第18話 便利屋⑸
飛辻を連れ、トミーに戻る。夕方のかき入れ時のせいか、店内にはそこそこ客がいた。サラリーマンや大学生の友人同士、性別世代は様々だ。
入口の扉を開けると、カランコロンといつもの音が鳴る。暗い外から明るい中に変わり、目の反応が一瞬遅れる。
「いらっしゃ……」
視線を向けたマスターは言葉半ばに、拭いていた縦長のグラスを見ずに置く。そのまま、カウンターの端まで急ぎ足でやってきた。そばまで近づいてくると、さらに上半身を傾ける。
「奥の、厨房の向こう。休憩で使ってるところにいるよ」
それだけ。だが、充分に伝わった。
「悪りぃな、突然見知らぬ奴を入れてくれなんて言って
「いいや、構わないさ。それより、かなり怯えてるようだけど、大丈夫かい?」
「多分な」
詳しいのとはマスターには話してない。
「はい」と、マスターは上下に開閉するカウンター扉を開けてくれた。俺らはマスターと身体を傾けてすれ違い、狭いカウンターを抜ける。
黒い布の暖簾が見える。従業員のみの、つまりスタッフオンリーの場所だ。あるのは厨房と、食材の段ボールが積まれた置き場。勝手口にも繋がっている。
厨房は軽い食事を作るためにあるから、シンクやコンロなど、必要最小限の設備だけ。だから、厨房と段ボール置き場の間には、小さなスペースが不自然にぽつんとある。マスターが普段、小さな四角いテーブルと折り畳み式の背もたれのない円形の椅子を広げて、休憩に使っていた。
暖簾をくぐってすぐ、姿が見えた。反対に、俺らがやってくるのも見えたらしく、顔を向けるとすぐさま立ち上がった。
「ドラさん」
マニアはいつも部屋着にしている紺のジャージに、ネズミ色の厚手のパーカーを着ていた。
「疲れてるみたいだな」
普段以上に乱れた髪、目の下のクマに少しこけたように見える頬。かなり大変だったようだ。
「いや、まあ少し。けど、大丈夫っす」
一言そう返事を返すと、視線が俺の後方に向く。何故かはすぐに気づいた。
「こいつは飛辻。高校ん時のダチだ」
「はじめまして」
「は、はじめまして」マニアは会釈するも、目線は飛辻に向いたまま。どこかぎこちなさを感じた。
「心配しなくても大丈夫。こいつは信頼していい」
「あっ、いえ。そうじゃなくて……」歯切れの悪い返事の後、また飛辻に視線が向いた。「間違っていたらすみません。もしかして、ネクロパイオニアの?」
「ええ。そうです」
マニアは酷く驚いた顔で、だがどこか羨望の眼差しで飛辻を見ていた。
「金戸島出身だとは聞いてましたが、社長さんがドラさんの知り合いだったとは……」
「いやいや、そんな大袈裟に言わないで下さいよ。大した事ないんですから」
顔の前で手を振る飛辻の表情はどこか嬉しそうだ。
「そんな事ないですよ」
マニアはまだ続けようとしていた。だから、話半ばで「盛り上がってるとこ悪いが、本題いっていいか?」と遮る。
「あっはい、すいません」
「実はな、お前にちょっと頼みたいことがあって、家行ったんだ。けど、お前はいないわ、部屋は荒らされているわ」
「すいません。帰ろうにも帰れなくなってしまって……」
「外嫌いのお前が帰らないなんて、よっぽどのことだな」
「どちらかと言うと家好きなんです。基本は通販で事足りるので、滅多に、ではありますが、外に出ますよ」
異常に重く沈んだ表情を少しでも和らげようと俺なりに気を配ったが、効果はなかったらしい。余計なことはせずに、早速本題に行けってことか。
俺は壁に立てかけてある、同じ円形の椅子を二脚持ってきて、広げ、座った。
「マニア」俺は膝に両腕を置いた。「一体、何があった?」
マニアはおもむろに視線を上げ、飛辻をじっと見た。
「今からする話は三人だけの秘密ということで、お願いできますか?」
飛辻は両眉を上げ、一瞬黙り込むも、「ええ」とすぐに力強く頷いた。
「他言はしません。お約束します」
その返事に安心したのか、マニアは小さく頷き、「先月のことになります」と話し始めた。
「ハヤブサの名前を使った奴がコンタクトを取ってきました」
「ハヤブサって」流石にこれは覚えていた。「お前のハッカー時代の名前だったよな?」
「はい」
「なら、模倣犯か?」
マニアは神妙な面持ちで鼻から息を吐くと、「数ヶ月前に起きたクラッキング事件はご存知ですか?」と続ける。
「クラッキング?」
「あ、ええっと」マニアが言い淀んでいると、「まあ、悪意を持って行うハッキングって考えてくれればいいよ」と、飛辻が代わりに補足した。
てことは、ハッキング事件ってことか。ん? どこかでそんなことを聞いた気が……
「あの事件、どうやら偽のハヤブサがやったようなんです」
「けど」飛辻は声をかける。「あの事件の犯人って、まだ判明していないはずですよね」
「なら、警察もマスコミも隠してるってことか?」
マニアはおもむろにスマホを取り出す。操作をしながら、「実際、判明はしていないと思います。おそらく知っているのは、偽物と僕だけでしょう」と言い、スマホをテーブルに置いた。
画面には一枚の写真が出ていた。パソコンの画面が斜めに撮られている。ハヤブサのロゴマークと訳の分からない英語やら記号やらがずらりと並んでいた。
「これが送られてきました。偽物からのメールに添付して」
俺と飛辻は同時にマニアを見た。「お前のところに連絡したってか」
「ご丁寧にもどうやって侵入したかの方法を事細かに載せてましたよ」
「てかよ」俺はスマホを返した。「送られてきたってことは、お前の正体を知った上で送ってきたってことだろ」
「ええ。だから当初、被害に遭った会社は情報流出は無く、被害は最小限に食い止めたとプレスリリースしてました。正直、半信半疑でしたが、これなら頷けます。僕にただ突破したということを見せるためだったんだなって。ほんと舐められたもんですよね」
息巻いているマニア。珍しくキレている。
「売られた喧嘩は買わないと。僕は自力で犯人を見つけようと調べていたのですが、犯人は手練れでした。しかも、相当用意周到に準備していたようで、自身に繋がる痕跡を一つ残らず消していました」
「メールは? 追跡はできないのか?」
「海外の特殊なサーバーを経由していて、追跡は不可能でした」
マニアは奥歯を食いしばる。
「悔しいですが何も手がかりが掴めぬまま、二週間ほど経過しました。夜中にコンビニに行った帰りです。誰かに後をつけられていることに気づいたんです」
「おぉ」感心の声を上げると、反応するかのようにマニアは「実は数日前から、誰かに家を見張られていると感じることがあったんです」と続けた。
「だから、このまま部屋に帰ったら何かされるかもしれない、そう考えたら、凄く怖くなってきて。とりあえず走って逃げきって、それからは部屋には帰らず、ずっと転々としているような感じで……」
気が立っているんだ、と言いたいところだが、事実部屋は荒らされていた。それがもしマニアの行方を探ることやマニアについて素性を調べることなのであれば……あながちマニアの読みは外れていないかもな。
「理由はよく分かった」俺は膝に手をついた。「なら、なんで俺に相談しなかった? お前には世話になってるし、断ったりは……」
「いや、そうじゃないんです」マニアは左右に何度も首を振った。
「相手はグループかもしれない、容赦も見境もない相手かもしれない。その気になれば、犯罪者に仕立て上げることのできる力を持っているかもしれない。僕だけじゃなく、ドラさんにその嫌な可能性を与えたくなかったんです」
心配したから、ということか。チッ、怒るに怒れねぇじゃねえかよ。
「はぁ……」そっぽを向いて俺は大きくため息をついた。「今度は何かあったら言うんだ。すぐにだ。分かったな?」
「……分かりました」
「ちなみに、お前の部屋は汚ねえか?」
「汚ねえ……とは?」
「ありとあらゆる物が散乱しているような状態です」
そう飛辻が続けると、マニアは「いや、人によるとは思いますけど、そこまでじゃないかと。それに一応、家飛び出す前日に掃除はしてます」と反応した。
てことは、やっぱり部屋を荒らした第三者がいるってわけか。
「……ドラさんたちが行った時、部屋どんな感じだったんです?」
悪い予感でもしたのか、マニアは恐る恐る聞いてきた。
「だから、荒らされてたんだ」
「ありとあらゆる物が散乱しているような状態に?」
「ああ」
酷く怯えている。「誰かが僕が留守の間に入ったんだ……」
やっぱな。雰囲気的に事件が解決したら、即引っ越すな、こりゃ。
俺はふと思い出す。「まあもう荒らされてたから、多少汚したけどいいよな」
「汚した、とはどんな風に?」
「部屋入ったら、あとつけてきた奴らが襲ってきてな」
「襲ってきてない。襲ったの君が」と飛辻が訂正してくるが、無視。
「銃なんか構えて、舐めた口叩くもんだから、返り討ちにしてやった」
「もうボッコボコのメッタメタにね」
マニアは静かだった。が、顔は驚きで歪んでおり、なんとも騒がしかった。
「な、な、なんでみんな後をつけられてるんですかっ!」
当事者が言うかね、それを。
「し、しかも銃って何ですかっ」当然マニアは初耳だ。「あ、あれですか。モデルガンかなんかですか」
「いや」飛辻はばつが悪そうに頭を掻く。「弾出たので実銃ですね」
「ホンモノ!?」マニアは勢いよく立ち上がった。思わず一瞬怯む。「実銃って! てか、弾って! 出ましたって!! 一体どういうことなんですかっ!!」
「るせぇぞ、少し黙れ。店に迷惑だ」
思いの丈をぶつけるように叫び散らかす中、俺はドスを効いた声色で話す。マニアは急激にしゅんと身体を縮こませ、腰を落とした。
「カラギャン雇って誘拐させるために見張らせて……ヤクザにそこまでさせる会社ってなんなんだ。第一、その会社だって、子会社なんだろ?」
「いや、関連会社。ま、どっちでもいいか。名前はね、モーストリー」
「そこの大元が買収断ったら嫌がらせしてきてたわけだろ。ろくでもねえよな、元のその……あれ、俺名前聞いてたっけか?」
「あれ言ってなかったっけ。元の方は、アバターズってとこ」
「ん?」マニアが反応する。「ちょ、ちょっと待って下さい。あの、アバターズですか?」
「ねー」飛辻は嘲るように一笑した。「だから、クラッキングの話聞いた時、驚いたよ。世間って狭いよね」
「そんな……」一方のマニアは絶句した。
「なんだ、二人して。どうした?」
マニアは一つ唾を飲み込むと、「僕の偽物がクラッキングした会社も、アバターズなんです」と俺を見て答えてきた。
「なんだと?」まさかの繋がりが出てきた。「それは本当か」
「ええ」マニアは再び飛辻に視線を向けた。「確認ですが、あのアバターズですよね。トレハンを作った?」
「そうだよ」
飛辻は当たり前のように首を縦に振る。
「なんだその、トレハンって」
けど、俺には初耳だった。
「アプリゲームだよ。トレジャーシティ・ハンディング」