第28話 探偵⑹
「こちとら何人もやられてるんだ。中には入院した奴だっている。サツの締め付けが厳しい中で金もバカにならねえ。はいそうですか、なんてことで帰すわけにはいかねぇんだよ」
片眉を不機嫌に上げて、つらつらと続けてくる。
「ヤクザってのは面子で飯食ってる。やられっぱなしで終わったら、ウチの面子は丸潰れだ」
「最初に絡んできたのはそっちだろうが」
「最初に殴ってきたのはそっちだろうが」
流れる沈黙。
「まあいいや。どうせ水掛け論だ」俺は背もたれに寄りかかり、足を組んだ。「けどな、今動くのは不利益にしかならねえぞ」
「テメェさっきから黙って聞いてりゃ、つけあがりやがってコラっ」
我慢できずに動こうとする若い男。だが、組長が「黙れ、コウヤっ」と、けたたましく叫んだことで、すぐさまびくりと姿勢を戻した。「はい」と返事をし、手をピンと伸ばすと、直立不動になる。
「不利益? ほう、それは一体どんなもんだ?」
「余罪が増える。無駄に増やしたくはねえだろ?」
「……はっ」
組長の口元は嘲笑うようにぽかんと緩んでいた。
「なんだよ、ポリみてぇなこと言いやがって」
「おお、よく分かったな」
「は?」
「言い忘れてたんだけどよ、実は一緒に来てんだわ、警察。もっと少ないと思ってたんだけどよ、割と多く来てビビったわ」
組長は鼻で薄ら笑う。
「乗り込んできたところでどうする? 今の時代、札(=逮捕状)なけりゃ、ヤクザ相手だろうが、下手に手出しはできな……」
「考えてもみろ。なんでそもそも、いち市民が警察引き連れて来れるのか。仮にも国家権力だぞ」
「あ?」
「察し悪りぃなぁー。だ、か、ら。ちゃんと理由を用意してきたんだって。札貰ってこれるやつ」
「何っ?」
その瞬間、玄関の方から「んだてめぇらっ」と叫び声が聞こえる。どうやらお出ましのようだ。
相当な人数がこちらに向かってきている。ぎしぎしと軋む廊下の木の板の音からそれが伝わってくる。近づいてくる。慌て出す組員。
襖が一気に開かれる。先頭に茶色がかった長髪の女性がおり、その後ろに男たちがずらずらと大勢。格好は明らかに警察官であった。
身構えるヤクザ連中。
「神部組長ですね?」
「おたくらは?」
「私」
女性は胸元の内ポケットから警察手帳を取り出した。
「警視庁金戸中央警察署暴力系団体組織犯罪専従対策課、䅣木と申します」
辺りがざわつく。
「た、暴対課……だと?」
俺は席を立つ。遅れて、西さんも。
「言い忘れてたけど俺、密着取材を受けてたんだわ。あん時も実はね、カメラ回したんだ。そこの、後ろの赤いスーツのお前も覚えてるだろ? カメラ持ってる女性がいたのを。ほれ、カメラ下ろせって恫喝してたろ??」
突然指名され、それに組長から鋭い眼光を向けられ、慌てふためく赤スーツ。
「いや、俺は、その、言いました。カメラを下ろせって」
「撮るなとは言われてない。カメラを下ろした状態で、撮り続けてたんだよ」
赤スーツは口を半開きして小刻みに動かす。まさに、あわあわ、といった感じだ。
「だからさ、バッチシ撮れちゃってんの。こっちが何もしてないのに朝本組の人間が出会い頭に因縁つけてくるところから、追いかけてくるまで一部始終、綺麗にね。とりあえず、映像を証拠に脅迫されたってことで、被害届出しておいた」
䅣木さんは何度も折り畳まれていた紙を取り出し、広げる。そこにははっきりと、大きな文字で、逮捕状と書かれている。
「脅迫及び傷害未遂の容疑で、該当の関係者全員に逮捕状が出ております。また、神部組長には当該事案について、任意同行を求めます。応じて頂けますよね?」
「テメェ……」
組長は閉じている歯を見せ、こちらへ身を少し乗り出してきた。任意同行だが、使用者責任で、遅かれ早かれ逮捕状が出るはずだ。
「おいおい、悔しがるのかよ。こうなることぐらい考えてなかったのかよ」
俺は前屈みになり、顔を近づける。
「やるならもっと気をつけてやんな、組長さん」
組長は視線を落とし、絶えず動きながら、ソファに身を沈めた。
二人一組の警官たちに、次々と連行されていく朝本組組員たち。
若頭が連れて行かれた後、居間に入ってきた警官二人に、組長は「おい」と催促される。軽い舌打ちをし、両膝に手を弾くようについて、立ち上がった。促されるが、動かない。代わりに、「お前」とまっすぐ俺に冷たい視線を向けてきた。
「聞きたいことだけ聞いて、あとはポイ捨てか。テメェら、ヤクザよりタチ悪りぃな」
「おいおい、勘違いすんな」
俺も立ち上がり、ポケットに手を入れた。
「こっちはただ、ヤクザに追われず、ゆっくりしたかっただけだ」
しばらく見合っていたが、フッと組長は鼻で笑った。
「ったく、面倒な奴を敵に回しちまったな」
警官に「行くぞ」と連行されていく。
これでひとまずは終了っと。
「失礼」
西さんの方を振り向くと、あの先頭で䅣木と名乗った女性刑事がそばで立っていた。
「あなたが、田荘室長の仰っていた」
「ああ、どうも」
逮捕状の請求のために、さっきまでいなかったから、これが初めての会話だ。
「ええ、私です。こっちも聞いてますよ。あいつ今、別件の捜査で忙しいとか。珍しいことに」
「さあ。部署が違いますので、詳しいことは存じ上げておりません」
表情は怖いまま、微動だにしない。
「ですが、金戸島治安維持対策室からの要請を受け、我々が捜査を引き継いだことは確かです」
チイタイを正式名称で言う……ちょいとお堅い感じかな。
「ま、代わりに美人刑事さんに来てもらえるなら、むしろ満足ですよ」
「今の発言はセクハラと取ることも可能ですが、今回は目を瞑ります」
……これ以上、冗談言うのはやめておいたほうが得策みたいだ。
「これで、全員逮捕ですね」
「いえまだ一人」
䅣木さんは俺を見てきた。
「あなたも任意同行していただきます」
「え?」
「いくらヤクザとはいえ、暴行行為を働いたことは違いありませんから。勿論、応じていただけますよね?」
沈黙が流れる。
「……冗談です
「はい?」思わず素っ頓狂な声が漏れる。
「被害届は出てません。というより、相手は暴力団。その上、一対多。今回は正当防衛、ということで、お咎めはなしと致します」
「寛大なご配慮、感謝いたします」
冗談だったとは言っていたが、なんだろう、最初の顔は無表情だったからか、マジだった気がするんだが……
「では、朝本組の取り調べがありますので、私はここで。ご自宅までお送りしますが、いかがですか」
「そんじゃ……」西さんに一瞬目を合わせる。「では、お言葉に甘えさせていただきます」
䅣木さんは軽く頷くと、隣にいる警官に「後はお願いします」と声をかける。明らかに歳上ではあるが、「はい」と敬礼で返した。背筋の伸び具合もまっすぐだ。
「お二人には後日、聴取を取らせていただくかとは思いますが、その際はぜひご協力を。それでは」
会釈して、足早に去っていく䅣木さん。
「ああ、そうだ」
呼び止めると、ゆっくり振り返ってきた。
「田荘に宜しく言っておいて下さい」
俺のその言葉に対しては返答がなかった。ただ、少し深めの会釈だけをして、踵を返し、さらに足早で去っていく。姿が見えなくなるのはあっという間だった。
「ではこちらに」
歳上の警官に声をかけられ、俺と西さんは案内されるがまま、ついていく。
居間から玄関に続く長い廊下へ。廊下は庭に面しており、整えられた日本古来が右手に広がっている。
角を左に曲がる。また少しして右に曲がった時、外の暗さに反応し、俺は腕時計を見た。時刻はもう20時に針が差しかかっている頃。続きは明日ってところだな。
「私、ちょっと混乱してるんですけど」
隣でとぼとぼと歩く西さんがおもむろに口を開いた。
「木田さんは金塊を盗んだ犯人の仲間だった、ということなのでしょうか」
「今のところ、そういうことになりますかね」
状況を俯瞰で見れるほど情報がないから、断定はできない。
「ちょっと予想外の斜め上過ぎて、思考が追いつきません」
「まぁ、今日は色々ありましたからね。とりあえず、明日からはそのもう一人の奴も探してみることにしましょう。木田についても何か分かるかもしれないですし」
「そうですね」
電話が鳴る。
「どうぞ、出てください」
私のことは気にせず、と口にはしなかったが、手を差し出す仕草をしてきた。俺は「失礼」と伝え、足の速度を緩めながら電話に出た。
「もしもし?」
『お疲れ様です、先輩』
「おう」
噂をすれば、田荘だった。
『例の件は大丈夫でした?』
「ああ。お前のおかけで無事に片がついた。いきなりだったのに、ありがとな」
『いえいえ。なんか対暴課の連中も、前から朝本組のことをマークしていたみたいなんですよ。逮捕に向けて色々探りを入れてるって噂は耳にしていたんで。先輩からの話したらすぐ動いてくれました。良いタイミングだったんですよ』
成る程な。迅速に動いたのも、超がつくほど協力的だったのも、そういう理由だったってわけか。
田荘は『そうだ、今少しよろしいですか?』と、何か大事なことを思い出したように口にする。どこか慌て始めたような気がしてならなかった。
「どうした?」
『彼が……木田が、見つかりました』
「あぁ?」
反応の声が大きかったからか、前を歩く西さんも警官も足を止め、振り返った。
少し恥ずかしくなり、俺は視線を斜め下に落としながら、「どこにいたんだ?」と続けて訊いた。
『それがですね……』
田荘は何故か通話口に顔を近づけ、囁き始めた。
『これが少しややこしいんですよ』