23.予想外の転調
「ねぇユリア、かなり疲れているようだけど……」
「あらそんなことありませんわ?だってわたくし、侯爵令嬢ですのよ?この程度の礼儀作法くらい、軽くこなせましてよ。オホホホホホホホ」
「…………無理すんな、顔が引きつってるぞ」
「だってぇ、慣れないんだもん」
引きつり笑いをやめて素に戻ったユリアは、拗ねたようにそっぽを向く。
そういう感情豊かな飾らないところが彼女の魅力なのだが、生粋の貴族令嬢達……特にフィオーラの取り巻きをしている生徒達にとっては、マナーのなっていないはしたない態度に思えるらしい。
確かに社交界であればマナー違反だ、粗野だ、と陰口を叩かれても仕方がないのだが、ここは平民にも門戸を開く学園なのだから、少なくとも同じ生徒にマナー云々と言われる筋合いはない。
なのだが、あの模擬戦以降このところずっと、ユリアはそれなりの身分を持つ貴族令嬢達に聞こえよがしな陰口を叩かれたり、伝達されるべきことをわざと伝えられなかったり、時には直接嫌味をぶつけられたりと、地味な被害に合い続けている。
独自の情報網を持つレナに調べてもらったことで、彼女達が騎士科に所属するフィオーラの取り巻きだとわかったのだが、だとすると下手な対応をしてしまえばエリカにまでダメージが行ってしまいかねない。
それがわかっているため、彼女は公爵家で叩き込まれた礼儀作法を駆使して地道に返り討ちにしている、というわけだ。
「でもその方々も浅墓ですわね。ユリアは普段はああですけれど、公爵家で傍付き教育を受けて旦那様にも合格点をいただいておりますのに」
「あー。うん。正直普段は使いたくないけど、夜会とかに出たら反射的に令嬢モードになっちゃうくらいは、叩き込まれたもん。ただほら、精神値がガリガリと削られちゃうだけでね」
「阿呆。相手方はそれが目的なんだろうが」
あちらさんは、ユリアが自分達と同じ普通の貴族令嬢だなんて思ってなどいない。
だからこそ自分達はより貴族らしく、そしてその貴族の枠組みに入らないユリアを嘲笑って見せるのだ。
そしてユリアがそれに対して何らかのアクションを起こす、もしくは精神を病んで脱落するのが目的であることはほぼ間違いない。
「ちなみにな、ウィルにも別の意味での被害が及んでる。あいつはさすがに並大抵のことじゃキレたりしないだろうが……まぁなんだな、フィオーラ嬢ってのは本当に『そういうこと』しか頭にないんだな」
レンが濁した言葉を、レナがかわりに小声で代弁してくれたところによると。
あのテオドールを直接降参させた生徒として敵対視されるかと思われたウィルは、逆に女生徒達に擦り寄られて困っているらしい。
彼女たちはウィルを褒めるその口でユリアを貶め、お守りは大変ですわねと間接的に彼女を嘲笑うのだという。
そしてそれに気分を害したかのようなウィルに、フィオーラがいかに素晴らしいか、令嬢の鏡か、などと語って聞かせているのだとか。
「フィオーラ嬢の側にウィルを取り込めれば上々、そうでなくとも精神的疲弊を誘ってるってのは間違いないだろうな。アベルト様が受けた被害の例もある、フィオーラ嬢かもしくはテオドール……そのどちらかが精神操作系の術か薬に特化してるんだろう」
「ああ、そういうことですのね。確かにユリアもウィルフレッド様も精神的に鍛えられておりますもの、何らかの術を試みる前に精神的疲弊をと考えるのであれば、確かに効果的ですわ」
レンの言葉に、レナも頷く。
ウィルはアベルトの側近として護衛を務められるほどに腕が立ち、ユリアは落ち人としてチートなまでの運動神経で公爵令嬢であるエリカの傍にいる。
いくらこの二人を貶めたいと思っても直接的な手に出れば反撃を食らうことがわかっているし、この学園では私闘を硬く禁じているため何か仕掛けることもできない。
社交界での評判を落とすだけならユリアのマナー違反や、そんな彼女をパートナーとしているウィルの噂を流せば済むだろうが……繰り返すがここは平民にも門戸を開いている公正な教育機関である。
男女交際は特に禁じられてはいないし、パートナーとして傍にいる程度ではそもそも噂の立てようがないというのが現状だ。
直接手を出せない相手ならば、操ればいい。
ある程度本人の嫌がるような行為を仕向けて精神を疲弊させ、そして仲直りの印にと精神操作系の何かをプレゼントするか、もしくは通りすがりに術をかける。
術をかけたことを学園側が知れば処罰は免れないが、当人たちを操ってしまえばバレる危険性は減る。
もしバレてしまっても、そこはそれ。フィオーラやテオドールに罪が及ばないよう、『操られた者達』が罪を被ってくれるに違いない。
レンとレナが代わる代わる語ってくれたその計画内容に、ユリアは「うげ」とその顔を歪ませた。
(あたしだってそんなこと考え付かないよー。フィオーラってマジ悪役令嬢じゃん)
もしくは小ざかしく逆ハーを狙うあざとい系ヒロインってとこ?とそこまで考えて、ユリアは内心苦笑した。
かつて『ヒロイン』だった彼女自身、逆ハーを夢見て信じていた頃があった。
だが周囲の人間たちがそれを許さず、また他人を利用するということにも長けていなかったため、彼女はほぼ身ひとつで男たちを口説いて回った。
まぁそれは結局失敗に終わり、最終的に精神病院行きというバッドエンドを迎えてしまったのだが。
とにかく心を強く持て、流されるな、と散々レンから忠告されてしまったユリアは、それから毎日のように特攻を仕掛けてくる令嬢達の存在を無視するかのように、早朝から日暮れまで訓練に精を出すようになった。
これまではさして交流もしていなかった先輩たちに積極的に教えを乞い、時折ふらりと後輩たちの激励にやってくる現役騎士達にも果敢に挑んでいく。
最初は軽く肩慣らし程度で様子を見ていた騎士達も、ユリアが赤騎士団長の養女であり黒騎士団の創設者の愛娘を護衛していることを知ると、徐々に本気で手合わせすべく日参する騎士まで現れ始めた。
「お父様からの手紙の中に、部下の方からの添え書きも入っていたわ。いい刺激になるから自分の部下達との手合わせもお願いします、だそうよ」
「うーん、それは願ってもないんだけど……」
「どうかしたの?」
「ウィルがね、最近授業にあんまり顔出してなくって。元々成績がいいから毎日顔出さなきゃいけないってわけじゃないらしいけど、来てもぼんやりしてたり……ちょっとね、気になって」
「ああ、以前レナが言っていた精神操作系のお話ね?だったら、アベルト様なら何かご存知かもしれないわ」
聞いてみるわ、とエリカは請け負って翌日レンを通じてアベルトに連絡を取った。
そして早朝、いつものカフェ前で待ち合わせて聞いた話はさすがにエリカの予想を超えていた。
「これはまだ公にはしていないのだが、ウィルフレッドは一時的に私の傍付きから外しているんだ」
「何か事情がおありなのですね?」
「…………察してくれて感謝する。このままならいずれは正式に解任という形になるだろう。今話せるのはこの程度だ」
「わかりましたわ。心中お察し申し上げます」
「……ということなの」
「だから、どういうこと?」
わかんないよ、とエリカに詰め寄るユリアの襟首をぐいっと掴み、普段は決して見せないその馬鹿力で引き離したレナは、「落ち着きなさい」と焦るユリアを一喝した。
「ウィルフレッド様が最近授業にも出ず、どこに行かれているか……本気でわからないとは言わせませんわよ、ユリア。本当はわかっているのでしょう?あの無骨で一本気な彼が、熱心にどこに通いつめているのか。あの真っ直ぐな眼差しで、誰を見ているのか」
「だって!それは、でもっ!」
「気持ちはわかりますわ。だから落ち着きなさい。それこそ相手の思うつぼですわよ」
「……………」
騎士科所属の生徒は、通常なら魔術科や淑女科など他の科の入る棟に近づくことはできない。
だが例外的に、訓練場やカフェテラス、自習室などはどの科の生徒にも開放されており、ウィルはここしばらくその辺りに通いつめて一人で自主練習をしていたり、時には他の科の訓練を見ていたりするらしい。
その視線の先にいつもいるのは他でもない、フィオーラ・グリューネ侯爵令嬢。
彼は、これまでアベルトに対してそうだったように彼女の背後に控え、まるでその身を護る騎士のように付き従う姿まで見られるのだという。
信じてたのに、と呟くユリアの言葉にエリカもレナも痛ましげに眉をひそめる。
ユリアにとってウィルは護りたい唯一がある同志であり、友人であり、仲間でもあった。これまではそう割り切っていた。
だがこうなってみて初めて、そこにほんの僅か異性として惹かれる気持ちが混ざっていたことに気付き、彼女自身愕然としているところだ。
そうして、その感情の変化を本人よりも先に気付いていた主従は、ユリアが受けた痛みを察してそれ以上追い詰めないように口をつぐむしかできない。
ウィルに何があったのか、それはエリカにもはっきりとしたことはわからない。
だがもしこれがフィオーラの計画のうちであったなら……最初から目的はウィルの篭絡であり、その返す刀でユリアの心をも傷つけようと考えられたものだとしたら、それは決して許されるものではないと彼女は静かに怒りを募らせる。
(落ち着くのよ……感情的になってもいいことなんてないわ。まずは情報、そして証拠ね)
「……レナ、お願いがあるのだけど」
「わかっておりますわ、エリカ様。どうぞお任せを」
「ええ。……お願いね」
すっかりしょげかえって不貞寝してしまったユリアに聞こえないように、静かに怒りを募らせる主と内心ふつふつと怒りを滾らせている傍付きは、完全なる反撃に向けて互いの意思を確認しあい、頷いた。




