第37話 便利屋⑻
あれから数日が経ち、飛辻やマニアを取り巻く環境は大きく変化した。
中でも一番の出来事は、アバターズの不正や違法性について警察への告発が届いたこと、だろう。
嘘か本当か分からんが、前々から怪しいと踏んで調べていた警察がデスクワークから行動を移すきっかけとなり、社長宅や会社の家宅捜索が開始されたのだ。
その結果、反社会的勢力との繋がりをはじめ、様々な不正が浮き彫りとなり、社長やら幹部やらはあえなく御用となった、というわけだ。
新進気鋭でこれからの成長に期待できる期待の企業のまさかの終止符。なんやら上場したばかりだったらしく、株価は大きく下落。ほぼ価値無しとなった。
その影響もあってか、ワイドショーは連日大賑わい。今日も相変わらず、長々と面白おかしく報道してやがる。
他にやることから目を背けているのか、それだけ日本が平和だってことなのか。どっちにしろ、よくも飽きずに出来るもんだな、全く。
んで。報道によると、告発は匿名だとのこと。しかし、告発された中身というのはあまりにも詳細だったらしい。
ネットでは、告発したのが誰か、という推理合戦の火蓋が早々に切られた。
クビになった者の内部告発だの、内部に潜んでいた産業スパイだの、挙げ句の果てには裏で世界を牛耳っている秘密結社だの、どこからが情報源なのか分からねえもんばっか。まあ、火のないところにも煙をたたせるネット情報。信頼はおかねえ。
それに、俺には誰が告発したのか、察しがついてた。てかよ、警察に知らせるって、こういう方法だったんだな、飛辻。
続報は日を経るたびに更新された。
例えば、マニアたちが話していたアプリ。
飛辻が話していた通り、裏社会の人間たちが利活用していたと判明した。この前一斉逮捕された朝本組もその一つだという。
街を歩くことで進めていくゲームだから、景品や賞金が豪華だったのは実在企業にスポンサーとなってもらっているからだと言われていたそうだが、どうやらそいつらから徴収していた手数料からも出ていた、という。
マニア曰く、「裏社会の人間が利用できると踏んで使っていたのか、あのゲーム自体裏社会の人間のために作られた隠れ蓑だったのか。現実的な発想なら前者、陰謀論的な側面から言えば後者でしょうね」とのこと。
まあ今となってはどちらでもいい。何にしろ、マスコミは、我先に、と報道しているのには違いなかった。
ああ、そうだ。アバターズの子会社であるモーストリーについても色々と見えてきた。
俺と飛辻が乗り込んだ時にものけの殻だったのは、例のハッキング騒動が起きたせいだという。
何故か?
理由は単純、アバターズから「道具を持って去れ」という命令が下り、慌てて逃げたからだった。
ではそもそも何故逃げたのか?
考えてみれば簡単なこと。ハッキングされたと聞いて不安になるのはユーザーだ。それもただのユーザーじゃなく、裏のユーザー。
もし仮に取引の履歴などが流出してしまっていたのだとすれば、逮捕に至る絶好の証拠となってしまう。そうなりゃ、解散は目に見えてる。
組の解散ってのは、そんじょそこらの一大事だ。大なり小なりあるが、一つの会社が跡形もなく潰されるということに等しい。働き場所が無くなるんだ。当然組の連中は、黙っちゃいない。逮捕される前に、漏れ出したのなら広がる前に、不安材料を消そうと、様々に手を打とうとする。必死にな。
勿論、アバターズの連中はその事を読んでいた。だから、すぐに姿を眩ませと言ったのだ。要するに先に手を打ったということだな。
そもそもなんでアバターズは気づけなかったのか?
マニアに調べてもらった。やり方は聞いてないが、話ぶりからして恐らくアバターズにハッキングしたのだろう。気づいていても、詳しくは知らんことにする。
そして、マニア曰く。
ニセモンはどうやらウイルスを入れたメールを送りつけて開かせ、バラ撒き散らしたらしい。
標準型攻撃、とかなんとか言ってたな。よく知らんが。んで、その中に二種類のウイルスを仕込んだ。
一つは敢えて見つかるようにわざと見え見えな形で仕向けた。それが、大丈夫だとアバターズが会見でリリースした方。
もう一つは、見つからぬようにひっそりと動いて、情報を抜き出していった。最初のを囮にして、時間稼ぎをしたというわけだ。
んで、その中に、例のヤクザ達の取引情報が入っていたということみたいだ。
随分とややこしいことまで調べ尽くせたようだ。だが、ニセモンの正体に関しては、手がかりでさえ掴めないままだという。昨日トミーで話した時、そう話していた。
「二つ仮説を立てました」
マニアはトマトジュースを一口飲んでから、そう話した。
「まずは」マニアは人差し指を立てた。「ハヤブサの名前を利用し、盗みに入った。要するに、罪を俺になすりつけたという説」
「もう一つは?」
中指を加えた。「俺に成り代わろうとしている説」
トマトジュースの氷がかこんと音を立てる。
「成り代わる?」俺は片眉を上げた。
「ええ」マニアは手を下ろす。
「僕は一線から身を引きました。表舞台には立ってません。だからこそ、俺の名前を使って何かを企んでいる奴らはいます。注目を浴びたいだけのもいますから」
「今回の奴もそうだっていうのか?」
「うーん、微妙なところですね……」マニアは首を傾げた。
「けどよぉ、もし成り代わろうとしてるなら、なんで本人にハッキングしましたよ、なんてご丁寧に連絡なんかする? わざと足跡残す必要はないだろ?」
「いえ。可能性はあります。自分で言うのもなんですが、僕に実力を認めてもらいたいのではないか。それか、手段についてはバレないという絶対的な自信があったのかもしれません。つまり、僕よりも腕が良いと伝えたかったというわけです」
「挑戦状を叩きつけられたってわけか」
「はい」
なんともご迷惑な話だこと。ったく、ふざけた野郎だぜ。
「どちらにせよ、喧嘩売られたことには違いありません。必ず犯人を見つけ出して、後悔させてやりますよ」
強い意志を感じた。揺るがない確固たるもの。
「面白え」
「へ?」マニアは素っ頓狂な顔で俺を見た。
「俺も手伝えることはやるぜ。いつでもいいな。だが、無茶はすんな」
マニアは表情を明るくさせた。「はいっ」
そういや、マニアについてだが、念のため自宅には戻ってない。まだ俺のマンションで暮らしている。
本人曰く、隣に住んでるスチュワートと仲良くなったらしい。昨日なんかマニアの部屋で飲み交わしたというじゃないか。
警戒心が薄いことには少し眉間に皺が寄るけれど、相手が相手。危険な目にも遭ってないし、問題はない、
一連のことはまあひとまず、解決したといっていいか。
だから俺は、報告しに行く。冷たい水で満ちた水桶を手に、親指台の小石が敷き詰められた道を歩いて向かう。
慣れたもんで考えずとも、墓の前に辿り着くと、自然に足は止まる。
獅子咲家之墓
何度見ても、思考が止まってしまう。瞬間的になってきたとはいえ、これだけは慣れそうにもない。
俺は目を見開き、脳を動かす。
まずは名前が書かれている棹石の頭から水をかける。
上台、中台、芝台と、上から順番に。ゆっくりと垂れるように地面へと流れていく。浴びた部分はまるで若返ったかのように、色が白っぽいものから黒に変わる。
水鉢まで満遍なくかけると、あれだけ一杯だった水は水桶の底に微かにあるまでに減った。
数本の線香に手を取り、先端にライターで火をつける。膝を曲げる。香炉に添える。
立ち昇る煙を確認し、目を閉じる。そして、手の平を静かに合わせる。
今回も無事終わったぜ。簡単だが、報告を終えて……
「やはりいたね」
目を開け、声のした斜め後ろの方に視線を向ける。
「来てたのか」
俺は立っていたマスターに声をかける。いつもの制服のような仕事着とは違って、麦色のロングコートに白いストローハットを身につけていた。
右手には線香と花。左手には水桶に差し込まれた柄杓を持っている。
俺は立ち上がり、体勢をマスターの方へ傾ける。
「心当たりでもあったのかよ」
「いや、単に水桶が置き場に無かった」
よく見ると、マスターの持った水桶には金戸寺院と入っていた。
「ここ、借りるよ」
マスターは地面に水桶を、近くの大理石で出来た小さな置き場に花を置く。
「今日は月命日でもねえぞ」
マスターはフッと笑う。「その台詞、そっくりそのままお返ししますよ」
俺は眉間に皺を寄せ、視線を逸らした。バツが悪い。
「なんで来た?」
「特にこれと言った理由はないよ。そこの花屋を通りかかった時、一際綺麗な花があって、ふと喜ぶかなって思っただけ。ほら彼女、花が好きだったじゃないか」
包まれた新聞紙を剥がし、括っていた輪ゴムを取ると、花の茎の先を少し折った。
「店はどうした」
「勿論、閉めてるさ。なんせ、働いてるのは一人だからね」
「終日か?」
「いや、午前中だけ。悪い、ちょいと失礼するよ」
割って入るような仕草から俺が邪魔だということが分かった。俺はすぐさま立ち上がり、その場から退く。
マスターは花立の水を地面に捨てる。綺麗な水で軽くゆすいでから、入れ替え、供えた。
線香は数本まとめて持つ。ポケットからマッチ箱を取り出す。中から一本を取り出し、側面で擦って火をつける。
瞬くように火が焚かれ、安定した炎を線香へ。先に火がついたところで、姿勢を落とし、同じ香炉に入れた。そのまま手を合わせて、静かに目を閉じた。
数秒拝んでからゆっくり顔を上げると、合わせていた手を解いた。
「今回も無事に終わった。そう報告しに来たのかい?」
そう声をかけてきたマスターに、俺は鼻で短く息を吐く。「分かりきってることを聞くなよ」
マスターは視線を落とす。
「……もう、いいんじゃないのか」
「あ?」
「まだ自分を責めてるのだろう」
「……責めてなんかねぇよ」
「なら、気づいていないだけなのか」
「気づいてない? な訳ねぇだろ」
「いやそうだよ」
「なんでそう言い切れんだよ」
「ここに来てるからだよ。紛れもない証拠じゃないか」
俺は噤んだ。張り合ってもこれに関しては勝てるとは思えなかった。
「あれは彼女が、もっぱら君も悪くない。これっぽっちもだ。なのに、君は責め続けてる。ずっと、自分のせいだ自分のせいだ、と」
苛立ちが募る。
「俺のせいなんだよ。無理矢理にでも止めなかった、俺のな」
「だがな」
俺はマスターの言葉半ばで踵を返す。それ以上は聞きたくなかった。
語ることなく、俺は来た道を戻っていく。黙って、マスターの横を通り過ぎた。
「なあ」
呼び止められ、俺は立ち止まった。
「故人を偲ぶのは悪いことじゃない。けどね、それと留まるのは全く別物だ。便利屋、君は留まってる。彼女のことで、もう何年も。ずっと同じ場所にいるんだ」
「……何が言いたい?」
「そろそろ彼女との道じゃなく、君自身の道を進む時じゃないか」
俺の道……
「忘れろ、とは言わない。けど、このままじゃ、君は死ぬまで自分を苦しめて……」
「まだだ」俺は握り拳を作っていた。「あいつの、最後の依頼は解決しちゃいねえんだよ。だから、まだなんだ」
水桶を持つ。行きの時と異なり、軽かった。まるで何かがするりと抜け落ちまったよう。
「心配してくれてあんがとよ、マスター」
踵を返し、短い階段を下る。喧嘩じゃない。ただ……
「便利屋」
背中越しに聞こえる。俺は視線を肩辺りに、少しだけ顔を後ろに傾けた。
「大丈夫だ。その時が来たら、ちゃんと自分の道を進むからよ」
片手を軽くあげ、「お先」と、俺は再び歩を進めた。
マスターはもう何も声をかけてこなかった。だが、じっと俺の姿を見ているという気配は背中から強く感じた。