29.風雲急を告げる
『つまらぬな……決着はついたが、そなたは何もしておらぬではないか。我はそなたが自在に力を振るうところが見たかったのだが』
「学園の催し物ですもの、それは無理なお話ですわ。わたくしが力を振るえば、恐らく怪我人が出てしまいますもの」
『ふむ……面倒なものだな、学園とやらも。だがよかろう、今回はそなたが我の力を欲したということだけでよしとしておくか。我を退屈させるでないぞ、娘よ』
「はい。心得ております」
ではな、と出てきた時同様唐突に姿を消した『精霊王』
それを笑顔のまま見送ったエリカは、完全にその気配がなくなったのを確認すると、ふぅっと疲れたように息を吐いた。
どうやらかなり気を張り詰めていたらしい。
「エリカ様」
「大丈夫よ、ありがとう。……レンも、怪我はない?」
「ええ、全く」
心配そうに傍に駆けつけたレンに力なく微笑んで見せると、エリカは周囲をぐるりと見渡した。
ようやくか、と安堵したような表情のウィル。
キラキラと瞳を輝かせてグッと親指を立てているユリア。
ホッとしたように微笑んでいるレナ。
目を白黒させてあたふたしているマルガレーテ。
その肩を支えつつ苦笑しているアベルト。
それまでフィオーラを守るように取り囲んでいた者達は一様に地に倒れ、眠るように気絶している。
気絶するまではいかずとも地に膝をついている者もいれば、どこか憑き物が落ちたようにきょとんとした顔になっている者もいる。
当のフィオーラは膝から崩れ落ちてわなわなと震えており、その傍に寄り添うように立ちながらテオドールも青ざめた顔でエリカを見つめている。
(これで良かったのかしら。……いいえ、私が悩んでいてはいけないわね)
エリカの『復讐』はかつての生で受けた仕打ちに対するもの、つまりやり直しの生である現在はフィオーラにとってもテオドールにとっても全く心当たりのないものである。
幸い、復讐とは言ってもそれはエリカの心情的なものであり、彼女がこれまでフィオーラやテオドールに対して行ったことは『規律』や『道徳』に裏づけされた正当な行為の域を出ないものだった。
誰かが虐げられていたから、それを助けた。
誰かの心が捻じ曲げられているようだったから、その術を妨げた。
ただ、それだけだ。
今現在フィオーラが衝撃を受けているだろう『精霊王の加護』や『光属性への適性』に関しては、公にしない方がいいだろうという判断を学園側が下し、彼女もそれに従っただけのこと。
そうやっていくつ言い訳を並べても、エリカの心は軽くはなってくれない。
フィオーラに対してくすぶり続ける暗い思いがあったのは事実であるし、このタイミングで明かすことになるとはさすがに予測も計画もしていなかったものの、倒れこむほどの衝撃を受けているフィオーラを見ると胸がスッとするのも本当だ。
だが、そう思うこと自体が間違いなのではないのかと、もうひとつの心は警鐘を鳴らし続けている。
風に乗って、甲高い笛の音が聞こえる。
そしてそれから遅れること数秒、放送担当の教員の声でゲーム終了を告げる声が響き渡り、敷地内のあちこちからざわりざわりとさざめく声が聞こえてきた。
フィオーラは、動かない。
テオドールは軽く視線を上に向けはしたが、やはりその場を動こうとはしない。
エリカは何かを告げようと唇を開きかけたが、すぐに思い直してその唇をきゅっとかみ締めた。
そして心配そうに自分を取り囲む『仲間』達に視線を向けると
「行きましょう」
その一言だけ告げ、ゆっくりと踵を返して歩き出した。
事態が急展開を遂げたのは、その翌日のこと。
学園側から急遽全生徒に対して、しばらく休校になること、学園全体を封鎖するので生徒は自宅に戻ることが告げられた。
どういう背景があるのか、授業はどうなるのか、そういった疑問は当然投げかけられたものの、学園側の返事は「とにかく全員一時学園を離れるように」というだけ。
それは高位貴族であっても同じようで、エリカもまた事情を一切知らされることなく王都にあるローゼンリヒト家別宅へと帰ることになってしまった。
「おかえり、エリカ。……久しぶりだというのに、随分と冴えない顔色だね」
「お父様……」
「今、学園で何が起こっているのか、かい?それに対する答えを私は持っているが…………さて、どうしようか。賢いお前ならわかっていると思うが、このことは陛下から緘口令が敷かれていてね」
「…………」
(ということは、国にとっての重大問題なのね。だから学園を運営している余裕がなくなった……いえ、それはおかしいわ)
国立という名は持っていても、あの学園は国が直接運営に関わっているわけではない。
理事長をはじめとする学園側の上層部には確かに国の重鎮らが名を連ねてはいるものの、実際に運営に携わっているのは位置的に言えば国の中枢に関わることのない者達ばかりだ。
国のバックアップを受けながらも独立運営が基本なのだから、国の重大問題が発生したとしても学園全体を閉鎖するというのは少しおかしい。
可能性として考えられるのは、学園内部で起こった問題が国の重大問題に発展してしまったということ。
それならば学園閉鎖はむしろ当然の処置であり、生徒全員が家に帰されたのも頷ける。
神妙な顔つきになった娘を見下ろし、フェルディナンドは満足そうにその瞳を細めた。
多くを言わずとも、エリカならば理解できるだろうと予想していたからだ。
それならば、と彼は話に入りたくてうずうずしている様子のラスティネルを手招きし、「そういえば調査を任せた件だが」と何気ない素振りで話題を振った。
「その後、王宮に戻られた『元第二王子殿下』の様子はどうだ?」
「父上、それはここでは……」
「うん?ここにはお前と私しかいないじゃないか。いいから報告を始めなさい」
「…………はい。では報告します」
そういうことですか、とラスティネルは心得たように頷き、
そういうことだよ、とフェルディナンドは『その場にいないことになった』エリカとその傍付き達へと視線を向けて、頷いてみせた。
口を挟むことは許さない、だがこの場だけの話として聞く分には構わない、という意味だろう。
そうしてもたらされた報告に、だがエリカ達は何度も声を上げかけては慌てて口を塞ぐ、という行動をせざるを得なかった。
告げられた内容がそれだけ衝撃的だった、ということだ。
本来王族を離れて臣籍降下したアベルトが王宮に呼びつけられた。
呼び出したのはアベルトが傘下に入ると誓った兄の第一王子ではなく、血の繋がった父親である国王陛下。
どうやらアベルトの研究している補助魔術が必要とされているらしく、彼は王宮に泊まりこみで『とある重要人物』の治療メンバーに加わっているとのことだ。
その重要人物こそ、今回学園が一時的に閉鎖された原因……国をひとつ挟んだ位置にある軍事大国、アルファード帝国の第一皇子である。
「……ラスティネル、前にも聞いたかもしれないがどうにも最近忘れっぽくてな……その第一皇子殿下は、どうして我が国へ?」
「はい、父上。前にもお話したように、今回学園側が企画した催し物の夜の部、官僚科と淑女科が主催する夜会の来賓として招かれておられたようです。元々は我が国の第一王子殿下の婚約披露式に出席なさる予定で入国されたのですが、学園で行われる夜会の話を耳にされた殿下が自ら出席を申し出られたとか」
その第一皇子が、こともあろうに夜会の場において毒を盛られて倒れたという。
当然毒見役はついていたがどうやら遅効性の毒であったらしく、皇子の口に入ったところで二人揃って血を吐いて倒れたのだとか。
毒の威力はそれほどではなかったらしく一命は取り留めたようだが、その国から訪れた随行者達は全員怒りくるっており、ヴィラージュ王国に叛意あり、と自国に連絡を送ったとのことだった。
「毒を盛った犯人は、すぐに捕まり…………いえ、その場において自殺を図りましたので捕まったという表現は正しくありませんが。その者の父親は、軍事大国との交流を危ぶむような発言を繰り返していたようですので、家ぐるみの犯行として直系の一族は全員処刑、その他の親類などは爵位剥奪の上国外追放となったと聞いています」
(父親は?…………この言われ方って、もしかして犯人は……)
夜会で毒が盛られた、そう聞いた時エリカはまず学園に勤める使用人を疑った。
だが今の言われ方ではその犯人の父親が未だ社交界で現役であり、それなりの発言権を持っている者だと推察される。
ということは、犯人はまだ年若い……もっと言えば。
「…………毒を盛ったのは、学園の生徒だったのだね」
「…………はい」
ああやっぱり、とエリカはあげそうになった声を寸前で飲み込んだ。
「……神託だと?」
「はい。ここ数日、神殿の動きが活発だったので探らせておりましたところ、神より神託を授かったと申し出る神官が複数現われたそうです」
「全く。やっと解毒の作業が終わって開放されると思ったのに。……ままならないものだな、レンウィード?」
お前をようやく婚約者殿の下へ帰してあげられると思ったのに。
そう残念そうに呟くアベルトの表情から、レンはこれからまたしばらく別件で王宮にこもることになることを悟り、はぁっとわかりやすくため息を吐き出した。
エリカのことは心配だが、傍にはレナやユリアといった心を許せる傍付き達がついている。
何より娘を溺愛してやまない父や、妹のためなら強行軍で領地と王都の行き来も辞さないという兄が傍にいるのだから、支えとしてはこれ以上ない布陣だと安心できる。
そのことと、婚約者に会えない寂しさは全く別物ではあるのだが。
「で、その神託というのはどんなものかわかるか?」
「はっきりとした言葉では聞いておりませんが、どうやら国が乱れた時に必要とされるという『聖女』を任命せよ、といった内容であるようです」
「聖女…………聖女、ね」
『聖女』と聞いた瞬間、レンは息を呑んだ。
小さなその仕草はだがアベルトにはお見通しだったらしく、「どうかしたかい?」と問いかけられたレンは数秒言いよどみ、そして言いにくそうに口を開いて諜報員に問いかけた。
「その『聖女』に任命せよと告げられたのは、どこのご令嬢かわかりませんか?」
「さあ、そこまでは。……アベルト様のご命令とあらば詳しく調べて参りますが」
「……そうだな、頼む。聖女の登場となれば、王宮の力関係も変わってくるかもしれないだろうしな」
「かしこまりました」
一礼して去っていった諜報員。
彼が再び報告に現われるのは、翌々日の夜のこと。
彼がアベルトにだけ告げていった名前、それは
エリカのかつての生において『聖女』として任命され、優越感に満ちた笑顔を浮かべたその者と同じだった。
ここでひとまず一区切り。




