第35話 御室⑺
学校へ向かう通学路。いつもの道、慣れた道。だから、歩くことにあまり意識を向けてなかった。
いや、あまりにも印象深かったここ数日間の出来事が、脳内を占領してしまっているのかもしれない。まあとにかく、目まぐるしい一部始終が脳裏をぐるぐると無駄だと思うぐらいに駆け巡っていた。
金塊をナンバープレートを通報した一昨日の夕方。近くの交番の警官が自転車でやってきた。一応拾得物という形で、色々と聞かれた。だが、ナンバープレートの話をした時、何か気づいた表情になり、無線機を手に取った。
相手の声は聞こえなかったが、警官が話している言葉を断片的に繋ぎ合わせるとおそらく、数日前のスポーツカーが店にど派手に突っ込んだ中央区での事故。その突っ込んだ車にはナンバープレートが無かったらしい。つまり、これがその無くなったプレートなのではないか、かいつまめばそういうことみたいだ。
電話を切り、警官は「担当の者がすぐに参りますので、もう少々ご協力下さい」と告げた。
結構かかるのかなとか思ったけど、割と早くにネズミ色のスーツを着た男性がやってきた。
「お待たせしました」
小走りで駆け寄ってきた男性は、心なしか疲れた表情をしていた。
「大丈夫ですか?」
湯瓶さんが声をかけると、「ええ。この近くで別件があり、ちょっとドタバタしまして」と力ない笑顔になった。
「ご挨拶遅れました。私」上着の内ポケットから警察手帳を取り出し、開いて見せてきた。「私、金戸中央署の田荘と申します」
そうして、改めて話を聞かれた。今度はより事細かに。事故に関わっているのかどうか、湯瓶さんがさりげなく尋ねていたけど、それについては上手いことはぐらされた。あれこれあったけど、結局は金塊もナンバープレートも拾得物ということで蹴りがついた。
その日はそれで長いこと拘束されたために夜も遅くなり、湯瓶さんや翔とは別れた。
そういや、昨日の下校時、「そういえばさっき、湯瓶さんから連絡が来たんだけどさ」と翔から声をかけられたっけな。
「乱舞、捕まったぞ」
「まあ、通報したからな」
「いや、ごめん。言葉足らずだった。あいつらだけじゃない。他の連中も全員捕まった」
「マジか」
「取調べを受けている時に、芋づる式に余罪が見つかったんだってさ。んで、溜まり場に警察が乗り込んで、総長から下っ端まで全員検挙」
「結果的に解散したってわけか」
「そうだな」
「これでひとまず安心だな」
「ああ、もう誘拐されなくて済む」
「だな……あっ」
「どうした?」
「いや、トレハンのログインしようかと」
「おいおい懲りないな。まだやってんのかよ海陸」
「こういうのってやり始めたら、ついついやっちゃうもんじゃんか。だから念のために……ってあれ?」
「今度はどうした?」
「入れない」
「は?」
「緊急メンテだってさ」
「ありゃりゃ、残念だったな」
「ま、少し経てば入れるようになるさ」
結論から言うと、トレハンにはログインできず。まあ未練があったわけじゃ……いや、未練はあった。ログインボーナスがこれで途切れてしまった。まあ運営側から何かお詫びが来るだろう。それに、金塊もある。報労金にしろ取得にしろ、かなりの額にはなるはずだと思った。出どころが分からないのが一抹の不安だった。
それは、そんな雑談から数時間後、辺りが暗くなった頃に的中する。きっかけは翔からの電話だ。
『湯瓶さんから今さっき連絡あって。例の金塊、落とし物じゃなくなったって』
「はぁ? どういうことだよ?」
『なんかあれ、盗難品だったらしいよ』
「盗難?」
『ああ、盗んであそこに隠したんだと』
「そうか……けど、元の持ち主のところに戻るってことだよな? だったら、多少は」
『それがなんだけど、そもそもあの金塊、暴力団の違法な取引に使われていたものみたいで』
「へ?」
『まあ要するに、証拠品として押収されたってことよ』
「マ、マジか……」
ショックは大きかった。けど、電話を切って少し経ったら、腑に落ちた。あの金塊はヤバい代物だったのだ。やはりどこから湧いたのか分からないようなものなど信用できない、湯瓶さんが言っていたことがまさに正しいことであると思い知らされた。百ではないけど、十二分に納得できた。
そんで、今朝になる。珍しく早く目が覚めた俺は、いつもは見ることのない、というか出来ないテレビを付けた。朝はここのニュース番組を見なければ始まらない、というのはない。付けた時にやっていたエンタメ系を多めに取り上げている番組をそのまま流しながら、キッチンへ向かう。冷蔵庫からパックの牛乳を取り出し、直接飲んでいた。
その時だ。今朝入ってきたニュースのコーナーで、トレハンの開発会社であるアバターズの社長以下幹部役員が捕まったと報じているのを耳にしたのは。
思わず吹き出しそうになったのを寸前で留める。口をぬぐいながら画面に駆け寄った。会社に大勢の警察官が外がまだ真っ暗な中で続々と入っていくのが映っていた。
い、一体何が起きてんだよ。
慌てて詳しいことをネットで調べると、どうやら開発会社の黒い組織との繋がりがあったとのこと。色んなメディアが報道していたが、それ以上調べるのはやめた。情報過多で脳がプチパニックを起こしていたからだ。
今思うと第六感のような、予感めいたものがあったのかもしれな……あっ。
俺は角を曲がりながら、アプリを開く。よぎった不安は的中した。トレハンは、アプリをタップしても開かなくなっていた。システムメンテナンスどころか、もう入れなくなってしまった。はぁ……ため息が漏れながら、失望からすとんと肩が落ちた。
この数日間、トレハンに踊らされ、巻き込まれた日々だった。謎の答えは解けずじまいになるけれど、もういいや。体も心もほとほと疲れ……イテッ。
突然、鋭い痛みが頭に走り、足が止まる。耳から脳天を経て反対の耳へと貫いてくる。この痛みに心当たりがあった。アイツが出てこようとしている合図、かき分けてもがいている証拠だ。
少し前までは収まっていたのに、また再発してきた。スパンが早い。勿論、痛みに波があるのは分かっている。けど、その波長が細かく短くなってきている。薬の力が弱くなってきているのか。他に何か対策を取らないと。場合によっては……
〈まーた無茶しちゃってぇ〜〉
えっ?
振り返る。俺に話しかけてくるような人はいなかった。不自然にちらりちらりと俺を見ながら小走りをしている、同じ学校の奴らがいるぐらいだ。
〈いやいや、そっちじゃないよ〉
辺りを見回す。
〈だから、そっちじゃないって。外じゃない〉
えっ?……あっ!
その恐ろしい意味に気づき、ハッとする。
ま、まさかっ!
〈大変長らくお待たせしました。オレサマの登、場、だっ〉
そ、そんな……俺は目を瞑り、頭を押さえる。
〈おいおい、そんなに驚くこったないだろう。長いこと奥で眠らせていただけで、別に消えたわけじゃない。それとも、薬で消えたとでも思っていたか?〉
指の先が内側に巻き込まれ、次第に髪が掴まれていく。
〈甘いな。考えが甘い。そんなんで人間どうにかできると思ったら、大間違いだ〉
だって……第一、オマエが出てくる時は夜しか無いはず。
〈てめぇが伸び伸びと学生生活を謳歌してる間に、力を蓄えたんだよ。進化ってやつ? ほら、成長しねぇ奴は滅びゆくのが世の常だからな。それだけは避けたかった〉
……何が望みだ?
〈うーん。強いて挙げるなら、ちょっとばかし外の空気、吸いてぇな〜ってことかね〉
身体を貸せ、そういうことか?
〈今すぐに、じゃない。ま、時が来たら頼まぁ。とにかくさ、くれぐれも無理すんな。何せ、二人で一つの身体なんだ。共有財産は大切に扱わないと、へへ。そんじゃあ、またなぁ〜〉
途端、声が聞こえなくなる。痛みも無くなる。すぅっとではなく、ぱっと。
どうする? どうすればいい??
どうすればオマエを……もう一人の……狂っている俺を抑えられる???
「おはよう」
叩かれた肩がびくりと上がる。横を見ると、早乙女愛が目を開いていた。伸ばしていた手を引っ込めている。
「な、なんでそんなに驚いてるの?」
「い、いや」思わず目が泳ぐ。「別に」
「ていうか、私のほうが驚いたんだからね」
「え?」
「海陸が前歩いている姿見てさ」
そう言うと、早乙女愛は突然目を見開き、口元を手で覆って、甲高い声を出した。
「ヤダぁ、私遅刻しちゃってる?!」
あまりにも大根過ぎる芝居をすると、すぐに妙な仕草をやめて、いつも通りの声色になる。「慌てて確認しちゃったもん」
「へいへい」俺は不機嫌に口をとんがらせた。「お騒がせしてすいませんね」
いや。そもそも、俺悪くなくねぇか? 遅刻をしているいつもと違って、ちゃんと登校時間に間に合うように来てるだけ……あっ。てか、さっき急いでいた奴らが俺を見てたのってもしかして……チクショ、コノヤロォー……皆で俺のことバカにしやがってぇ……
「そういえば、翔は?」
もう話題変えんのかよ。まったく、気分屋か。気まぐれお嬢様か。
「先行ってんじゃねえの?」
そうは思っても、しっかり答える。けど、それだけじゃ、まるで配下にいる手下のよう。だから、「俺が、今日も、遅刻するって、思ってさっ」と、いじけているってことを返答の中に入れ込んだ。
「ごめんごめんって。そんなにいじけないでよ」
「いじけてねえよ、別に」
やはり気づいたようだ。というより、これで気づかなければ、鈍感過ぎる。まあ、恋愛に関しては色々と鈍感、か。ふふふ。
「そう……」
「どうした?」
急に早乙女愛が視線を落としたから、思わず尋ねた。もしかして、早速恋愛の?——なんてことが一瞬頭をよぎったからっていうのもある。
「あのさ……最近、なんか変じゃない?」
「俺?」俺は早乙女愛に顔を向ける。
「いや、翔」
俯き加減は変わらず、どこか足取りも重くなったように見えた。
「その……なんか急いでるっていうか。慌ててるっていうか」言葉選びに迷っている。「心ここに在らずな時があるっていうか、なんていうか……」
「そうか?」
虚空を見る。思い当たる節は無かった。それこそ、トレハンの宝探しをしている時なんか、早乙女愛が言うようなことは特段感じることはなかった。
頭の中は他のことでいっぱいで、そこまで今考えている余裕がないのかもしれないけど。
「私の気のせいなのかな……あっ」
何かを言おうとした口が開きっぱなしになった。
「どうした、早乙女愛?」俺は視線を戻す。
「噂をすれば」
早乙女愛は真っ直ぐ前を指さした。
そこには神妙な面持ちで歩いている翔がいた。