34.かつての生に思いを馳せて
「お待ちしておりましたわ、エリカ様」
「あえてお招きありがとうございますとは申しませんわ、フィオーラ様」
「ええ、もちろんですわ。だってわたくし、貴方をお茶会にお誘いしたわけではありませんもの」
ふわりと微笑んで、フィオーラはあのゲームの時と同じように座り込んでいた木の下で、ゆっくりと立ち上がった。
すぐに行くと決意したまでは良かったが、王都のはずれにあるこのヴィラージュ総合学園まで向かう列車はストップしており、かといって馬車を走らせれば周囲の目につきすぎてしまう。
今は帝国の第二皇子の服喪期間だとはいえ一応戦争中だ、皆一様に外出を控えひっそりと静まり返った街中を騒がせるのは、さすがに問題だろう。
ならばどうするか……考え込んでしまったエリカの脳裏に天啓のようによみがえったのは、去り際に精霊王が残した言葉だった。
『我の力を見くびるではない。精霊達が傍に寄らぬのは、そなたが真に望んでおらぬからだ。そなたが望むものを伝えれば、それが強い想いであればあるだけ精霊も応える。……望め、思い描け、そして語りかけよ』
(お願いよ、風の精霊たち……学園まで、私とユリアを運んで!)
「ねぇエリカ、早くどうにかしないと他の使用人さん達に気づかれちゃ……きゃあっ、なになになに~!?」
声に出さないエリカの望みが通じたのか、突然二人の周囲をごうっという音を立てて風の渦が取り囲み、あっという間にその場から連れ去ってしまった。
自然現象である竜巻のように周囲をも乱すことなく、移動する姿を余人の目に晒すこともせず、風の渦は高速で学園へと進んでいく。
もし外に出ていた者がいたとしても、少し強い風が通り過ぎていったくらいにしか感じられないだろう。
あまりのことにきゃあきゃあと叫びまくるユリアの声も、外に洩れることはない。
「なにこれなにこれ!?」
「落ち着いて、ユリア。これは風の精霊たちが、私たちを学園まで運んでくれているの。外には聞こえないと思うけど、少し静かにね」
「えっ!?ってことはエリカがお願いしたの!?すっごーいっ!!さっきはびっくりしたけど、なんか慣れればこのスピード感って絶叫マシーンみたいでおもしろいかも!」
「……確かにさっきから煩いくらいに絶叫しているわね……ユリアは」
「なにおう!?だってエリカがちゃんと説明しないのが悪いんでしょー?」
そんなことを言い合っている間に、風の渦は徐々にそのスピードを落としていき、学園の前でふわりと二人を下ろして消えた。
普段ならすごいすごいとはしゃぐだろうユリアも、傍らのエリカから漂う緊張感に体をぶるりと震わせて、念のためにと持ってきた護身用の大剣をカチャカチャと鳴らす。
怖くないはずはない、国から与えられた【聖女】の役割から逃れて一度は姿を消したフィオーラが、あえてこの場にエリカを呼び出した理由……手紙にこめられた彼女の執念は、命がけという言葉が相応しいほどに凄まじいものだったから。
人生二度目にして色々悟ったところがあるとはいえ、まだ年若い二人が恐怖を感じないわけがないのだ。
「エリカ様……いえ、エリカ・ローゼンリヒト。最初の頃は、貴方のことなど視界にも入ってこなかったのに。わたくしはただ、テオドールが傍にいてくれればそれでよかった。家格はうちよりも下だけれど、テオドールは誰よりも優秀で賢くて美しくて……ずっと、彼に嫁ぐことばかり考えておりましたわ。いつか、伯爵家を継いだ彼の元に嫁いで、物語のお姫様のように『ずっと幸せに暮らしました』と語り継がれるような……幸せな花嫁になりたかった。そうなることを夢見ていた、それだけでしたのに」
テオドールがあまりに有能で美しかったばっかりに、ヴァイス伯爵は欲をかいてしまった。
黒騎士団の創始者であるローゼンリヒト公爵との繋がりを持とうと、息子を彼の娘の傍付きにと名乗り出てしまったのだ。
結果的には傍付きには採用されずに戻ってきたが、そこで彼は新たな目標を見つけてしまったらしい。
それ以降、これまでフィオーラのためにと時間を作ってくれていたテオドールが、ぱたりと会いにきてくれなくなった。
いつか君のお母様やお父様に認められたら迎えにいく……そんなことを言いながら、彼の目は違う存在を捜し求めるかのように、フィオーラを通り越して遠くを見るようになってしまった。
「学園に入学した頃は、余程傍付き選考の場で恥をかかされたことが悔しかったのだろうと……だからユリア・マクラーレン、貴方を破ることを目標にしているのだと、そう思いましたわ。実際に、彼は貴方に負かされたことを、本当に悔しがっておりましたもの」
「そんなの、あいつの自業自得じゃない」
「でも、違いましたのね……」
「ちょっと、聞きなさいよ!」
すっかり自分語りに酔ってしまっている今のフィオーラに、ユリアのツッコミは届かない。
わかったから、と宥めるように肩をそっと叩かれたユリアは、不服そうな顔になりながらも口を閉じた。
「あれだけ裏切りという行為を憎んでいた彼が、まさかわたくしを裏切っていただなんて……信じたくありませんでしたわ。でもあの時に、気づいてしまった。……彼の目が、愛しげに貴方を見つめていることに。わたくしの傍にいながら、わたくしを一度も見てはくれなかったことに!」
だから、と彼女の口元が歪につり上がった。
「だから貴方、消えてくださらない?貴方が消えれば、彼はきっと戻ってくるはずだもの」
「んなわけあるか、このクソ勘違い女っ!!」
フィオーラが魔術を構成し始めたのを感じ取り、エリカも防戦の構えを取ろうとしたその横で、ユリアは本気でブチ切れていた。
背負った大剣はそのままに、彼女は足早にずんずんとフィオーラに近づいていく。
怯えた表情のフィオーラが何度か小さな初級魔術をユリアに放つが、それは魔術通さない特異体質である彼女の身体を素通りして消える。
そして
パンッ、と小気味いい音を響かせ、白磁の頬を朱に染めた。
「バカ言ってんじゃないわよ!!相手の女を殺したからって裏切った相手が戻ってくるはずないじゃない!大体、テオドールのアホはあんたを裏切ったのかもしれないけど、エリカは全くの無実よっ!エリカにはねぇ、相思相愛の、もう見ててこっ恥ずかしくなるようなデレデレ溺愛の婚約者がいるわけ!だから、浮気の復讐するなら、例のアホ男に対してだけにしてくれない!?すっごい迷惑なんだけど!」
チェリーレッドの双眸が怒りを孕みキラキラと……否、炎のようにメラメラと燃えている。
彼女は今、フィオーラにかつての自分の失敗を重ねて怒り狂っていた。
「この世界にはあんた以外にも人がいるの。あんたが大好きなテオドールだってそうよ。その気持ちは誰のものでもない、本人だけのものでしょ?誰かを好きだって気持ちも……一度芽生えたらずっとそのまんまってわけにはいかないよ。それこそ、物語なら『一生幸せに』で終われるだろうけど。……わかるよ、辛いよね?自分のこと好きだと思ってた人に、実は好かれてなかったってわかったら誰だって辛いよ。……あたしも、そうだったから。身勝手に誰かを好きになって、当然好かれてると思ってたのに、実は好きじゃなかったんだ、嫌いだったんだって言われて、死にたいって思ったもん」
「…………」
「でもさ、あたしはエリカに拾われたの。この子公爵令嬢のくせにすごく我が強くてさ、あたしがここを現実だって認められるまで辛抱強く言い聞かせてくれたの。ま、最後はあたしが泣きついちゃったんだけどね。でも、それがあったから今のあたしがいる。あんたもきっと、認めればやり直せるよ」
あたしたちまだ若いんだから。そう言って無理やり微笑もうとして失敗した、そんな微妙な表情を浮かべたまま、ユリアは一歩その場を退く。
そうして、当然のようにエリカの隣に戻ろうとしたところで、大木の背後から突然斬りかかってきた人影を見つけ、慌てて背の大剣を抜いてそれを受け止めた。
「……あんた……テオドール!?」
「…………」
「ちょっと、目が虚ろなんだけど!?」
「…………ご高説、痛み入りますわ。でも、もう何もかも遅いんですの」
テオドールがユリアに斬りかかってはかわされている、その横で。
フィオーラは先ほどのように全身の魔力をその手元に集中させ、大きな魔術を打ち出そうとしていた。
(私が一度目に死んだあの時、私の身体から出て行った魔力は空に駆け上って雷を呼んだ……今のフィオーラから、それくらいの魔力を感じる。なら、彼女は……)
何もかも遅い。
その言葉通り、フィオーラの紡ぐ術はほぼ完成に近かった。
そんな大技を練り上げながらも、これまで決して手に入らなかったテオドールの心も操っているのだ、それだけ今の彼女の魔力は限界に近いほど使われていることだろう。
きっとフィオーラは、この一撃に全てを賭けている。己の、命すらも。
フィオーラがここにたどり着くまでに犠牲にしてきただろう多くの者、そして今現在進行形で犠牲に捧げられているテオドール、厳しい取調べを連日連夜受けているというグリューネ家の当主、すっかり寝込んで病がちになってしまったという夫人……彼らのためにも、フィオーラにはここから生きて戻ってもらわなければならないのだろう。
そんな建前よりも何よりも、エリカはただ哀しかった。
目の前で、フィオーラの命がけの魔力に翻弄されておろおろするしかできない、小さな精霊たちの存在を感じることができるようになったから。
彼女の我侭のために、小さな彼らの力を使われたくはなかった、ただそれだけだった。
ゆっくりと目を閉じて、周囲を飛び回る精霊たちの存在を感じる。
そして、こちらへいらっしゃい、お願いだから落ち着いて、と静かに呼びかけ続けながら手を左右に広げる。
こちらへ、と全てを招き入れて許そうとする聖母のような格好で。
彼女はただ、鎮まって欲しい、この場をどうか傷つけないで、と祈り続けた。
がっくりと、その場に膝をついたのはフィオーラが先か。それともエリカか。
フィオーラの倒れた数秒後にテオドールが、そして散々走り回らされていたユリアもがその場に倒れこむ。
動くものが誰もいなくなった中庭に、ローゼンリヒト公爵の命を受けた黒騎士団がかけつけるのは、もうしばらく後だ。
次でラストです。




