4.拾い物はトラブルメーカー
2015.3.15
編集しつつ数話繋げました。
「おかえりなさいませ。お父様、お兄様」
「…………え、……エリカ?本当に?」
「……これは驚いた……まるでレティシアが子供の姿になって戻ってきてくれたのかと……うぅっ」
「旦那様、お気を確かに!あの方はエリカお嬢様でございます」
エリカは今、仕事帰りの父とその見習いとして早くも仕事を学び始めている兄をエントランスで出迎えていた。
『きっと旦那様もご子息様も驚かれますよ。そして、大いに喜んでくださるでしょう』
セバスの言葉通り、兄であるラスティネルは絶句したまま動きを止めてしまい、父は亡き奥方に生き写しだと泣き出してしまう始末。
困り果てておろおろと視線を彷徨わせるエリカを、まだ涙目のフェルディナンドが屈みこんで抱きしめ、また嗚咽を漏らし始めたのだから堪らない。
「お、お父様……あの、私」
「エリカ……あぁ、私のエリカ……お前になんと重い枷を背負わせてしまったのかと、私はずっと悔やんで……だがお前は乗り越えたのだね。良かった、本当に。お前が部屋の外に出てきてくれる、それだけで私は……うぅっ」
「お父様、しっかり!」
縋りつく勢いでぎゅうぎゅうと抱きしめてくる父をどうしたらいいかわからず、必死で宥めながらも視線を兄に向けると、ラスティネルはぽかんと呆けた顔を慌てて引き締めて駆け寄ってきた。
「エリカ、正直僕もびっくりしてるんだ。だって昨日まで、君は部屋を出ようとはしなかったから。どんなに声をかけても、一緒にご飯を食べてはくれなかっただろう?父上も僕もね、こうして部屋の外に君がいてくれることが嬉しいんだ。……勿論、病が落ち着いたことも嬉しいけど、ね」
抱きついて泣きじゃくる父がいるため、兄は仕方なく妹の銀髪を撫でるに留める。
本音では父を引き剥がしてでも妹を愛でたかったが、これまで散々エリカの病に、そしてその歪みつつある性格に心を痛めていた父を見てきたため、今は仕方ないかと諦めて。
「お父様、しばらく特別庭園に通いたいのですが……構いませんか?」
領内いちの繁華街より少し離れた場所にある特別庭園の中には、大きな噴水や人や動物の形に刈り込まれた植え込み、甘い香りのする花々が咲き誇る温室や馬車も通れる並木道まであり、ぐるりと一周するだけでもそれなりの時間を要する。
勿論疲れた時のためのベンチや東屋もところどころに設置されているため、エリカは5歳になるまでずっと引きこもっていた身体を慣らすために、そこで散歩したいのだと父に相談をもちかけた。
「いいだろう。ただし、夜になる前には帰っておいで。それと、行き帰りには馬車を出すよ、いいね?」
「はい。ありがとうございます、お父様」
膝をついて優しく娘を抱きしめるフェルディナンド、それに戸惑いながらもおずおずと抱き返すエリカの姿を見て、正式にエリカ付きに任命されたリラは微笑ましそうに瞳を細めた。
その日から毎日、エリカとリラ、そして少し離れてついてくる護衛数人で特別庭園へと通った。
一日で全部を回るのはさすがに無理があったため、いくつかのブロックにわけて休憩を挟みながら庭園内を散策する。
ただその最後に、エリカが必ず寄る場所があった。
「もうじき、サクラも終わりね……」
『ラーシェ』と呼ばれるこの世界の隣には、ぴったりとくっつくようにしてもうひとつの世界『チキュウ』があるのだと、そう言い伝えられている。
そして時折、神の気まぐれかその『チキュウ』からこの『ラーシェ』への一方通行という形で、異世界人がこちらへ落ちてくるのだ、ということも。
この木は『サクラ』といい、偶々落ちてくる前に苗木を手にしていた『落ち人』が伝えたとされる、異世界の植物である。
春になるとピンク色の花を咲かせるこのサクラは、今ではこの領内の庭園以外でも世界のあちこちで見ることができる。それは、その異世界人……『落ち人』が、戻れないならばせめて、と自分と一緒にやってきたサクラの栽培・繁殖に力を注いだ結果である。
エリカは、このサクラが好きだった。
そしてその傍にあるベンチに腰掛け、オレンジから赤、赤から紫に染まっていく空をぼんやり眺めるのが、ここ数日の日課となっている。
「お嬢様、今日はそろそろ」
「もうちょっとだけ。ほら、サクラがまるでお父様の瞳のように赤く……染まっ、て……!?」
「あ、お嬢様っ!?走られては危のうございます!!」
突如顔を険しくしてガタンと立ち上がったエリカは、何かに取りつかれたようにサクラの木に向かって駆け出した。数秒遅れてリラもその後を追う。
ハラハラと儚げに散り急ぐサクラ、その根元に倒れ伏す小さな身体。
気絶するようにくったりと四肢を投げ出しているその子供は、ちょうどエリカと同じくらいの年頃の少女だった。
あまり見ない薄紅色の髪をした、同じ色を持つサクラの木の下に突如現れた少女。
(あなたは……一体、誰?)
反射的に助ける形になってしまった子供を見下ろし、エリカは困ったようにため息をついた。
「ご令嬢、俺は今休暇中なんだが」
むっとした表情を隠すことなく、呼ばれるままに駆けつけた自称里帰り中のマティアス医師は、腕を組んだ姿勢でエリカを見下ろした。
視線の端に映るのは、この小さな『ご令嬢』が特別庭園で保護してきたという、薄紅色の髪をした少女の姿。今はまだ昏々と眠り続けており、目を覚ます気配すらない。
「申し訳ありません。マティアス先生が大事な大事な奥様をご実家にお連れになられているのは存じ上げておりますが、なにしろ人命がかかっているかもしれませんので……診察さえしていただければ、即刻お帰りいただいて構いませんのでどうぞお願いいたします」
「…………フェルに似てきたって言われないか?」
「あら、わたくしにとっては褒め言葉ですわ」
「…………いい性格してやがる」
畜生、と吐き捨てるように呟いて、彼は仕方なく患者に歩み寄った。
ベッドにぐったりと横たわる少女の上に手をかざし、魔力の流れを感じ取ろうと己の魔力を注ぎ込んでみる、が。
「…………ん?」
反応がない。
どれだけ己の魔力を注ぎ込もうとも、跳ね返ってくるはずの魔力の気配が体中のどこにも感じられないのだ。生まれつき魔力を持っている子供であれば、どんなに少ない魔力量であっても反応はある。もし魔力を持たずに生まれたのであれば反応がないのも頷けるが、それでも注ぎ込んですぐなら注ぎ込まれた分だけの魔力が感じ取れるはずだ。
それが、全く感じられない。まるで穴の開いた容器に水を延々と注ぎ込んでいるかのように、注いだ先からするりと抜けていってしまっている感じがする。
(どういうことだ?魔力が体から抜けていくなんて症例……これまでに……ん、待てよ?)
「ご令嬢、ひとつ聞くが。このお嬢ちゃんはもしかして『落ち人』か?」
『落ち人』とは、この世界と隣り合っている異世界からの来訪者のことである。
道はいつ開くかわからず、しかもあちらからこちらへの一方通行。故に『落ち(てきた)人』と呼ばれる。
彼らは魔力を持たず、そのかわりに特殊な能力だったり豊富な専門知識だったりを持ち、その多くが国に手厚く保護されて生をまっとうしたのだと言われている。ただし圧倒数が少なく記録もまた少ないため、どういう条件の者が『落ち人』なのか判断する基準は今のところない。マティアスがそうじゃないかと疑ったのも、この魔力を受け付けない体質を実際に診たからだ。
静かな問いかけに、エリカは迷いながらも「おそらく」と頷く。
「本来ならすぐにでも王宮に連絡をしなくてはいけないんでしょうが……『落ち人』が落ちてきた当初は、精神が不安定になると聞きました。しばらくは……せめて彼女が気持ちを落ち着かせるまでは、連絡を待っていただけませんか?」
「俺に言われても困る。俺は医者だ、患者のことを外に漏らす気はない」
「……ありがとうございます」
それはつまり、王宮に連絡するのはローゼンリヒト家からやれ、ということだ。
慌てて帰っていったマティアスを窓から見送って、エリカは改めて不思議な少女の傍に座り込んだ。
薄紅色の髪はショートボブにまとめられ、ふっくらとした頬やつやつやの唇、長い睫毛に形のいい眉、そのどれもが絶妙なバランスで配置された顔はエリカとは系統の違う美幼女と呼んでもいいだろう。
(まだ私と同じくらいなのに、家族と引き離されるなんて……目が覚めたら泣くかしら)
眉根を寄せて首を傾げたところで、不意に何の前触れもなく少女の目が開いた。
瞼の下に隠れていたのは、一対の鮮やかなチェリーレッド。
「あ……れ?あたし、どうして……確か、病院にいたはずなのに。病院から出られるなんて……」
(病院?)
なんのことかしら、エリカがきょとんとしている間にも、少女はがばりと体を起こして周囲をきょろきょろ見回し……本来なら真っ先に視界に入るだろうエリカのことは華麗にスルーして、ぶつぶつと呟き始めた。
「ここ、お金持ちのお邸みたいね。じゃあ死んで天国ってわけでもなさそうだし、どういうこと?それに声もなんだかおかしいし。あ!手もちっちゃい……ってことはこれって転生!?ちょっと憧れてたのよねー。転生チートで最初っからなんでもできて、天才なんて騒がれちゃって。イケメン達に次々と求愛されてさー。きゃっ、やっぱりあたしはヒロインなんだわ!神様に愛されてるのよ!うふっ。前は失敗しちゃったけど、今度はちゃんと逆ハー狙っちゃうんだから!」
「…………」
(あー、えっと、こういうのもパニック症状っていうのかしら……?)
『ここは何処なの、あなた誰なの』と泣き喚かれることを予測していたエリカとしては、少女のこの反応は完全に予想外の斜め上をいっていた。
わかることといえば、彼女がどうやら『自分に恵まれた世界』だと勘違いしているらしい、ということ。
ならばそれを早々に正してやらなければ。
夢見がちだったかつての自分に少しだぶらせたエリカは、表情を引き締めてゆっくりしっかり言葉を発した。
「いい加減我に返って『こちら側』へ戻ってきていただけませんか?サクラ色の髪をしたお嬢さん」
静かに、呆れを多分に含ませて呼びかけられた声に、少女のチェリーレッドの瞳がぎょっとしたようにエリカに……ようやく、己を保護してくれた相手に向けられた。
「っ!!あなた誰っ!?ここは一体どこなのっ!?」