30.望まれた聖女、望まれぬ聖騎士
予告誤りがあります。
今回フィオーラが巻き返しを図るのは無理でした。
フィオーラ可哀想、とか同情のお気持ちがある方はブラウザバックされた方が賢明です。
『聖女』とは、世が乱れた時に現れるという神の御遣いである。
【神】は神殿に仕えし神官に『夢』という形で神託を与え、神殿はそれを直ちに国王へと伝えて選ばれし者を神殿へと迎える準備に入る。
選ばれし者に拒否権はない。
聖女に任じられた者は家族の下を離れて神殿に入り、数日間に及ぶ禊を行った後に聖女としてのお披露目が行われ、それからは国を問わず、身分を問わず、悩める者・苦しむ者のために日夜祈りを捧げ続けることになる。
聖女に選ばれる者は処女でなくてはならないが、聖女に任じられた後は同じく神託によって選ばれた『聖騎士』とのみ、愛を交わすことが許されている。
『聖騎士』とは、『聖女』を護る剣であり盾である者。
ほぼ同時に神託を受けることから、この二人は対の存在として崇められている。
というのが、ヴィラージュ王国における『聖女』の位置づけである。
神殿は例え高位貴族であっても容易に深部まで入ることは許されず、ただ王族及びその関係者にのみ道は開かれているという。
だからフィオーラは、プライドや醜聞による評判などもかなぐり捨てて王族に……直系王族の中で唯一婚約者の定まっていなかった第三王子と、その実母である第二妃に取り入った。
そしてそのツテを頼って神殿の深部へと入り込み、比較的御しやすそうな若手の神官を狙って言葉巧みに擦り寄り、機を見て精神干渉術によって己を『聖女』であると深層心理に深く刻み込む。
その神官はしばらくはフィオーラのいちファンという程度であったものの、異国の皇子が毒を飲まされて危篤という噂を聞きつけると、世の乱れには聖女が降臨するという言い伝えを思い出し、そして『夢』という形でかつて深層心理に刻まれた存在を思い浮かべる。
かくして、『聖女』フィオーラ・グリューネが神殿を通じて国王陛下によって任命される、というわけだ。
神官数名に同時に神託が下り、フィオーラ・グリューネ侯爵令嬢が『聖女』として指名された。
と同時に『聖女』の伴侶と言っても過言ではない守護者である『聖騎士』の名も公にされ、帝国との開戦の噂に戦々恐々としていた人々は大いに盛り上がった。
当然指名されたグリューネ家では言うに及ばず、特に義理の娘が第一王子を射止めたことを妬ましく思っていたグリューネ侯爵夫人などは、さすがは我が娘だとお呼ばれした方々で自慢しきりである。
が、
一番喜んでいるはずの当の本人、フィオーラは何故か挨拶回りにも同行せずに家で引き篭もっているらしい。
周囲はそれを好意的に捉え、聖女となるための心の準備や家族との別れを惜しんでいるのだと口々に噂する。
「…………まさか敵は身内にいたなんて。可哀想なお姫様……いや、聖女様ってとこか」
「レンウィード、その全く心がこもっていない発言は、いっそ清々しいほどだが。さすがにアベルト様の御前だぞ、少し控えろ」
「ウィルフレッドも結局同意、ということだな。ああ、構わない……私も久しぶりに心から笑わせてもらったところだ。ここに兄上がいらっしゃればきっと、人の不幸を笑うものではないよと渋い顔をされるだろうが」
まぁいいだろう、とアベルトはくくっと意地悪く喉を鳴らした。
彼も普段はそこまで意地の悪いことを言ったりはしないのだが、何しろここまでほぼ不眠不休で帝国の第一皇子の治療に参加しており、しかもそのそもそもの原因である自殺した男子生徒の犯行動機を秘密裏に知らされたのだが……これが驚くべき……いや、呆れるべき内容であったため、いい加減温和な彼も怒り心頭、ついでに疲労困憊という状態であるらしい。
実家から押収された男子生徒の持ち物を調べ、そして裏づけを取るべくその友人達に聞き込みを行ったところ、わかった動機は『軍事大国との付き合いを控えるべき』という実家に踊らされたから、ではなく。
『想いを寄せる女生徒が、かの国の第一皇子に気に入られたと聞いたから』であった。
所詮は片想い、婚約者でも恋人同士でもない相手が他国の皇子に気に入られたという噂を耳にした程度で、いち貴族子息が他国の皇族を害しようとするなどどう考えてもおかしい。
そう考えたアベルトは兄である第一王子の力も借りて、かの男子生徒の背後関係を慎重に調査した。
そこでまたしても出てきた名前が『フィオーラ・グリューネ』であった時、アベルトやレンのみならず普段は冷静なウィルフレッドでさえ「またか」と苦々しげに吐き捨てたものだ。
「それにしてもフィオーラ嬢というのは、どこまで考えて行動しているのだろうな。第三王子や第二妃に取り入るだけの度胸はあるのに、兄上……第一王子には選ばれて当然と余裕を見せていたし。自分に思いを寄せる男子生徒を操って他国の皇族を害させることはできても、聖女に成り上がった己の守護者に望む者を指名させられなかったり。こちらが恐怖するほど賢しいのかと思えば、つめが甘すぎる。全く、印象が掴めないのだが」
アベルトがそうぼやくと、側近であるレンとウィルもうんうんと頷いて同意する。
と、いつもなら我関せずという無表情を保って扉の前に立っている警備兵の一人が、自分でも無意識だったのだろうがぽつりと「子供か」とこぼした。
「…………子供?」
「そうか、そう考えれば筋が通る。いや、何も難しく考える必要はなかったんだな。『子供』だから欲望に忠実で、『子供』だから国同士の駆け引きなど考えずに行動できる。『子供』だから相手の気持ちを思いやることもできない。そういうことだ」
「彼女は稀代の悪女ではなく、どうしようもない子供だったということですか……やれやれ」
「ああ、そこの君。実に的を射た発言だった。礼を言おう」
しまった、と慌てて口をつぐんだ彼はしかし、主であるアベルト直々に礼を述べられて顔を赤くするやら青くするやら忙しい。
笑いすら緊迫したものになってしまうその場において、しばし穏やかな時間が流れていった。
(どうして……どうしてっ!?確かにあの時、聖騎士はテオドールにと暗示をかけたのに)
フィオーラ嬢を聖女に、と伝令の兵がそう言葉を発した時彼女は幸福の絶頂にいた。
何しろこれまで、聖女になるために近づきたくもない男子生徒に媚を売ったり、ただ我侭なだけな第三王子と浪費癖のある第二妃に気に入られるために貢物をしたり、テオドールと会える時間を削ってでも頑張ったのは、他ならぬ『彼』と最高の状態で結ばれるためだったのだ。
途中、光の精霊の加護を受けたマルガレーテが現れたり、一方的にライバル視していたエリカ・ローゼンリヒトが精霊王の加護を受けていたことがわかり、このままでは人気を浚われてしまうからと計画を早めるというハプニングはあったものの、それ以外はテオドールが立ててくれた計画通りにことは進んだ。
計画と違ったのは、神託を受けたのが彼女の接触した一人だけではなく複数だったということだが、そのすべてがフィオーラを聖女に指名したというのだから、彼女にとってはそう問題には感じられなかった。
最も問題だったのはその後だ。
ここで彼女は、幸福の絶頂から不幸のどん底へ突き落とされることになる。
「そうだ、聖騎士様は……聖女の護り手である聖騎士様はどなたに?」
「『聖騎士』に任じられたのは、白騎士団の副団長であらせられるエドガー・レイエッジ様にございます」
「…………え?」
「まあまあ!王族の近衛を務められる白騎士団の副団長様ですって!しかもレイエッジ侯爵家のご子息様がフィオーラの守護者になってくださるなんて素敵だわ。ねぇ、フィオーラ?」
「…………」
白騎士団とは、グリューネ侯爵夫人が言うように主に王族の護衛を務める近衛騎士の集まりである。
その中でもエドガー・レイエッジという人物は、副団長職を賜っているだけあって騎士としての力量は申し分なく、更に光と闇の2属性に強い適正を持つことで有名だ。
近衛についているからには実家の身分もそれなりに高く、飛びぬけた美形というわけではないが充分に整った顔立ちをしていることから、独身女性の間ではかなり人気が高い。
加えて女性に関する醜聞が一切聞こえてこない堅物、となれば浮気の心配をする必要はなくなるわけで。
まるで縁談が決まったかのように喜びはしゃぐ母を他所に、フィオーラは「どうして……」と小さく呟いたきり呆然と立ち尽くしていた。
彼女は知らない。
どうして神託を受けた神官が複数いたのか。
そのうちの一人は、娘であるフィオーラの婚姻相手を高望みしたグリューネ侯爵夫人の、もう一人はテオドールにこれ以上大きな顔をさせたくないヴァイス伯爵夫人の、それぞれ息のかかった者であったこと。
フィオーラ自身は幼い頃からテオドールしか見えておらず、いずれ兄達を蹴落として伯爵家を継ぐテオドールに嫁ぐことを確信していたが、それはフィオーラだけの一方的な想いであったこと。
テオドールの心は既に、エリカへ向いてしまっていること。
己の母親はテオドールとの付き合いをあまり快くは思っておらず、機会があれば高位貴族との縁組を望んでいたこと。
そしてテオドールの義母もまた、聖騎士になりたいという息子の望みを叶えてしまえば彼が更に大きな力を手に入れてしまう、それを厭ってグリューネ侯爵夫人と意思を同じくしたこと。
そして
『聖女』である彼女は、伝承通りにその一生を神殿に置き神に身を捧げることになるが、『聖騎士』は外に出ることも可能であるということ。
今回選ばれた『聖騎士』は近衛職であったため、特別処置により普段はこれまで通り王城に通うことを命じられていること。
結局は、幾度か選ばれた『聖女』も『聖騎士』も皆政治的な策略によって選ばされた者達であったこと。
それを失意のフィオーラが知るのは、まだ少し先の話。




