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6.フラグを折りましょう

(大丈夫、大丈夫よ。落ち着いて……ユリアだっていてくれるんだもの。だから大丈夫)


 かつての生に、『シジョウ・ユリア』という少女はいなかった。

 否、存在はしていたかもしれないが、何しろ筋金入りのネガティブ引きこもり令嬢だったエリカのこと、社交界に飛び交う噂話はもとより使用人達が囁き合う茶飲み話ですら、彼女の耳には入ってこなかった。

 もしかすると、領内の特別庭園でそんな名前の落ち人が保護されていたかもしれない。

 もしかすると、そのまま王宮へと連れて行かれた彼女は、この世界を自分のための世界だと勘違いしたまま、いいように利用されて生を終えていたかもしれない。


 だが今、『シジョウ・ユリア』改め『ユリア・マクラーレン』はエリカの傍付きとしてここにいる。

 正直、彼女を手放しで信用することはまだ出来ていない。

 しかし、かつてテオドールへの憧れを募らせていた頃のエリカを何度も諌めてくれたナターシャは、ユリアに対しては何も言わないし警戒もしていない。

 そんなナターシャまで疑うことは、ひいてはその夫であるセバスも疑うということ。そしてそのセバスを信頼している父フェルディナンドをも疑うということに繋がる。


(疑ってばかりじゃ、味方はできない。これで全員に裏切られてた時は……うん、その時はその時よ)


 ただの開き直りだと言われても、今のエリカはそうやって多少無理をしてでも前を向く必要があった。

 もう二度と、テオドールにつけこまれないように。

 ユリアの言う『死亡ふらぐ』を叩き折るために。



 エリカが応接間に入ると、それまで父を囲んで談笑していた者達が一斉に視線を向けてきた。

 反射的にびくりと身体が飛び上がりそうになったが、背後から付き従ってくれたユリアがそっと肩を叩いてくれたこと、そしてその輪の中から足早に抜け出したフェルディナンドが背を支えるように隣についてくれたことで、どうにか体裁を保つことができた。


「紹介しよう、娘のエリカだ。生まれついての難病の所為でこれまで外に出ることがなかったのだが、この度奇跡的に快癒してね。これから社交界や学園入学などで外に出る機会も増えるだろう。そうなった時、護衛と学友を兼ねた者が傍にいてくれたら、と思ってね」


 とここでフェルディナンドは一度言葉を切り、ユリアに視線を向けて前へ出るようにと促す。


「彼女はユリア・マクラーレン。家名を聞いてわかった方もいるかと思うが、赤騎士団長セドリック・マクラーレンのご令嬢だ。まだ幼いが彼女の実力は父である騎士団長も認めるほどだという。……と、このように優秀な傍付きが既に一人ついているのだが、何しろ一人で全てを背負うのは荷が重すぎる。そこで、できれば魔術の才能という方向性で有能なご子息・ご令嬢にうちの娘の傍付きになってもらえないか、と声をかけたわけだ」


(お父様、奇襲攻撃成功ですわ。さすがです)


 エリカの紹介でやんわりと『護衛と学友を』と期待を持たせておいて、次いでユリアを紹介することで一気に合格の壁の高さを示す。

 赤騎士団と言えば、赤・青・白・緑・黒と五つ存在する騎士団のうち、魔物討伐や反乱鎮圧など常に前線に立って戦うことの多い、つまり最も実力を重視される団である。

 その団長といえば、実力主義を掲げるこの国の象徴と言ってもいいほどの人物で、実力さえあれば部下の身分や過去の罪状などは問わないと豪語する御仁だ。


 身内とはいえ、そんな男に実力を認められたまだ8歳の少女……暗にその彼女と実力が拮抗するほどの才能を、と求められた親達はさすがに揃って顔を青ざめさせた。

 対する子供達の方は大人の会話に興味津々の者もいれば、我関せずという顔でぼんやりと外を見ている者まで反応は様々だ。

 彼ら、彼女達こそ『高い才能を』と求められた張本人なのだが、ぐるりと顔を見回してみても親達のようにあからさまに顔色を変えている者はいない。



 エリカは、室内全体を見渡すフリをしながら、テオドールの方を見た。

 艶やかな黒髪に、理知的な光を宿すラヴェンダー色の双眸。

 きゅっと引き結ばれた唇はサクラ色で、まだ10歳になったばかりだというのに、人間離れしたという表現が相応しいその美貌は、どこか色香まで感じさせるほどだ。

 かつての生で、『エリカ・ローゼンリヒト』が一目惚れし執着したそのままの姿で、彼は今そこにいる。

 公爵令嬢の傍付きとして選ばれるために。


 意図せずじっと見つめていたのがわかったのか、彼の視線がエリカを捉えて少し驚いたように見張られ…………一瞬の後、にこりと微笑まれる。


「…………!」


 かつて彼女は、この微笑みで『落ちた』

 天使のようだとぼうっとなり、気が付いたら彼を選ぶと父に告げていた。

 だが今の彼女は『かつての彼女』とは違う。


 反射的に視線をそらしそうになった彼女はしかし、体の前で握りしめた両手にぎゅっと力を入れ、不自然にならないように会釈を返した。


(大丈夫。もう何も感じないわ。……貴方の思惑には乗らないんだから)


 不思議なほど、心は動かなかった。

 相変わらず綺麗だとは思うし、吸い込まれそうな微笑みに一瞬目を奪われたのは事実だ。

 だが、それだけだった。

 裏切られた時の哀しみや怒りはさほど感じなかったが、同時に魅入られることもなかった。




「さて、エリカ。お前の傍付きなのだから、最終決定権はお前にある。気に入った相手を指名するもよし、簡単な試験をするもよし。……さぁ、どうする?」


(前は、ここでテオドールを指名したんだったわ。でも、今回はどうしようかしら)


 気に入った、と宣言できるほどの子はいない。

 しいて言うなら先ほどから興味ないねと言いたげに外を眺めている男の子と、どうやら双子らしいそっくりな顔立ちの女の子、この二人はなんとなく気になってはいるが。

 それでも、指名するには何か決定打が足りない。


 ちょいちょい、と肩を突かれて視線を背後に向けると、ユリアが『あたしあたし』と口パクで言いながら自分を指さしている。


(…………あぁそうか……そういうことね)


「お父様、せっかくですから簡単な試験をしてもよろしいですか?」

「どんな試験かな?」

「先ほどお父様も仰ったでしょう?ユリアは優秀だけれど、一人では荷が重い、と。でしたら、優秀なユリアの肩の荷を背負えるほどの実力がなければ、彼女の負担が増えるだけですわ」

「ああ、そうだね」

「ですから、これから皆様にユリアと軽く対戦していただきたいと思いますの。どうかしら?」


 瞬間、ざわりと空気が動いた。





「まっ、参った!参りました!!」

「んもう、だらしないなぁ……まだ全然試合になってないんだけどー」


 ぶつぶつとぼやきながら、ユリアはあわあわと及び腰で逃げ出した挑戦者を他所に、「次は誰?」と待機組の方に視線を向けた。


 公爵令嬢の傍付き、という立場は下位の貴族達にとっては余程魅力的であるらしい。

 挑戦するかどうかは各自の判断に任せようとフェルディナンドが告げたことで、数人は帰るだろうなと思っていたエリカの予測は外れ、顔色を悪くしながらも集まった全員がユリアに挑戦することとなった。

 場所は、邸からそう遠くない場所にある私有の訓練場で、時折ラスティネルやフェルディナンドの部下達が魔術の練習をするのに使っているところだ。


 挑戦者は、男子4人女子2人の合わせて6人。いずれも子爵家もしくは伯爵家の『跡取り以外の子供』ばかりで、魔術の才能ありと認められた者ばかり……の、はずなのだが。

 へっぴり腰で逃げ出した男子は3人目の挑戦者だったのだが、得意属性の風の魔術を魔力最大で放ったもののあっさりとかわされ、無防備になったところをユリアの得物である彼女の背丈ほどもある長剣を突きつけられ、あっさり降参となった。

 他の二人の挑戦者も似たようなもので、自分より小さな子供に負けたことが悔しかったのかすっかり意気消沈してしまっている。



「もう終わり?そっちの子達はやらないで諦めちゃう?」

「…………では、私が」

「いいよー、どこからでも」


 意を決したように進み出たのは、エリカが先ほどからちょっと気になっていた金茶の髪の女の子だった。

 緊張しているのか表情が硬い。

 彼女は両手でボールを包み込むように軽く手を合わせ、その中に風の魔術を凝縮して溜め込むと、一気にユリアに向けて投げつけた。

 風のボールは途中でナイフのように形を変え、ユリアの髪一筋を土産に浚って空へと消えていく。


「……へぇ、やるじゃん」


 嬉しそうにそう言って、ユリアは剣を肩に担いだまま少女に向かって身を躍らせる。

 が、少女も同時に地を蹴って反対回りでユリアのいた方へと跳んでおり、そこからまた風のボールを放ってきた。


 そうして何度かそれを繰り返した後、突然少女の身体がぐらりと傾いだ。


「っとと、……魔力切れかぁ……でもすごいね、もうちょっと続いてたらあたし負けてたかも」


 慌てて駆け寄ってきた少女の母親にそう笑いかけて、ユリアはふぅっと息をついた。



「で、残ったのは男子2人ね。そっちの子はどうする?さっきの子、お姉ちゃんだか妹だかでしょ。仇討ち、しとく?」


 わざとからかうようにそう言ったユリアに、声をかけられた白茶色の髪をした少年は無表情を崩さぬまま「冗談」と冷ややかに応じた。


「お前、落ち人だろ?落ち人には魔術は効かない。なら魔術をいくら使っても無駄ってことだ」

「ふぅん、よくご存知で。なら棄権ってことかな?」

「それでいい」

「りょーかい。……それじゃ、最後の一人。そこの妙にオキレイな顔したお坊ちゃま、どうする?」

「……困ったな。やりたくはないけど、やらなきゃ棄権になる。それなら、やるしかないよね?」


 そうこなくっちゃ、とユリアは内心歓喜した。

 何しろ、エリカの打ち明け話を聞いてからこれまで、テオドールという男に対してずっとどうしようもない憤りが渦を巻いてぐるぐるしていたのだ。

 本音を言えば、この場で叩き斬ってしまいたい。ここが本物の戦場なら、きっと迷わずそうするだろう。

 それほどまでに腹の立つ相手……しかも彼女が『落ち人』だと聞いた上でなおも試合を挑んでくるだけの自信家、とくれば最初から手加減する必要など感じられない。



 どこからでもどうぞ?と以前の彼女なら間違いなく狂喜乱舞していただろう美少年を相手に、ユリアは不敵に微笑む。

 テオドールはぎゅっと唇を噛み締めてから、ぶつぶつと詠唱し終えると両手を下へ向けた。

 瞬間、ざあっと波打つ水が彼とユリアの足元を襲う。

 どうやらユリア本人に直接魔術を射るのではなく、物理的に足元を掬おうと考えたらしい。


「ちょっとは考えたみたいね。けどあたしにはこんなの…………っ、え?」


 ずぶ濡れの靴を重荷に感じることなく軽々と跳び上がり、余裕の表情をテオドールに向けようとして……ユリアは唖然とした。


「…………っ」


 すとんと着地したその足元、自らが作り上げたぬかるみに足を取られて見事にそのお綺麗な顔に泥パックした状態で倒れ伏す、対戦相手テオドール

 あまりにあまりなその間抜けぶりに、これはもしや油断させる計算かとさすがのユリアも警戒心を抱いてしまった、が。


(あー……なんか違うかも。だってすっごい悔しそうだし、今にも泣きそうだもん)


 10歳にしてこれが演技ならたいしたものだが、そういうわけでもなさそうだ。

 何にせよ、つい先ほどまで澄ましていた天使のようなその顔も高そうなその服も、今は泥にまみれてドロドロだ。

 何よりその本気で悔しそうに歪んだ顔を見ているだけで、スッと心が軽くなる気がする。


 ざまあみろ!あたしの友達を裏切るからだ!

 そう心の中で叫んでおいて少し離れた場所にいるエリカを振り向くと、彼女も笑いを堪えているようなどこか反応に困ったような……だがやはりすっきりしたような、そんな顔をしていた。




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