9.教えて、お兄様
「魔術ですか?……こう身体の中の魔力をぎゅっと握って、頭の中にあるイメージ通りにえいっと投げているだけなのですが」
「魔術の出し方?そんなの、するっと取り出してぶあっと放てばできるだろ」
「…………」
ああ、この二人ってやっぱり双子だわ。エリカがそう実感した瞬間だった。
どうしてそんな今更なことを聞いて回っているのかというと、早い話が彼女は先日の魔術講義実践編でどの属性の魔術も放つことができなかったのだ。
生まれ変わる前……かつての生で魔術を使おうとした時は、かなりしょぼかったが一応水の魔術を最低限使うことくらいはできていたのに。
魔力が体内を巡っている、という感覚だけはわかる。
ただそれを掴もうとしたり引き寄せようとしたり、レナのようにぎゅっと握ろうとしたり、レンのようにするっと取り出そうとしたり、何かしら手を加えようとするとそこで行き詰ってしまうのだ。
ユリアは魔力がないから聞いても無駄、レナとレンの姉弟はどちらも感覚的なもので使えているのだからこれも参考にならない。
仕方なくエリカは、夕飯の時間を待って父に問いかけてみることにした。
のだが。
「そうだな……私は火の属性しか使えないから、炎をイメージするんだ。そしてそれを手の方へ動かし、剣に流し込むようにすると発動する、そんな感覚だったね。小さな炎を灯す程度なら、意識せずともできてしまうし」
「…………わかりました。もういいですわ」
心底がっかりした、そんな言葉が聞こえてきそうなほどしょんぼり項垂れた娘に、その娘が可愛くて仕方がない父親は大いに慌てた。
「え、エリカ?その、ナムルの教え方が合わないのなら違う教師を探そうか?今度はきちんとした魔術師に頼もう、そうしよう」
「……お父様」
「なんだい?」
「本当にもういいです。それと、ナムルは変えないであげてください」
「…………そうか」
何故か失望したエリカよりも、失望させてしまったらしいフェルディナンドの方ががっくりと肩を落としてしまった。
「エリカ、父上が嘆いていたよ。娘の悩みを解決してあげられない不甲斐ない父親だって」
「お兄様、いつお戻りに?」
「ああ、ついさっきね」
というか、父上の話は聞き流すんだね。
と今年から国で唯一の専門的な学び舎であるヴィラージュ総合学園に通い始めた兄ラスティネルは、苦笑いと共に妹の隣に腰掛けた。
ヴィラージュ総合学園の入学が認められるのは13歳から。
在籍は特に何年とは決められておらず、それぞれが専攻した分野で学びたいことをとことん学ぶもよし、ある程度スキルがついたところで就職するもよし、学園を卒業したという肩書きだけを引っ提げて実家に戻るもよし、という学生一人ひとりの自主性に任せた特殊な教育方針を掲げている。
入学するのに必要なのは入学試験に通過するだけの知識と技能、そして必要最低限の学費や生活費くらいだ。故に、ある程度裕福であれば平民であっても通うことができるし、逆に目立った技能を身につけていない者であるなら貴族であっても入学を断られてしまう。
伊達に『国立』という名を掲げてはいない、ということだろう。
ラスティネルはこの学園に、治癒属性の保持者として入学した。
そこの魔術科に在籍しつつ、彼は治癒魔術の使い手以上に数の少ない魔術医師の繁忙さを助けるためにと、様々な補助術具などの研究に携わるつもりであるらしい。
普段は学園の寮で生活をしている彼が、突然邸に帰ってきた。
それは別段驚くことでもなんでもなく、年若い学生達が息抜きできるようにと学園側が1ヶ月に1度数日の連休を与えている……その休みを使って帰省しているに過ぎない。
「それで?この明るい庭先で何を難しい顔をしてるのかな、うちのお姫様は」
わざとおどけたようにそう問いかけたラスティネルに、エリカは魔術の実践授業で自分だけ使えなかったこと、魔力が流れている感覚だけはあるがそれを取り出そうとしてもできないこと、他の者に話を聞いてもさっぱり要領を得ないことなどを話した。
話すうちに段々と自身も難しい顔になっていったラスティネルは、最後まで話し終わった妹の髪を優しく撫でながら「思うんだけどね」と考えながら話し出した。
「父上のようにひとつの属性しか持たない者、レナやレンのように2つの属性に優劣がついている者、彼らの場合周囲にはその得意属性の精霊しか集わないようなんだ。父上とレンは火、レナは風だね」
だけど、と彼は真っ直ぐにエリカのブルーアイズを見つめる。
「エリカの場合、属性が4つだ。当然、傍に集う精霊の数も属性分だけ多くなる……はずなんだ。けどね、確かに君の周りにはたくさんの精霊がいるけど、彼らは決して君に触れようとはしない。一定以上近づこうともしていない。まるで、誰かに近寄るなって言われてるみたいに」
「……………」
もしかして、とエリカは普段はブレスレットで隠している左手首に目をやった。
(そうだわ、ここにあるのは精霊王の加護の証。力が最も強い王の『持ち物』なら、当然下級の者達は近づけないわよね)
だから、かつての生ではしょぼかろうが何だろうが普通に魔術を使うことができたのだ。
だが今は思わぬ幸運で加護を手に入れてしまった。
そのことで、本来属性魔術に力を貸してくれるはずの精霊達が近寄ってこられないのだとしたら。
「……ねぇ、お兄様。原因はわかったけれど、だったらどうしたらいいのかしら」
そこで結局、問題は振り出しに戻ってしまうのだった。
本来なら、加護を持つ者は同じく加護を持つ者から魔術の使い方を教わるのが、一番効率がいいはずだ。
だがしかし、ただでさえ精霊の加護を得た者の数は絶対的に少なく、その殆どが国に登録された上で行動をある程度制限されているため、教えを乞おうとすればそれは即ちエリカ・ローゼンリヒトという少女も加護持ちだと国に知らせることに繋がってしまう。
現時点でそれは避けたい、と父から散々『国に管理される危険性』を説かれていたラスティネルは、まだ幼い妹にも噛み砕いてその危険性について話して聞かせる。
「まぁつまり、他の加護持ちと接触を持つのは危険だってことなんだけど……だったらどうしたらいいものかな。僕のやり方じゃ、やっぱりエリカの参考にはならないだろうし」
「それでも他の方にも聞いたのですから、お兄様の方法も教えてくださいませんか?」
「うーん、まぁいいけど」
ラスティネルは魔力そのものに特殊な属性の力を宿す、わりと希少な能力者の一人だ。
術を使う方法も、精霊に力を借りるのではなくごくごく単純に、自分の中の力を解き放つだけでいい。
「ただ気をつけなきゃいけないのは、『どの部位』に『どれだけ力を注ぐか』っていうことなんだ。それをしっかり意識していないと、ただ無駄に力を分散させてしまうことになる。属性魔術だってイメージが大事だろう?そのイメージを、僕の場合はもっと強く具体的に持たなきゃいけない。そうじゃないと患者さんの大丈夫なところにまで余計な損傷を与えてしまいかねないからだ。わかるかな?」
「はい、なんとなくですが」
「なんとなくで充分だよ、今はね」
(どれだけ力を注ぐか…………『注ぐ』?注ぐって、なんだかお水をコップに移すみたいな言い方だわ)
そういえば、とエリカは思い出した。
レナは『ぎゅっと握る』のだと言った。
レンは『するっと取り出す』のだと。
フェルディナンドは『炎を手の方へ動かし、剣に流し込む』のだと。
魔力が身体で常に生み出されているのなら、それを魔術として使うには身体から放出しなければならない。放出するには、出口が必要だ。
「魔力の、出口……」
「出口?……ああ、そうだ。そういえばこの前の授業でね、魔力飽和の病が何故起きるのか教わったよ。身の丈に合わないほど大きな魔力を内包する者が、上手く魔力を放出することができずに身体の中に溜め込んで起こるんだそうだ。つまり、出口が小さすぎて途中で詰まってしまうってことらしい」
「出口が、詰まる……」
そうか、そうだったんだと彼女は漸く気付いた。
彼女の持つ魔力があまりに多すぎた所為で、かつての自分は最下級のしょぼい魔術しか使うことができずにいた。
出口が魔力量に対して小さすぎたため起こった悲劇、ということだ。
そして、今の彼女は魔力飽和の症状を全く発症していない。
それはつまり、以前はすぐ目詰まりを起こしていた出口が大きく広がったから。
加護の証によって、彼女の魔力の余剰分が精霊王へと渡されているからだ。
(加護の証を通じて、私と精霊王が繋がっているのだとしたら……もしかしたら)
「お兄様!ありがとうございます、大好きですわ!」
「え、えっ!?」
突然ぎゅっと抱きつかれて、13歳の少年は顔を真っ赤にしておろおろとうろたえた。
相手は8歳の妹だ、本来なら優しく抱きとめてやればいいだけの話なのだが、いつも控えめで常に先へ先へと考えているらしい頭のいい妹が、突如として可愛らしく甘えてくれば動揺しない方がむしろどうかしている。
おまけに父でさえまだ聞いたことがないだろう『大好き』の言葉まで貰ってしまった。
今現在落ち込みの真っ最中である父に聞かれようものなら、すぐさま寮に帰れと叩きだされそうな予感までする。
でもまぁいいか、可愛いから。
結局そこに落ち着いてしまうあたり、ラスティネルも父のことを言えないほど妹バカであることは間違いなさそうだ。