20.身分を振りかざす者
テオドールに続いてフィオーラのターンです。
『レン、来た早々使って悪いが彼女達を迎えに行ってきてくれないか』
『それは構いませんが……どうかなさいましたか?』
『ああ……今さっき、君が来る少し前に【彼】がこの前を通っていったのでね』
『…………かしこまりました』
他の生徒もいる前で【彼】と言葉を濁されたことで、レンはアベルトが何を言いたいのか瞬時に理解した。
補助魔術研究クラスの前を通り過ぎたのは、エリカの天敵テオドール・ヴァイス。
騎士科所属である彼が何故魔術科にいるのかはわからないが、この教室の前を通りかかったということは恐らく研究棟の誰かに用事があったということだ。
そして、彼がここを通りかかったタイミングとエリカ達が律儀に一番先にここを訪れてくれるだろう予想を交えると、最悪のパターンがはじき出される。
それはアベルトが危惧したのとほぼ同じ……あまり広くない廊下において、エリカとテオドールが再会を果たしてしまう、というものだった。
歩みは、徐々に早足になり、小走りになる。
焦るな焦るなと己に言い聞かせれば聞かせるほど、気が急いて仕方がない。
もし間に合わなかったら、もし不運にも再会してしまったら、もしエリカがまたショックで倒れてしまったら。
白茶の髪を軽く靡かせて、彼は急いだ。
【婚約者】の元へと。
「来てくれてありがとう、レン」
「いえ。間に合わず申し訳ありません」
「そんなことはないわ。あのままだったら私、レナがせっかく庇ってくれていたのを無駄にしそうだったもの。だからレンが来てくれてホッとしたの、本当よ」
「それなら良かったのですが」
(でも間に合わなかった。せっかくアベルト様が忠告してくださったのに……!)
アベルトはエリカがもう一度人生をやり直していることも、ましてや以前の生でテオドールに殺されていることも知らない。
ただ彼は、彼女が背負った絶望の色を知っている。
その色が、誰を前にした時に現れるのかも。
だからこそ、近づけさせるなと忠告をした。守りに行けと背を押した。
それなのに、テオドールの接触を許してしまった。
仕方なかったのだとレナは言う、ホッとしたのだとエリカは言う。
だが、レンは気付いていた。
5年前のあの日まだ10歳だったテオドールの視線の中にはなかった、誰かに恋焦がれるような熱く切ない色が、今の彼の中に息づいていたことに。
それは紛れもなくエリカに向かっており、その片鱗が嫉妬という形でレンに向けられたことも。
「エリカ様」
「なあに?」
「…………アベルト様がお待ちです、参りましょう」
テオドールが本気で貴方を狙っているんです、などという戯言は絶対に言うものか。
彼はそう、密かに心に誓った。
恐らくそれすらもアベルトの前では暴かれてしまうだろうことは承知の上で。
補助魔術研究クラスでは、その名の通り普段あまり注目されない『補助的に使う魔術』について紐解き、過去どのような使われ方をしてきて今に至るのか、もっと効率的な使い方はできないのかなどを日々研究している。
例えば家同士でも当人同士でも敵が多い貴族などでは、日常的に身を守ったりするために。
例えば保有魔力の少ない平民などでは、効率よく家事をこなすために。
そう言うとさぞかし希望者が殺到しそうだと思われそうだが、どうしても派手な攻撃魔術や実用的な治癒魔術などに皆目を奪われがちで、毎年それほど見学者も訪れないのだとか。
ただ昨年から元第二王子、現公爵令息のアベルトが所属していることもあり、今年は恐らく冷やかしやアベルト目当てなどの不純な目的の者も含め、見学者は多くなるだろうというのが担当教官の見解だった。
「では現段階、もし服毒させられてもそれを体内に浸透させないように防ぎとめる、という術はないのですね。でしたらもし即効性の毒の場合、対処の方法はないのでしょうか?」
「ふむ、そうだな……現状、実戦時における毒対策としての術が殆どだ。投げつけられた毒が体内に侵入しないように弾く術や、実際に毒を盛られてしまった場合に備えて毒耐性をつける術なら存在するが、その術も長くはもたないので実用的とは言い難いな」
【毒】は必ずしも遅行性のものばかりとは限らない。
実行犯が誰であるかわからないようにするためにはじわじわと効く方が有効だが、実行犯が使い捨て……その場で捕まってしまっても構わないか、もしくは殺されても構わないという所謂捨て駒であった場合は、即効性の毒を使われることも可能性としてはあるだろう。
もしくは濡れ衣を着せるための手段として使われる可能性もある。
貴族であれば多かれ少なかれそういった脅威に晒される可能性を秘めているが、それは爵位が高くなればなるほど、実家の権威が大きくなればなるほどに可能性は高まっていく。
エリカは公爵令嬢で、しかも父であるフェルディナンドは黒騎士団の創設者だ。
更に兄のラスティネルは治癒属性の使い手であり、彼女自身も一時は魔力飽和の病にかかるほどに保有魔力の量が多い。
つまり、狙われるもしくは妬まれる要素は充分にある、というわけだ。
そしてそれは、アベルトもほぼ同条件である。
「ですがアベルト様、実際問題毒のみならず薬物を盛られる危険性はよくおわかりでしょう?毒見はしておりますが万全ではありませんし、体内に膜を張るなり何なりして防ぐ方法はないものでしょうか」
と、このレンの言葉にアベルトの表情が硬くなった。
その時の不快感を思い出したのだろう。
「それは……」と何か言いかけた時、廊下の辺りがざわざわと急に騒がしくなり、ややあって扉が控えめに開けられた。
「失礼致します。見学をさせていただきたいのですが」
室内にいた全員の視線が、次の見学希望者に向けられる。
そしてそのうちの数人は息を呑み、数人はそっと視線をそらし、数人はうっとりと見蕩れた。
「ああ、新入生か。見学は構わないがこの通り目立った活動をしているわけでもないんだ、良ければ誰かに説明をさせるが」
「よろしいのですか?でしたら是非お願いしたいですわ」
「わかった」
頷いた担当教官は【彼女】にうっとりと見蕩れた数人の生徒を指名し、しっかり説明してやれと一応釘を刺してから、教室全体が見通せる自分の席へと戻っていった。
これに対して眉をひそめたのは、【彼女】について来た取り巻きの令嬢達である。
指名された男子生徒達はいずれも彼女達の記憶になく……それはつまり数多い貴族の中でも低位に位置する者か、もしくは平民出身であることを意味している。
対して【彼女】は侯爵令嬢だ、この扱いはあんまりだと彼女達はひそひそぼそぼそ。
だが扱いがあんまりなのは一生懸命説明をしている生徒達の方だろう。
彼らがどれだけ熱心にこのクラスについて説明をしても、当の新入生達はひそひそと陰口を叩くか明らかに落胆した表情でぼんやりしているか。これでは研究の手を止めて相手している意味がない。
彼らの表情がうっとりからがっかりに変わったところで、教官が静かに「もういい」と口を挟んだ。
「お前達、ご苦労だった。研究に戻りなさい。それからそこの……後から入ってきた新入生4人組、君達はこの専攻には向いていないようだ。他を当たりなさい」
「なっ、何を仰いますの!?」
「そうですわ、まだ来たばかりで向いてないもなにも」
「なら聞くが、今彼らが説明した内容を復唱できるか?話を聞く気がない者を置いておくほど、うちのクラスは余裕がないものでね。わかったら出て行きなさい」
一瞬、室内の空気が凍りついた。
それを破ったのは、カタンと音を立てて立ち上がった【彼女】
「大変失礼をいたしました。彼女達はきっとわたくしのことを慮ってくれたのでしょうが、そのことで皆様をご不快にさせてしまったのですね。平民だ、低位貴族だと……そのようなもの、気にしておりませんのに」
「フィオーラ様、ですが」
「いいえ。わたくしたちは新入生として、先輩方に失礼な態度をとったのですよ。きちんと謝罪しなくては」
「…………申し訳ありませんでした」
なんだこの茶番、というのが彼女達以外全員の総意だった。
さすがに先ほど憧れの眼差しを注いでいた男子生徒でさえ、若干引き気味になっている。
しかしあえて誰も、そのしらじらしい茶番劇につっこもうという勇者は現れなかった。
謝罪をして気が済んだならこのまま出て行って欲しい、できれば他所に行ってもう二度とここには来ないで欲しい、ただそれだけだった。
「……で、綺麗にまとめてくれたそこの君。さっき彼らが説明した内容を、君なら覚えていると期待しても?」
だがまたしても空気を凍らせてくれたのは、空気が読めないのかあえて読まないのかわからない担当教官だった。
彼の棘まじりの問いかけに、フィオーラは顔色を悪くして「申し訳ありません、気分が優れなくて」と俯いて答える。
その返答に、教官の眉が不快そうに跳ね上がった。
「そうか。入ってきた時はそうでもなさそうだったが……君の言う『平民』や『低位貴族』と同じ空気を吸うのが余程不快だったとみえる」
「いいえ、そのようなことは。先ほども申し上げましたように、わたくしは気にしてなどおりませんわ」
「そう、君はそうやって『わたくしは』と前置きすることで、君の取り巻き達だけが悪いのだと責任転嫁しているな。……しかもこの学園にいる以上、貴族だ王族だ平民だという差別は許されないはずなのだが……君の言い方では、その身分の差を認めた上で『気にしていない』のだと言っているように、実に傲慢に聞こえる。全くもって不愉快だ」
「……叔父上、少し言い過ぎでは」
「アベルト、学園では教官もしくは先生と呼びなさい。それに私はこのクラスの担当教官だ、生徒側に選択肢があるのと同様に私にも生徒を選ぶ権利がある」
それはそうですが、とアベルトは歯切れ悪く反論しようと試みたが、途中で断念したように緩く頭を振った。
(叔父上?……アベルト様に叔父上と呼ばれる存在ってまさか、いえ、でも……)
そういえば、とエリカは思い出していた。
幼い頃父に連れられて出向いた王都の庭園において、待ち伏せをしていたかのように現れたまだ青年と呼んでもいい年齢の男性。
彼のことを父は「王弟殿下」と呼んでいたことを。
そしてその男性の面差しと、今目の前にいる担当教官の顔立ちがどこか重なることを。
変わり者の王弟殿下は、王位に一切興味を示さず好きな研究ばかりをして公務にも滅多に顔を出さないと有名だ。
そして実の父親以上に第二王子アベルトと仲が良く、彼が王位継承権を放棄した後も『叔父上』と呼ばせるほどには親交がある、ということも。
これに何より驚いたのはフィオーラサイドの令嬢たちだ。
顔に見覚えがなかったため、てっきり低位貴族か平民出身の教官だと侮っていたが、実際は社交界での付き合いを嫌って殆ど顔を見せない王弟殿下だったというのだから。
フィオーラ自身もまさか王弟殿下だなどとは思っておらず、本気で顔を青褪めさせて何か言い募ろうとするも、厳しい眼差しで見下ろされては言い訳すらできずに口をつぐむ。
そしてもう一度「失礼いたしました」と頭を下げると、慌てふためく取り巻き達を一瞥もせずに教室を出て行った。
その後を、令嬢たちも慌てて追っていく。
「……アベルト様、お見事です」
「ん、何のことかな?」
「実に絶妙のタイミングで『叔父上』と呼ばれたことですよ。普段なら公私混同に当たるからと絶対に呼ばれないでしょう?」
そうレンが指摘すると、アベルトは「まぁな」とあっさり故意であったと認めた。
「彼女達に『叔父上』のことを教えてしまったのはやはりまずかっただろうか?」
「そうですね……ですがいずれ知れる公然の秘密ですし……何より、本気で慌てている彼女達を見てスッとしましたから。構わないと思いますよ」
「お前は…………まぁ、私も同感だが」
「でしょう?」
くすくす、と意地悪く笑う主従を遠巻きにするようにして、教室内に笑いが広がる。
さすがにエリカは笑う気にはなれなかったが、それでも「スッとした」というレンの感想には素直に同意していた。




