第24話 御室⑸
「暴走族ってのは走るのが得意だ。けど、それと同じぐらい、警察から逃げるのが得意なんだよなぁ」
周りに灯りはないものの、いや無いからか、差し込む月明かりが辺りを照らしていた。夜の倉庫というのは、学校並みの怖さを醸し出していた。けれど、湯瓶さんは怖くないようだ。淡々と俺に話しをし続けていた。
「特に乱舞は、これまでに相当暴れてきたっていうのに野放しにされていたのは、その逃げ足の早さゆえのこと。捕まえられなかったのさ」
「だからですか」
俺は少し離れた木材置き場に隠れながら、辺りの様子を伺いながら、湯瓶さんに尋ねた。
「警察呼ぶ前に、こうして全てのバイクのタイヤをパンクさせようとしてるっていうのは」
「そゆこと」湯瓶さんは不敵に微笑んだ。「いくら逃げ足が早かろうが、駅もタクシーも近くにないこんな外れで、唯一ともいえる逃走手段を奪えば逃げられやしない。今度こそお縄頂戴というわけよ」
でもそんなことしたら、バレるんじゃないか。そんな不安で俺の頭はいっぱいだった。こういった考え直すような促しは何度もしている。けれど、「大丈夫だよ。きっと」と、聞く耳は持っていなかった。てか、どこから来るのだろう、その安心感……
プシューっと空気の抜ける音が聞こえる。ゴムの接地面が増えていく。
「よし、これもオーケーっと」
これで九台目。残り二台。
中腰のまま移動し、次のバイクへ。より左側に行き、俺とは斜め左の位置になる。
「どう?」
俺は辺りを見ながら「誰も来てません」と答える。
「了解」
俺は注意力を失わずに、ずっと気になっていることを尋ねる。
「翔、大丈夫ですかね」
「暴力的とはいえ、無駄なことはしない。折角の交渉材料に下手なことはしないはずだよ」
とはいえ、不安は残る……
「とはいえ、不安だよね」
「え?」思ったことと同じ。まるで心の声を見透かされたかのような言葉に戸惑う。
「すぐに終わらせる。そしたら警察を……」
突如、けたたましく響く高音。ピーピーと鳴っているのは、バイク。湯瓶さんの目の前にあるバイクだ。
この音……車に盗難防止用でよく付けられるアラームと同じ音がする。
湯瓶さんは手を宙で固定したまま、ゆっくりと振り返った。口をパクパクしている。何か喋っているようだ。
「え?」
「バ……の……るの?」
「はい?」
駄目だ。全然聞こえない。首を傾げる動作をしていることしか分からない。俺は声を張る。
「バイ……いうの……れるの?」
声を上げるものの、まだ聞こえない。また首を傾げた。
「はいっ?」
俺はさらに張り上げると、湯瓶さんは大きく息を吸って、首を傾げた。
「バイクにもこういうの、付けられるの?」
って言ってる。聞き取れた。
……いや、知らないよ! そんな首を傾げられても、存じ上げてないよ!!
サイレンが止む。ホッとしたのも束の間、案の定というべきか、音を聞いた乱舞たちの声が倉庫の奥から聞こえてきた。何だ、早く見てこいっ、など怒号に近い叫び声。恐怖マシマシ。
ほら、言わんこっちゃないっ!!
「湯瓶さん、ヤバいです。乱舞がやって来てます」
「あらら」湯瓶さんは場違いなくらい能天気な発言をする。「バレっちぃったー、ならしょうがない」
湯瓶さんはポケットからメリケンサックを取り出し、右の指にはめた。実物を見たのは、初めてだ。
視界の隅に、人影が。見ると、乱舞の連中が走ってこちらに向かって来ていた。
「き、来ましたっ」
湯瓶さんはメリケンサックを二度強く握った。
「よし」膝を叩いて勢いよく立ち上がった。「隠れてて」
「ゆ、湯瓶さんは?」
「もちろん」俺を見て、にこやかな顔になる。「正々堂々、行ってきます」
え? 行ってきますって、えぇっ!?
湯瓶さんは駆け出す……いや、もう駆け出していた。俺はこっそりと身をひそめ、様子を伺う。
最初の一人は素手で向かってきた。殴りかかろうと腕を引いていた。湯瓶さんは身体を腕の下にくぐるようにすぐ避ける。膝を後ろから押し込むように蹴る。相手は膝をついたところで、後頭部をシートにぶつける。反動で跳ね上がる。右側頭部をバイクのミラーへ。砕けるようにひび割れ、そのまま地面へとへたり込む。
「おらっ」
襲い掛かろうとする声に呼応し、湯瓶さんは横を向く。後ろから来ていた奴にタックルされ、地面に背中からぶつかる。湯瓶さんは苦痛で顔を歪めるも、肋骨横に二度三度四度とメリケンサックの拳をすぐ入れる。相手が怯んだ隙に髪を掴み、頬に入れる。
三人目。木製バットを構えている。目を開いてさっとしゃがむと、なんと近くにいた乱舞の人間の顔面に当たる。バク転するように地面へ後頭部を打つ。イッタそう……
バットが折れたため、今度は殴りかかってくる。湯瓶さんは屈み、腹に向かって突進。俺のいる方へ。木材置き場にぶつかる。頬に向けて、肘打ちを決める。頭が揺れて、前に倒れ込む。
「テメっ」
次は、蹴ろうとしてくる。右に身体を逸らす。避けて袖口を掴むと、メリケンサックを握り直して、脛に一発打ち込む。相手の足がおかしな方向に傾き、「ぐぁぁ」と悲痛の声を上げた。そのまま足を掴んで回し、バイクに投げてぶつける。
六人目は、走ってくる奴。左足を斜めに出し、中腰に落とす。腹にまっすぐ一発入る。相手は「ぐはっ」と悶えて跪く。湯瓶さんは手前にあったハンドルを引く。安定を失ったバイクはその上に倒れる。
バールを持った奴が湯瓶さんの前で立ち止まる。両腕を引いて振ろうとしている。位置的に狙っているのは頭。上半身を後ろに引いて躱す。力込め過ぎたせいで、相手は後ろを向く。見せた背中に湯瓶さんは蹴りを入れる。後ろへよろけていく。湯瓶さんは駆け出し、跳ぶ。向けた顔に振り下ろすように鋭く入れた。
残りは二人。少し怯えていたものの、小さめの角材を振りかぶって、やってくる。体を右斜めに素早く落とし、ガラ空きな脇腹へひと突き。抉るように入る。くの字に曲がる身体。角材を落としながら、横に足をふらつかせる。そのまま前後にステップを踏む。腹、みぞおちと順番に入れ、最後は顎から突き上げた。アッパーで空を舞ったまま、地面に倒れ込む。
それを見たせいでか、最後の一人は立ち向かってこなかった。バイクに跨ぎ、エンジンをかける。運が悪いことにパンクしてないみたいらしい。
マズい。俺は思わず立ち上がる。
湯瓶さんは慌てて走り出すが、流石にバイクには敵わな……ん?
横目に足元で跳ねるものがあった。見ると、スーパーボールが。景品で当てたやつ、ポケットから落ちたみたい。
これだ!
俺は横にして置いていた傘を持ち、跳ねるスーパーボールをすぐさま掴む。
やるっきゃない!
真上に飛ばし、傘でかっ飛ばす。
いっけぇっ!!
気持ちだけは一丁前。テンションは最高潮。
けど、現実はそう上手くいかない。全然届かない。放射線状には飛んだのだけれど、手前で落ちた。もうね、びっくりするぐらいに前の方。
ええ……肩を落とす。
バイクは何のダメージを受けることなく、遠ざかっていく。クソ、ダメか……
十字路に差し掛かった時、急にバイクのエンジンがブンっと鳴る。
なんの音かと思うより前にバイクは思っくそ前に転がる。コンクリに擦れるけたたましい音をかき鳴らしながら、地面を滑っていく。
運転手はというと、慣性の法則で飛ばされて宙へと浮き、背中から地面に叩きつけられる。空を見上げたまま、動かなくなる。運転を誤ったかと考え、とりあえず近づく。
えっ、まさか、こけたの?
息が上がっている湯瓶さんが振り返る。俺の目が合う。
言葉を交わさずとも、行ってみよう、という思いは一緒だと分かった。向かうと、そこにはさっきの奴が倒れている。胸を押さえている。
「こんなの、ここにあったっけ?」
湯瓶さんがそう口にする。え?と思いながら、目線を向けると、近くにゴムが伸びていた。倉庫から倉庫の間、足首辺りにまっすぐピンと張っていた。
おそらくこれに引っかかって転倒したのだろう。けど……
「いえ、ありませんでした」
そう、そもそもこんなのは無かったのだ。当然、俺らが張ったわけでもない。
「てことは、誰かが張った?」
辺りを見回すも誰もいない。何か別の目的があってここに誰かが引いたのだとすれば、近くにいるはず。それに、出てこないというのも変な話だ。
一体誰が……
「おーい、誰かぁー」
あっ、そっか。倉庫で放ったらかしにしたまま、今はとりあえず翔を助けないと。
「まあ、全員倒したことだし、とりあえず警察呼ぼっか」
「お願いします」
湯瓶がスマホを取り出す。
「あっ」
嫌な響き。
「どうしたんです?」
湯瓶さんは画面を見せてきた。絶句する。
「おーい……そこにいるなら返事下さーい」
奥から聞こえてくる翔の声も遠くなる。
「そ、それって」
戦闘による衝撃なのだろう、画面には大きなヒビが入っていた。
「壊れちゃった……んですか?」
「い、いや。大丈夫」湯瓶さんはどぎまぎしている。
「スマホの画面とかってちょっとした衝撃で割れるやわな作りでしょう。けど、中のシステムは問題ないことが往々にしてあること。だから、案の定というか、仕方ないというか。ね? でも、ほら」
画面の下の方にあるボタンを一度押した。「ん?」タイミングを開けて、二度三度。
「あれ?」次に側面についた電源ボタンを押した。これも一度、タイミング開けて二度三度。
「大変申し上げにくいのですが……」四度目を押した時、湯瓶さんは苦い笑いを向けてきた。「どうやら、ご臨終のようです」
やはり、壊れてしまっていたみたいだ。