第5話 便利屋⑵
「……出ねえな」
何度かけても駄目だ。トクダは電話に出ない。いつもの場所にもいなかったし、別の客の対応をしているのかもしれんな。留守電に時間ができたら折り返し連絡が欲しいとメッセージに残し、電話を切った。
「とりあえず先に、モーストリーに行こう」
「行こうというか、もう着いた」
「あ?」
俺は片眉を上げ、飛辻が身体を向けている方向に顔を向けた。
そこにあったのは、ビルとビルの間にひっそりと挟まれた五階建て鉄筋コンクリートの雑居ビル。日の当たらない雰囲気がなんとなく、怪しさを醸し出していた。流石、荒くれ者の多い南区に拠点を置くだけのことはある。
「ここか」
電話に注意が向いていたせいで、着いたことに気づかなかった。
「うん。このビルの三階」
よし。俺は一人分しか歩けないであろう幅の階段を登っていく。
「あっ、もうぉ。相変わらずせっかちなんだから」飛辻は駆け足で追ってくる。
十数段登り、三階中腹に着く。
握って回すタイプのドアノブ、腹から頭ぐらいの高さまで正方形のすりガラスがはめ込まれている至ってシンプルな扉だ。
中に誰かいるか、判別はよくつかない。仕方ないか。俺はガラスを二回ノックする。
「キドくん、三回」
「あ?」片眉が自然と上がる。
「二回のノックだと、トイレとかで使う、ほら中に人いるかどうかの確認になっちゃう。こういう時、ノックは三回するんだ」
別に相手が相手なんだからどっちでもいいだろう、と言おうと思ったが、中から反応がなかったので、二度目は飛辻の言われた通り、三回にしてみた。それでも、物音ひとつしない。中からの気配を感じ取れない。
ドアノブに手をかけ、回し、押した。
床が十五畳ほどのコンクリが広がっているオフィスには、中央に六つ分のデスクとオフィスチェアがあった。窓近くの隅に淡い茶色の細い棚が二つ並んでいる。殺風景もいいところだ。押し入れやロッカーのような隠れる場所もないとなると、ここには人は誰もいないようだ。入る前に感じた気配の無さは当たっていたらしい。
「本当に三階で間違いないんだよな?」
念のため、確認してみる。
「そうだけど、なんで?」
不思議そうな表情を浮かべる飛辻に、俺は「見てみろ」と身体を除けて、中を見せた。
驚くかと思いきや、飛辻の顔にさほど動きはなかった。代わりに「やっぱな……」とぼそり呟いた。
「なんだ、心当たりでもあったのか」
「少し」飛辻は頭を掻いた。「登記はされているけれど、営業実態がどうも不透明で、怪しいなって思っていたんだ。ペーパーカンパニーか流刑地のどちらかとは思ってた。どうやら前者だったみたいだね」
部屋を眺めている飛辻。
「もしかして、だから直接確認しにきたのか?」
「まあ、そんなところ」
含みのある言い方に、俺はふと思い出す。
ああ、そうだ。飛辻のこの感じ、昔から変わらない。こいつは何か他にもいくつか考えがあった上で、そのどれもを叶えられるように逆算して行動する。そうじゃない時など滅多にない。俺と単細胞の時に止める時には、何かしら魂胆があった。ま、これだけだと自己中な野郎にしか聞こえねえが、他人のことも考えられるから怪訝にはならねえんだが。
部屋に入ると、まず感じたのは異様な冷えであった。この感じは一日や二日で冷えたものじゃない。長い日をかけてじっくりゆっくり冷やされた。しばらく使われていない証拠だ。
中央に置かれた机へ向かう。
「ん?」机の下に視線が向く。
「どうしたの?」
中腰になって、顔を覗かせてくる飛辻。
「見てみろ」
退いて、いくつか引かれた白い線を見せた。飛辻はしゃがみ、机の下に頭を入れた。
椅子の足は十字に伸びており、それぞれに滑車がついている。おそらく椅子の出し入れで動かした時に、床と擦れたことで、跡ができたのだろう。てことはつまり……
「そうか、コードねぇ」
ん?「コード?」なんのことだ??
「あれ」飛辻は身体を起こした。「パソコンとか電子機器にコネクトするコードが散乱してる」
「見せてくれ」もう一度場所を交換し、覗き見る。
「ほら、机が合わさっているところの真下辺り」
机の……あっ。
暗くて遠くからはよく見えなかったが、確かに机の下に何本ものコードがあった。途中ラッピングタイで輪になってまとめられているが、先は重力に負けて落ちたかのように、力なく無造作に広がっている。
「けど、肝心の機器が何もない。綺麗に片付けられたのをみると、機器を持ち去ったんじゃないかって。だから、ペーパカンパニーではなく、実際に人がここを使っていたんじゃないかって、流刑地の可能性もあるって言いたいのかなと思ったんだけど……違った?」
「いや」
まあ別にいい。どちらにしろ、人がここにいた可能性があるっていう着地点は一緒だ。
「他にも何か残ってるものとかあるかもね」
「となると」飛辻は棚を見る。「あそこしかないよね」
「探してみっか」
「だね」
窓側へと歩みを進め、棚に近づく。
並べられた二つとも縦に長く横に短い細長なサイズ。仕切りの数も同じで、それぞれの段に本数冊が分けられて置いてある。壁側に立てかけられているか、下に倒れ込んでいる状態。おそらく他にも本があったのだろう。いや、本とも限らないか。何かの資料とかかもしれない。
「よしっ」飛辻が声を上げる。見ると、棚と窓の僅かな隙間に手を入れていた。
何している、と聞く前に抜き取った。またもコードだ。色は白。けれど、さっき見つけたものとは異なり、異様に細い。しかも、棚の横に沿うように垂れ下がっている。
ということはつまり……
俺は視線を棚の上に向けた。
飛辻が「よっ、よっ」とコードを慎重に引っ張る。すると、棚の上を滑って移動する音ととも、コードの先に繋がれていたものが姿を現した。白く細長い形状で、置物のような形状をしている。
縁まで近づけてから「せぇーのっ」で一斉に引っ張る。落ちてくるそれを両手で抱えた。表情や大勢からして、さほど重さは殆ど無さそうだった。
「やっぱり、使われていたことには間違いはないみたいだ」
飛辻は、よく分からん代物を見せてきた。
「なんだそれ?」
何かの機械だろうか、ボタンやランプの表示が見えた。
「ルーター、Wi-Fiの」
「……なんだそれ?」
そう言われても分からず、同じ言葉を繰り返す。
「Wi-Fiは分かる?」
「聞いたことはある。インターネットの……なんかだろ?」
「まあ、ルーターっていうのはインターネットに接続するための装置って思ってくれればいいかな。すごくざっくりと言うと、だけど」
ふーん。
「もしかすると、ここにいた人はかなり慌てて出て行ったのかもしれない」
「どうしてそう思う?」
「ルーターって、利用者が何を調べていたのかとか、履歴を辿れるんだ。電子機器は持ち去っても意味が無い。となると、それを考える余裕すらない状態だったのかもって」
「単に知らなかっただけかもしれないだろ?」
「あっ、まあそうか。その可能性もあるかな」
飛辻は、考えていなかった、というような表情をする。
「んで、すぐに分かるのか」
「いや。時間はかかる」飛辻はルーターとやらを小脇に抱える。「少しばかり特殊な方法を使わないといけないし、一度会社に戻って調べてみることにするよ。ありがとうね、キドくん」
「ちょっと待て」
俺は帰ろうとする飛辻を止めた。
「インターネット関係のことなんだろ?」
「うん」
「だったら、知り合いにピカイチの腕をしてる奴がいる。おそらくそっちの方が早いし、正確だ。聞いてみるよ」
俺はケータイを取り出す。
「いいよ、そんな手を煩わせなくて」
「調べられるかだけ聞いてみりゃいいだろ」
ええっと、ま、ま、ま……ここか。そんで、マニアは……あった。
電話をかける。が、『只今、電波の届かないところに』と不在着信。なんだよ、今日はみんな忙しいってか。あっいや、あいつのことだ。無視してるかもしれん。
「ここからさほど遠くないから、行くだけ行ってみるか」
「まあそこまで言うなら」
すると、電話が鳴り響く。
おっ、折り返しか。あいつにしては珍しいな。
相手を見ると、なんだ。BJだった。てっきりマニアかと思ってた……
「悪い」
そう飛辻に話し、俺は後ろを向いて距離を離し、電話に出た。
「もしもし?」