28.覚醒と挫折と復讐と
その場にいた誰もが、これから双方入り乱れての大乱闘が始まるのだと思っていた。
騎士科所属のユリアの噂は魔術科まで届くほどで、剣の実力は養父である騎士団長譲り、しかも魔力を通さない特異体質もあいまって、同じ専攻クラスの実力者ウィルフレッドと実力が拮抗していると評判だ。
「く、っ……腕を挙げた、な、っ!」
「とーぜんでしょ?あんたがそうやって腑抜けてる間に、あたしは実家で特別特訓メニューを組んでもらってたんだからっ」
ユリアには魔力が通じない。
故にウィルフレッドは剣のみを使用し、自在に大剣を操るユリアの猛攻を防いでいる。
元々この二人は勝ったり負けたりを繰り返していたため、中々勝敗がつきそうにない。
と、誰もがそう思った時だった。
「っ、!!」
「ふふん、あたしの勝ちね!剣で勝敗をつけなきゃいけない、なんてルールないんだから!」
「…………規則は規則、か。仕方ない、決着は後日に持ち越そう」
「なぁに負け惜しみ言ってんの。返り討ちにしてあげるわよ」
ぐらりとバランスを崩した、ように見せかけて体勢を低くしたユリアは打ち込まれたウィルフレッドの剣を易々と受け止め、そして下から斬り上げるようにして大剣を動かした。
剣先は彼の首筋ギリギリをかすり……彼の身体を傷つけない代わりに真紅のリボンを宙に舞わせる。
リボンの喪失。それは敗北を意味する。
ユリアは最初からそれを狙っていたのだ。
規則により失格となったウィルフレッドは、眩しそうな眼差しで自分を見据えるチェリーレッドの双眸を見つめ返す。
その視線には、悔恨もましてや憎悪や敵対心などは欠片も見つからない。
ただあるのは、どこか安堵したような優しい色だけだ。
「……卑怯な真似を」
「何のことだ?相手が女性ならともかく、いくらお綺麗な顔をしていてもお前は男だろう?顔に傷……しかもかすり傷くらいで大袈裟な。それとも何か?その顔は国宝指定でもされてるのか?」
「相変わらず口だけは達者な男だ。私が言いたいことが何かくらい、わかっているだろうに」
「ああ、わかってるさ。だが魔術師が剣を使っちゃいけない、というルールはなかったからな」
魔術科所属のレンウィード、そしてその双子の片割れであるレナリアの二人は、古くから魔術師一族と名高いシュヴァルツ家の誇る『歴代最高の能力保持者』として幼い頃から噂になっていたし、そのレンと対するテオドールも由緒ある伯爵家の生まれであり、なおかつ『美麗なる魔術騎士』として社交界の評判を掻っ攫った人物でもある。
そんなレンは最初こそ杖を携えてテオドールの攻撃を防いでいたが、防戦一方なレンに気を良くしたテオドールが強く踏み込んできたところで、懐から短剣を取り出して騎士剣を跳ね除けるついでにその白磁の頬に一文字の傷をつけてやった。
薄皮一枚、だがそのことに意外と動揺したテオドールの隙をついて魔術を叩き込み、失格ルールのひとつである『武器を手放す』という結果を導き出した、というわけだ。
確かにレンの言うとおり、『魔術科は杖を携帯』とは書いてあったが『剣を所持してはいけない』とは書いてない。
これは明らかにルールの裏をかいた行動であり、フィオーラの取り巻き達が『自分たちは偶然集まっただけで群れをなしてはいない』と言い訳したのと同様のことである。
故に、どれだけ吼えてもテオドールの失格は覆らないというわけだ。
さて、実力者たちが決着をつけている頃、周囲の取り巻き達はフィオーラを悩ませる根源と言っても過言ではないマルガレーテを狙い、取り囲むようにして攻撃を加えていた。
だがそこに立ち塞がったのが、シュヴァルツ家の片割れであるレナと元第二王子アベルトである。
元第二王子であったアベルトは王子であった頃こそ地味で目立たぬ存在だったが、地属性がメインだとはいえ三属性を操れる稀有な能力の持ち主であることは変わらず、その彼に護られるようにして背後に庇われているマルガレーテは光属性の精霊の加護を受けた存在である。
つまり、マルガレーテへの攻撃の殆どはアベルトによって防がれてしまうだろうし、もし彼女自身に攻撃を命中させることができたとしても、その大半は加護を与えている精霊によって無効化されてしまうことは明白である、ということだ。
実際、アベルトの攻撃やレナの防御魔術で防ぎきれなかった攻撃が何度かマルガレーテを襲ったが、そのどれもが彼女にあたる前に霧散している。
もしここに精霊の姿が見えるラスティネルがいたなら、マルガレーテを護るべく必死に動き回る光の精霊の姿を認め、その健気な態度に笑みを浮かべていたことだろう。
いち精霊にそれほど実力はない、だが他の光属性の精霊に声をかけて協力を求め、己の力もフルに活用してまでもその精霊は彼女……マルガレーテを護ろうとしている。
そしてその精霊の本気に、人間の魔術師や騎士……見習い達が敵うはずもない。
徐々に減っていく取り巻きの人数。
だがまだしぶとく抗い続ける彼らが、誰よりも何よりも傍で守りたいと願う存在……いつの間にか彼らの心の中心を占めるようになった麗しき少女フィオーラ。
彼女はアベルトと同様に三属性に適正を持ち、魔力の保有量も多いことから学園中の注目を集めている。
彼女自身そのことに驕ることなく、ただ傍に在りたいのだと寄ってきた者達を拒むこともせずゆったりと鷹揚に微笑んでいてくれることから、日々その取り巻き達が増えるばかりであった。
そう、『であった』のだ。つい数ヶ月前までは。
その均衡が崩れ始めたのは、フィオーラの傍に騎士科髄一の実力者であるウィルフレッドが侍り始めた頃からだ。
これまでどんなに取り巻きが増えても気にも留めなかった周囲の者の中で、徐々にではあるが自らの意思でフィオーラの傍を離れる者がぽつぽつと現れた。
ある者は苦悩しながら。
ある者は憑き物が落ちたかのように晴れやかな顔をして。
ある者は他に気になる相手がいるのだと周囲に零して。
増えては、減る。
特に一時期フィオーラの手足と言えるほど親身になって周囲を取り囲んでいた女生徒が、早い段階で彼女の傍を離れていった。
増えてくるのは主に男子生徒ばかり。
そのためか、現在フィオーラの傍にいるのは男子生徒ばかりとなってしまっていた。
そんなフィオーラの前に悠然と立つのは、エリカ・ローゼンリヒト公爵令嬢。
過保護な公爵とその兄に溺愛されて育ち、社交界からも隠されるようにしてひそやかに息を潜めていた彼女が、今はじめてフィオーラの前に敵対するようにして立ち塞がった。
その実力は未知数……入学時の能力測定時に出された判定は二属性に適正ありという貴族としては標準的なものであったため、誰も彼女を警戒することも注意をはらうこともなく……そして今になって立ち塞がるその凜とした姿に、フィオーラに心酔しているはずの取り巻きの中でも見蕩れる者が出るほどだ。
しばらくは何もせず、周囲の状況を嫣然と見つめていたフィオーラだったが、ウィルが失格となって脱落し、そしてテオドールが倒れた時点でその顔色は蒼白となり、浮かべていた余裕の笑みを消してエリカに向き直った。
「さすがはエリカ様。優秀な傍付きをお持ちですわ。……でも仕えるべき主が倒れたら、彼らも報われませんわね」
杖を手にしたフィオーラが練り上げたのは、彼女が得意とする『火』と『水』と『風』の三属性が入り混じった、複数属性を自在に操る彼女にしか使えない複雑な構築式を持った魔術。
基本的なルールである『相手の命を奪うべからず』を護ろうとしているのか、込められる魔力はギリギリ致死レベルに達しないようには調整しているようだが、それでも直撃すれば数日意識を失うくらいはあるくらいの魔力量だ。
対するエリカはこれまでと同じように防御結界を張っているだけで、魔術反射は付加してはいない。
これだけの魔力を返してしまえば当然フィオーラも無事ではいられない、そう考えたからか……馬鹿にされたものだわ、とフィオーラはこれまで誰にも防がれたことのない完璧な魔術を目の前の銀髪が美しい少女に向けて放った。
勝ちましたわ、と動いたのはどちらの口か。
きゃあ、と叫んだのはマルガレーテのみ。
痛ましげに目を細めたのはウィルだけ。
それ以外の者は、己の信じる側が勝つのだと確信に近い思いを抱いた。
「なっ、…………!!」
「わたくしの勝ち、ですわね?」
にこり、と微笑んだのは銀髪の少女。
その手には、金髪の少女の手首に巻かれていた真紅のリボンが握られている。
「どういうこと……一体どういうことなの!?貴方、一体何をしたの!!ありえないありえないありえないっ!!わたくしの術は完璧……三属性の完璧な融合なんてこれまで誰も成し遂げたことなどないはずですのに!」
『そなたから力を所望されたのは初めてだな、娘よ。だがあまりに規模が小さすぎて、我には物足りぬ。そなたならもっと大きな舞台で自在に力を振るうこともできように……無欲なものだ』
「だっ、誰っ!?学園の者以外の介入は失格となりますわよ!!」
『……そなたが力を抑えておったのはこの姦しき小娘の所為か?……ふむ、魅了の力か……その力に溺れ、己自身が認められたと驕る愚か者よ。我が加護を与えた娘は美しかろう?強かろう?あまたの精霊が愛し、護り、そして精霊王である我が見込んだ娘にそなた如きが敵うと思うてか』
金の髪に同色の双眸。
突如その場に顕現した眩いオーラを持つその男は、自らを『精霊王』だと名乗った。
そして、エリカを『己が見込み、加護を与えた娘』だと明かした。
フィオーラは嘘よと否定しようとしたが、その男のあまりの威圧感に口を開くことすらできなくなる。
そして同時に悟った。
己が完璧と信じて放った魔術が彼にあっさりと無効化されただけでなく、ほぼ同時にエリカの身を護るために出現した風の渦によって己のリボンが解け、風に巻き上げられ、エリカの手にするりと滑り込んだ……その一連の動作を精霊王と名乗ったこの男が成し遂げたのだと。
更に彼は周囲を取り囲んでいた取り巻き達の前に光の盾を出現させ、それに触れた者達の意識を喪失させるという『攻撃不可』のルールに反しない程度の術を放っていたことも。
フィオーラは今の今まで知らなかったのだ、エリカ・ローゼンリヒトという少女が光属性を使えることを。
それどころか、全属性の精霊を統べる精霊王の加護を受けていることも。
当然だ、その事実はエリカやその傍付き達、そして公爵家に忠誠を捧げる者達によって秘され続けてきたのだから。
もしそれを知られてしまえば当然フィオーラはその事実に嫉妬し、本気でエリカを亡き者にしようと企むか、もしくはかつての生……フィオーラ自身は知りもしないエリカの黒歴史たる前世においてそうしたように、近くに侍って裏切りの機会を虎視眈々と待ち続けようとするか。
どちらにしてもエリカにとっていい影響を与えないと周囲が判断し、エリカ自身がフィオーラへの隠しきれない復讐心を満たそうとした結果がこれである。
だが、エリカの心は満たされてはくれない。
(……今現在、フィオーラに復讐されるだけの罪はないわ。これは私の自己満足だもの)
謂れのない復讐は虚しいだけだ。
彼女は泣きたい気持ちと、それでもかつての生で味わった屈辱が晴れていくような感覚と、その相反する二つを抱えてぎゅっと戦利品であるリボンを握り締めた。
纏めに入ります。




