第16話 探偵⑷
「おい」
背中の方から声をかけられる。だが、明らかに俺に向かってだというのは分かった。
振り返る。洲崎さんは遅れてカメラを後ろに向ける。スーツ姿の男やら長袖のアロハシャツみたいなのを着ている奴らがぞろりと並んでいた。
経験と雰囲気でなんとなく分かる、こいつらヤクザだ。
「なんの用だ?」
「木田について何か知ってるな」
先頭の赤スーツの奴がそう話し始めた。
「木田?」
「とぼけても無駄だ。さっき電話で話してるのを聞いた者がこっちにいるんでな」
誤魔化しは効かねぇってことか……ったく、めんどくせえな。
「とぼけてねえよ。ホントだ。知ってるような知らないような、そんな感じ」
「あ?」眉を曲げる。
「だから微妙って意味だよ」
「んだとテメェ」後ろにいた短髪の男が威勢よくつっかかってきた。まるで野球部みたいな頭だ。「さっきから黙って聞いてりゃ舐めた口聞きやがって、こらぁっ」
歩みを進めてくる。目を血走らせてるが、ヤクでも決めてんのか?
「やめろ」
言葉を交わしていた奴が腕を伸ばし、止める。どうやらこいつが統率しているみたいだ。
「おい、そこの女」洲崎さんに目をやる。「カメラ下ろせ」
洲崎さんは一瞬怯むも、撮り続けようとしているのは雰囲気から伝わった。少し危険だ。俺は上半身を後ろに向け、「洲崎さん、ここは」と目線をやる。悔しそうに口を真一文字にするが、ゆっくりとカメラを下ろし、地面と水平にした。
そして、赤スーツはまた俺を見た。
「別にどうしようとかじゃない。木田とお前がどういう関係か聞きたいんだ」
「知らないよ。そちらさんは、さっきの電話が木田からだって思ってるみたいだが、残念ながら違う。別の奴だ」
「じゃあ誰だ?」
「言っても信じないと思うけど、警察。知り合いがいるんだ」
一瞬眉を動かす赤スーツ。
「俺らはあんた達に何かしようとかは考えていないですよ」
たちまち敬語に早変わり。
「ただこっちも木田には迷惑かけられたんでね。四の五の言ってる場合じゃないんですわ」
「悪いな」俺は両手をコートのポケットに入れた。「こっちも手がかり無しなんだ。だから、お役に立てるとは思えない。残念だけどな」
「それはこっちが判断しますよ。とにかくおたくらが木田について知ってること、教えてもらえやしませんかね。それと、確認のため電話の履歴も。頼んますよ、この通り」
この通りって……不気味な笑みだけ浮かべるだけで頭は下げない頼みってのは、頼みに入るのかよ。
ま、なににせよ、警察って言葉を出しても引く気配がねえってことは、よっぽどだな。となると、断るって選択肢は無さそうだ。ったく、木田は何をしでかしたってんだ?
「はーい」俺は高く手を上げた。「じゃあ少しこっちで相談していいか?」
「ああ?」
「いやいやほんの少し。十秒だけ」
俺は身体を斜めにする。洲崎さんの顔は緊張で表情が固まっていた。
「こういう時は何するのが勝ちっていうっけ?」
「え……」
洲崎さんは視線を逸らす。だが、それも一瞬。すぐに俺を見ると、口を真一文字にし、縦に小さく頷いた。
俺は「せーの」と小さく声をかけ、二人で一斉に駆け出した。その間、ピッタリ十秒。
「テメェら、追えっ!」
背中から赤スーツが叫ぶ。直後、幾人も走り出す足音も聞こえた。
すれ違う人々全員がこちらに視線を向ける。そりゃそうだ。追いかけられているのだから。何があったんだという人間もいれば、何をやらかしたんだという人間もいる。
大通りからラビリンスへ。人工島で増改築を繰り返したことで出来た、この島ならではの迷宮だ。狭いものの曲がり角が多く、抜けられる場所は無限にあるから推測されにくいし、先回りもされにくい。ただがむしゃらに走っているよりかは撒ける可能性は高い。
どこかの店の勝手口やゴミ置き場を通り抜け、適度な場所で角を曲がり続ける。
「はぁ……はぁっ」
背中から荒い呼吸が聞こえ、顔を向ける。洲崎さんは口を開けたまま、逃げていた。絶えず吸われ吐かれる息は熱を帯びて白く見えた。
後ろで揺れている黒い物。必死の形相となっているのは、背負った荷物のせいだろう。疲労が溜まっているのは明らか。このまま走らせ続けると、危険かもしれない。
曲がり角を右に洲崎さんを先に行かせる。後ろを見る。我先にと来ようとしているからか、互いが互いに邪魔をしていた。ゴミにつまづいて、こける奴も。おかげで、距離は少し開いていた。
よし。
俺は洲崎さんの後を追う。一方通行のように数回曲がり角を進むと、二箇所曲がり角が見える場所に行き着く。
奥の角、その陰から青が大きなゴミ箱が目に入った。洲崎さんは手前を曲がろうとする。
俺は急いで駆け、「こっちです」と手を引き、奥側へ。で、「ここに隠れてて」とゴミ箱でしゃがませた。
「探偵さんは?」
「こういう時といえばですよ」俺は笑いかける。「囮になってきます」
俺は手前の角の前まで向かい、待ち伏せた。姿が見えた。数人見えたところで、俺は再び駆け出した。
何度曲がったのだろう。回数は数えていないが、相当数だというのは間違いない。
流石に息は上がってきた。速度を落としつつ、立ち止まった。着いたのは、高いマンションの裏手、区画でミスったような空き地のような一角だった。来た道以外、出られる場所はない。
「ふぅ……ふぅ……」
腰に手を置き、乱れていた呼吸を整える。肺と心臓のせいで、胸が激しく動いている。年取ったのかねぇ。
足音が聞こえる。振り返る。ようやくお出ましだ。
「八方……塞がり……ってやつ、だな」
相手も膝に手を置いて、そう口にした。後ろには膝に手をつく奴、天を見上げる奴、目を見開いて一点を見つめる奴、様々だ。
「女は、どこ行った?」
「さあ〜はぐれちゃったらしい」
「まあいい」赤スーツは膝から手を離し、大きく息を吸って吐いた。「袋の鼠だ。もう、逃さねえからな」
「プッ」俺は思わず吹き出してしまった。「はっはっはっはっ」
「何がおかしい?」
「勘違いしてるみたいだから、教えてやるよ」俺は首を左右に傾ける。激しい音が一度ずつ大きくなる。「逃げる気がなかったんだ」ここにしたんだよ」
腰を浅く落とし、構えた。
「袋の鼠はおめぇらだよ」
「ふざけやがって」強く噛んだ奥歯を見せてきた。「おい、やっちまえ」
軽く振った首が合図となり、一斉に挑んでくる。
いいぜ、受けて立つ、よっ!
一番先に来たチンピラ風のスキンヘッドの拳を躱す。右、左、右。一瞬の隙をつき、腹に一発。みぞおちだ。吐き気を催し、前屈みに。俺は上着の背中側、肩辺りを掴んで膝をさらに腹へ入れる。力が弱まる。
「クソがぁ」
背中に視線を向ける。今度は赤スーツがやってきていた。スキンヘッドを力で押し込み、礼をしている状態に。そのまま、すぐさま腿を上げ、相手の左膝に入れる。激しくぶつかる。ゴキュリと妙な音とともに「ぐぅはっ」という短い叫び声が聞こえる。体勢を崩し、後退していく。続けざまに、スキンヘッドの顔面に膝蹴り。力を失った体を適当に放る。無抵抗に地面に突っ伏す。
「てめぇっ」
気配は右側から。サングラスのジャージ野郎だ。回りながら躱し、顎へ右掌で突きを入れる。目の焦点が合わなくなり、そのまま地面へ倒れ込んだ。
次は左。野球部みたいな短髪の男だ。今度は蹴りを入れてくる。右、左、右。両手を交差させ、力を流して躱す。少し緩んだ一発のを掴み、一回転して敵陣へと投げた。よろけて転ぶ。ぶつかり尻餅をつく者もいたが、そいつを避けて向かってくるのも。
次は……っと。後ろから衝撃がきて、一瞬体がよろける。視線をやると、背を低くした状態で腰に向かってタックルしてくる奴がいた。両腕で腰回りを掴んでいる。俺は足を後ろにあげ、かかとで股間を蹴る。
「イテェっ」
力が緩んだその瞬間、すぐに身体を落とし、前転する。相手の身体も勢いで持ち上げ、そのまま地面へ背中から叩きつける。チクショウ、少し高さがあったな。
「おらっ」
野球部みたいな短髪が向かってきていた。もうすぐそこ。
俺はコートのポケットからビールの空き瓶を取り出し、投げた。上下に何度も回転し、眉間にぶつかる。頭は後ろへ、瓶は跳ね上がる。怯んだ隙に俺は立ち上がり、瓶を掴みながら、進む。野球部短髪が顔を戻したタイミングで、顔面に瓶で殴った。
またも頭が後ろに、そして足が持ち上がる。後頭部から地面にぶつかり、静かになる。見ると、ガラス瓶はもう飲み口辺りしか残っていなかった。もう使えない、後ろへ投げ捨てた。
次は右斜め前から、アロハシャツを着ている野郎だ。
伸びてくる左腕。見え見えだ。掌で手首辺りに一撃、外側へ押しのける。ゴキッ、と鈍い音が聞こえた。「ぎゅはっ」と短い悲鳴が耳に届く。直後、相手の腕はぶらりと垂れ下がり、そのまま、言うことを聞かなくなった。
体を落として、右手で拳を顎へ。頭がぐらぐらと揺れるも、すぐに立て直し、右でも殴ろうとしてきた。すぐさま右手で掴む。左で頬へ一発。苦痛で歪めるも、まだ倒れない。
んだよ、しぶてぇな。俺は頭を引く。で、頭突きを一発。鼻の両穴から弾けるように血を吹き出させると、流石に気絶して、後ろに綺麗に倒れ込んだ。
「くぅそぉっ」
見ると、後ろの方で、赤スーツがのそりとゆっくり起き上がっていた。
「この畜生めがぁ」と無駄に叫びながら、こちらに向かってくるが、膝が痛むのか、左足を引きずりながらやってくる。
「おいおい、無理すんなよ。フラフラじゃねえか」
「っるせぇ!」
駆けてくる赤スーツ。怒りで力が湧いたのか、速度が上がる。そして、拳を向けてくる。なんと、真正面から。
まったく、威勢いいな。いや、潔い、の間違いか。
だから俺も真正面から受け止める。拳は俺の手のひらで速度を失う。そのまま動かせないことに驚いたのか、紫スーツは目を開き、拳と俺を交互に見た。
「だから、無理すんなって言ったん、だっ」
で、回転蹴りを側頭部へ。確かな感触。真横に転がるように飛んでいき、地面へ滑り込んでいった。もちろん、気は失っている。
俺は赤スーツの元へ向かう。
足元でバリと音がする。見ると、割れたガラスを踏んじまったらしい。近くには、大小の鋭い破片が残っている。確か、ドラマとかで使われるのは危険がないよう飴細工になっているから粉々になるのであって、実際は違うんだったよな。昔、BJが話してた自慢げに話していたのを思い出す。
にしても、ゴミ置き場から拝借しておいてよかったぜ。やっぱ、備えあれば憂いなしだよな。
俺は赤スーツのそばへ。しゃがみ、胸ぐらを掴む。やっぱり、スーツの胸についているのは代紋バッジだ。黒の地に、金色で朝と書かれている。
朝本組、か……代々組長がテレビ好きで有名なとこだ。確か、昔はよくVシネ出てたとか聞いたことある。
ため息をつく。握っていた手を離す。
めんどくせぇな、こりゃ……ダメだ、吸わなきゃやってられっか。
タバコを取り出し、火をつける。フィルター越しに深く吸い込み、ゆっくり空へふかす。白い煙が空に消えていく。タバコを咥え、内ポケットから携帯を取り出す。履歴から番号を見つけ、電話をかける。
耳につけた。プルプルと着信音が聞こえる。俺はヤクザを跨ぎながら、出口へと向かっていく。
『もしもし?』洲崎さんの声。
「大丈夫ですか?」
『私はなんとも。探偵さんこそ大丈夫でした?』
「ええ」俺は振り返る。追ってきてない。「一応は片付きました」
『はぁ、良かったです。逃げてた時はどうなることかと思いましたよ』
「まださっきの場所で隠れてますか」
『ええ、動かずにそのまま』
なら、良い。
「では、来た道を引き返して、どこか通りに繋がるところへ出て下さい。そこに向かいますので、落ち合いましょう」
『その、通りに繋がるところというのは、最初に路地へ入ったところに戻る、ということですか』
「いや、この路地は迷路みたいに入り組んでいて、同じところに戻るのは至難の業です。ですので、どこでも。どこに出てもいいので、とにかく通りへ。明るいほうに歩いていけば、出られるはずですから」
『分かりました。通りに出られ次第、かけ直します』
「お願いします」
俺は電話を切り、路地を脱するため、太陽の明かりがさす道へと向かった。