第1話 便利屋⑴
「それじゃあ」
俺は電話を切って、ポケットにしまい、そのまま両手を入れっぱなしにした。
さて、どうしたものか。手に入ったらまた連絡してくれるとのことだが、言い方から察するにまだ手元にないということなのだろう。
仕方ない。もう少しかかると伝えておくか。
中央区の大通りを歩きながら、深く息を吐いた。相変わらず往来の激しい場所だ。
俺は再度ケータイを取り出した。
ええっと、BJ……BJ……
今の状況、はたから見れば雑用の一種だが、俺にとっては違う。普段の協力へのお礼、とでもいうべきか。
あった。電話をかけ、耳につける。
『只今電話に出ることができません。留守番電話サービスにお繋ぎします』
女性の自動音声が流れてくる。どうやら出られないみたいだ。
『ピッーとなりましたら、メッセージを残して下さい』
甲高い音が聞こえる。
「俺だ。またかけ直す」
電話を切る。どうせ俺の名前は履歴で残るし、要件は短めに、だ。
さてどうするか。今日の予定が無くなった。いつも通りマスターのところで待ってるか……
「キドくん?」
背中の方から男の声が耳に届く。なんだろうか、どこかで聞き覚えのあるような……
「キドくん……だよね?」
キドくん。そんでこの声……まさかっ。
俺は立ち止まり、振り返った。そこにいたのは、薄いピンクのスウェットパーカーとダメージジーンズ、有名スポーツメーカーのNAKEの青と黒のスニーカーを身に纏った男が立っていた。
「やっぱりそうだぁ」
そう言って、目尻と口の端に細かなシワを作る笑顔を浮かべた。
「飛辻か」
久しぶりの再会に思わず顔が綻ぶ。高校の頃と全く変わってない。
「元気そうだね」
「そっちこそ」
俺は目線を上げる。飛辻は大学の時に島の外へ出たはずだから……
「高校の卒業式以来か」
「そうだね、仕事が忙しくて同窓会行けなかったから」
「奇遇だな。俺も行ってない」
「あっそうなんだ」飛辻はフフと笑う。「けど、キドくんはちょっと違うでしょ? ほら、万が一鉢合わせると……」
「みなまで言わんでいい」
どうせあいつのことを言いたいのだろう。だが安心しろ。
「ちなみに、単細胞も来なかったらしい」
初めて人間を見た魚のように目を点にする飛辻。だがすぐに吹き出し、高笑いした。
「どうした突然」
「いや、久々に聞いてね。懐かしいねぇ。無敵くんのことを単細胞なんて呼べるのは、やっぱキドくんしかいない」
「そうか?」
「だって、あのエンペラーだよ? 不良はもちろんそっち系の人間すら恐れ慄く男だよ? 普通の人は怖くて呼べないよ」
その割には、俺や単細胞の仲裁によく入っていた。それどころか、先手を打って止めたりもしていた。忘れっぽい俺でもよく覚えている。
「あっそうだ」
飛辻はパーカーのポケットから名刺入れを取り出した。不似合いなほど、高級感のある黒のレザーだ。
「一応名乗っておきます。私、ネクロパイオニアの代表取締役を務めております、飛辻道徳と申します」
腰を軽く折り曲げ、左手に名刺入れを持ち、右手でこちらに文字を向けた名刺を差し出す。いかにも、社会人らしい名刺の渡し方だ。
「これはこれは。ご丁寧にどうも」
就活とは無縁の生き方をしてきたため見様見真似で、かつ想像で補って、受け取る。
緑と水色を基調にしたお洒落なロゴが名刺左上に書かれており、その下中央辺りに役職と名前、会社の住所や電話番号が記載されている。
「貰っておいて悪いんだが、俺名刺ねえんだわ」
「いいよ、一応形だけのことだから。お気になさらず」
名刺入れをしまいながら、飛辻は空いていた方の手を空中で振った。
「テレビや雑誌でよく取り上げられてるよな。確か、IT関係全般やってるんだっけか」
「あっ、知ってくれてたんだ」
「まあな。大活躍だな」
社会情勢とか疎い俺でも知ってるんだから相当な筈だ。
「そんなことないよ。スタートアップで、ある程度事業を出来てるから、マスコミが勝手に持ち上げてるだけさ」
俺は名刺をポケットにしまう。
「んで、そんな新進気鋭の敏腕社長がこの島に?」
「あぁ……まあ色々あって」
急に歯切れが悪くなる。目線も泳ぐ。何かあったみたいだな。
「ちなみにさ」飛辻は口を開いた。「もし知っていたら教えて欲しいんだけどさ、モーストリーって企業について何か知ってる?」
「モーストリー?」
「うん。南区にあるらしいんだけど」
南区か……危険な場所に構えているもんだな。同時に、少しキナ臭い気配を感じた。
「知らんが、なんで突然?」
「確か、キドくんって便利屋やってるんだよね?」
なんだ、知っていたのか。
「だから仕事柄、色々噂とか聞いてないかなーと思って」
噂、ねぇ……「いや、特には分からないな」
「そっか」
目線が落ちる。困っているというのは嫌でも伝わってきた。
「ここで会ったのもなんかの縁だ。俺でよけりゃ、力貸すぞ」
「いや、そんな……悪いよ」飛辻は首を振る。
「悪いわけあるか。お前には学生時代色々助けられたこともあったしな」
例えばテストとか、テストとか……テストとか。
「でも……」
冷たい風が吹く。
「立ち話するにはまだ少し寒い。コーヒー好きか?」
「うん。朝は欠かさず飲んでるよ」
「なら、良い店を知ってる。座りながら話だけでもしていけよ」
唇を内側に巻き、俯く。少し考え、飛辻は顔を上げた。
「じゃあ、話だけ」
「というわけなんだ」
いつもの喫茶店トミーで、いつもの予約席のプレートが立てられたボックス席に座り、一通りの話を聞いた。
「かいつまむと、だ」俺なりにまとめた概略を述べ始める。
「数ヶ月前、お前の会社を買収しようとしてきた会社があった。断ってから、様々な嫌がらせを行なってきて、事業に支障が出始めた。対抗すべく黙らせるための材料を調べていたら、その企業の関連会社に裏社会の人間と繋がりがある疑いが出てきた。んで、その関連企業の名前が“モーストリー”で、この島の南区にあるってわけか」
「うん。そんで今は、色々と情報を収集しているってところかな」
マスターはいつも通り綺麗に整えた白髪で、いつも通りアメリカンを木製のトレーに乗せ、「お待たせしました」と運んできた。俺と飛辻の分だ。
「ありがとう」俺は取っ手を掴み、コーヒーを一口。
「いただきます」
飛辻も続けてカップのふちに口をつけて、傾けた。眉を上げると、表情を柔らかくして数回頷いた。どうやらお気に召したようだ。マスターもそれを感じ取ったようで、さらににこやかになると、「ごゆっくり」と一礼し、カウンターの向こうに戻っていく。
「けど、お前も随分危険なことするな」
「どうして?」
「素性の分からない会社に、社長自ら、しかも単身乗り込もうとしてたわけだろ?」
裏社会の人間と繋がりがあるのなら、危険な目に遭う可能性だってある。金が動けば、多少の無茶をするような輩もいる。
「目には目を、歯には歯を、嫌がらせには嫌がらせを、だ」
とはいえだろ……
「てか、会社はどうしたんだ?」
「まあ優秀な部下たちが入れば、自分なんていなくても問題ない。それに、今日から一週間休みをもらってるから、その辺りは一応オーケー」
そういうものなのか……就職とも無縁の生き方をしてきたため、休暇とか詳しいことはよく分からない。この辺りは深くは考えずにいくか。
「とにかく一人で行くのは危険だ」
「何、キドくん。警察に行った方がいいとか言うの?」
「いや」テーブルに手をつき、前に屈む。「俺もついてく」
「えぇ……」苦い表情を浮かべる飛辻。
「なんだよ?」
「いや、もっと面倒なことになりそうだからさ」
おい、失礼だな。
「ここまで聞いちまったんだ」
「キドくんが話せって言ったんじゃないか」
俺は片方の口角を上げた。「ま、諦めな」