもらわないと。相手は危険なグループなんですから』
「ええ、承知してます」
『ちなみにですけど……正体は?』
「自分の?」
『はい。お言葉ですが、バレていたから連れ去られたのではないかとも思いまして』
「バレていたような気配は微塵もありませんでした。まさか夢にも思っていなかったでしょう」
『けど、まさか先に倒されるとは思いませんでした』
「おかげで、逃げ出せましたが」
『繰り返しにはなりますけど、関係はないんですよね?』
「ええ」声色で気づかれぬよう、神経を注ぐ。
『となると、ただ倒しただけとなる。個人的に恨みを持つものの可能性が高いですが……彼らは一体、何者だったんですかね』
「さあ……」
知り合いだった、とは口が裂けても言えない。
「ちなみに、何か情報は?」念のため探りを入れておく。
『遠巻きでしたので、現状、男二人だということしか。それも、おそらく、というオマケ付きです』
「そうですか」
『ウチらも下手に動けませんでしたし、バレないように救出しようとするので必死でしたので。いや、言い訳になりますね、申し訳ありません』
「いえ、謝ることではないですよ。というか、必死という割には、ゴム張って転ばせたじゃないですか」
『よくご存知で』
あっと、やってしまった。「聞こえたんですよ。外から声が」
『まあ、あれは苦肉の策ですよ。それに、やられてるだけじゃ、悔しいんで』
「そうだったんですね」
『必要であれば、追加で調べてますが、いかがしますか』
まずい。
「あまり詮索し過ぎると、こちらが足を掬われかねません。今のところはやめておきましょう。下手に動かないほうがいい」
『承知しました』
ほっ……
『それでその……釈迦に説法ではありますが、今回の一件で、ヤクザから暴走族まで結構な人数が捕まり、がらんと縄張りは空きました』
「何が言いたいんです?」
『言わずもがなでしょう』
声色を落ち着かせたからだろうか、気持ちは見透かされているようだ。
『そろそろ、縄張り広げるということも考えては……』
「染川さん」
呼びかけたことで、言葉をつぐんだ。
「俺らは透明人間です。争わず紛れ込み、ひっそりと暮らす。下手に領土を広げるようなことしたら、全て崩れかねない。だから、そういうことはやらない。最初にそう決めたはずですよね?」
『けど、ここらで規則も変えてかねえと、幅利かせられなくなるのも事実です』
熱がこもってきたらしい。口調が崩れてきた。
『言うこと聞かせるにはそれなりの見返りを用意しないと。この前みたいに少しガタつくようなことだって、これから起こりうることですよ』
この前、というのは籠城事件があった頃のやつだろう。
「かもしれない、で話しても仕方ありません」
『ですがっ』
もうそろそろ着くところだ。
「それについてはまた今度。じっくり話し合う場を設けますから」
戦わずに話し合うこと、それこそがインビジブルの何よりも大事にしている掟。外でもそうなのだから、内側では尚更だ。
『……分かりました』
とは口にしているけど、まあ腑には落ちてないだろうな、というのはひしひしと伝わってくる。
「そういえば、例の抜けた彼らについて情報は掴めましたか?」
『正確な理由はまだ調べはついてません。ですが一人、妙なことを話している奴がおりまして』
「というと?」
『抜けた連中は、抜ける少し前から変な宗教にハマっていたというんですよ』
「宗教、ですか?」
『ええ。そいつも誘われたらしいんですが、話している何もかも全てが怪しかったため、やめておいたと』
「連中、というと、皆その宗教を信仰していたということですか?」
『まだ全員調べ切ってはいませんが、今のところはそうなります』
「その宗教の名前は?」
『太陽興。ご存知ですか?』
「確か……半年ほど前から島で布教活動を行なっているところでしたよね」
老若男女が校門前や駅前、街中でも大きく名前を記したタスキをかけて、チラシを配っている姿を何度か見かけたことがある。
西区に広い敷地や建物を拠点として構えていることでも有名だ。イギリスのバッキンガム宮殿みたいだ、なんてことを言う人もいる。
『やめる時のあの虚な感じも考えると、この一連の出来事、かなりきな臭くなってきました。こりゃあ、慎重に進めていかないと、相手が相手なだけに面倒なことになりそうですね』
「ええ……」
ここらで腹を括るしかないか。
「分かりました。また何か判明したら、報告お願いします。自分も何かしらの対策を考えておきます」
『承知しました。ではまた』
切ったのは向こう。プープーと虚しい音が鼓膜に響いてくる。俺は耳を受話器から遠ざけ、赤いボタンを押した。
「朝っぱらから電話かよ」
横を見ると、海陸がいた。
「聞いてたのか」
「中身盗み聞くほど、嫌な人間にはなってないよ」
「ならいい」
「んで、誰からだよ?」肩に腕を置いてきた。
「誰からなのかは聞くのかよ」
「せめて外身はと思ってな」
俺はため息交じりに、スマホをポケットへしまった。「ただの知り合いだ」
「ふーん」不敵な笑みで顔を近づけてきた。「女?」
「残念。男」
「なーんだ」
「ご期待に添えず申し訳なかったね」ふと隣に目線を移す。「てか、そっちこそ二人仲良く登校ですか」
「あっ、全然そういうのじゃないから」
早乙女愛は即座に目を細め、手を横に小刻みに振る。
「おぉーい、否定が早くないかい?」
「おはよう、翔」
「おはよう」俺はいつも通り、にこやかに答える。
海陸の「そっからの無視ですかっ!」という言葉には、俺も反応しなかった。
そして、珍しく三人で、開かれた校門を通り抜けた。