18.幼き頃の約束
『能力測定』は、学園に入学した生徒がどういった能力に優れているのか、どういう方向性に伸ばしていくといいのか、それを調べるために入学早々行われる【儀式】である。
そもそも入学試験やその前段階で誰がどういう能力を持っているのか、の予備知識は学園側は持っているわけで、それをわざわざ入学して間もなく行うということは、学園側の調査ではわからなかった詳細を探ろうというのか、それとも生徒それぞれに適正を知らしめてある程度ライバル意識を持たせようというのか。
学園側の意図するところはよくわからないが、エリカは朝から憂鬱だった。
それもそのはず、前段階の調査であっても父公爵が頑なにエリカについての情報を明かさなかったことで、恐らく彼女が『四属性の適正持ち』で『精霊王の加護持ち』であるとはまだ殆ど知られていない。
彼女が気になるのは、そのことを知ったフィオーラやテオドールがまたエリカに敵意を向けないかどうか、である。
(かといっていつまでもエルシア様ばかり標的にされるのも、危険すぎるわね)
学園に入って2日目、まださすがにエルシアに対するどうのこうのという話は聞かないが、上級生であるアベルトや情報通のレンなら何か知っていることがあるだろう。
そう思って心に留めておいたのだが、今朝は自分のことだけて手一杯で聞きそびれてしまった。
「ねぇレナ、エルシア様ってどのクラスでいらしたかしら?」
「エルシア・グリューネ様でしたら淑女科のはずですわ。淑女科は王族に直接お仕えする高貴な方々を育成するクラスですから、人数も少なく専攻も分かれていないと聞いております」
「そう、それじゃもし望んでも他の科から転科するのは難しいのね」
主の発言の意図をほぼ正確に読み取った有能な傍付きは即座に頷き、「手段がないわけではございませんが」と小さく言い添えて返した。
指定された教室に入ると、エリカはぽつぽつと座っていた生徒達をぐるりと見渡して「おはようございます」と挨拶をした。
返事は特に期待していなかったが、低位の貴族らしき数人が挨拶に応じてくれたことで、彼女はホッとしながら空いた席に腰掛けることができた。
クラスは、当たり前と言えば当たり前だが貴族や平民といった実家の身分は一切考慮されておらず、むしろ貴族は貴族、平民は平民で固まらないように、同じような身分の者達が妙な結束力を持たないうちにと、大体どのクラスも同じ比率になるように考えて分けられている。
寮でそれぞれの食堂が分けられているのはそもそも、貴族と平民、そして低位貴族と高位貴族では、生活習慣や求められるマナー、常識すら違う場合があるためである。
学業から離れたところまで身分平等を掲げ、いらぬストレスをためないようにという配慮だろう。
だが学業を修めるためのクラス分けに、そんな配慮は無用である。
専攻が正式に決まるのは早くとも入学してから3ヵ月後。
それまでは何度か見学会と称して上級生との交流を図ったり、魔術や剣術などの基礎を改めておさらいしたりと本当に基本的なことばかりを教えられ、個々の適正をしっかり見極めた上で希望の出された専攻クラスに入れるべきかどうか、学園側が協議を行って決める。
つまり今所属しているのは専攻が決まるまでの仮のクラスであり、クラス名も『魔術科Ⅰ』『騎士科Ⅱ』というように番号をふられているだけだ。
ちなみにエリカとレナは『魔術科Ⅱ』、ユリアは『騎士科Ⅲ』、フィオーラは『魔術科Ⅰ』の所属である。
「魔術科Ⅱクラス、能力測定の時間だ。訓練室に着いたら、先にⅠクラスが測定を受けているので、その後について並びなさい」
面倒くさそうにそう声をかけにきたのは、30代半ばほどの男性教師だった。
仮クラスの間は担任などはつかず、その時空いている魔術科の教師が伝達事項などを通達にくることになっている。
この教師もたまたま手が空いていたため駆り出されたのだろう。
さっさと先を歩き出したその背を小走りに追いかけるのは恐らく平民出身者、まぁなんとかなるでしょうという顔でゆっくりついていくのが貴族出身者、エリカとレナはそのゆっくり組の更に後ろを遅れない程度についていく。
(お兄様から伺った話では、あまりに希少価値が高い能力については口外されないということだけれど……)
ここで行われる測定は、幼い頃に受けた魔力判定とは比べ物にならないほど精密で高性能な魔術具を用い、属性や魔力量はもとより特殊な属性の有無、加護の有無まで調べることができるのだという。
ただしそれを公にするかどうかは測定担当者の判断に委ねられており、容易く口外すべきではないと判断した能力については、学園の上層部にのみ伝えられるという配慮はされているらしい。
実際、ラスティネルの持つ治癒属性は公表されたものの、精霊視の能力については伏せられているし、アベルトも3属性の適性持ちだとは知らされているが、その特異な『感情が色を伴って見える』という能力は学園の上層部に報告されたのみである。
エリカの場合も『4属性の適性持ち』は公にされるだろうが、『精霊王の加護持ち』という部分は恐らく伏せられる。
とはいえ4属性の適性持ちはこれまでに数えるほどしか確認されておらず、その全員が何らかの形で『歴史』に名を残しているとなれば、当然エリカにも同様のものかそれ以上のものを国は求めてくるだろう。もしかすると今度こそ、なりふり構わずに彼女を取り込もうと『第三王子の妃に』と無理やり縁談をねじ込んでくるかもしれない。
レンとの婚約を正式発表した今であっても、だ。
様々な不安を抱えながらも列の最後尾に並び、結果を告げられて一喜一憂する生徒達をぼんやりと眺めるエリカの耳に、「きゃあ!素晴らしいですわ、フィオーラ様!」という些かはしたない嬌声が飛び込んできた。
どうやらフィオーラの測定結果が告げられたらしく、その取り巻きたちがここぞとばかりにはしゃぎ、我が事のように手を取り合って喜んでいる。
「…………『フィオーラ様の能力は貴族随一ですわ』……ですか。あの方達、お嬢様の能力をお知りになられた後どう言い訳なさるのでしょう?愉しみですわ」
ふふっ、と微笑みながらそう呟くレナの琥珀色の双眸はあくまで冷ややかだ。
確かに、フィオーラの持つ『風』『水』『火』の三属性に対する適正というのは非常に珍しい。
他に三属性の適性持ちはアベルトくらいだが、彼の場合はあまり有用とされない『地』属性が最も強いとあって、王族であった頃から軽んじられてきている。
対してフィオーラの場合、どの属性も扱いやすく適正を持つ者も多いため研究が進んでおり、有用な魔術も多々残されているため尚更その価値が高いと判断されたのだろう。
(レナが言うこともわかる気はするのだけれど…………あら?)
つい先ほどまで教師に咎められるほどにきゃあきゃあと騒がしかったご令嬢達が、一斉に黙り込みとある一人のご令嬢へ視線を向けている。
なにかあったのかしらとエリカもそちらに視線を向けてみるが、きちんと型どおりに制服を着こなした茶髪の少女が見える程度である。
その少女の顔色が明らかに悪くなっていることからも、彼女が視線を集めた張本人であることはほぼ間違いないのだが。
「レナ」
「はい」
承知しました、とレナは軽く一礼してすすすと列を離れ、人の輪に混ざっていく。
エリカの傍付きの中で最も諜報向きなのがこのレナであり、彼女の人脈や人の輪にささっと混ざってするっと抜けてくる鮮やかな手並みは、実は元黒騎士団長であるフェルディナンド仕込みである。
彼女は双子の弟であるレンに比べると力では劣るし、魔術の腕だけではエリカを守りきることなど到底できない。早々にそう判断した彼女の明晰さと傍付き試験の時に見せた素早さを買ったフェルディナンドが、ならば情報収集に長けよと教育した結果だ。
しばらくしてするりと令嬢達の輪を抜けて戻って来たレナは、あの茶髪の少女が低位貴族……男爵家の令嬢である事、適正のある属性はたったひとつ『光』だけだったが、彼女には光の精霊の加護がついており、その事実を耳に入れたフィオーラの取り巻きの一人が周囲に広めたことで、いたたまれないほどの嫉妬の視線を受ける事となった、という事を簡潔に告げた。
「かのご令嬢は確かに三つの属性に適正をお持ちですが、『光属性』は昔から神聖視されておりますもの。その精霊の加護を受けたご令嬢ともなれば、羨みたくなるのも無理のないことですわ」
お嬢様には関係のないことですけれど、と付け加えるのがレナらしい。
そんなレナは、一足先に能力測定の魔術具の前に進み出ていった。次にどこかの列が空けば、とうとうエリカの順番になる。
彼女の適正は4つ、恐らく先ほどの男爵令嬢など比にならないほどの視線を受けることになるだろう。
なにより、あのフィオーラにまたしても敵視されることになるのは、彼女にとって寿命が一気に縮むのと同義である。
「最後だ。そこの銀髪の君、前に出なさい」
「……はい」
悩む彼女のことなどお構いなしに測定は進み、ついにエリカが呼ばれてしまった。
他の生徒は既に測定が終わっており、そのあたりで談笑しているか居心地悪そうにすみっこにいるか、大体その2パターンに分かれているようだ。
「名前と所属クラスを」
「エリカ・ローゼンリヒト、魔術科Ⅱクラスです」
「よろしい。ではこのボードの上に手を置きなさい。心を静め、何も考えないように目を閉じて」
エリカは言われるがままに測定ボードの上に手を置き、そっと瞳を閉じた。
沸き起こってくる不安や恐れなどを抑えこみ、無心に無心にと己に言い聞かせて教師の声を待つ。
正直、目を開けて測定ボードの反応を見るのが怖かったのだ。
測定ボードとは、その名の通り能力を測定するための『スキャン』という魔術を組み込んだ魔術具である。『スキャン』は落ち人が開発した魔術のひとつで、人体に使えば身体の異常がわかり、能力判定として使えば加護の有無や特殊能力まで識別できる、という優れものである。
エリカの前に座った教師は、擦れた声で「これは……」と小さく呟いている。
そして周囲に座る教師達も集まってきたのか、小声で何事か言い交わす声も聞こえてきたところで、不意に「よろしい、目を開けなさい」と測定の終了を告げる声がした。
エリカが目を開けると、そこには彼女達Ⅱクラスを引率してきた教師が真面目くさった表情で立っている。
「エリカ・ローゼンリヒト。適正は『水』と『光』と認める。これで全員測定が終わったな、教室まで戻りなさい」
ざわざわと訓練室内がざわめきだし、一人また一人と外に出て行く。
唖然とした表情のエリカ、そして驚きを隠せない様子のレナ、その視線の先にいるフィオーラは結局一度もエリカの方を見ようとはせずに、部屋を出て行った。
(……どういう、ことかしら?……測定の誤り……いいえ、そんなはずは)
軽く頭を振り、属性を告げた教師へと何気なく視線を移したエリカは、かけていた眼鏡を外して軽く片目をつぶって見せたその顔を見て、忘れかけていた面影を思い出した。
「お父様……」
「え?」
「あの先生、お父様の部下だった方よ。私が小さい頃に何度かお会いした程度だけれど……あの不器用なウインク、よく覚えているわ」
『団長と奥方様は俺の恩人です。ですからそのお嬢さんである貴方のこともきっと守りますよ』
ようやく気付いた。
彼は、その約束を果たしたのだと。




