第8話 便利屋⑶
「無敵くんとは会ってるの?」
階段を上りながら、後ろから飛辻は質問してきた。
「会ってると思うか、あの単細胞と」
「もしかして、っていうのもあるじゃん。年月が経って丸くなる、みたいな」
「仮に丸くなっても、俺はゼッテェ許さねぇ」
「前から思ってたんだけどさ、なんで許さないの? 理由って何?」
「それは……」頭の中で探す。「その、なんだ。えぇ……」
「同族嫌悪ってやつ?」
「あぁ?」
少し張り上げた声と不機嫌な表情で振り向く。飛辻は「冗談ですよ〜」と笑みで誤魔化してくる。けれど、慌てている様子はなかった。
「すぐは浮かばねえだけだ。思いついたら、話すよ」
特にない、というのは言わない。どうせまたイジってくるだけだ。
「はいはい」
ったく……俺を小馬鹿にするの、単細胞とコイツぐらいだぞ。
「懐かしいね。こうしてまたキドくんと一緒にいるの」
「高校の時以来だよな」
「そうだね。卒業してからはバラバラだから。思い出すよ、無敵くんとよく喧嘩してたの」
「別に思い出さんでいい」
「喧嘩界のトップ二人があれだけド派手に喧嘩してれば、否が応にも蘇っちゃうよ。二人が喧嘩した場所は、電柱やらブロック塀やら壊れまくって、地面のコンクリでさえボロボロになっちゃうし。そんで、しょっちゅう武装した警察が出動してるのに、被害が拡大しないようにと周りを囲んでエリアを作るだけ。高校生のタイマン勝負に、武装した警察が怖くて手を出せないってどういうことよ?」
「知るか」
そりゃ向こうの判断だろ。こっちが知ったこっちゃない。
「知ってる? 世紀末や場末って呼ばれてたの」
「それも知るか」
「あれれ、当事者には案外伝わってないこともあるのかな」
「かもな」
「そういえばさ、二人が疲れている時にここぞとばかりに大量のヤンキーが勝負
挑んできたの、覚えてる?」
「あぁ……」よく覚えてねえ。
「あれってさ、そもそもヤンキーが無い事ばかりを並べて、二人に火をつけたらしいよ」
「へぇ……」覚えてないから別にどうでもいい。
「ヤンキー三百人が一致団結して、二人を倒そうとするって面白い構図だよね。仲良いじゃんお前らって感じ」
目的の階に辿り着く。角を曲がると、長いコンクリートの外廊下が見えた。ここに来るのも久しぶりだ。例のヤク作ってた高校生の時以来か。
「正直なところ、キドくんは完全にそっち系の人になると思ってたよ」
飛辻はそう言って笑った。
「そっち系ってなんだ?」
「察してよ」
「まあ、もう一方は暴走族になったけど。まだ総長やってるの?」
「知らん。だが、もう辞めて海外に一人旅してたと聞いた」
「なんだ、知ってんじゃん」
「うるせえ」
「なんやかんや仲良いくせにぃ〜」
「おちょくるな」
「嫌よ嫌よも好きのうちって」
「おい」低い声で遮る。
「はーい、長生きしたいのでもう辞めておきまーす」
俺はため息を深い吐き、一つの扉の前で立ち止まる。
「ほれ、着いたぞ」
俺は扉の隣にあるベルを鳴らす。ピンポーンと、甲高い音が響く。
中から返事はない。まあここまではいつも通りだ。大きく息を吸う。
「シロネコヤマトですぅ」
聞こえるように大声で、なおかつ声色を変えてドア越しに言う。これで中から物音がすれば、マニアがいることの証明……あれ?
いつもするはずの音が聞こえなかった。繰り返し使っている技。もしかして、免疫ついたか?
「キドくん」
飛辻に呼ばれて目を向けると、もうドアノブに手をかけていた。
「なんか鍵開けっ放しみたいだよ」
何?
「不用心だね」
「いや」
俺は即座に否定し、小声にして続ける。
「少し間抜けなところはあるが、あいつは慎重な奴だ。窓さえ開けたことないほど常に警戒してる。部屋の鍵なんかは絶対に閉めてるはずだ」
それに、さっきの……さっきの……
「飛辻」
「ん?」
「さっき行った会社の名前なんだっけか?」
「モーストリー?」
「ああそれだ。偶然か否かそこと同じ状況なのがなんか胸騒ぐ」
俺は眉をひそめ、「俺の後ろに」と伝える。飛辻は数回小さく頷くと、目元を開いたままこわばらせた。そのまま、ゆっくりドアノブを元に戻し、忍び足でドアから距離を置いていく。
場所を入れ替わり、今度は俺がドアノブに手をかけて、静かに手前に開いた。
奥から陽の光が差し込んでいる。部屋の様子は変わっていない。だが、一目で異変に気づいた俺は両手を強く握った。
「気をつけろ」
そして開く。よし。問題なく力が入る。いつでもいける。
俺は靴の揃えられた玄関を、土足のまま上がっていく。
一つ一つの部屋を順番にゆっくり探していく。居間は勿論、バストイレ。例のパソコンルームや押し入れ……人がいそうな場所、隠れられそうな場所は全て回ったが、誰もいなかった。人の気配も感じないし、ここに来てから俺ら以外の物音は聞き取れなかった。となると、やはり……
「いないみたいだね」
全ての部屋を確認し終えてから、飛辻はそう呟いた。
「キドくん」
「あ?」
「こんなこと言っちゃなんだけどさ、ただの買い物に行ったとかじゃないの? で、たまたま閉め忘れちゃった、みたいなさ」
「いや、絶対に違う」
「どうしてそこまで言い切れるの?」
俺は顎で指し示す。「カーテンだ」
「カーテン?」
「開いているだろ? だからだ」
「開いているって……そりゃ、開けるでしょ。朝になったら陽の光を浴びようと」
「あいつ、ドラキュラ体質なんだよ」
「は?」キョトンと目を点にする飛辻。
「つまり、トマトジュースが好きで日光とニンニクが嫌いなんだ」
「はぁ……」反応が薄い。「病気?」
「じゃないが、とことん好きで嫌いなんだと」
「ほぉ……」
「陽の光が嫌いで朝から部屋の電気を煌々とつけるようなやつが、カーテンを開けっぱなしにして外に出るなんて妙だ。窓も開いてるならまだしも、カーテンだけってのはあいつと付き合ってきた俺だから分かる。考えられないんだ」
「じゃあ……」
「あいつと俺ら以外に、ここに入った人間がいるってこった」
「うわぉ……」飛辻は額を人差し指で掻いた。「大ごとになってきたね」
「かもな」
ケータイが揺れる。電話が鳴っているのだ。
マニアか?
すぐさま相手を見る。違った。だが、待っていた人物からだ。
「もしもし、俺だ」
『すいません、龍神さん』トクダは謝罪から入った。『別件で立て込んでまして。遅くなりました』
「いいさ。で、調べて欲しいのが」
飛辻に視線を向けると、「モーストリー」と囁かれ、そのまま「モーストリー、とかいう会社についてなんだが」と伝えた。
『モーストリー……アプリ開発会社のアバターズの、確か関連会社でしたっけ?』
「流石。知ってるのか」
『ほんの少しです。けど、あまり良い噂じゃないのは確かですね』
やっぱそうか。
「そこの詳しい裏情報を頼む」
『少し時間はかかるかもしれませんが、調べられるだけ調べてみます』
「いつも通り、なる早でな」
『報酬、弾んで下さいよ』
「はいよ」と伝えて、電話を切る。
「すまんな、飛辻。めんどくさいことに巻き込んじまって」
「いや、それはいいんだけどさ。さっき言ってたことってどういうこと?」
「何のことだ?」
「一刻を争うってやつ」
ああ……ん? そうか、まだついてきていやがったか。
「まだ分からん。そうかもしれんし、そうじゃないかもしれんってだけだ。だが、もし最悪な方で考えたら、早く行動しないといけねえんでな、そう言い方になっただけだ」
「最悪な方って?」
俺は飛辻に視線を送った。「誘拐だ」
「ゆ、誘拐?!」短く叫ぶように声を上げると、飛辻は言葉を詰まらせた。「一体誰がそんなこと……」
「聞いてみっか?」
「え?」飛辻も目を見開く。
「せっかくだからな」そして、俺は振り返った。「もう隠れなくていいぜ。バレてるからよ」
玄関の扉の向こうに話しかける。少しして、開く音が聞こえた。ぞろぞろと男たちが入ってくる。もちろん土足のまま。
「何者だ、てめぇら」
十代後半から二十代初めぐらいの男たち五人。黒基調に赤い英語が入ったパーカーを着た一人を先頭に、後ろに二人ずつ並んでいる。スキンヘッドに肩まで伸びた長髪。マッシュルームヘアーに五分刈りと、皆髪型が綺麗に分かれている。
「よく気づきましたね」
先頭の奴が話し始めた。両手はパーカーのポケットに手を入れている。
「察しがいいんでな」
「なら、俺が何言うかも分かります?」
「どうだろうな……ついてこい、とかそんなもんだろ」
「正解。話が早くて助かります。一緒に来てください」
「そんな、はい分かりました、でのこのこ行くわけねえだろうが」
「優しく話している間に言うこと聞いた方がいいですよ」
「話が分かんねえ野郎だな」俺は眉間にシワがこれでもかと寄る。
「嫌だって言ってんだろうが」
「だったら、無理にでも来てもらうしかないっすね」
パーカーは手を出した。黒いものを握りしめながら。
「あ、ああ、あ、あれってっ」
後ろで慌て始める飛辻。姿を見なくても声だけで伝わってきた。
「見りゃ分かるよ」
野郎が手にしているのは、そう、拳銃だ。