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25.貴族であるということは

「おはよう、私の愛しい娘。今日は一日、お父様に付き合ってくれるね?」


 仕事がひと段落ついたのだからと晴れ晴れとした顔で食堂に顔を出したフェルディナンドに、先に席についていたラスティネルとエリカの兄妹はきょとんと顔を見合わせ、どうしたものかと首を傾げた。


 フェルディナンドの元部下であるルシウスの協力により、ウィルの突然の奇行が実は『敵』の懐に警戒させずに飛び込むための策だったとわかり、ひとまずホッと一息ついたのが3日前のこと。

 あの妖しげなネーミングのアイテムのことはあえて知らせず、だがウィルが自ら罠に飛び込んだことをレンやレナ、そしてユリアにも伝えることで、身内の混乱を収めることにもどうにか成功したのが2日前。

 更には、「アベルト様がそれをご存知ないわけはない」と主張するレンを通じてスタインウェイ公爵家へ連絡を入れたところ、罠にかかることに名乗りを上げたのはウィル本人だがアイテムの被験者になってくれと頼んだのは、他でもないアベルトだということがわかったのが昨日のこと。


 そして、予定通りであれば今日からでも『精神魔術』について、ルシウスから講義を受けることになっていたのだが。


 ラスティネルが視線を父の後方に控えるセバスに向けると、有能な執事であり補佐役でもある彼は深々と頭を下げてみせた。


「……エリカ、今日は僕だけで話を聞いておく。君もここへ戻ってきてからまだゆっくりとできていないだろう?どうだい、今日は父上と一緒に街を歩いてきたら」

「お兄様、でも」

「君がうんと言わないと、父上はまた仕事に戻られてしまうよ?過労で倒れられるのは嫌だろう?」


 ワーカホリックというわけでもないのだが、フェルディナンドは他の領主と比べても相当働き者だ。

 貴族の最高位である公爵位を持っているのだから、領地運営は部下に任せてもう少しゆったりと構えていればいいものを、彼は率先して街を歩き、苦情を聞き届け、実際に警備隊を指揮して魔物狩りに出たことすらある。

 お祭りがあれば顔を出し、不穏な噂を聞けば調査に出向き、小領地を任せてある貴族達との連絡会議にも必ず出席するという徹底ぶりだ。


(……仕方、ありませんわね……本当なら、休んでいていただきたいのですけど)


「わかりましたわ。お父様、今日は一緒にお出かけしてくださいな」

「ああ、もちろん。そうと決まればさっさと食事を済ませてしまおうか。ほらほら、皆。給仕を頼むよ」


 水を得た魚のように生気を漲らせた邸の主を、子供達は苦笑して見守り、使用人達はどこか微笑ましそうに口元を小さく緩めながら見ていた。




「これはご領主様!採れたてのオランジェはいかがですか?」

「オランジェか。確か南地区の特産品だったな。……うん、艶も香りも申し分ない。一箱いただこう、いつものように邸に届けておいてくれ」

「承知しました!ああ、お嬢様にはこちらを。オランジェを丸ごと絞ったジュースです」

「まあ、ありがとう」


 時折食卓にのぼる地方特産品のデザートやジュース。

 それらはきっと、今のようにフェルディナンドが視察に出た時に購入して邸に届けてもらっているものだったのだろう。


 その後もフェルディナンドは次々と露店の主や道行く領民に声をかけられ、そのたびに何かを買ったり問答したり、時折親バカ全開でエリカを紹介したりと、楽しそうに街を見て歩いていた。

 その隣にぴったりとついて歩きながら、エリカはこれでは普段の視察と変わらないのではと父の身が心配になってしまう。


「お父様……今日はお休みなのに、なんだかお休みではないみたい」

「ああ、エリカ。心配させてしまってすまないね。でもね、こうやって実際に街を見て歩くのは私の生きがいであり、楽しみでもあるのだよ。お前から見て、お父様は無理をしているように見えるかい?」

「いいえ、いいえお父様。とても楽しそうに見えますわ」

「そうか。それならいいんだ」


 実際、領民達と触れ合っているフェルディナンドは生き生きとしている。

 視察と言ってしまうと上から見下ろしている感じがするが、フェルディナンドの場合は交流と呼んだ方がしっくりくるかもしれない。


 そうやって領民達の生の声に耳を傾け、実際に自分の目で実情を確かめることで、彼は報告書上ではわからない民達の表情や声音を感じ、聞き、見て、そうして領地を治めている。

 だからこそ、このローゼンリヒト領は他の領地にはない硬い結束力と類稀な忠誠心が育まれているのだろう。



 しばらく街を歩いていると、フェルディナンドが「あれをご覧」と遠くに見える白を基調とした建物を指差した。


「あれは先日、この城下町に出来た『福祉施設』の第一号だ。これまでは医療の発達が遅れている地方への建設を優先していたのだが、ようやくここに建てる余裕ができたものでね。とはいえまだ建てたばかりで、人材の確保や教育はこれからになるのだが」


『福祉施設』というのは、先天的か後天的かは問わず身体の不自由な人や高齢で動けなくなった老人などを預かりお世話するために、領主であるフェルディナンドが許可して建てさせた医療機関のことである。

 この施設を作るアイディアをくれたのが他でもない、あちらの世界からの落ち人であるユリアだ。

 彼女の世界には『老人ホーム』や『障がい者施設』というものがあり、そこでは専門の教育を受けた者達が中心となって、医療機関と連携しながら身体の不自由な人達や高齢の老人達のお世話をしているのだという。

 そしてそういった施設ができることで、これまで時間を割いて家族の世話をしてきた者達も安心して働きに出ることができ、経済も回るようになるのだとか。


 それを聞いたフェルディナンドが試しに医療の発達が遅れている地方に施設を建設してみたところ、最初こそは戸惑いや不信感、それに家族を手放すということで周囲から冷ややかな目を向けられることなど弊害が多くあったものの、徐々に慣れてくると農作物の生産効率が上がってきたり、特産品の売り上げが良くなってきたりと、いい報告も上がってくるようになった。

 そして同時に、貧しくコネや身についた技術もないため職にあぶれた者達を積極的に雇い入れることで、食いっぱぐれや浮浪者になる者が格段に減ったというのも嬉しい報告だ。



「ユリアには感謝しなければね。…………とはいえ……あの子は今、それどころではないようだが」

「お父様もご存知なのですね」

「ああ、大事なお前の傍付きだからね」


 ユリアの同志でもあり心を許せる仲間でもある、ウィルフレッド・アマティ侯爵令息。

 彼が自ら進んでフィオーラやテオドールの仕掛けた罠に飛び込んだ、という話を聞いたユリアは「バッカじゃないの」と小さくぼやいただけで、何も言おうとはしなかった。

 理由はわかったが納得しかねる、という気持ちなのだろう。


「お父様、ユリアは……ウィルフレッド様のことを、本当に大切に想っているようですわ。ですから、しばらくは時間をあげて欲しいのです」

「わかってるよ。恋する女の子は色々と複雑だね」


 小さく苦笑してから、ふとフェルディナンドは真顔に戻って傍らの娘の顔をずいっと覗き込んだ。


「エリカ、ああエリカ、まさかお前もそんな風に誰かを想って胸を痛めているなんてことはないだろうね?」

「…………はい?」

「許さないよ。まだ……そうだ、まだエリカはこんなに幼いんだ。見知らぬ誰かを想って泣くくらいなら、お父様を想って泣きなさい。誰かを見つめて頬を染めるなら、お父様の姿絵を眺めて恥らいなさい。ああエリカはこんなに可愛いのに!どうして他の男にやらなきゃならないんだ!まだまだ手元に置いておきたいのに。そうだ、レンウィードは何をしている!私の宝物エリカを護る役目を特別に与えたというのに、あいつときたら!」

「お、お父様……ここ、まだ往来ですから落ち着いて」


 どう宥めたらいいのかわからずおろおろするだけのエリカ。

 ここにはいない便宜上の婚約者相手に憤慨するフェルディナンド。

 行きかう領民達は遠巻きに、だが微笑ましいものを見るような目でそれを見ている。

 中には、ハラハラしながら成り行きを見守りつつも怖くて手が出せない、ちょっとヘタレな警備隊員も混ざっていたが。



「お父様、私にはまだそのような方はおりませんわ。それに、レンもきちんとお役目を果たしてくれてます。ですからほら、…………次はあちらのお店を覗いてみませんか?」


 くい、と袖を引いて『あちら』と指し示したのは、魔術具を扱っている古びたお店だ。

 そこはまだエリカやラスティネルが幼い頃、魔術に興味を持ち始めた子供達にとフェルディナンドが何度もプレゼントを買いに足を運んだ店だった。

 興味を示した先が宝石店や高級オートクチュールのお店でなかったことに、フェルディナンドも苦笑するしかない。


 お手をどうぞ、と差し出された掌にエリカもそっと手を重ねる。

 きゅっと小さく握られた手の温もりに、何故だかフェルディナンドはくしゃりと泣きそうに顔を歪めた。


「お父様、どうかなさって?」

「…………お前は、ちゃんとここで生きているのだね。いや、生きているだけじゃない。病も治って、きちんと前を向いて、友人も出来て、理解者もいる。生まれたばかりのお前が難病にかかっていると知った時はさすがに絶望したが……いや、病があっても生きていてくれるならそれでいいと……」

「おとう、さま」


 エリカはここで改めて、先日兄に問うたことがどれだけ非情な問いであったか、どれだけ彼の心を抉ったのかようやく気付いて己を恥じた。

 あの醜い病があっても、父や兄は自分を愛してくれていた。精一杯、護ろうとしてくれていた。

 きっとあの後、エリカが命を落としたことを知った彼らは本当の意味で絶望したのだろう。

 そして、可能な限りの復讐をと動いたに違いない。


「エリカ」

「はい」

「さっきはああ言ったが……レンウィードは得難い男だ。才能という点だけで言えばラスティネルを軽く超えるだろう。ただ、あいつは可愛げもなければ愛想もない。情を捨てて容赦なく断罪することも時には必要だが、いずれ任せようと思っている小領主の座はそれだけでは務まらない。あれは何と言うか……危うい。お前が、支えてあげなさい」

「おと、」

「ただし、お前があの学園を卒業するまでは婚約は仮のままとするからね」


 いずれは嫁がねばならないのだから、しばらくは独り占めさせてもらってもいいだろう?


 悪戯っぽい微笑みつきでそう言われてしまっては、大概のことは免疫がついたエリカであってもさすがに「お父様、それは反則ですわ」と赤面するしかできなかった。




親子でいちゃいちゃ。

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