15.「欲しい」の意味は二つある
4/26エリカのお相手フラグ及びアベルトの周囲の事情などを変更しました。
彼の王子がフェルディナンドに接触を図ってきたのは、社交界に衝撃が走ったあの第一王子婚約披露のための夜会でのこと。
かつての部下から口頭で簡単に報告を受けた後、会場に戻ろうと踵を返しかけた彼の前にふらりと現れた第二王子アベルトは、感情の読めない翡翠色の双眸でぼんやりと彼を数秒見つめてから、ひとつ頷いて目の前の客間に消えた。
ついてこいという意味だと察し、フェルディナンドも何も言わず素早くその客間に入り、静かに扉を閉める。
「ローゼンリヒト公フェルディナンド殿。まずは、不躾に呼びつけたことを詫びよう。申し訳なかった。その上で、話を聞いてもらいたいがどうか?」
室内に二人きりとなった途端、第二王子の顔つきや雰囲気ががらりと変わった。
……否、戻ったのだ。彼本来の姿に。
正妃から生まれた第一王子レミニス、第二妃から生まれた第三王子セルディス、彼らはそれぞれ大きく強固な後ろ盾を持っているが故に優遇され、持たざる者である側妃の子の第二王子アベルトは生まれながらにあらゆる面から劣った存在だと貶められてきた。
実力主義を謳う国故に、王子として生まれたからには例え側妃の子であろうと順当なる王位継承権が発生してしまう。
そしてそれを理由にして、貶められ、比較され、時には離宮に引きこもっている母をも笑いものにされ、お前は卑しき存在なのだと指を指され続ける。
そこで、物心ついた彼は早々に学んだ。
『彼ら』の前で、実力を出すのは愚か者のすることだ。隠せ、潜め、凡庸を演じろ、と。
フェルディナンドの前にいる彼は、現在11歳。
本来なら10歳になった時点で婚約者候補を決められ、ある程度実力を見極めるテストをされた上で今後の進路について協議されるはずだが、彼の場合は魔術の適正を見極める検査をされた程度で終わったのだと聞いている。
当然、婚約者候補という言葉すら挙がっていない。
(何の話かは見当がつく。……つきすぎて嫌になるほどだが……さて)
彼がこうして接触を図ってくるだろうことは、実は既にわかっていた。
以前エリカが倒れたあの謁見の日、何も感じないような顔をしながらだが確かに彼の目はエリカ一人を捉えていたのだと、おそらくフェルディナンドだけがそれに気付いていたのだから。
「…………伺いましょう」
低く、だがはっきりとそう応じると、アベルトはほんの僅かホッとしたような表情を浮かべたが、それはすぐにまた無表情の下に隠れてしまった。
「貴殿に持って回った言い方をしても無駄だというのはわかっている。だから率直に言わせてもらおう。エリカ嬢を貰い受けたい」
「っ!!」
「…………ああ、誤解しないで貰いたい。なにも『嫁に』というわけではないのだ。はっきり言えば、私直属の補佐役として欲しい、ということだ」
(……このクソガキが。私が動揺することを計算に入れてやがった)
ふざけるなと恫喝して席を立ってしまいたい気持ちを抑えこもうと、フェルディナンドは、頑張った。本当に頑張った。
そして心の中で念仏のように『あれは王族、あれは王族』と唱えながら深呼吸を繰り返し、なんとか平静を保てるようになったところで、「殿下」と地を這うように低くこれでもかと威圧感たっぷりな声を絞り出した。
「……確かに、必要以上に持って回った言い方は好みませんが、殿下のお言葉は率直過ぎて誤解を招きかねません。この際、『嫁』としてなのか『補佐役』なのかということは二の次でよろしい。どういった背景で、どういう理由をもって、何故あの子なのか。最低限そのくらいは説明していただかねば。可愛い娘の将来に関わる重要なことですので、易々とお返事差し上げるわけには参りません」
「なるほど。つまり貴殿が言いたいのは、『率直過ぎて紛らわしいわ、ボケ』ということだな」
「…………ボケ、とまでは申しておりませんが。まぁおおむねそんな解釈でよろしいかと」
フェルディナンドは、言葉を飾るのをやめた。
相手は末席とはいえ王族だ、公爵という貴族の最高位についている彼であっても頭を垂れなければならない相手である。
が、当人が遠まわしに言葉を飾るなと指摘してきたのだから、そこは受け入れるべきだろうと考えたのだ。
アベルトは、内々に王位継承権を放棄して臣下にくだりたいと、国王に相談していたらしい。
ただ、それをするには現在3人いる王子の中で誰が王太子になるのか、はっきりと優劣を決めてしまわなければ示しがつかず、そのためには最低限第一王子が成人していないと成り立たない。
それまで待つようにと言われた彼は、ならばと事前に母に相談した上でもうひとつの選択肢を王の前に提示した。
「少々強引だが、母上を誰かに下賜という形で嫁がせることができれば、王子である私もそれについていくという形を取り、その時点で王位継承権を永久放棄するということはできないか。そう陛下に進言してみたところ、運よく母の元婚約者が名乗りを上げてきたそうでな。彼は侯爵家の者だが、王家の者を賜るということ、そして……まぁ母を奪ったことへの謝罪も含むのか、空いている公爵家を継がせるということで話がついたようだ。……と、ここまでは貴殿には関係のない話か」
「ええ、そうでしょうね。基本的に、身内が関わらねば私にとっては関係のない話ですから」
「ではその『身内』に関わる話に移ろう。さて……背景と、理由と、どうして彼女か、だったな」
アベルトがどうして今このタイミングでフェルディナンドに『予約を』と切り出したのか、その背景には先ほど夜会の場を揺るがせたばかりの第一王子とエルシア嬢の婚約騒動がある。
当初その妹であるフィオーラ嬢が婚約者候補筆頭として挙げられていたにも関わらず、実際に公表されたのは姉の方だった。
妹にとってはさぞや屈辱的で、腹立たしいことこの上なかっただろう。
復讐を、と考えているかもしれない。
そこまで考えて、彼はふとある可能性に思い当たった。
もしフィオーラが第一王子と姉に復讐をと考えるなら、正攻法で姉を蹴落とす方法を考えるかもしれないが……もしかすると第二王子を利用しようとするかもしれない。
アベルトに足りないのは強固な後ろ盾だ、ならそこにフィオーラの実家がついたらどうなるか?
もし正々堂々レミニスと競い、彼に勝って王位を手に入れられたら……その時は即ち、フィオーラが第一王子とエルシアの上に立つということになるのではないか。
自らが、傀儡もしくは踏み台とされる可能性があるのではないか。
「正直、あの娘は好かん。そもそも、幼馴染とデキているようだしな。なのであちらから打診がある前に、陛下の口から母上の臣籍降嫁と私の養子縁組及び王位継承権放棄を発表していただく。そしてここからが問題だ、第一王子である兄上は確かに次代の王に最も近い候補者として名が挙がっているが、そこで私に見切りをつけたフィオーラ嬢が弟に目をつけたらどうなると思う?」
「…………アベルト殿下の代わりに傀儡とされる、ですか」
「その通り。そうなれば今はおとなしい第二妃の派閥も活発になろう。いらぬ争いも起きるかもしれない。そこでだ、その前に私が第一王子派であることを宣言し、更に信頼のおける者を補佐として傍につけておきたいと考えたわけだ」
そこでようやく本題に入るんだが、もう少し我慢してもらえるか。
そう言われては、フェルディナンドも立ち上がりかけた腰をもう一度落とすしかない。
その『本題』もたいしたことがなければ、今度こそ速攻お断りして席を立とうとそう決めて。
まるでそんな内心を見抜いているかのように、アベルトは翡翠色の双眸を細める。
「公爵は、私の魔術属性については?」
「地属性が最も強く、補助で光と闇属性を使えると聞き及んでおりますが」
「そうだ。3属性というのは現王族の中では私一人だが、何分地属性というのは軽んじられる傾向にあるのでな。まぁそれはいい。……それ以外にもうひとつ、これは誰にも明かしていないのだが貴殿の令息と同じく、私も特殊な属性を持っている」
「…………それは、私が伺ってもよろしいものでしょうか?」
「ああ。……私には、視えるのだ。その者の纏う色が。その者の心が、色となって視えるのだよ」
怒りであれば燃え盛り、哀しみであれば暗く沈む。
恋に浮かれる者は桃色に染まり、妬みを抱く者は相応の醜い色に染まって見える。
この能力のお陰で、彼はこれまで幾度も身の危険を回避してきた。
誰が信じられて、誰が信じられないか、それを見分けることもできた。
「公爵はわかりやすいな。私が令嬢の話をしている時は、常に怒りの真紅に染まっているのだから。貴殿がどれだけ令嬢を愛しているか、大切にしているか、それだけでよくわかる」
「…………」
「対して、エリカ嬢の纏う色は理解しがたいと感じた。それまで青みがかった銀を纏っていたのに、あの予知夢……だったか、あれを視て泣き叫んだ瞬間は見事なまでの絶望の色に染まっていた。まるで、実際に己が死ぬのを体感したかのように。深い哀しみと行き場のない怒り、そして絶望がそこにあった」
それを見てわかったのだ、彼女ならば補佐を任せられる、と。
そうして彼はそこで初めて、苦笑に似た小さな笑みを浮かべたのだった。
第二王子アベルトは、間もなく公爵家令息として王位継承権を放棄した上で養子縁組される。
彼がそこまで迅速に行動したのは、泣き暮らす母を助けたいという想いと、権力闘争から遠ざかりたいという想いと、ローゼンリヒト公爵及び将来有望なその後継、そしていずれ劣らぬ優秀なエリカの傍付き達を味方に取り込みたいという想い、そして。
(難儀な方だ、あの殿下も)
持って回った言い方はしないと宣言しておきながら、最後の最後で自らの本音を告げたアベルト。
彼ならば、大事な娘の主として認めてもいいような気もしないでもないが。
だがまだ、心から信頼して全てを託すには足りないものが多すぎる。
「レンウィード、アベルト殿下……いや、アベルト殿を探れ。どうせ隠してもわかることだ、探っているのだと宣言してから堂々と調査に乗り出せ。そして逐一報告を入れるように。まぁあの方のことだ、早々にボロを出すヘマはやらかさないだろうが」
「ではもし何も不審な点が見つからず、主としての資質にも溢れたお方だと判断できたらどうなさるのですか?」
「……そうだな、その時は……」
仕方がないから、エリカに直接交渉することは認めてやってもいい。
素直ではない言い方をしながらもどこか期待を込めた眼差しでそう呟いたフェルディナンドに一礼で応えながら、レンは小さく聞こえないように「責任重大だな、全く」とため息をついた。




