26.ゲーム・スタート!
今回一気に時間が飛びます。
「おっ、ウサギ発見!もらったあああああっ!!」
ぶん、と力任せに振り下ろされた剣が、立ち竦む銀髪の少女に触れる寸前。
バチッと火花が散り、少年はその勢いのまま後方へと弾かれ飛ばされた。
ごすっといい音を立ててお尻から、そして背中も打ちつけた少年の手から、剣がからりと石畳に離れて落ちる。
「うあっ!?」
「ゲームルール曰く、『武器を手放した狼は失格とする』……ですわね。残念ですが、そのリボンはいただきますわ」
レナの細く白い指先が、少年の首元で揺れていた真紅のリボンをしゅるっと解いて引き寄せる。
「ウサギは攻撃できないんじゃなかったのか!?」
「あら、物理反射は防御の術として認められておりますのよ。お疑いなら我が『補助魔術研究クラス』の顧問に直接食って掛かったらいかが?」
「く、っ……!」
レナの所属する補助魔術研究クラス、その顧問が国王の弟……つまり王弟殿下だというのはもはや公然の秘密だと言ってもいい。
彼は国政に関わることを厭い、第一線から遠ざかるだけでなく社交界にも滅多に顔を出さないため、その存在は知っていても顔を知らない貴族は大勢いる。
だが以前の新入生見学会において、とあるご令嬢がやらかした事態を収めるべく当の本人が『王弟』であると明かしたことで、その噂はあっという間に学園中に広まってしまった。
この少年も騎士科所属でありながらその噂は知っていたのだろう、反論も出来ず唇を噛み締め悔しそうに肩を震わせている。
エリカ達がこの学園に入学して、早くも1年が過ぎようとしている。
新入生の入学に先駆けて、これまでになかった学園を挙げての一大イベントが開催されると発表されたのは、無事全員が進級試験に合格した数日後のこと。
魔術科と騎士科は合同でゲームを行い、官僚科と淑女科はこちらも合同で夜会を企画運営する。
官僚科とは将来王宮に仕官して何らかの役職につくことを目的とした者達が学ぶ科であり、淑女科は言うまでもなく高貴な者に仕える女性を対象とした科であるため、戦う術はないこともないがそれをメインとした教育を受けてはいない。
故に今回はそれぞれの特性を生かし、昼と夜に分かれて実力を競い合う場を設けようというのが学園側の意図であるらしい。
魔術科と騎士科に所属する膨大な数の生徒に与えられたのは、『狼』と『ウサギ』と『狩人』という三つの役割。
そのいずれかに分かれ、それぞれのルールに則って最後まで生き残ることができればゲームクリア、となる。
狼は赤、ウサギは青、狩人は緑のリボンをシャツの首元に結び、目印とする。
そして何らかの理由で『失格』になった場合、そのリボンは相手に取られるかもしくは自主的に外さなければならない。
エリカとレナは『ウサギ』……どちらも青のリボンを首元に結び、手を取り合って狼から逃げている。
『ウサギ』に与えられたルールは、
●集団行動を取っても良い
●誰が相手であっても攻撃を加えてはいけない(反撃も不可)
●防御行動で身を護ることは可能
●『狩人』を護衛につけても良い
というもの。つまりは、攻撃せずただ時間まで逃げ回れということだ。
そのためエリカとレナは、開始時刻から今まで時折防御魔術を使いながら逃げ続けている。
ちなみにユリアに与えられたのは『狼』の役割であるため、二人とは別行動を取っているのだが、その『狼』に与えられたルールは大体こんな感じだ。
●武器の携帯を許可(ただし刃先を潰し威力を削いだもの。魔術科は杖を携帯)
●武器を手放した段階で失格
●集団行動は不可、単独行動のみ
●ターゲットは『ウサギ』と『狩人』どちらでも可能
これだけ見ると『狼』の圧倒的有利にも思えるが、選ばれたその数は『ウサギ』の10分の1にも満たない。
いかに数の不利を補い、自らも生き残っていくかが『狼』の課題だろう。
そしてここにはいないが、『狩人』の役目を与えられたのがレンとアベルトである。
『狩人』もその絶対数は少ないが、その分『狼』と同じくらい有利な条件が与えられている。
●集団行動は基本的に不可、だが『ウサギ』に協力を求められた際は可
●武器の携帯を許可(条件は『狼』と同じ)
●狩るターゲットは『狼』と『ウサギ』どちらでも可能
●武器を手放した段階で失格
『狼』と違うのは、『ウサギ』と共同戦線を張ることができるという部分だけだ。
これによってか弱い『ウサギ』は『狼』や他の『狩人』の攻撃から身を護ることができるとあって、他の『ウサギ』達も逃げながら『狩人』を探しているに違いない。
リボンを奪われた『元狼』の生徒がすごすごと校舎の方へ向かったのを見て、レナはホッと安堵の息をついて主に視線を戻した。
「そろそろ日も傾いて参りましたが……仕掛けてくるでしょうか?」
「来るでしょうね。こちらにはマルガレーテ嬢と私、二人も格好の餌がいるんですもの。『狼』さんが狙ってこないはずはないわ」
「わっ、わたくしも……ですか」
「あら、ご自分がほかのご令嬢の恨みや妬みを買っているという自覚はないと?」
「レナ、おやめなさい。ほら、怯えておられるわ」
振り向いた先でぷるぷるとそれこそウサギのように震えているのは、1年近く前に能力測定において光の精霊の加護を受けていると話題になった茶髪の男爵令嬢……マルガレーテ・セイビアン。
あの瞬間からフィオーラの取り巻きたちに目をつけられてしまった彼女は、よりにもよってフィオーラ達が王弟殿下に叩き出されたあの補助魔術研究クラスに希望を出し、無事通ってしまった。
クラスメイトであるレナが見たところによると、更にフィオーラ達を煽るような事態にまで発展しつつあるのだという。
(臣籍降下された元第二王子と男爵令嬢……身分が違いすぎると言えばそうなのだけど)
どうやらその真っ直ぐな気性がアベルトの気を惹いたらしい、というのがレナの見立てである。
スタインウェイ公爵家自体は相手が男爵令嬢であろうと気にされないだろうが、貴族の常識的なもの、そして何より公爵令息であるアベルトに娘を嫁がせたい貴族達からすれば、身分違いだ、分不相応だと責め立てる格好の材料となってしまう。
そこで、エリカは早々にこのマルガレーテ嬢に接触をはかり、友人という立場におさまった。
見る人が見れば、セイビアン男爵家にローゼンリヒト公爵家が後見についたと取られかねない、それをわかった上で、である。
もちろんそうなるまでの経緯は全て父と兄に報告済みであり、元黒騎士である暗部の報告からもセイビアン男爵家は『叩いても埃が出ない』家柄だとわかったため、周囲に誤解を招くことは承知の上での接触だったわけだが。
そのマルガレーテだが、どうにも周囲の反感を買っている自覚は薄いようで、フィオーラの取り巻き達に執拗に嫌がらせをされても、何がいけなかったのかときょとんとしている辺りが更に周囲をヒートアップさせてしまい、だがその数々の嫌がらせも彼女を加護する光の精霊の力で防がれてしまうため、更に……と妬みと嫌がらせの悪循環にどっぷり嵌まってしまっている。
そこに更に庇護についたのが、貴族の中でも実力者であり人格者としても名高いローゼンリヒト公爵のご令嬢、エリカである。
公爵令嬢というだけでも厄介なのに、彼女の周囲には『落ち人』であり侯爵家の養女でもあるユリア、そして魔術師一家としても有名なシュヴァルツ家の双子が傍につき、その上最近になってフィオーラの想い人であるテオドールがエリカに接近していると聞けば、当然心穏やかではいられない。
ただ、公爵令嬢という格上の相手にあからさまな嫌がらせを仕掛けられないというだけで。
フィオーラの役目は『狼』だと聞く。
ならばこの絶好の機会に、この目障りな二人を罠にはめようと彼女が動かないはずはない。
彼女自身は動かずとも、その忠実なる取り巻き……下僕達は彼女の憂いを晴らすべく確実に狙ってくるはずだ、とエリカはそう睨んでいる。
『狼』は集団行動できない、だが逆に言えば行動しなければ集団でいても咎められないということ。
きっと彼女は今頃、誰にも狙われない安全な場所で護られながら、取り巻き達の報告を心待ちにしているのだろう。
このゲームの終了の合図は、全施設内に響きわたる伝達魔術が施された放送室から行われる。
日がある程度傾いたタイミングでゲーム終了が告げられ、そして今度は官僚科・淑女科合同の夜会の準備が始まる。
魔術科・騎士科の生徒達はその時点でリボンを身に着けていれば成績に加算ポイントがつき、その日はそれで終了となる。夜会に参加するかどうかは自己判断に任され、疲れた者は休むもよし、興味がある者は夜会に出てもよし、とされている。
フィオーラなら確実に参加する。何故なら淑女科には、己に恥をかかせた義姉が所属しているからだ。
正式にではないにせよ、第三王子の婚約者に内定した彼女であれば、その身分を引っ提げて堂々と淑女科へと乗り込むに違いない。
エスコート役に、テオドールを連れて。
ツキンと痛んだのは、『過去の過ち』を思い出したから。
かつての生においても、そうやって何度も何度も裏切られ欺かれ嘲笑われ続けていたのに、それを全く気付けなかった愚かな自分。
もうそんな思いはしたくない、繰り返してはならないとかつての自分が心の中で叫んでいる。
(わかってるわ。フィオーラの思い通りになんてさせない)
索敵魔術で探り続けているフィオーラの位置は、先ほどから動いてはいない。
周囲にはいくつかの見知らぬ気配、そしてよく見知ったウィルフレッドの気配もある。
「さて、と。そろそろこちらから動きましょうか。待っているだけでは退屈ですものね」
はい、と心得たように頷き返すレナ。
え?と呆気にとられたように聞き返すマルガレーテ。
視界には入ってこないけれど、つかず離れず護衛してくれているレンも『いつでもどうぞ』と苦笑しているに違いない。
それらを受けて、エリカは向き直った。
真っ直ぐ、フィオーラの気配のある方へ。




