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天見上げ今日は三日月安らかに眠れよ眠れ野良猫はなく

作者: 雅片

 父方の叔父が亡くなった。

 つい最近まで普通に歩き、普通に食事をし、普通に笑っていたらしい彼は、呆気なくもあっさりと血を吐いて家で息絶えていたそうだ。

 叔父には良くしてもらった記憶はあるが、これと言って具体的な事を話そうとすると何故だか思いつかなかった。叔父には奥さんは居たが子供は居らず、僕の事を自分の子のように接する時もあった事を覚えている。そういう事もあってか、僕からすればもう一人の父親のような、兄のような、そんな存在だったのだと思う。

 葬儀の時に、横で妹がわんわんと泣いている姿を見て自分も涙ぐんだが、それ以上涙がこぼれる事はなかった。無意識的に、泣くのがみっともないと思ったのかもしれない。学生服に嫌なにおいが付いてしまいそうだなあ、この煌びやかな葬儀にはお金はどの位かかるのだろうか、彼の遺品はどうなるのだろう、と。今思えば必死に別の事を考え、泣くのを耐えていたのかもしれない。ただひたすら、映画やドラマを見るように行われた葬儀を傍観し、思い出話にふける名前が分からない親戚の人達の声をぼうっと聞き、笑顔の叔父の遺影を眺めながら不味い食事を噛み締めていた。

 二日ほど忌引で学校を休み、また学校へ復帰し友達と馬鹿をしながら日々を過ごしていく。きっと、このまま時間に埋もれて悲しみも叔父との思い出もぼやけて、思い出す事も忘れてしまうのだろう。友達と爆笑しながら、もう大分薄くなった焼香のにおいがふと自分の学生服から鼻に付いた時そんな事を感じた。

 ある日、体育の授業で球技をしていると、どこからともなく誰かが間違った方向に放ったバスケットボールか何かが少年の顔面に直撃した。よくからかわれる分厚いレンズの眼鏡が勢いよく床に叩きつけられ、鼻から血が出、また床を汚した。ボールが当たり腫れていくだろう頬をさすりしばらく呆然としていたが、急に脳を揺さぶられたからか訳が分からなくなり涙が溢れ出て止まらなかった。情けなくしゃがみこむと、皆に心配されながら保健室に連れて行かれ、鼻血を止めたが他に大したことは事は無いようだった。それでも涙が止まったのはしばらくしてからで、友達の一人にからかわれ背中を勢いよく叩かれるのだった。

 帰り道、割れた眼鏡を外しておぼつかない足取りで夜道を歩く。何故あんなに涙が出たのか、上手く回らない頭で考えていた。

 人を亡くした心の痛みより、身体的な自分の痛みの方が痛いと感じるほど、僕は薄情な人間だったろうか。いや、きっとそうではないのだ。そうでなかったら、叔父の存在は一体なんだったのか。

 最後に会った時はいつだったか、彼の生きている笑顔が思い出せない。

 脳が揺さぶられた時に、昔叔父が歌ってくれた子守唄を思い出した事を思い出す。幼い頃、どうしようもなく眠れない旅行先で、穏やかな声で歌っていてくれたと思う。こんな田舎道、周りには誰もいない。震える口を、そっと小さく動かした。


 今日は三日月、安らかに

 ねむれよ、ねむれ

 野良猫はなく

 天見上げ

 今日は三日月安らかに

 ねむれよねむれ

 野良猫はなく……



 思わず上を見上げると、目が悪い事をあざ笑うかのように弧を描く三日月は二重三重にもなってぼやけて見えた。

「野良猫は泣く……亡く……」

 冷たい風が少年に吹き付ける。

 ただ一度だけ、叔父と最後の別れする最後の最後に、たまらず近寄り叔父の頬に手を当てたあの生き物ではない冷たい感触が、思い出されて仕方がない。

「眠れよ眠れ、安らかに……」

 涙は、こぼれなかった。

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