第27話 田荘⑷
俺は深いため息をついて、デスクから席を離した。
ドライブレコーダーのあの男が、前科者だったとは……
パソコンに目をやる。表示しているのは、前科者データベース。映像処理した映像と照合したところ、一件ヒット。名前は菊池。きくちではなく、きくいけと呼ぶとのこと。
窃盗で三年の執行猶予を受けている最中に、恐喝で逮捕。執行猶予は取り消され、二つの刑期を合算した懲役四年十ヶ月の実刑判決をくらう。金戸刑務所に入所。仮釈放は無く、満期で釈放。それがつい一ヶ月半前のこと。
気になるのはここ。菊池は刑務所内で職業訓練で自動車車体整備士の資格を取得した、とある。車体整備ということは、車のボディやフレームについては詳しいと考えられる。盗んだ目的は不明だが、ナンバープレートを盗ったのはおそらくこいつだろう。
データベースには現在、調布にある自動車組立工場に就職したと書いてあって……
「室長」
そう言いながら、駆け足で錦戸さんがやってくる。「菊池について聞けたぞ、社長さんから教えてもらえた」
「どうでした?」
「残念。分からねえんだと」
えぇ……
「半月前に別の従業員と揉めた時があって、それから来てないってさ」
「家は?」
「見つけたが、近所の住人曰く、ここ一週間は帰ってきてねえらしい」
「そうですか……」
「足使って探すしかねえな、こりゃ」
思わずうなだれる。
「ま、こればかりは仕方ねえよ」
「そうですね」
振り出しに戻るっていうのは、捜査をするにあたって切っても離せない関係にある。
「しかし、彼と木田がどのような関係なのか。木田は大学生、菊池は前科者。年齢も二十代と四十代前半。となると、年齢はかけ離れてますよね」
「けど、今の時代、どこで繋がっているか分からないからな。ほら、ネットで知り合ってなんてのも今じゃ当たり前だろ」
まあ確かに。
「そういや、例の90キロについては何か掴めたか?」
「いいえ、さっぱりです」
荷物と体重合わせてって予想だけで、中身がなんだったのかとかは分からないままだ。
「データベースからだと……菊池は50キロ。なら、荷物は40キロか」
「結構な重さですよね」
「ああ。自分の体重並みのものを運ぶんだからな」
「そんなものを肌身離さず持っているとなると、よほど大事なものだったんだろうな」
「それを持って逃げていた」
「それなんだけどよ」錦戸さんはデスクに肘をつき、頬杖をついた。「菊池は事故が起きちまったから逃げたのか」
「違うと?」
「俺は誰かに追われていたからだと思ってる」
「追われていた?」
「ここからはあくまで想像だ。この格好をする時、何をしようとする?」
「ええっと」
黒づくめ、黒づくめ……
「闇夜に身をひそめたいからこの服装にするかもしれないです」
「そこから、よからぬことを想像してみろ」
「よからぬこと……あっ、もしかして、盗み、ですか?」
俺は菊池の前科を鑑みて答えると、錦戸さんは静かに肯いた。
「だが、近くで盗難関係の被害届は出ていない」
「えっ、そうなんですか?」
「調べてもらったから間違いない」
い、いつのまに……
「そこで考えてくれ。事故った車がやってきた道はどこに繋がってる?」
「曲がってきたところってことですか」
「そうだ」
「ええっと……」
「倉庫だよ、東区の」
あぁ、あの辺りはヤクザの取引によく使われて……あっ。
「もしかして、ヤクザに追われていたってことですか?」
「だから被害届も出さずにそのままになってる。明かせないから、もしくは自分らでケリつけるためにな」
成る程。
「けど、一つ疑問が。菊池の服装的に用意周到だったような気がするんですが、いくら前科者だったとはいえ、ヤクザとの繋がりもない。一応はカタギなのに、ヤクザの裏取引について事前に入手するなんて真似、可能なのでしょうか」
錦戸さんは腕を組み、苦い顔になる。
「そこは俺も考えていた。腑に落ちないというか、納得いかない点としてな。何にせよ、手詰まってることだし、ついでに調べてみんのもいいかもしれない」
「そうですね」
携帯が鳴る。見ると、知らない番号から。誰だろうか……
「ちょっとすいません」
俺は身体を逸らし、電話に出た。
「もしもし?」
『あっ、こちら田荘警部補の携帯でよろしかったでしょうか?』
声からして四十代後半から五十代前半の男性。だが何より、聞き覚えがない。
「はい、自分ですが」
『突然のお電話申し訳ございません。私、金戸南第三交番駐在のヤバタ巡査と申します」
「どうも。ご苦労様です」
初めて聞く名前だ。てか、なんで俺の番号知ってるんだ?
『只今、南区にあるマンションの住人から通報を受けまして。ついさっき、現場に急行したのですが、現場にですね、キダケイスケさんという男性がおりまして。ご存知ではないでしょうか?』
「は、はい?」上手く飲み込めず、聞き返す。
『いや、金戸中央病院の入院着のままでおりまして。妙に思って確認したところ、田荘警部補が捜索していると、お伺いし、電話した次第で』
「あっいや、まあ、そうなんですが……」
確かに病院には何か情報が入ったら連絡が欲しいとは言っていた。けど今は、そんなことより、だ。
俺はスピーカーに直し、「先程、キダと仰いましたか?」と続ける。錦戸さんもその言葉に反応し、体を向け、近づいてきた。
『は、はい』
「それは、木曜の木に、田んぼの田?」
『ご本人に、確認してみます。少々お待ちください』
電話口が遠くなる。細々と声が漏れ聞こえてくるが、なんと言っているのか自信を持って言えるほど大きくはなかった。大の大人二人が息を潜め、返事に耳を傾ける。
『はい、そのようです』
ひょうたんから駒とはこういう時に使うのだろう。これまで使ったことのないことわざだが、俺の中でようやく日の目を浴びた。
錦戸さんはすぐさま手帳とペンを取り出し、準備を整える。ペン先を出した瞬間、俺は口を開いた。
「すぐにそちらへ向かいますので、住所を教えていただけますか」