2.その男、稀なる者につき
2015.3.15
後半部分、多少修正が入ってます。
精霊たちが妙に騒がしい。
精霊という種族は、大きく分けて火・水・風・地・光・闇の六種であると言われている。
彼らは基本的に気まぐれで、『人』を好んで力を貸す者もいれば、逆に『人』を避けて暮らす者もいる。
『人』を好む者の中には、その持てる魔力と引き換えに強い術を行使するための媒介になったり、余程その『人』を気に入った場合はその精霊が傍にいなくとも強い術を使える【加護】を与える者までいるという。
だがその【加護】を与える基準は決まっていない。また、その【加護】の殆どは生まれてすぐに与えられるものであり、後天的に授かることは稀……それほど例がないことだと言われている。
王都より少し離れた西に領地を持つ公爵家、ローゼンリヒト。その一人息子であるラスティネルは精霊の力を借りることはできなくても、その姿を捉え声を聞くことができる稀有な能力者だ。
彼は治癒属性という特殊な属性を有しており、治癒の腕前は10歳にして専門の治癒術師を唸らせるほどである。そんな彼の使う術を、精霊たちが遠巻きにしながら……だが興味津々という様子で伺う、というのがいつもの光景であるらしい。
だがこの日は、周囲に集まってくる精霊たちの様子がどうもおかしかった。
ある者は落ち着きなく周囲を飛び回り、ある者は『キケン、タイヘン』と甲高い声で叫び。その警告がどうやら5歳違いの妹、エリカの異変を告げるものであることに気付いた彼は、まず真っ先に妹の部屋へと駆け込んだ。
が、そこには空になったベッドがあるだけで、妹はおろか世話役のメイドの姿もない。
これはおかしいと感じた彼は、邸を出てすぐ隣にある領主の城へと向かい、そのまま父の執務室まで駆け上がった。
「どうかなさいましたか、坊ちゃま」
「父上はおられるか?」
「旦那様でしたら、ただいま執務中でございます。お取次ぎいたしますので少々お待ちいただけますか?」
「ああ、急いで頼む」
「かしこまりました」
一礼して執務室に入っていく古参の執事を見るとはなしに見送って、ラスティネルは苛立たしげにさらさらな銀髪を乱暴にかき上げる。
フェルディナンド・ローゼンリヒトは彼の父親であり、この地の領主を務めている。彼は火の魔術に適正があり、精霊を認識することはできないが上級魔術まで使うことができる。こうして領地に腰を落ち着ける前は王都で騎士団を率いていたという実績もあり、魔術と剣術を両立させて戦うことで当時は王国髄一との声もあったほどの実力者だ。
「ラスティネル、入りなさい。話を聞こう」
ゆるくウェーブのかかった銀灰色の髪に、息子と同じ赤褐色の双眸。垂れた目尻が優しそうな印象を抱かせるが、息子であるラスティネルは知っていた。彼が、見た目ほど優しくも穏やかでもないということを。
「エリカが部屋にいません」
「なんだって?……世話役はどうした」
「そのメイドもいませんでした。他の使用人に聞いても誰も見かけていないそうで……ただ、精霊達がしきりに森の方を気にしているようなので、調査に出向きたいのですが」
「お前が結界を張ったあの森か……わかった、私も行こう。エリカがいるかもしれない」
既に邸外に用意されてあった馬を駆り、数人の従者を連れて森の入り口まで向かう。そこで馬を下り、彼らは足早に森の中へと入っていった。
『ハヤク、ハヤク』
『キケン、キケン。イソイデ、イソイデ』
『アノコ、シンジャウ』
「エリカが!?」
「どうした、ラス。エリカに何かあったのか?」
「いえ……ただ、危険な状況にあるのは確かなようです。急ぎましょう!」
「わかった」
先導するように少し先を飛び回る精霊達は、しきりに危険を訴えている。エリカが危険だ、死ぬかもしれない、と。
(エリカ……一体何があったんだ。どうか無事で、無事でいて!)
唇を噛み締めながら先を急ぐラスティネルの顔色は蒼白、後に続くフェルディナンドも悲愴な顔つきのまま黙々とただ足を動かしている。
何があったと推理する以前に、彼らの頭を占めるのはまだ幼い子供の姿。ベッドからおりる時間の方が圧倒的に少ない、体内の膨大な魔力に押しつぶされそうになっている、小さな少女。
生きていてくれればそれでいい、とラスティネルは祈る。
何故護りきれなかったんだ、とフェルディナンドは悔やむ。
そうしてたどり着いた崖の下
大きな岩の上にぐったりと身を投げ出すエリカを見て、彼らは言葉を失った。
「で、もう一度聞くが……このお嬢ちゃんは、崖の下に倒れてたんだな?ぐったりとして、息遣いも浅くて、今にも死にそうな顔つきだった、で間違いないな?」
「くどい。第一、いつもなら荒れ狂うように身体に現れるこの子の魔力の塊が、全く見当たらないんだ。魔力が持ち主の身体から放たれるのは、魔術を使う時以外は死に瀕した時だけだろう。違うか?」
「そう、か……いや、お前の言ってることは間違ってはないんだが……」
ふむ、と顎の下に指をあてながら、かつてフェルディナンドと共に騎士団で働いていたマティアス・フレミングは、たった今診察し終えたばかりの小さな患者の体をじっと見下ろした。
彼は、魔術医師である。
魔術医師とはその名の通り、魔力を患者の体に通すことで体内の状態をスキャンし、異常がないか調べることができる特殊な職業だ。魔力は通常体内を循環しており、もしどこかに異常があればそこに膿となって蟠ってしまう。それを取り除き、魔力の流れをスムーズにした上でその後は怪我や病気を治す治癒術師に引き継ぐ、というところまでが魔術医師の役割だ。
エリカの場合、魔力が正常に循環しない所為でところどころにすぐ膿ができてしまい、この小さな身体をぶくぶくと膨らませる原因となっていた。
普段は魔術師でもあるフェルディナンドが魔力の流れを調整しているが、原因となる膿を取り除けるのはマティアスだけだということもあり、定期的に往診に来てもらっている。
「どうした、マティアス。エリカがどうかしたのか?」
「どう、ってな…………まどろっこしいから率直に言うぞ。今のお嬢ちゃんの魔力の流れはほぼ正常だ。多少ちっこい膿は残ってるが、治療を妨げるようなもんじゃない。今までで一番いい状態だと言ってもいい。正直、これまでお嬢ちゃんの治療にあたってきた俺自身、まだ信じられないんだが」
ただな、とマティアスは一旦言葉を切ってから、エリカの左手首をそっと手に取った。
全く肉のついていない、今にも折れそうな手首。彼女本来の、病的な細さのそれ。
その内側には、鳥が羽を広げたような不思議な痣が刻まれている。
「っ!!…………ああ……神よ」
彼は生まれて初めて、神に感謝した。
その痣は紛れもなく、精霊の……しかも最高位の精霊の加護を受けた証だったから。
【加護】は、後天的に得られることは殆どない。だが稀に、精霊の気まぐれと偶然が重なって、こうして加護を得られることもあるという。
何者か……恐らく世話役のメイドによって害されかけたエリカは、運よく泥地に落ちたもののその命を散らす寸前だった。そんな彼女に加護を与えた精霊の力によって、天に召されかけていた少女は命を繋いだ。
いつもは昼過ぎになるともう魔力太りで動けない状態にまでなってしまう彼女が、今もこうして本来の彼女の姿のまま魔力を安定させていられるのは、加護の印からかの高位精霊へと魔力が送られているからだろう。
「なぁフェル、感動的なとこ悪いんだが」
「悪いと思うなら空気を読め」
「だからあえて読んでねぇんだっつの。そのお嬢ちゃんの世話役、探さなくていいのか?」
娘の手を握り締めて涙を滲ませていたフェルディナンドは、この一言にぴくりと肩を震わせた。同時に、部屋の空気がひやりと冷気を帯びる。
「…………探す?私が、わざわざ?どうして?」
「あ、あれー?お前確か火の魔力適正があるんだよな?なんで部屋が氷点下になってんのかな……」
「お前が余計なことに首を突っ込むからだろうな」
冷ややかにそう告げ、フェルディナンドはふぅっと息をつく。
「既に駐在所には連絡を入れてある。今頃は捕縛か、もしくは死体の回収をした上で、その罪にふさわしい罰を与えていることだろうさ」
(駐在所って、フェルを慕ってついてきたエリートばっかじゃねぇかよ)
ただでさえフェルディナンドの人気は高い。そんな彼の愛娘を害したとあっては、騎士達も己のプライドと忠誠心にかけて加害者を許しはしないだろう。
相手は平民だ、一族郎党の罪を問うことまではしないはずだが、それでも何らかのペナルティは課せられて当然だ。
普段は冷静沈着、穏やかで公正な領主だと慕われているフェルディナンド。だがその反面、敵対する者には容赦なく牙を剥く冷酷な一面もあるのだと、マティアスはぶるりと震えながら
(こいつが敵じゃなくて良かったぜ)
と、心からそう思った。