第6話 探偵⑵
「気にしなくていいですよ」
マッドは立ち上がった。
「ちょうど帰るところでしたし、そもそもぼくは依頼人ではなくただの友人ですから」
「申し訳ありません」洲崎さんが頭を下げると、遅れて西さんが続いた。
「いえいえ」
マッドはDVDを手にして、「じゃ、ごゆっくり〜」と立ち上がった。
あらぬ誤解をしているのじゃないかなどと思ってしまうような言葉を残されると、なんとなくめんどくさい。
洲崎さんは少し事務所の中に入り、西さんは外の壁に寄る。広くなった出入り口を縫うように出るマッド。だが、ふと洲崎さんを一瞥すると、不意に立ち止まった。
「……何か?」
洲崎さんの反応は至極当然だった。マッドがじっと顔を見つめて、いや、見上げているのだ。
「あっいや、すいません」
マッドは目をはためさせる。どうやら少しばかり意識をどこかにやっていたようだ。
「失礼ですが、どこかでお会いしたこと、ないですよね?」
「え、ええ……」洲崎さんはゆっくりと頷く。その表情からは戸惑いを感じた。
「いやなんか、お見かけしたことがあるような気がしまして。でも、勘違いだったみたいですね。申し訳ない」
マッドは一礼する。洲崎さんも何も言わず頭を下げた。
「では、これにて失敬」
お前はどこの時代の人間かと問いたくなる別れの言葉を投げ、マッドは事務所を後にした。
二人ともマッドの後ろ姿を見ていた。あの様子だと、少し不思議だと感じたのだろうな。まあ当然か。
ハッと肩を動かしたのは洲崎さん。慌てて俺に振り返った。「お取り込み中でしたか」
「いえ、大したことじゃないので」
本人には言えない台詞だ。
「そうですか」
「どうぞ、お座り下さい」
ソファを指し示すと、「では失礼します」と洲崎さんは腰かけた。西さんは入って扉を閉めると、足早にソファに腰かけた。ほとんど同時。
「確認ですが、お呼びするのは“探偵さん”ということでよろしいんですよね」
「ああそうしてくれ」
本名を明かしてないからこその呼び名だと思う。
「では探偵さん。今回はお引き受けいただきまして、ありがとうございます」
引き受けたというかゴリ押しされたというか……
「早速ですが、改めて企画についてお話しさせていただければと」
おいおい、随分と急足だな。
洲崎さんは今回の企画について話し始めた。とはいえ、前に会った時の確認といったところ、訂正版の企画書も渡されないということは、内容は一緒なのだろう。
今回撮ろうとしているのは、至ってシンプルなもの。俺の仕事に七日間密着。そこで起きた一部始終をカメラに収める、いわば“探偵版警察24時”を作ろうとしているのだ。とはいえ、俺は別に四六時中働いているわけじゃない。だから朝十一時から夜二十時頃まで撮影。少し朝は早いが、まあ仕方ない。
放映日時は来月の二日、時間は十六時五十分から十七時二十分の三十分番組だが、自分で見るかどうかは分からない。小っ恥ずかしくなる可能性だって十分に、というか既になり始めている。
「そして前回ご要望いただきました点ですが、映すのは基本的に探偵さんのみです。映ってしまったご依頼人や情報提供者等にはモザイクとボイスチェンジャーを加え、身元が分からぬように万全を期します。簡単ではありますが、以上が企画概要となります。何かご質問はありますでしょうか」
洲崎さんの淀みなく流れ出てくる言葉に驚きながらも、俺はカメラについて尋ねることにした。
「カメラマンは?」
「おりません。基本的には西が行い、私も時折」
「なら、二台?」
「いえ、この一台のみです」
ふーん。もう少しぐらい来るのかと思っていた。顔には出さぬよう、気をつける。
「他には?」
俺は「いや特には。出てきたら適宜聞きますよ」と応えた。
「承知しました。では、密着を始めさせていただきます」
「ああ」俺は片方の口角を上げた。「初日からラッキーですね」
「というと?」
「一件、依頼が来てるんですよ」
「連絡がつかなくなってから、もう三日になります」
昼過ぎに依頼人はやってきた。白髪や顔のしわから判断するに、四十代後半から五十代前半ぐらいの夫婦だ。
旦那の方は険しい顔で膝に腕を置いて手を組んでいる。奥さんの方は視線と肩を落としたままであった。視線はほんの数回しか合っていない。その上、手元足元を頻繁に動かしていることから、拭っても拭いきれない不安を感じているのだと伝わる。島の外の人間だが、ここまでやって来た。どこかで俺の噂を聞いたらしい。これだけネットが普及していても、やはり口コミの力は強いらしい。
依頼の内容は行方不明になった大学生の息子、圭祐君を探して欲しいというもの。
夜にちょっとしたことで喧嘩となったことがきっかけで家を飛び出してしまった、のだという。以降、連絡がつかなくなり、三日経過した今日、依頼をしにきたとのこと。警察には連絡してあるらしいが、あまり動いてくれないらしい。
「これまでに連絡がつかなくなったことは?」
俺は経験則から質問を定め、訊ねていく。
「ありません。友人と外泊で遊びに行く時は何度かありましたが、そのような時でも一日に一回必ず連絡がきていました」
喧嘩しているから、連絡をしていないのではないだけではないか。脳裏にそんな一言がよぎる。
テーブルに視線を落とす。貰っていた名刺の名前に目をやるためだ。
「それで、木田さん。確認ですが、これまでに犯人からの接触はないということで間違いないのですね?」
旦那は煉瓦色のグレンチェック柄のスーツ上下、奥さんは緑のドレープワンピースに脱いだ灰色のロングコートを手元で丸めていた。二人とも高級ブランドを綺麗に着こなしている。普段からこの格好をしているわけではないかもしれないが、似合っていないわけでもない。無理がないという風貌。
加えて、家を飛び出した時に、その息子はスポーツカーでいなくなったという。しかも、親のではなく、本人の。大学合格祝いに買い与えたものだという。となれば、かなりの金持ち一家だし、いなくなったのが金銭目的の誘拐というのも十分にあり得る話だ。
「そういったことは一切ありません」
三日も経って犯人からの電話一本もないということになる。ある意味お荷物である人質を無駄に持ったままなどというのは考えにくい。長引けば長引くほど、犯人にとっては不利益に転じることが多い。
いきなりだが、誘拐の可能性は少なくなったみたいだ。
「ちなみに、お二人と息子さんとの関係は?」
「関係?」
「まあその」俺は一瞬言葉に詰まった。
言い方は悪いが、今回の依頼はよくあるタイプの家出。もしかしたら、今家に帰っているかもしれない。
要するに、過保護な親の過剰反応である恐れもある。警察も同じことを考えているのだろう。けど、そんなことを直接的に言えるわけがない。俺は上手い表現を見つけようと、脳を捻る。
「出て行ったきっかけが喧嘩だと仰っていたので……」
濁すも、一言目に上手く言えなかったせいで、意味は無かった。勘づかれたのか勘くぐられたのか分からないが、旦那は目尻を鋭くして、睨んできた。
「何が言いたいんです?」
静かな語調で詰めてくる。
「いやいや」俺は慌てて手を前に出す。「あくまで、ただの確認です。深い意味はありません。妙な誤解を与えてしまったのなら、申し訳ない」
旦那は一つため息をつくと、目元のしわを減らした。
「確かに仕事柄、家を空けることは多かったです。いや、日常茶飯事でした。どこかに遊びに行くような家族サービスは片手で数えるほどしかありません。だから私は圭祐には、その分金に糸目はつけずに好きなことをやらせました。必要な物ならば、全て与えてあげました。親としてのせめてもの教育であり、愛情だと思っているからです」
「成る程」
まあその辺りにはあまり深入りしないようにしておこう。
「単なる家出ならば大いに結構です。けど、誘拐されて監禁されていたり、どこかで事故にでもあったりして、助けを求めているのなら、今すぐにでも何がなんでも助けたい」
旦那は浅く座り直した。
「知人からお噂を耳にし、ご依頼のお願いに参りました。お願いします、どうか息子を見つけて下さい」
頭を深く下げる旦那。続けて、奥さんも。この歳でこんなに頭を下げるようなことなど、そうは無いことだろう。見つかるのは時間の問題とは思うが、無下に断るというのもどこか気が引ける。
「事情はよく分かりました。お引き受け致します」
「ありがとうございますっ」
「それで、電話でお伝えしたものは?」
「写真と前金ですよね?」
旦那がそう反応すると、奥さんはすぐさまテーブルに写真を置いた。
「息子の写真です。最近のものを、とのお話でしたが、三年ほど前のものになるのですがよろしいでしょうか」
そう言いながら、写真をテーブルに滑らせた。
「拝見します」
手に取り、確認する。写真の雰囲気からは、至って普通の学生。写っているのは複数人で、皆満面の笑みで肩をくんだりふざけあってたりしている。同じブレザーを着ていることや背景に大きな神社らしき建物が見えることから推測するに、修学旅行の時のものだろう。
「息子さんにこの頃と何か変化はありますか。例えば、髪を染めただとか」
「いいえ、見た目は特に変わりません。身長等も変化ないです」
であれば、これで問題はないだろう。
「それで……こっちは、前金です」
銀行名がスタンプで印字された袋をテーブルに置いてこちらへ滑らせてきた。袋は傷んでおらず、まだ新しい。おそらく今朝、銀行から下ろしたものをそのまま持ってきたのだろう。
「仰っていた金額が入っております。確認して下さい」
この夫婦は嘘はつかんだろう。視線を金から夫婦に移す。
「お写真は、一度お預かりしても?」
「もちろんです」
旦那はそう言うと、背を改めて正した。
「どうか……どうか息子を見つけて下さい。どうかお願いします」
再度深々と頭を下げる夫婦。ふと奥で動く姿に視線が向く。洲崎さんと西さんが事務所の隅で撮影をしている。勿論、依頼人には事情を説明し、許可を取っている。
西さんが三脚につけたカメラを構えている一方で、顎を手でつまみ、不敵に笑みを浮かべている洲崎さんが妙に気になった。なんというか、高視聴率とってやるっ、という野心に溢れたテレビマンのような……