第29話 甲斐田藁⑸
木田さんの、助けてくれますか、の問いかけに、BJさんは優しく微笑む。
「勿論。知り合いに警察の人間もいるから、必要なら相談することも可能だよ」
木田さんは拳を強く閉じた。
「僕、ちっちゃい頃から画家になりたかったんです。実家から今、普通の四年制大学に通っているんですけど、親に秘密で絵画の専門学校に行っていました」
「実家通いで、専門学校に親に内緒で行くって、可能なんですか?」
お金やら時間的なものやら誤魔化すには相当難しいと思うが。
木田さんは俺っちの方を見ると、「学校に行く時は、友人と遊ぶと話したり、バイトと称したり、まあそこら辺は上手くやっていました」と話した。
「けど、それは最初だけでした」
木田さんは視線を戻しながら、俯いた。
「親にバレてしまって、どういうことだと詰め寄られました。隠していても仕方ない、この際正直に気持ちを話して分かってもらおう。僕は全て話しました。親だから分かってもらえる。そんな期待はすぐに砕け散りました。親はとにかくひたすら、辞めろ、とだけ。まるで洗脳でもするかのように辞めさせようとしてきました。そんなに甘い世界じゃないだの、そんなので飯なんて食えるわけがないだの。挙げ句の果てには、野垂れ死にたいのか、なんてまで言われて。ずっと憧れていた夢をこんな簡単な言葉で全否定されるだなんて思わなくて。ショックでした。同時に、ふつふつ怒りも湧いてきました。気持ちも知ろうとしないで、言葉で片付けるなんて許せない、って……」
一瞬口を真一文字に閉じるも、「勢いでした。夜中に一人で家を飛び出したんです」とその後を話し始める。
「金戸島はなんか居心地が良くて、親に内緒でたまに遊びに来てました。あんなこと言われた反抗心もあったかもしれません、この島に来ました。ひと気の無いところで車中泊でもしようと車を止めたら、目出し帽を被った男が突然、助手席に乗ってきたんです。それで、『金戸橋を渡れ』と拳銃を突きつけられたんです」
「てことはなんや? 脅迫受けたっちゅうことかいな」
マサっちの問いかけに、木田さんは静かに頷いて続ける。
そうだ、金戸橋ってことは、島から出ろってことか。
「何かから逃げていたのか、男は後ろをよく気にしていました。一瞬僕から目が離れた隙に、わざと荒く大通りは曲がり、体勢が崩れた隙に拳銃を奪おうとしました。体勢を崩すまではできたのですが、拳銃を奪う時に揉み合いになり、ハンドルにぶつかったんです。そのせいで、車が大きく左右に乱れました。クラクションが鳴ったことで、車が斜めに進んでいることに気づきました。このままだと店にぶつかる、そう思い急いでハンドルを握りましたが、もう言うことをきかず。そのまま近くの洋服店に突っ込みました」
「ハンドルが言うことをきかなかったということは、タイミング悪く故障した、とかそういうことですか」
俺っちは軽く首を傾げた。
「いや、そうじゃないと思うんです」
「根拠は?」前のめるマサっち。
「男が乗ってきた時、少し傾いたんです。それから車を出した時にもハンドルが妙に重くなっていました」
「なら、重いせいでハンドルが耐えきれなくなったっちゅうことか。その脅してきた目出し帽は、相当な巨漢だったんか」
どうやら、男の名を目出し帽にしたらしい。
「いや、むしろ痩せていました」
「痩せていた、か……」
「おそらく、持っていた荷物のせいではないかと」
「荷物?」BJさんは首を横に傾ける。
「ええ。黒いリュックサックを前で背負っていたんです。中身は分かりませんでしたが、大事そうに抱えていましたし、かなり重そうにでした」
「ちょい待て。ちなみにどこら返で目出し帽を乗せた?」
「えぇ……」木田さんは虚空を見て、目を細めた。「土地勘が無いので正確な場所はよく……あっ、でも、近くに倉庫が見えました」
「海沿いか?」
「あぁ……ええ、近くではあったかと」
マサっちと俺っちは顔を見合わせる。その後、ナギっちとも。
「そいつ、逃げていたんちゃうかって言っとったよな?」
「多分ですけど。頻繁に後ろに身体を傾けて、気にしているように見えました」
「言いたいことは分かるよ」
BJさんは割って入ってきた。
「海沿い倉庫といえば、東区。そんでもって、あの辺りは未だにヤクザやらの裏取引で利用されてる。そこから大事そうに荷物を抱えた奴が逃げるようにやってきた。要するに、目出し帽の男は、ヤクザから何かを奪った、ってことでしょう。拳銃を持っていたのも元々は脅すためってところかな」
「だ、だからだったんだ」木田さんは顔を伏せた。その両目は泳いでいる。
「心当たりでもあるの?」
「病院から抜け出したのは実は、病院にヤクザがやってきたからなんです。トイレに行こうと病室を出たら、廊下で看護師さんと厳つい男性たちが言い合っているのを聞いたんです。男性たちが僕の名前を出して病室を尋ねていて、看護師が男性たちを『あなたたち暴力団でしょう? そんな人たちに教えられるわけないでしょう』って話しているのを耳にして。なんで探しているのか理由は分からなかったですが、間違いなく良いことではないと思って、思わず怖くなって、抜け出したんです」
「ふーん。成る程ねぇ」
BJさんは背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。
「要するに、巻き込まれたってことだね」
「はい」木田さんは深刻そうに頷いた。
「その、目出し帽の奴も病院に運ばれたんですか?」
俺っちがそう尋ねると、「いや、どうやら逃げたらしくて……」と続けた。
「となると、男に話聞くこともできんっちゅうことやな」マサっちは眉をひそめた。「にしても、事故っても逃げるて、随分しぶといやっちゃなぁ」
「警察にはこのことを?」
「いえ、相手がヤクザなら、信用できないなって」
「なんでそうなるん?」
「この島の警察って、その、ヤクザと持ちつ持たれつだって噂を聞いたことがあったので……」
「確かに間違いじゃないけど、だからといって全てを揉み消してるわけじゃない。悪いことしているなら捜査してくれる。それこそ、僕の知り合いに一人信頼できる刑事がいる。とりあえず、一刻も早くこの事を話したほうがいい。君の無実は少しでも早く晴らせたほうが」
「無実って、な、なんのですか?」木田さんの不安げな顔。
「犯人の仲間だっていうことの」
「ヤクザが病院に来たんもそのせいっちゅうことですか?」
「もしかしたらね」
「そ、そんな……」不安の表情は色濃くなる。
「島の外に逃げているかもしれないからね、あとは犯人の捜索は警察に任せて、君は匿ってもらうんだ」
「は、はい……」
拭いきれない気持ちを顔に残したまま、木田さんは縦に頷いた。
「おおっ」
マサっちが声を上げ、皆が視線を向ける。
「い、今、すりガラスに人影が」
「「「えっ?」」」
途端、扉が開く。そこには男性が一人立っており、恐る恐ると肩をすぼめ、「あのぉ」と声を絞り出した。
「あぁ、ごめんごめん。僕の患者」
BJさんは立ち上がり、男性の方へ向かう。
「どうしました?」「あの、さっきのやつ。ありがとうございました」「いやいや、大丈夫ですよ。それより、体調は?」「だいぶ良くなりました。すいませんでした、何日も」「いえいえ」とこちらには分からない会話を交わしている。
「随分と大ごとになってきたな」
片目を細くしながら、マサっちは髪を掻いた。
「相手がヤクザとなると、俺っちたちがどうこう出来る問題じゃないもんね」
“カラギャンならまだしも、なのに”——と、マサっちがこっそりメール画面を見せてきた。
「ねーそうだよねー」
BJさんが目の前を通過する。「確か、その辺……あっ、あったあった」
男性がそのすぐ後ろにいた。こちらが見ているのを確認すると、申し訳なさそうに会釈をしてきた。俺っちらも同じ動作をする。
BJさんが近づいて、「どうぞ」と渡す。
「すいません、何から何ま……」
男性の言葉が止まる。視線はちらりと向けていた木田さんと。
「な、何か?」
少し訝しげな木田さんから声をかけられると、男性は急に息を荒くし始めた。後退りしていき、部屋の扉にぶつかると、動きが止まる。
「な、なんで……なんでお前が、ここに……」
動揺しているのか、声色が変わる。少し低くなった。
「その声……」
木田さんは勢いよく立ち上がる。椅子がひっくり返った。
「お前、目出し帽っ!」
一瞬の沈黙が流れる。
「「「ええっ!?」」」
俺っち、マサっち、BJさんが口を揃えた。ナギっちも口をおっ広げ、目を丸くしていた。