第10話 西⑵
「どうした?」
探偵さんは電話の向こうの田荘さんへ尋ねるように話した。何かあったのだろうか。
「色? 色は紫だ。スポーツカーで……え? あっ、そういえば騒がしくなってたなぁ……てか、まさかそれ……」
探偵さんは目を見張った。真剣になったという方が的確かもしれない。そりゃそうか、事故という言葉を聞けば。私だって瞳孔開いたし。
「いや、俺が通った時にはもう車は撤去されたから、詳しくは知らなかった……それで運転手は? そうか、なら良かった。いや実はな、ある夫婦から息子がいなくなったから捜してくれって依頼があってな……いや、警察にはもう届けてある。けど、家出だと思ってあまり真剣なは取り合ってくれなさそうだからと、うちに来たんだと」
探偵さんは腰に手を当てる。
「ん? いや、そういうことは特には言っていなかったな……うーん、むしろ走り屋のような輩とは遠い見た目だった」
走り屋? なんの話??
「あぁ、依頼主の両親から写真を貰ってな。ここ最近の写真で、雰囲気的には普通の学生って感じだな」
頭を掻く探偵さん。指に毛が絡むのを上手く解いていた。
「うーん……勿論、親が隠してる可能性も無くはないが、どちらかといえば知らないのほうかもな。ま、一応確認してみるよ。けど、なんで身元不明のままだったんだ?」
気になるワードが飛び出した時、私の電話が鳴った。何よこんな時に。画面を見る。相手は“タカテレビ”。
おっと。
「誰から?」
私は慌てて視線を動かす。見ると、先輩。だが、私を見ておらず、探偵さんを凝視したまま。
「局からです」
「局? なに?? 何かやらかしたのあなた???」
「いや……」私はすっとぼけるフリをして首を傾げる。「とりあえず、出てみてもいいですか」
「ええ。あっじゃあ、カメラ」
「お願いします」先輩に渡して、少し距離を置いてから、私は電話に出た。
電話を切った私は足早に戻る。
「すいません」
カメラを先輩から預かる。
「じゃあまた何か分かったら連絡頼むわ」
その頃、探偵さんは電話を切っていた。
すぐさま先輩はにじり寄る。そして、「収穫ありました?」と問いかけた。
「ええ」探偵さんはケータイをしまう。「実はつい三日前にですね、中央区の通りで、車が洋服店に突っ込むという事故があったんですが、どうやらそれが、依頼人の息子さんではないかと」
「事故って、今はどうなっているんです?」
「幸い一命は取り留めてるようで、今は金戸中央病院に入院してると。動けないほどの重体ではないものの、目を覚ましたのはついさっきらしくて、詳しいことはあまり。田荘も近々、事情聴取を始めると話してました」
よかった……ホッと息を吐く。それも束の間、私は小さく手を上げ、「ひとつよろしいですか?」と尋ねてみる。
「なんでしょう?」
「さっき電話で身元不明だとか話していましたが、あれは?」
「あぁ」探偵さんは反応する。「どうやら身分証明書を何も持っていなかったらしくて、本人確認が取れなかったからだそうで」
身分証明書……「なら、免許証も?」
「ええ」
てことは無免許で運転していた……勢いで家を飛び出したから忘れてしまったのだろうか。
「けど、車両から調べることはできるんじゃないですか。ほら、ナンバープレートとか」
先輩が続く。
「それが、プレートもなかったようで……」
なかった?「付けていなかったということですか?」
「その辺はまだ」
「けど、あの両親の話ぶりからすると、そういう感じでもなさそうですよね」
「そういう感じ?」
「プレートを外して走るような、それこそお話ししていたような走り屋みたいな」
「ええ。俺もその辺りが気になってます。外していたようには思えないんです。もし隠していたとしても、警察が少し調べれば分かることですから」
「となると、誰かが外した?」
「金になりますからね、事故現場に居合わせた者が警察が来る前に外して盗んでいった可能性もあります」
成る程……
「これからどうするんです?」
「とりあえず、依頼人に電話して確認してもらおうかと考えてます。ほぼ確実とはいえ、確定ではないので。身元と安否の確認を含めて。警察にはさっき許可を得たので、すぐにでも電話して……」
探偵さんのケータイが鳴る。
「田荘からだ」そう独り言を呟くと、「失礼」と少し離れて電話に出た。
「なんだって?」
「え?」先輩からの唐突な問いかけに私は眉を上げた。
「さっきの電話。局からって話してたやつよ」
ああ。「実は……呼び出されちゃいました」
「はぁ? なんで突然??」
「詳しくは。とにかく来い、とだけ」
「なによまったく。タイミング悪い連中ね」
「すみません。すぐに戻ってきますので」
「ん?」先輩は眉をひそめる。「なに、呼ばれたのあなただけ?」
「えっ……あっ、はい」私はここで会話の小さなすれ違いに気づいた。
「そう。それはそれで癪ね」
と言われても……
「ま、分かったわ。行ってきなさい」
えっ?!「い、いいんですか?」
珍しい反応に私は驚きを隠せなかった。こういう時は局なんて無視しろとか言うのが先輩だ。てっきり言われるとばかり思っていたのに……
「これから面白くなってきそうなのに、下手に逆らってポシャるのだけは避けたいからね。仕方ないでしょ」
「すみません、撮影お願いします」
「りょーかい」
私はカメラと三脚の入った肩掛けバッグをまた預け、一礼し、駅に向かう。
最寄り駅は……どこになるのだろう。
結局一時間近くかかり、ようやくフロアに着く。私は左右に視線を向ける。どこにいるのだろう……
「遅かったな」
振り返ると、本堂さんが丸めた台本で肩を叩きながら立っていた。白が大方を締めているテクノカットの黒髪と、常に眉間にシワを集中させている表情、薄い縦ストライプの入った淡い青ワイシャツの腕を肘上までまくっている姿は、いつ会っても変化はない。
「すみません」
ため息ひとつ漏らすと、「ついてこい」と私をのけて、歩いていく。言われるがまま追いていくと、本堂さんは奥の小会議室に入っていった。
「失礼します」と私も続く。
「閉めてくれ。ブラインドも」
本堂さんは会議室の電気をつけると、奥に向かった。手では締める動作をしている。こちらは見ていない。
私は静かに扉を閉めて、ブラインドのチェーンを巻いて下ろしていく。途端に遮光され、部屋の暗みが増した。
「手伝いでロケハンしてるそうだな」
情報を手に入れるのはなんとも早い。洲崎さんが流したとりあえずの偽情報だ。
「ええ。ついでに撮影も少し」
「そうか。順調か?」
「ええ、まあ」
私は既に座っていた本堂さんの近くへ向かう。そばの椅子をカラカラと引き、腰を下ろす。
「早速本題にいこう。洲崎はどうだ」
「特に変わりはなく……」
「何?」途端、本堂さんの顔がしかめ面に。「何も、じゃないなら変わってるんだろ。なら、しっかりとピックアップしてこい。それに、先月と答えが何も変わらないじゃないか」
本堂さんは腕を不機嫌そうにテーブルに置いた。
「忘れてないだろうな、お前を洲崎と一緒に飛ばした目的を」
「……はい」
「じゃあなんだ、言ってみろ」
「洲崎さんを……見張ることです」
「そうだ。洲崎が好き勝手やって前みたく暴走しないように水際で止められるよう、見張りとして同じ資料保管室へ送った」
それに、いかにもはなっからその目的で、という風に果たしてそうなのだろうか。言っていることが懐疑的。だって、資料保管室に送られた当初はそんなこと一言も言われてないから。私の見立てでは、送った後にふと閃いたから、都合がいいからという理由で、後付けしたのを無理矢理形式整えたのだと推察している。
本堂さんは足を組んだ。「なんやかんや、あいつはお前を信用しているからな。都合がいい」
だから、裏切るようなことはしたくないんじゃないか。なんだが悔しさのような複雑な感情が芽生えてきて、身体の横につけた手で強くグーを作った。握った拳の爪が内側の肉を食い込ませる。
「もし……」私は前から気になっていたことを伝える。「もし洲崎さんが暴走していると、本堂さんや上層部が判断したらどうするつもりですか?」
「どうするも何も、基本的にどうもしないよ。あの部署は君も分かっている通り、窓際だ。犯罪みたく悪いことをしたわけじゃない。今の時代下手にクビには難しいというわけだ。まったく、辞めさせるのにこんなに労力かかるとは、無駄だよなぁ」
あまりこの言葉を多用したくはないけれど、今回ばかりは、パワハラだろう、と、叫びたかった。怒りに近い気持ちで訴えたかった。
「だがまあ、あまりにも目に余るようであれば、それ相応の処遇も考えていかなければならんとは思っている。俺も上も」
本堂さんは首からぶら下げている社員証を触る。裏面になっている。顔写真がある表面をこちらに向けた。
「いいか、あくまでお前は見かけだけの人事異動だ。洲崎を見張るのが仕事だ。それが出来ないのなら、価値はない。見かけだけじゃ済まなくなるぞ」
作っていた握り拳を解く。その言葉だけ妙に胸に刺さってる。だから、こうして従ってしまっている部分があるのだ。複雑な感情の原因である、罪悪感が胸に募る。いつか溢れそうだ。
ガチャリと扉が開く。姿を見せたのは、女性。経理関係をしている佐間木さんだ。
「お話中すみません。本堂さん、権田原法律事務所様からのお電話です」
「何?」本堂さんは足を直す。「スマホに直接かけろと言ってあんだぞ」
「はぁ……」
そんなことを私に言われても……という表情を浮かべている。
「あの、今は固定電話の方にかかってきておりまして。この前の件で少しお話しがしたいと」
「あぁ、あれか」目の色が変わる。「スマホにかけ直してくれと言っておいてくれ」
「分かりました。失礼します」佐間木さんは軽く会釈をしながら会議室を出ていった。
「今日のところはこれでいい。ご苦労だった」
さっさと追い払いたいという魂胆が見え見えだ。私は、ムッとするのを表情に出ぬよう抑えて、席を立った。
会議室の扉前で「失礼しました」と会釈して出る。扉が閉まった後、急に手のひらに軽い痛みと違和感を感じた。見てみると、グーのせいで作られた爪の跡がくっきりついていた。食い込み部分で血が滞留したせいか若干赤くなって、痕として残っている。
けれど、どうせこんなのはすぐに消える。なら、残る動画を撮る。ただあそこで、あの人のもので偽ることなく、本当の現場に返り咲いていくだけだ。今従っているのはそれまで、服従しているかのようにほんの少しの間見せているだけ。クビにされては何もできないのだから。そうだ、もう少しの辛抱だ。我慢我慢。
私はすぐにその場を去る。早く現場に戻りたい、その一心だったからだ。