17.それは染みゆく毒のように
4/26エリカのお相手を変更しました。
「はいみなさん、おはようございまーすっ!健全なる魂は健全なる肉体に宿るっ、ではまずラジオ体操の歌からー」
てーんてーててーん、てれれれてーんてーててーん、と奇妙なリズムを口ずさみながら、ネグリジェから『じゃーじ』という特性のトレーニング用洋服に着替えたユリアが、ご近所迷惑にならない程度の声で新しい朝は希望の朝だというような内容の歌を歌い始める。
その声でようやく起き出してきたエリカは、レナに手渡されたタオルを持って洗面所に行き、戻ってくる頃には無理やり引っ張り込まれたレナまで珍妙な動きの体操をさせられているのを、呆れたような、それでいて微笑ましいものを見るような目でそっと見つめた。
(こうして見ると、こちらに来たばかりの頃とは別人のようね)
シジョウ・ユリアと名乗っていた、8歳の少女。
あの頃の彼女はまだ己が現実の世界にいるのだという自覚が薄く、さすがのエリカも現実をしっかり見なさいと厳しく説教してしまったほどだった。
だがその甲斐もあって、『イケメン王子と恋をするために来た』だの『見目麗しい騎士様があたしを守ってくれる』だのといった夢物語から覚め、彼女は劇的に羽化を遂げた。
顔立ちの可愛らしさはそのままに、実はものすごい才能を秘めていた剣の道を数年にして極め、自分に自信をつけた今の彼女は『素敵な淑女像』からは程遠いかもしれないが、しかし充分異性の視線を集めるほどの美少女へと変化している。
些か成長の方向性が間違った気がしないでもないが、それでも生き生きと日々を過ごしているユリアを見ていると、これが本来彼女があるべきだった姿かもしれない、とエリカはそう思うことがある。
そして、自分もそう在れているだろうかと時々不安にかられるのだ。
「では今日のラジオ体操はここまでっ。今日も一日お元気でー、ごきげんよーう!」
「はぁ……もう何ですの、あの動きは。伸びたり飛んだり回したり、休む暇がありませんわ」
「だってそういう体操だもん。流れるようにやらなきゃ疲れ…………あれ、エリカ?どしたの、顔色悪いよ?」
「え?……いえ、なんでも。それより、明日から私もその『らじお体操』とやらに加わった方がいいのかしら、と思って」
エリカ大好き人間を自称するユリアなら『大歓迎だよ』と言ってくれるだろうかと予想したのだが、それに反してユリアは驚いたようにぶんぶんと首を横に振った。
あわせて、隣に立っていたレナまでも。
「ダメだよ、ダメダメ!これ、簡単そうに見えるけど初心者には結構大変なんだから!今のエリカには無理!」
「そうですわ、エリカ様。新入生とはいえ授業内容はかなり厳しいと聞きますわ、その前に体力を消耗なさっては倒れてしまわれる危険性が高まります。最初が肝心と申します、他の方々に侮られぬよう体力は温存なさった方がよろしいですわ」
「え、ええ……そうね」
(あんな簡単そうな体操でさえ禁止されるほどの体力のなさって……どうなのかしら)
この先、魔術を本格的に使っていくなら魔力のみならず体力もそれなりに必要となるのだが、これでは先が思いやられる。
先ほどまでとはまた違った意味で不安にかられてしまうエリカだった。
と、なんだかんだでにぎやかに朝の支度を済ませたところで3人は揃って寮の外に出る。
朝食と夕食は各自の部屋で作るもよし、寮の食堂に行くもよし、外で食べるもよし、と比較的自由な行動が認められている。
昼食だけは授業との兼ね合いもあるため、学園の敷地内で食べることを義務付けされてはいるが、弁当を持参するのもカフェテリアで食べるのも自由だ。
朝食は寮の食堂で構わないとエリカはそう提案したのだが、レナがそれに反対した。
一言に女子寮と言ってしまっても王族の持つ離宮くらいの広さを持つため、食堂は複数存在する。
ざっくりと分けてしまえば、生徒達に不満を募らせないために高位の貴族用と中・低位の貴族用、そして庶民用となっているのだが、王の名の下にこの学園に通う生徒である間は身分は不問とされているため、出されるメニューに違いはない。
『エリカ様と同じ高位貴族であるかのご令嬢と遭遇する機会を、わざわざ好んで増やすこともありませんわ』
とはいえ、当のフィオーラ嬢がその食堂を利用せずに外のカフェテリアを選んでしまえば、この気遣いは全く逆効果となってしまうわけだが、レナはにっこりと微笑んでその可能性を否定した。
『入学して暫くはまずご自分の信者……いえ、派閥を作ることを優先されるでしょうから、そのためには似た階級のご令嬢が集う食堂を利用されると思いますわ。かのご令嬢に限らず、大体人脈作りに来られている他のご令嬢・ご子息も似たようなものでしょう』
というレナの予言通り、学園へ行く途中にひっそりと佇むその店で寛いでいるのは現状たった3人……しかもその3人ともエリカの良く見知った人物だった。
ひとりは、白茶の髪に蜂蜜色の双眸を持つ『かつて落ち人だった記憶を持つ』伯爵令息、レン・シュヴァルツ。ふたりめは、そんな彼より数年早く『第二王子アベルト』の傍付きとして王宮に上がり、王子が公爵令息として養子縁組されたことで一緒に公爵家へついていったという忠義の男、チャコールグレイの短髪に意志の強そうな黒い瞳という容姿のウィルフレッド・アマティ侯爵令息。
そしてもうひとりが、数々の思惑を抱えつつ表向きは母のため、そして国の安寧のために王位継承権を放棄して臣下にくだった元第二王子、アベルト・スタインウェイ公爵令息である。
エリカの姿を認めた彼は立ち上がり、優雅に一礼する。
元の生まれはどうあれ、現状エリカと彼は実家の爵位だけ見れば同等、力量差を考えるならローゼンリヒトの方が上だ。
いくらこの学園にいる間は身分不問と言われていても、それはあくまで『平民だから』と見下したり逆に『貴族だから』と権威を傘に着たりしないように、という意味合いであって『敬意を払わなくてもいい』という意味ではない。
「おはよう。打ち合わせはしていなかったが、貴方ならここへ来るだろうとレンに言われたものでね。さすが、元傍付きだっただけはあるな」
「おはようございます。偶然ですわね、わたくしもレナにこちらを勧められましたの。彼らは双子ですもの、通じるものがあるのかもしれませんわ」
「そんなものだろうか。そう考えると実に興味深いな、双子という存在は」
そう言って穏やかに笑いながら、しかし彼の目にはきっとエリカの背負う『色』がはっきりと見えていることだろう。
彼に偽りは通じない。何故なら彼は、人の背負う『色』が何の感情を意味しているのか、嘘や欺瞞や世辞の蔓延する王宮内で散々見て思い知らされてきたからだ。
そんな彼のことだ、もしエリカの『色』に嘘が現れていたらすぐに会話を切り上げ、その場を去るくらいはやりかねない。
だが今彼は、その穏やかな表情を崩すことなく真っ直ぐにエリカを見つめている。
「……ねぇレン、【婚約者】として止めなくていいの?」
「言いたいことはわかるが、あの方のあれは癖のようなものだしな。見つめ合っているように見えるくらいは、まぁご愛嬌じゃないか?」
「そうですわね……公の場では少し問題ですけれど」
「……誤解を招く言動は控えていただきたいが、あの方のお気持ちを考えると複雑だな」
ユリア、レン、レナ、この3人はともかく普段なら不謹慎だぞと怒るウィルフレッドでさえ、視線をやや外にそらしながら同意を示す。
それだけアベルトがエリカに向ける視線が真っ直ぐで、しかもその裏には彼の抱える人間不信が関わっているとわかるだけに止められない、ということだ。
一方、その真っ直ぐな視線を向けられているエリカにも、さすがにその意味合いくらいは伝わっていた。
だが、隠しようのない信頼を向けられている、それを意識するたびに『あの時』のテオドールの蔑むような言葉が胸を突き刺す。
思いあがるな、お前は醜い『忌み子』なのだ、と。
「……ああそういえば、今日は能力検査の後で専攻を選ぶ見学会があるのだったな」
エリカの『色』を見て何かを察したのか、アベルトは積極的に話題をふってきた。
咄嗟に反応できずにいるエリカにかわって、話題を盛り上げるべくレンが口を挟む。
「ええ、アベルト様。去年はこちらが選ぶ側でしたが、今年は選ばれる側になるわけですね。なんだかそれだけでも一歩先に大人になった気分です」
「むっ。何よ、傍付きの特権だからって先に入学できただけじゃない」
「それがどうした。特権だろうとなんだろうと、先輩だぞ。ほら、敬え」
「お前達は本当に仲がいいな…………まぁいい。見学会は午後からだ、是非うちにとは言わないが見学の選択肢には入れておいてくれ」
アベルトはエリカよりも1歳年上で、去年この学園に入学している。
そして本来ならエリカと同じ年に入学となるはずのレンは、アベルトの傍付きという特権を利用して彼と共に入学を許され、双子であるレナより1年先輩としてここにいる。
そんな彼ら2人は、アベルトが補助魔術研究チームに、そしてレンがラスティネルと同じ魔術具研究チームに、それぞれ所属している。そして魔術の才がなくかわりに剣術の才に恵まれたウィルフレッドは、騎士科の数ある護衛養成チームの中でも体術を駆使して敏捷さと柔軟さで闘うことを学ぶチームに所属していた。
補助魔術研究とはその名の通り、攻撃でも防御でもなく補助的に使用する魔術について理解を深め、できることなら新しい魔術を編み出すことを目的としたチームだ。
魔術といえば敵と戦って勝つ、ただそれだけだと思われがちだが実際の戦いではそう簡単にはいかない。
正面から名乗りを上げて向かってくる敵や、寸止めしてくれる敵などいないのだ。
そこで、攻撃担当とは別に相手の不意をついて足止めをしたり、何らかの状態異常を起こさせる補助魔術を扱える者がいると、実戦では格段に楽になる。
実際に王位継承権は放棄したものの、未だに彼の命を餌に王家に取り入ろうと考える者や彼を邪魔だと考える者が後を絶たないため、そんな輩に狙われないようにする対応策としては最適なのだろう。
そしてそれは、公爵令嬢であり侯爵令嬢と伯爵令嬢を傍付きとして置き、更に恐らく今日にでも広く知られることになるだろう『4属性の適性持ち』であるエリカにも、必要な手段であるように思われた。
「そう、ですわね。実際、兄の専攻しておりました魔術具研究に興味がございましたので、そちらをと考えておりましたが……補助魔術もわたくしには必要かもしれませんもの。見学は今日と明日に行われますし、是非参考にさせていただきたいですわ」
「そうか、そう言ってもらえるとありがたい。何しろ補助魔術というのは地属性と同じで中々その有用性を理解されがたいものなのだ、故に新入生にも受け入れられにくい。入ってくれとまでは強要できないが…………ああそうか、だが婚約者とクラスが離れてしまうのも、外聞的には問題か。すまない、そこまで気が回らなかった」
いえ、お気になさらず。
咄嗟にそう返したものの、エリカも内心では「そうね、そうだったわ」と改めて『婚約者持ち』であるという自信の境遇に思いを馳せていた。
レンがエリカの婚約者として正式にお披露目されたのは、彼がアベルトの傍付きとして送り込まれた2年後のことだった。つまり、昨年の話である。
実際、レンの働きはフェルディナンドの予想を遥かに越えていた。
動向を探りに行ったはずのアベルトからの信頼をすぐに得たかと思うと、傍付きとして何度も刺客と渡り合ったり現役魔術師達との手合わせで好成績を出したり、時には狡猾な隠居貴族達と笑顔で渡り合ったりと、アベルトの報告事項よりもレンの報告事項の方が多いというくらい、目を見張る働きぶりを示してくれたのだ。
これにはさすがに、親バカ全開のフェルディナンドであっても白旗を掲げるしかなかった。
(私は恵まれているのね……でも、だからこそあの二人が何もしてこないとは思えないのだけれど)
その思いは、まるで遅効性の毒のようにじわじわとエリカの心に染みていった。




