31.薄ら寒い現実
聖女候補フィオーラ・グリューネが、神殿へ向かう途上で何者かに攫われ、行方不明となった。
父を通じてそんな報告を耳にしたエリカは、それからずっと浮かない顔で何事かを考え込んでいた。
ユリアやレナが心配してあれこれと声をかけても生返事、フェルディナンドやラスティネルが慌ただしく行き来するのをただぼんやりと眺め、時折切なそうな眼差しで窓の外を見やったりしている。
(フィオーラが行方不明……どうしてかしら、嫌な予感しかしないわ)
彼女の心は、かつての生に飛んでいた。
突如増え始める魔物、不作が続き飢え始める国民達、次第に募る王族への不満。
混乱は静かにだが確実に広がっていき、その声が大きくなり始めた頃に神殿によって『聖女』が選ばれたとの公示があった。
今思えば、それは民の不安や不満を逸らし、『聖女』という存在に縋らせるための手段であったのかもしれない。
かつてフィオーラが『聖女』として選ばれた裏側にも、そういった政治的背景が隠れていたのだろう。
彼女は当時第一王子の婚約者だった…………彼女は自身が王族に準ずる存在であったこと、貴族の中でも稀な三属性の使い手だったことが認められたのだと自負していたようだが、それは選ばれるきっかけにすぎなかったのだろう。
それとも、そう自負する傍らでやはり今回のように『王族の婚約者』の地位を利用し、自分とテオドールが選ばれるようにと画策した結果だったのだろうか。今となっては、誰もそれを知る者はいない。
今回の場合、『聖女』が選ばれるきっかけとなったのは、アルファード帝国の第一皇子が暗殺されかかった事件だった。
結果だけ言えば皇子の命は助かったが、主犯である男子生徒は自殺、背後関係は結局有耶無耶にされてしまい、危険思想を掲げていたとして実家が取り潰しになった程度で収められてしまっている。
当初開戦も辞さないと固持していた第一皇子ルドルフも、何人もの治癒術師が数日殆ど休みなしで治療にあたり、容態が安定した途端バタバタと力尽きたのだと聞くと、その手厚い看護体制に感謝するとだけ述べて国に帰って行った。
開戦するにしても互いに和平を結んでいる小国を挟んでいることもあり、一旦国に戻って対応を協議するつもりなのかもしれない。
そんな危うい状態の中、『聖女』として選ばれたフィオーラが行方不明となった。
聞けば、神殿に向かう馬車が森の中で襲撃され、護衛としてついていた騎士達は全滅、フィオーラは襲ってきたならず者達に何処かへ連れ去られてしまったらしい。
そう証言したのは、襲撃の際に馬車から外へ放り出され、意識朦朧として動けなくなっていたため襲撃者から見逃された、グリューネ家の使用人である。
報告を受けたグリューネ家当主は顔面蒼白となり、王城に連日事情聴取のために呼ばれるわ、妻はあまりのショックで寝込んでしまうわで、右往左往しているようだ。
「…………エリカ様、少しお話をよろしいですか?」
「……レン」
「はい。アベルト様に休暇をいただいて参りました」
ぼんやりと椅子に座るエリカの前に膝をつき、真正面から覗き込んでくる蜂蜜色の双眸。
その強い視線に真っ直ぐ射抜かれて、徐々にエリカの瞳に光が戻ってくる。
と同時に、ずっと抑え込んでいた哀しみややりきれなさ、悔しさなどが一気に押し寄せてきて、彼女は身を乗り出すようにしてその肩に顔を埋め、子供のように泣きじゃくり始めた。
レンもしっかりとその身体を受け止め、時折背中をさするようにしてあやしながら、ぽつりぽつりと紡がれる呟きに言葉を返している。
「私、彼女を……追い詰めて、しまった?」
「いいえ。全ては彼女の自業自得です。自らの成した工作が己に跳ね返ってきただけのこと、エリカ様がお気になさる必要はありません」
「でも私、私怨で、動いてたわ。今の、彼女は、知らない、こと、なのに」
「彼女も、貴方に対して私怨で嫌がらせなどをしていましたよ。それに貴方の場合、そうするだけの根拠があったでしょう?それは旦那様もご存知のはずです」
そうね、と小さく応じる声。
それきり彼女は黙り込み、何度かしゃくりあげる声と深呼吸を繰り返す息遣いだけが部屋に響く。
ややあって、彼女のほっそりとした腕が彼の肩をやんわりと押し戻し、身を起こした彼女は困ったように苦笑した。
「私、卑怯ね。だって、貴方が『いいえ』って否定してくれるとわかっていて、言ったんですもの」
「お言葉ですが、卑怯な物言いというのはもっとこう……相手をとことん追い詰めてどこにも逃げ場をなくした上で、選択肢という逃げ道をちらつかせつつ、実際は既に決定事項だったと最後の最後に明かすという、鬼畜の所業のことを言うのです。エリカ様はまだまだ、その足元にも及んでおられませんよ」
「…………なぜかしら。今、お父様の顔が思い浮かんだのだけど。気のせいよね?」
「さあ、どうでしょう」
悪戯っぽく肩をすくめるレン。
それを見て、エリカは今度こそはっきりと声に出して笑った。
「さて。そろそろ落ち着きましたか?」
「ええ、ごめんなさい。……アベルト様の言伝かしら?」
レンはアルファード帝国の第一皇子が倒れてこのかた、ずっとアベルトの元でその補佐に奔走していた。
その後、第一皇子の容態はよくなったが、今度は『聖女』の託宣が下ったということで、アベルトが支持する第一王子レミニスの補佐をすべく奔走させられていた。
言うなれば、アベルトやレンは最も『真実』に近い位置にいたわけだ。
そんな彼が、突然休暇を貰ってローゼンリヒト家へ戻ってきた。
ただでさえ慌しい上に、『聖女』が行方不明になったことで王城自体が混乱の極みにある、そんな時に。
これがただの休暇でないことくらい、誰の目にも明らかだ。
ただそこにほんの少し、婚約者に会いたいという彼の本音が隠れていたのも事実だが。
そこに気づけたのはきっと、彼の双子の姉であるレナだけだろう。
そんな切ない本音を綺麗に押し隠し、レンはアベルトやウィルと語り合う中で気づいた可能性について語った。
「ルドルフ第一皇子殿下の襲撃についてですが、当初犯人の男子生徒の実家が原因なのではないかと言われ、事実『帝国と付き合いをもつべきではない』と声高に主張していた実家は取り潰されました」
「ええ、知っているわ。でもその男子生徒の付き合いを調査し直した結果……彼女の名前が挙がったのね?」
「はい。……お伝えしたいのは、ここからです。実は、帝国内でそれまで劣勢だった第二皇子の派閥が、このところ力をつけてきているようなのです」
アルファードは、ヴィラージュ王国と同じく実力主義を掲げる国家だ。
皇位継承権も、ある程度年齢差があるのであれば長男が第一位を得るのだが、それほど年齢差がない場合は互いの能力を競い合った上で、最終的に皇帝が任命する形で皇太子が決定する。
今代の場合、第一皇子と第二皇子の年の差はわずか2歳。
だが何事にも積極的で勇猛果敢、民の暮らしぶりにも興味を持ち、剣の腕も騎士団の精鋭に負けないほどという第一皇子に対し、何をやってもその兄に勝てない第二皇子はそれほど人気がなく、派閥もあるにはあるがその殆どが日和見の貴族ばかり。
帝国の成人年齢である20歳を待たずして、次の皇太子は第一皇子にほぼ決まりかけていた。
と、そんなタイミングで第一皇子の暗殺未遂事件が起こった。
ヴィラージュ王国にとっては幸いなことに皇子は一命を取り留めたが、彼が生死の狭間をさまよっている間に、帝国ではそれまで大人しかった第二皇子の派閥に属する貴族達が、突如として声高に叫び始めた。
『魔術は剣術よりも秀でている。現に、魔術を使えぬ第一皇子殿下は命を落としかけたが、ヴィラージュ王国の魔術師達によって命を救われた』
貴族であれば高い魔力を持つのが普通、魔術を使えるのは当たり前であるこのヴィラージュ王国とは違い、実力主義とは言っても主に武術の腕を重視する帝国において、高い魔力を持つ者は希少である。
魔力を持って生まれても、それを高めようとしないのだから成長しないのは当然だろう。
それは皇族であっても同じことで、第一皇子ルドルフや現皇帝などもヴィラージュ王国であれば平民クラスの魔力しか持たない。
そんな中で、変わり者の第二皇子は高い魔力を保持していた。
何をやっても兄には勝てない、ならばこの国が重視していない魔力を磨けばその点では勝てるのではないか、とそう考えた結果だった。
「待って。ねぇ、それって……」
劣勢だった第二皇子が、優勢だった第一皇子に勝てるもの……それが高い魔力だ。
魔力が重視されないのであれば、重視されるようなきっかけを作ればいい。
魔術を使えない第一皇子を貶め、自分が優位に立つためには『魔術を当たり前に使う国』を利用すればいい。
ぞくり、とエリカの背筋を悪寒が走った。
(そんな……それじゃあの事件って……あの男子生徒は、フィオーラは、つまり)
「……犯人は、実家の危険思想に毒されていたのだと思わせておいて、実はフィオーラが『聖女』として指名されるべく影で糸を引いていた……と見せかけて、実際はアルファード帝国の皇位継承権争いに利用されただけ、だったということ?」
「かもしれない、ということです。現状、まだ可能性の域を出ていませんから」
「アベルト様がそれを私に伝えてくださったというだけで、既に確定のような気がするのだけど。……でも、そうね。そうでなければどんなに良かったか」
犯人の男子生徒も、フィオーラも、ただ利用されただけ。
そうして得られるものは、この国としては何もない。
更にもしかすると、『真実』を知らぬままの第一皇子がこの国に対して宣戦布告を仕掛けてくるかもしれない、といういらないおまけまでついている。
「………………最悪ね。もう一度現実逃避してもいいかしら」
「申し訳ありませんが、同意は致しかねます」
お気持ちはわかりますが、と困ったように眉根を寄せたレン。
ごめんなさい、とため息混じりにそう囁いて、エリカはもう一度その肩に頭を凭せ掛けてそっと瞳を閉じた。




