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異常なる執着者⑷

「いつから私だと?」


「それは自白だと受け取っていいのでしょうか」


 田荘が顔をずらしながら尋ねると、依頼人は軽く顎を引いて、視線を僅かに後ろへと向けた。


「お好きにどうぞ」とだけ言い放つと、再び探偵に顔を向けた。「それで、いつからですか」


「そうですねぇ……」探偵は虚空を見て、記憶を辿る。「例の手紙を見せてもらった時ですかね」


「それって……」


 目を開いている依頼人を見て、探偵は笑う。


「仕方ないじゃないですか。分かっちゃったんですから」


 探偵は続けて、ポケットに手を入れた。


「見覚えありますよね?」と取り出したのは、折り畳まれた紙。開いて見せる。「吉崎さんから頂いた、例の手紙です」


 探偵は指を指す。


「ストーカーからとお聞きしましたが、ここ。見てください。手紙にある“と”の文字、これで分かりました」


「これで?」


「最初に色々と記入してもらった個人情報の用紙、あったでしょ? それの名前のふりがなのところと同じ書き方なんですよ」


 探偵は人差し指で“と”を指し示す。


「ほら、一筆で書く癖がよく似てますでしょう。頭の角が丸まってる感じなんか一緒だとは思いませんか」


「成る程。それで私が犯人だと決めたわけですか」


「いえ、他にもあります。今朝、私の元へストーカーの手紙を全て開けた状態で持ってきましたよね。そのどれも、封筒にはあなたの名前だけ書かれていた。つまり、全てストーカーからのものだと、少なくとも推測はできたはずです」


「探偵さん、何を言いたいのですか」


「回りくどかったですかね」探偵は眉間に人差し指をつけた。「要は、わざわざ全て開けて持ってきたことが腑に落ちなかったのですよ」


 探偵は視線を依頼人へと戻す。


「いやぁね、最初の二、三枚開けるというのはまだ分かります。けどそれ以上の同じ形式の手紙であれば、開けずにそのままにしたり、それか気味悪がって捨てたり、はたまた近くの警察署や私のところに持ってって一緒に開けたり、とにかくそれ以上は怖くて、少なくとも一人で開けるようなことはしない、もしくはできないはずなのではないか。そう考えたんです」


 探偵は「あなたは」と依頼人を指差した。


「ストーカーに対してこれでもかと恐怖を感じていることを体現していらっしゃったのに、しっかりと開けていることがどうもしっくりこなかった。もしかしたら怖くないんじゃないか。そう思ったんです。加えて、この手紙のとの文字を……いや、この抱いていた違和感のおかげで、手紙のとの文字に気づけたという方が正しいですかね」


「成る程」と、依頼人は鼻で笑う。まるで自分の愚かさを嘲るようだった。


「勿論、この二つは勝手ないち推論でしかありません。なので、確証に変えました。警察の力を借りることでね」


 そこまで言った時、依頼人は何かに気づいたように目を見開いた。「もしかして、あの時の……」


「気づかれましたか?」探偵は口角に笑みを作った。「警察のデータベースでふるいにかける目的も当然ありました。ですが、真の目的は手紙にある文字の筆跡鑑定でした」


 探偵はもう一つ紙を出した。文面の最初には“鑑定結果”、途中には“同一人物とみて間違いありません”とある。


 探偵は「偽って書くならもう少し策を練らないと。左手で書くとかね」と手紙と鑑定結果の用紙をしまった。


「ここまでは予想通りと言いますか、推理通りだったわけですが、どうしても分からないことがひとつありました。自分を雇った理由です。わざわざ金を払ってリスクを犯すような必要性だけは不明なままでした。まあ、ピンと来なかったという方が正しいでしょうか」


 探偵は左頬を軽く掻いた。


「まだ動きはないだろうと踏んだ私は少し様子を見ることにしました。その矢先に、ことが起きてしまった。横たわる真川さんを見た時なんてのは、それはそれは肝が冷え切りましたよ」


 探偵は苦い顔をしながら、後ろ髪を恥ずかしそうに掻いた。


「あなたの目的も分かった私は、証拠を探しました。ですが、状況も状況なために困難でした。なので、探すのではなく、表れてもらうことにした。そう、あなたにボロを出させるという形でね」


 依頼人は苦虫を潰したような顔になると、探偵から一瞬だけ目を逸らした。


「けれど、これまでに相当準備をしてきたためでしょう、手紙を何故警察に出すのか尋ねてきたように、あなたの警戒心は非常に強かった。ちょっとやそっとのことじゃ、ボロなど出さない。そこで、私は偽のストーカーを用意し、敢えてあなたの前で逮捕した。全てが解決したと我々が勝手に安心したかのように取り繕ったというわけです。疑いの目をもたれていないと思ったあなたが警戒心を少しでも解き、動いてくれやすいようにね」


 探偵は耳の後ろを掻く。


「加えて、真川さんが一命を取りとめたことと病室の番号をあなたに流しました。これは相当効いたようですね。まあ当然といっては当然ですが。真川さんが目を覚ますというのは、あなたにとって都合が悪いなんてものではなかった。故意に殴った殺人未遂犯として逮捕される何よりの証人でした。何もかもが水の泡になる前に殺そうと考えるのは誰しもが考えることです。要するに、動いてもらいやすくするためだったというわけですよ」


 依頼人は眼を虚にして、深くため息をついた。


「全ては私が私自身の意志で動くように仕向けられた罠だった、というわけですか」


「助かりましたよ。見事なまでにまんまその通りに動いてくれましたからね」


 依頼人の肩から力が抜ける。


「流石は私立探偵さんですね。素晴らしい名推理です」


「お褒めの言葉、ありがとうございます」


 探偵は田荘に目をやる。それが逮捕の合図だった。田荘は小さく頷き、依頼人に手錠をかけた。


「行きましょう」田荘に促され、病室の扉へと向かう。


 不意に立ち止まり、振り返る。探偵をじっと見つめている。


「なら、彼はまだ意識ないんですか?」


 探偵はポケットに手を入れた。「意識は取り戻してますよ、もう既に。ただ今は真夜中ですから、寝ているんじゃないですかね。下の階でぐっすりと」


「良かった」依頼人は目を細めて微笑んだ。「なら、伝えておいてもらえますか?」


 突如、表情が冷たく豹変させた。「あなたがしたことを許さないから、って」


 吐き捨てるように人間味のない言葉を呟くと、どこかすっきりしたかのように表情を明るくさせ、再び歩みを進め始めた。そして、隣で恐々としている田荘と共に、病室から姿を消した。


「許さない、か……」


 探偵は面倒臭そうに小さく息を吐き出した。


「ったく、彼氏は何しでかしたんだか」


 誰もいなくなった静かな病室で、探偵はタバコ一本をおもむろに咥えた。続けて、ライターの火をつけた。が、タバコには近づけない。寸前で思い止まる。


「……流石にここじゃまずいか」


 裸のまましまうと、そのまま病室の扉に向かった。




「そんで、何か分かったか?」


 探偵はタバコを吸いながら、事務所にやって来た田荘に尋ねた。


 依頼人であった吉崎の逮捕からもう数日あまりが経過していた。今はもう取り調べは勿論、既に送検まで終えている。要するに、犯人と事件は警察の手元から離れた、というわけである。


「まあ色々と」


 ひと段落したところでいつもの如く、田荘は探偵にのちに判明したことを報告しに来た、というわけだ。


「まず最初に」


 田荘は箇条書きで伝えることをまとめてきた手帳を開く。その表情は少しばかり重いものだった。


「被疑者の吉崎は自己顕示欲、要するに見てもらいたいという欲が非常に強い人でした。また、自分に絶対的な自信があり、外見を完璧にしておきたいという欲も強い人でした」


 それは取り調べで分かることなのかと探偵は疑問が脳裏をよぎったが、相手が勝手に喋ったことかもしれないとも思った。


 探偵自身もその片鱗を感じ取った瞬間があった。それは依頼を引き受ける前のことだ。依頼人はDMに連絡がくると話していたが、そもそも変な奴が連絡してくるなら、運営に通報するだけではない、他の対策を何かしらすることはできたはずだ。例えば、友達のみにしか送受信ができないとか。その機能もあるというのに、しなかった。


 加えて、被害が始まった頃からインストへの一日あたりの投稿数に大きな変化がなかったことだ。投稿すればするほど、個人情報を晒すことになるのだから、被害に遭う可能性だって高くなる。だというのに、文面を見る限り、減らす気配すら一向に感じなかったのだ。


 以上の点から、探偵は、自分を見てもらいたい欲求が強い人ではないかと、ある程度は察していた。だからか、然程驚きは見せない。


「そしてこれが先輩の一番知りたがっていた彼氏を殺そうとした理由ですが、至って単純。浮気をしたからだそうです」


「浮気?」探偵は片眉を上げる。


「はい」田荘はこくりと反応する。


「気づいたのが三ヶ月と少し前」


 探偵は煙を吸い込む。「ストーカー被害が始まった頃とおおよそ一致してるな」


「ええ」手帳から視線を上げる。


「その復讐心から行動し始めます。吉崎はサブで持っていたスマホを使って、ダリッチョという架空の人間をインスト上に作り上げ、ストーカーとして動かします。そして、自身のメインアカウントへ攻撃。被害に遭っているフリをし、精神状態がおかしくなり始めたことにした。結果、彼を誤って殺してしまったということにしようと画策していたんです」


「アカウントの削除をされても名前を変えずにずっと続けていたのは、ストーカー被害の証拠として形として残すためというわけか」


「恐らくは」


 田荘の返答を聞いて、探偵は煙と共にため息を吐いた。負の力は時に人間の大きな原動力になることを痛感させられる。


「そして、あの日。俺と先輩がマンション前で待機していたあの日です」


 田荘は視線をまた落とす。


「前日会った際に裏口から入るよう伝えておき、我々の目を欺いた。部屋に隠れたまま俺らに電話をかけ、襲われるふりをして電話を切る。そして、隙を見て用意しておいた花瓶で彼氏を殴ったんです」


 探偵はふと思い出す、スリッパが怪しいと思っていたことを。わざわざ部屋に不法侵入するような奴がスリッパなんて履くだろうか、すぐ逃げられるように余計な物事は極力排除するはずじゃないか。


「そんで、俺らが全て済んだ部屋に着く……面白いくらいにそのまんま、利用されていたってわけだ」


「ええ。上手いこと考えましたよ」


 探偵は煙を吸い、鼻から出した。「じゃまあ、動機は浮気されたからってことか」


「それがですね」田荘は身体を前に倒す。「浮気はされてよかったと言っているんですよ」


「何?」


「彼がその浮気相手に乗り換えようとしていたことに対して、許せなかったそうです。この私をフるなんて、完璧な外見を壊そうとするなんて、絶対に許せない。私のほうがずっと美人で、可愛くて、気配りができて、料理が上手くて、頭が良くて、どんな服も似合うスタイルで……って、残りも聞きます?」


「いやいい」探偵は灰皿の底にタバコをこすりつけた。「なんか怖くなってきたから」


「ですよね、俺も聞いててそう思いましたよ」


 どうやら田荘が感じていた気持ちも一緒であったようだ。


「自分の外見を整えようとするあまり、自ら崩壊の道へ進んでしまった……なんとも恐ろしい事件でしたね」


「だな」探偵は眉間を小指で掻いた。


「それじゃ、俺はこの辺で」


 田荘はソファから立ち上がった。沈んでいたクッションがじわじわと膨れ上がっていく。


「おう、わざわざすまなかったな」


 田荘は探偵からの言葉に「いえ」と返事をし、事務所の入口へと歩いていく。扉を開け、外に出る。閉まっていく扉。だが、再び少し開くと、田荘が顔だけ事務所の中に戻した。視線の先には探偵がいる。


「……なんだ?」奇妙な仕草に、探偵は眉をひそめる。


「例の件、覚えてます?」


 探偵は頭を掻きむしった。指に少し絡みつく。


「一回分はタダで。ちゃんと覚えてるよ」


 田荘は満面の笑みに。「なら良かったです。その時は宜しくお願いしますね」とだけ言葉を残すと、顔を引っ込め、扉を閉めた。


 沈黙が流れる事務所で、探偵は深いため息を吐いた。


「全くそういう記憶力だけはいいんだよな、あいつは……」


 電話が鳴り響き、探偵は肩をびくりと動かした。テーブルの上で小さな振動を起こしながら暴れている。まさかさっきの独り言が聞かれていたのか。恐る恐る探偵は確認する。


 画面に表示されているのは、誰かではなく、番号のみ。つまりこれは、知らぬ相手からの電話、ということだ。田荘ではないことに胸を撫でおろした。


「はい、こちらワンワード(・・・・・)探偵事務所」


 探偵は仕事用の少し高めの声で電話に出た。


『あっもしもし』相手は女性。少し高めの可愛らしい声質をしていた。『突然のお電話、申し訳ありません。私、タカテレビの西と申します』


「テレビ……ですか?」


『はいっ』


 探偵はまだ自己紹介と元気な返事しか聞いていない。会ったことはない。けれど、何故か妙に嫌な予感がしていた。




 この直感が間違いでなかったことに探偵が気づくのは、もう少しだけ後のことであった。

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