27.対面の時
『エリカが本気を出したらきっとすっごいんだから!あんな女狐なんて足元にも及ばないわよ!!』
と、フィオーラの評判を聞くたびにユリアは力説していた。
『当然ですわ。エリカ様の魔力は精霊王様に認められるほどお強いのですし、お姿だってちょっと本気を出して着飾ってくだされば、魅了の力に酔っているような小娘……失礼。おつむの軽いご令嬢など、比べ物になるはずもありませんわ』
と、レナもそう主張していたし、今もその思いは変わらない。
彼女達は、エリカがどうして自分に決定的な自信を持てないのか知っている。
かつて最悪の形で貶められたフィオーラとテオドール、この二人に対して『負けたくない』という対抗心を持ちながらも、どこかで劣等感を捨てきれずにいるのだということも理解しているつもりだ。
でもだからこそ、エリカには自分の力でそのコンプレックスを乗り越えて欲しかった。
今の彼女はかつての彼女とは違う、騙されて、踊らされて、嘲笑われるだけの存在じゃない。
自分の意思で生きたいと願い、その思いの強さ……魂の輝きを精霊王に認められ、そうして力を得た今の彼女ならきっと過去の悔しさも哀しみも乗り越えてくれると信じているから。
だから、レナは嬉しかった。
行きましょう、と前を向いてくれた主の変化が。
そこにあるのが、傷つけられた親友や謂れもない謗りを受ける男爵令嬢に対する同情、労わり、友情、そして傷つけた相手に対する怒りであったとしても。
毅然と前を向くエリカの横顔は、これまで見たどの表情よりも美しかったから。
「それにしても……エリカ様の仰った通りでしたわね」
「ええ、でしょう?」
三人……否、気配を断ってこっそり護衛についているレンを含めると四人になるが、この四人が一定の方向に向かって歩き始めてすぐ、どこからともなく待ち伏せしていたかのように赤いリボンをつけた生徒が数人、取り囲むようにして飛び出してきた。
【狼は群れをなしてはいけない】
このルールに違反するのでは?とやんわり問いかけたレナに彼らは笑いながら、自分達はたまたまここでかち合っただけであり示し合わせたわけではないと主張した。
その証拠に、と彼らは連携を取るでもなく目の前の獲物三人に向かってそれぞれ攻撃をしかけてくる。
『彼女の取り巻きは狼か狩人。なら当然攻撃を仕掛けてくるでしょうね。纏まった人数であっても、たまたま同じ獲物を見つけた者同士というなら、ギリギリ失格にはならないでしょう?』
そのエリカの訳知り顔の予言が的中したわけである。
もしかしてかつての生で同じような催しがあったのかもしれないが、そうであってもその頃はまだエリカの仮初の『友人』であったフィオーラは敵ではなかったのだから、展開としては今と違っていて当然だ。
(いいえ……あの女狐なら、自分ははぐれたふりをしてエリカ様を襲わせたとしても不思議はないわ)
かつてのエリカは魔力飽和の病が治っておらず、自らの魔力を自在に使うことすらできなかった。
そんな彼女が今のように複数の【敵】に襲われたらどうなるか?
ズタボロになるまで傷つけられたエリカをテオドールが慰める、そうして彼女は更に彼に心酔していく……そんなベタな光景をフィオーラが嘲笑いながら見ていたのかもしれない。
そう思うと、レナの心にも怒りが満ちてくる。
幸いなことに、襲ってきた者達はさほど強いわけでもなく、物理防御と魔術防御で次々と弾き飛ばすことには成功してはいるが、それでも彼らは体勢を整えてまた襲い掛かってくる。
そして軽い攻撃を加えては離れ、三人が防御の術を整えるとまた襲ってくる、その繰り返しだ。
確かに彼らの動きはバラバラで連携は取れていない、しかしその包囲網を狭めようとも広げようともせず、一定の距離を置きながらじりじりと後退しつつ攻撃してくる様子は、まるで『何か』に操られているかのようで。
(これではまるで、獣が獲物で甚振っているかのようだわ。随分と趣味の悪いこと)
水属性の魔術に、ある程度距離のある場所の映像を水鏡に映すというものがある。
フィオーラは恐らく、その術を使って高みの見物を決め込んでいるのだろう。
こうして信奉者達が自分のために『獲物』を狩ってきてくれる、その光景を見て悦に入りながら。
それのどこが『淑女』だ、とレナは反吐が出るような思いだった。
ローゼンリヒト公爵自らに見込まれ、仕込まれた諜報能力を使って調べたところによると、フィオーラの義姉は父のため、家名のためにと完璧な淑女を目指すべく努力を怠らない人柄であるという。
ドレスの下の足は例え傷だらけでも、顔には笑みを浮かべ優雅に気品高く礼をとるというのが本物の淑女である。
フィオーラのそれはただの上っ面だけのものであり、周囲の評価も魅了された者とそうでない者の証言ではほぼ真逆と言っても良かった。
彼女が賢明な第一王子に気に入られなかったのも頷けるし、母である我侭な第二妃を見て育った第三王子の婚約者候補におさまったのもある意味納得できる流れだと言える。
尤も、王族としてはまだまだ幼い第三王子の婚約者として、正式に認められるまでにはまだ時間がかかりそうだが。
「…………ねぇレナ」
「はい」
「実はね、昨夜精霊王様が夢に出てきてくださったの。そなたは力を出し惜しみしていてつまらん、我の眷属を有効に使え、と小一時間お説教されてしまったわ」
「そうですか、それは…………えっ?」
それは大変でしたね、そう答えようとしたレナは『精霊王』という単語に途中で引っかかり、意図せずぽかんとした顔になってしまった。
それを見たエリカはくすりと笑い、「お説教なんてされたの、初めてよ」と瞳を細める。
「だからね。……我慢するの、やめようと思うの。もう、いいわよね?」
『精霊王』が本当に夢に出てきたのか、出てきたのだとして本当に説教めいたことを口にしたのか、それを確かめる術はない。
だがもうそれはどうでもよかった、エリカがやる気になってくれた、ただそれだけで。
「……はい、勿論ですわ我が君。わたくしも全力で補佐致します」
「えっ?あの、話が良く……えっと、私の傍の精霊さんがすごく喜んでるということくらいしか……あああああの、今『精霊王』って!?」
微笑みあう主従を他所に、加護を与えた精霊の狂喜の感情に振り回され、目を白黒させるマルガレーテ。
そうこうしながらも攻撃を加えてくる狼達を撃退しつつ、彼女達三人は確実にフィオーラのお膝元へと近づきつつあった。
まるで誘導されるようにたどり着いたそこには、木陰にゆったりと腰掛けるフィオーラの姿。
「……確か、エリカ・ローゼンリヒト様でしたわね。それから……その傍付きのレナリア・シュヴァルツ様に…………まぁ、マルガレーテ・セイビアン様もご一緒でしたのね。ごきげんよう」
ゆるりと微笑むフィオーラの隣にウィルフレッド、そしてその周囲をぐるりと幾重にも取り囲むように立つ、赤や緑のリボンをつけた取り巻き達。
本来社交界ならば格下の者が格上の者へ先に声をかけることは不調法とされているが、ここは社交界での身分など通用しない国立の学園だ。侯爵令嬢であるフィオーラが、格上である公爵令嬢に先に声をかけることを誰も咎めたりはしない。
レナはさすがに眉をひそめたが、主であるエリカが半歩前に進み出たことで表情を取り繕った。
「ごきげんよう、フィオーラ・グリューネ様。随分といい場所でおくつろぎですのね。このまま時間終了までこちらでご休憩を?」
「あら、心外ですわ。まるでわたくしがゲームを放棄しているみたい」
「そう聞こえてしまったのでしたら、失礼を致しました。ただ……もしこれ以上ゲームに参加されないおつもりでしたら……」
「……だったら、なにかしら?参考までに聞かせていただけますこと?」
首を傾げたタイミングで、豪奢な金髪がさらりと肩から滑り落ちる。
木漏れ日をキラキラと反射して輝くその髪の動きに、周囲に立つ取り巻き達からほうっと小さな嘆息が漏れた。
エリカもその波打つ金髪の動きを見つめ、そして微笑んだままのフィオーラに視線を戻すと
「でしたらその首もとの赤いリボン、わたくしに譲っていただけません?」
参加しないなら必要ないでしょう?
そう、挑戦的に微笑んだ。
ざわり、と取り巻き達が警戒を強める。
その中心にいる少女は数秒表情を固まらせたものの、すぐに気を持ち直してころころと声を立てて笑い出した。
「エリカ様はこのゲームのルールをわかっておられますの?貴方はウサギ、わたくしは狼ですのよ。ウサギが狼のリボンを奪う、など……それこそゲームの規律に反しているのでは?」
「あら、お言葉ですけれど、ウサギが狼のリボンを手にしてはいけない、というルールがどこにございますの?現に、ほら」
とエリカが掲げて見せたのは、狼の証である真紅のリボン。しかも複数本ある。
これは全て、エリカ達三人を標的として襲ってきたものの、防御魔術で返り討ちにあい失格になってしまった者達から奪った戦利品だ。
「もしこれが規律違反であるなら、わたくし達今頃ここにはおりませんわ」
「そう、ですわね…………ふふっ、そういうことでしたら」
フィオーラは毅然と立ち上がり、首もとのリボンを自ら外すとそれを自分の手首に結びなおした。
そしてその手を、軽く宙に掲げる。
貴方の欲しいものはここにあるわよ、とでも言うように。
「ウサギは攻撃も反撃も許可されておりませんわ。そしてわたくしはそれができる。……それでもよろしいのでしたら、どうぞおいでくださいな。もっとも……」
「私が、最後の切り札になろう」
それまで横に控えていたウィルフレッドが、フィオーラの半歩後ろに下がって剣を抜く。
周囲の取り巻き達も、もはや隠すことなく連携を取り合ってエリカ達三人を包囲すべくじりじりと動き出し、どこかの物陰から赤いリボンをつけたテオドールも顔を出した。
途端、フィオーラの顔がふわりと朱に染まる。
「……貴方に剣を向けるのは忍びないのですが……これも敵味方に分かれてしまった宿命、お相手致しましょう」
「残念だけど、お相手するのはこちらを先にしてもらえるかな?テオドール」
「…………また君か、レンウィード・シュヴァルツ」
「ああ。この役目は誰にも譲るつもりなんてないからな」
バチッと音がしそうなほど睨みあう二人。
だがすぐに、レンは背後を振り返り大丈夫ですかと視線だけで問いかけた。
レンがテオドールを相手している間に、護衛がいなくなるという事態は避けたいことだからだ。
「レン、お前はそちらに集中してもらって構わない。護衛には私がつこう」
「アベルト様、よろしくお願いします」
どうやらレンと共に様子を伺っていたらしいアベルトがマルガレーテの隣に移動し、周囲に向かって杖を構えた。
そのことで、包囲体勢に入っていた取り巻き達に若干の動揺が走る。
この方を相手にしてしまってもいいのか、そう戸惑う者もいるようだ。
さすがに、フィオーラも笑顔のままでいられなくなったらしく頬を引きつらせている。
と、そんな時
「…………やっと来たか。待ちわびた」
赤いリボンをつけたウィルフレッドが視線を向けた先
「あたしもずっとこの機会を待ってたわ。ウィル、あんたを叩きのめす絶好の機会をね」
「狼が狼を襲う、か。規律では違反とはなっていなかったのだから、それも良かろう」
「なぁにすかしてんのよ。そんな余裕、すぐに剥ぎ取ってやるんだから!!」
これまで隠れて鋭気を養っていた、ユリア・マクラーレンがそこにいた。
そして今ここに、因縁の対決が始まる。
次回、全面対決。




