第7話 田荘⑴
「いい加減やめてほしいよなぁー」錦戸さんは大きく欠伸をした。「雑用処理専門みたいな扱いはよぉ」
「まあ、それがチイタイですからね」
フォローする気は勿論なかったが、結果的に俺の発言がそのようになってしまった。
「全く……生真面目なんだよ、室長は」
「へへ」
「どうだい、ストライキでもやっちゃうかい?」
「やめておきます」俺は冷静に返す。「それに、そもそもストライキすんのは無理です。俺らは公務員なので」
「そぉなんだよなぁー」とこぼしながら、錦戸さんは頭の後ろで手を組んだ。
錦戸さんの気持ちも分からなくない。事件性無しと決めつけられた事故を報告書等の作成がめんどくさいからと、回ってきたのだから。たらい回しもいいところだ。
現場に辿り着く。規制線は張られているが、捜査官はおろか野次馬から現場を守る警察官すらいない。事件性無しと判断されたが故の状況だろう。
「どう思う?」
錦戸さんは規制線をくぐる。
「少し疑問に思う点が」
俺も続けてくぐり、錦戸さんの質問に答えるために持っていた検証資料をめくった。夜中、洋服店に車が突っ込んだという事故についてのもの、三日前だったか。チイタイへ渡される前にあらかたまとめられている。
「付近の近くの公衆電話から若い男の声で、車が店に突っ込んだとの通報がありました」
何故か、幻覚じゃなければという前置きをしていたらしい。ヤクか何かやっていたのだろうか、通報した者は今のところ分かってない。
「受けた奴は最初、悪戯電話かと思っていたんだよな確か」
辺りを見回しながら、錦戸さんはそう尋ねてきた。
「ええ。ですが、ちょうど同じ頃に周辺を巡回していた警官がクラクションや事故の衝撃音を耳にして駆けつけたため、悪戯ではないことはすぐに分かりましたけど」
「電気系統に異常は見当たらなかったよな?」
「ええ」
「運転手は大丈夫なのか?」
「警官がすぐに救急車を手配して……ええっと」俺は該当ページを探しながら、続ける。あっ、あった。
「金戸中央病院に運ばれ、入院中です」
錦戸さんは奥に進む。踏んだガラスが割れる音が聞こえる。
「命に別状は」
「心配はないらしいですよ。骨折や内臓損傷などはなく怪我のみで、歩行等に問題はないとのことです」
「相変わらず名前は分からないままか?」
「ええ」
免許証など個人を特定できるものは何も持っていなかった。
「そうか」
錦戸さんは両手を腰に当てて、身体を後ろに傾けた。続けて、左右に傾けながら「本題に戻るが、なんでそこが疑問に思うんだ?」と質問してきた。
「ナンバープレートです」
俺は資料にあった写真を錦戸さんに見せた。車の前方後方を写した二枚が載っている。
「やっぱそこだよな」
「やっぱりってことは錦戸さんも?」
「少し気にはなってた」錦戸さんは片目を瞑り、頭を掻いた。
「ナンバーの数字が縁起良かったりすると、盗むやつもいる。海外へ転売するためにな。やり方さえ分かってれば、さほど時間もかからねえ……が、仮に事故を偶然見かけて盗んだってことを踏まえて考えると、タイミング良過ぎると思えてな」
確かに。
「ちなみに、回ってきた資料にはなんて?」
「ええっと」俺は資料のページを何枚か戻す。
「プレートはそもそも外せるようにしてあったと考えたみたいです」
「改造車だった、って言いたいわけか」
「この周辺はストリートレーサーが多く現れるところですからね。資料にも、当日レースをしている最中、運転を誤ったのではないかと。免許証とかが無かったことも走り屋の説を後押ししたみたいですよ」
「分からなくもないんだが、うーん。なんかなぁ」
錦戸さんは不満げに眉間にしわを寄せた。
「そうなんです。もしストリートレースしていたと仮定するなら、観客が一切いなかったというのと、警官が他の車の音を聞いていなかったというのが合点いかないんですよ」
「そうだよな」
前日までレーサーからレース開催があったかを調べたが、特段無かった。暴走族連中やレースチームの何組かに確認したが、皆同じ回答。
まあ仲間を売る情報を簡単には渡さなかっただけなのかもしれないが、ゲリラで行ったというのも少々考えにくい。
「それに、こんなひらけてるところで、ミスなんてしますかね?」
「いや、それはどうかな。どれほどの技量かは知らねえけど、あれだよ。猿も木から落ちるってやつだ。失敗する時は失敗する」
「河童の川流れってことですか?」
「犬も歩けば棒に当たるってことだ」
「それは違います」
「あれ? そうだっけか?」
「弘法も筆の誤り、でしょう」
「そうかそうか」
錦戸さんは能天気さを垣間見せる。
「ちなみに、錦戸さんは何か気になるところはあるんですか?」
「おお、あるぞ」錦戸さんは手を差し伸べてきた。「ちょっくら資料を見せてくれ」
俺は言われるがまま、錦戸さんに渡す。指を舐めて滑りやすくしてから、数枚めくり、「ここだここだ」と見せてくる。
そこには、残されたタイヤ跡が色濃くつけられた地面が何枚にもわたって写っている。確か、大通りの角を曲がった時と店に突っ込むまでの写真だ。
「これ見て、お前はどう思う?」
どう思う、と言いますと? 心の声が顔にでも出ていたのか、錦戸さんは「タイヤ痕、変だとは思わないか?」と続ける。
コンクリートに焼き焦げたタイヤ痕がある。余程強く、荒かったのだと思われた。
「この資料を作った奴は特段思わなかったみたいだが、タイヤ跡が異様に濃くついている。痕は角を曲がってからと店に突っ込む直前の二ヶ所が特に強いが、俺が気になったのは、その曲がってから、の部分だ」
確かに、安定性を失ったようにも見える。まるでパンクでもしたかのように、ふらふらと、ふらついている。
「ええ……」
何を言いたいのかいまいち伝わらず、曖昧な返事になる。
錦戸さんはため息をつき、店内から外へと向かう。俺は後を追う。
「見てみろ」
錦戸さんは大通りを指差す。一点を指差しているから、往来する車ではなさそうだ。
「この大通りは片道二車線。道幅には余裕がある。それに、車のスピードはそこまで出ていなかったとある。なのに、歩道のガードレールにぶつかる寸前まで、大きく車の後ろが傾いてる。
「対戦相手の車の様子を見ていたせいで反応が遅れ……」
「だから、レースは無かったろって」
そっか。分かっていたことなのに、この瞬間だけ抜けてしまっていた。
「では車の調子が良くなかった?」
「二十一ページ」錦戸さんは顎で資料を指し示す。
「はい?」
「車両に不備はなかったって書いてある」
あっもう調べてあるのね。だったら、違うのか。
「であれば、単純にハンドル操作を誤ったんじゃないですか。だからほら、店に突っ込んだんだろうし」
「店に突っ込む前だって、少し妙だ。急に左右にふらつき始めた。特に発作関係の持病もなく、病院に運ばれた時調べたが、発作等の所見はなかったって医者も話してた」
「医者も話してたって、そんな話いつのまに聞いてたんです?」
初耳だった。
「資料読んで気になってな、ここ来る前にちょっくら電話で聞いたんだ」
詳しく聞くなとように、耳を小指で掻く態度であしらわれた。
「いずれにしろ、運転手に聞かねないと分からねえことが多い。目ェ覚めたらすぐに聴取しなきゃ分からねえことだらけだぞな、こりゃ」
「ですね」俺は頷き交じりに返した。
にしても、調べればすぐ分かるのに、この段階でよく事故だと平気で結論づけたよな……ったく、何考えてたんだか。
「この件、室長としてはどう考えてる?」
「え?」唐突な質問に俺は目が点になる。
「いや、上司としての意見を聞いておこうと思って」
「ええっと……」目線が宙に浮く。
「心配すんな。大したこと聞こうとか思ってない。ただどう感じてるかだけでいい」
感じる……
「率直に気になります。なんかこう、この資料や俺が想像しているよりも、ずっと複雑なことが起きてるんじゃないかって。妙にモヤモヤ感が心に居座ってるというか」
「モヤモヤの正体、教えてやるよ」
「正体?」
「それこそが」人差し指で差してくる。「刑事の勘だ」
「人を指で差さないでください」
「あれ? 差したのが刺さらなかった?」
上手いこと言ったみたいな顔に一瞬なるが、すぐに表情が戻った。
「ま、ともかく。室長がそこまで言うんならとことんやろう!」
あ、あれ? 単にどう感じているか聞かれただけだったと思うんだけど、方針が大きく固まってしまったみたいな言い方されたんだけど……もしかして俺、上手いこと口車に乗せられた?
「んじゃ、まずは運転手に話聞き行くか」
「そうですね」
ここに来る少し前に目を覚ましたと聞いた。動けない程の重体ではないとのことから、とりあえず体力を回復してもらうという意味も込めて、後回しにしていた。
「病院に電話して、手はずを整えて……」
遮るように電話の呼び出し音が鳴り響く。画面を一瞥し、耳につけた。
「もしもし?」
『あぁ、俺俺』
「詐欺ですか?」
『ケータイからかけてんだから、名乗らなくても分かんだろ』
「ええ。先輩でしょ?」
出る前に画面に名前が出ていた。
「どうしたんです?」
『ちょっと教えて欲しいことがあってな』
教えて欲しいこと……まあ、受けた依頼のことだろうけど。
「警察ですから教えられません」
けどなぁ……
「ちなみに、一応聞いておきます。どんなのが知りたいんです?」
結局はなんやかんや気になって、折れちゃうんだよなぁ……